第7話:夫の体温を上げるために「大好き」と嘘の告白を試みたら、心の声が『ヒィッ! 尊死する! 遺言書を書かねば!』とパニックを起こして発熱し始めました
波乱に満ちた街での一日を終え、私は自室のベッドの上で腕組みをしていた。
窓の外はすっかり闇に包まれている。屋敷は静まり返っているが私の頭の中はフル回転していた。
「⋯⋯間違いないわ。あの時、確かに『温かかった』」
昼間、街でラウルに絡まれた時のことだ。
ギルバートは激昂して私の前に立ちはだかった。その時、彼の背中に触れた私は、いつものドライアイスのような冷気ではなく、人間らしい生温かさを感じたのだ。
「通常時の彼は、強大すぎる氷の魔力を制御しきれず、常に体温が氷点下になっている。⋯⋯でも」
私は人差し指を立てて、仮説を整理する。
「感情が爆発した時――もしかしなくても『私』に関わる激しい情動が魔力を凌駕した時、彼のリミッターが外れて氷結の魔力が抑え込まれる?」
これは大発見だ。
もしこの仮説が正しいなら私の立ち回りも全く変わってくる。
彼と一緒にいても凍えなくて済むし、何なら彼を湯たんぽ代わりにすることだって可能になるかも。
「でも、常に怒らせておくわけにはいかないわよね」
四六時中ブチ切れている夫なんて怖くて一緒に暮らせない。屋敷が物理的に壊滅してしまう。
ならば別の感情で代用できないだろうか。
「怒りに匹敵するほど、激しく、かつポジティブな感情⋯⋯」
私はポンと手を打った。
「そうよ『デレ』だわ」
愛、羞恥、喜び――彼の心の声を聞く限り、私に対する感情の熱量はとてつもなく高い。
普段は「僕なんかが近づいてはいけない」というネガティブな理性で蓋をしているが、それを突き破るほどの『デレ』を与えれば、彼は怒った時と同様に発熱するのではないだろうか?
「実験が必要ね。⋯⋯今すぐに」
私は決意した。
鉄は熱いうちに打て――夫は熱いうちに攻略せよ!
私はクローゼットを開け、一番「攻撃力」が高そうな寝間着を選び出した。
薄桃色のシルクのネグリジェに透け感のあるレースのガウン。
今の私は防御力ゼロだが、対男性用の破壊力はなかなかのものだと自負している。
「待っていなさい、ギルバート様。今夜、あなたの心の炉心を融解させてみせるわ」
私は鏡の前でニヤリと笑うと、静かに部屋を出た。
◇
廊下はひっそりと静まり返っていた。
使用人たちも既に下がっている時間だ。
私は足音を忍ばせて、ギルバートの寝室の前へと立った。
コン、コン。
控えめにノックする。
少しの間があり、中から低く硬い声が響いた。
「⋯⋯誰だ」
「リリアです。少しよろしいですか?」
シン、と一瞬空気が止まった気配がした。
やがて⋯⋯戸惑うような沈黙の後、許可が出た。
「⋯⋯入れ」
私は深呼吸をして重厚なドアを開けた。
広い寝室――暖炉の火は消され、部屋全体がひんやりとしている。
部屋の中央にあるソファセットに、ギルバートは座っていた。
寝る前の読書でもしていたのだろうか。手には数枚の書類束、サイドテーブルには飲みかけのワイン。
彼が顔を上げ私を見る。
その青い瞳がガウン姿の私を捉えた――その瞬間。
バササッ!!
彼の手から書類が滑り落ち、床に散乱した。
「⋯⋯っ」
ギルバートは口を引き結んだまま、石像のように固まっている。
しかし、その脳内には核爆発のような衝撃が走っていた。
『!?!?!?』
言葉にならない絶叫。
鼓膜がビリビリする。
『リ、リリア!? その恰好は!? 寝間着!? 薄い! 布の防御力がゼロだ! どういうことだ、透けているじゃないか! 鎖骨が! 足のラインが! 生足が! 直視できない! 刺激が強すぎる! 網膜が! でも網膜が勝手に記録保存してしまう! 神よ、私の高性能な動体視力を褒めてやりたい!』
(相変わらずやかましい脳内⋯⋯)
私は苦笑いを噛み殺した。
やはり、この格好は効果覿面のようだ。
ギルバートはバッと顔を背けた。耳の先まで真っ赤⋯⋯にはなっていない。むしろ、動揺のあまり顔色は蒼白になっている。
「⋯⋯何用だ」
彼は私を見ないまま、冷たく言い放った。
「夜は部屋を出るなと言ったはずだが。⋯⋯無防備すぎる」
ピキ、ピキピキ⋯⋯。
彼の足元のフローリングに、白い霜が広がり始めた。
部屋の温度が急激に下がっていく。
動揺すればするほど魔力が暴走して冷却機能が働いてしまうらしい。
『見ちゃダメだ! 理性が飛ぶ! こんな夜更けに、あんな姿のリリアと二人きりなんて! 襲ってくれと言わんばかりじゃないか! いや、リリアに限ってそんなはずはない、きっと部屋の暖房が壊れたから避難してきたに違いない! 僕が暖炉にならねば! でも僕自身が吹雪の発生源だ、どうすればいい!?』
彼は葛藤していた。
理性と本能、そして自己嫌悪のトライアングル。
私は寒さに震える体を抱きしめるふりをして、彼に一歩近づいた。
「あの、ギルバート様」
「⋯⋯来るなリリア。冷えるぞ」
「構いません」
私はさらに歩み寄り、彼が座る一人掛けソファの肘掛けに腰を下ろした。
至近距離――ギルバートがビクッと体を強張らせる。
「昼間は、守ってくださって嬉しかったです」
私は甘い声色を作って囁いた。
そして膝の上に置かれていた彼の手――今は手袋をしていない素手に、自分の手を重ねた。
「っ!」
「⋯⋯!」
接触した瞬間、私の口から小さな悲鳴が漏れそうになった。
冷たい。
以前と同じ――氷水の中に手を突っ込んだような、痛みを伴う冷たさだ。
これまでの接触の中でも一番冷えているかもしれない。動揺のせいだ。
『触れた! ダメだ、離れろ!』
心の声が悲鳴を上げる。
『僕の冷気でリリアの柔肌が傷ついてしまう! 凍傷になる! 離さなきゃ! ⋯⋯でも離れたくない! 柔らかい! 温かい! このまま重ねていたい! どっちだ!? 僕はどうすればいい!? 誰かマニュアルをくれ!!』
彼は手を引っ込めようとしたが、私はそれを許さなかった。
冷たい彼の手を両手で包み込むようにギュッと握りしめる。
「ギルバート様」
私は彼の顔を覗き込んだ。
至近距離で見つめ合う。彼の氷のような青い瞳が、揺らいでいるのがわかる。
さあ、実験開始だ。
私は今日一番の「嘘」を口にする。
⋯⋯いや、完全に嘘ではない。彼に興味があるのは本当だから。
「私、ギルバート様のことが⋯⋯もっと知りたいです」
一呼吸置いて、トドメの一言。
「⋯⋯大好き、ですから」
時が止まった。
ギルバートの動きが完全に停止した。
瞬き一つしない。呼吸も止まっている。
部屋の中から、あらゆる音が消え失せたようだった。
心の声すら聞こえない。
もしかして、やりすぎたか? ショックで心停止した?
私が不安になりかけた、その時。
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?』
か細い、今にも消え入りそうな心の声が聞こえた。
『好き? ⋯⋯大好き? ⋯⋯僕を? リリアが?』
ザザッ、ザザザッ!!
ノイズが激しくなる。
『う、うわあああああああああああああああああ!!!!!!』
ドォォォォォォン!!!!
脳内で核爆発が起きたような衝撃音。
そして。
『聞いたか世界! 宇宙! 森羅万象! 聞いたか今のを!? 女神が! 僕を! 愛していると仰った! 「大好き」いただいた! 幻聴じゃない! 夢じゃない! 録音魔道具を起動しておけばよかった! いや、僕の脳髄に永遠に刻まれた! 魂のライブラリに保存した!!』
ボォッ!!
物理的な音がした。
ギルバートの全身から、漫画のように真っ白な湯気が噴き上がったのだ。
「えっ!?」
私が驚く間もなく、変化は劇的だった。
握っていた彼の手、さっきまで「氷水」のようだった冷たさが、一瞬にして「人肌」になり、さらに急速に温度を上げて「使い捨てカイロ」並みの熱さを帯び始めたのだ。
「あ、熱っ!?」
今度は逆に熱くて手を離しそうになった。
しかし、心地よい熱さだ。凍えるような寒さが嘘のように消え去っていく。
ピシ、パキ⋯⋯ポチャン。
窓ガラスに張り付いていた分厚い霜が、一瞬にして溶け、水滴となって流れ落ちる。
部屋の空気が、まるで春が来たかのように緩んでいく。
(すごい⋯⋯! 成功だ!)
私は確信した。
ギルバート公爵は極限まで「デレ」させると、冷却機能がぶっ壊れて発熱する仕様なのだ!
「は、あ、あ⋯⋯」
ギルバートは口をパクパクさせながら、顔を真っ赤に染め上げていた。
茹でダコも真っ青の赤さだ。
氷の公爵の面影はどこにもない。そこには初恋をこじらせて爆発寸前の、ただの初心な青年がいた。
◇
ここで止めておけばよかったのかもしれない。
でも、私は「温かい夫」があまりにも快適で、そしてこの反応が面白くて、つい調子に乗ってしまった。
「まあ、お顔が真っ赤ですわ」
私は悪戯っぽく微笑むと、さらに距離を詰めた。
湯気を上げている彼の頬に、そっと手を伸ばす。
「ふふ、なんだか可愛らしいですね、ギルバート様」
ペタ。
熱い頬に私の掌が触れる⋯⋯その瞬間、彼の許容量が限界を突破した。
『可愛い!? 僕が!? 頬に手が! リリアの手が! 柔らかい! いい匂い! 温かい! 近い! 目が合う! 「大好き」からの「可愛い」のコンボ! 無理だ! 脳が! 脳みそが溶けて砂糖菓子になる!』
プシューーーッ!!!
彼の耳から、高音の蒸気音が聞こえた気がした。
『キャパシティオーバーだ! 幸せすぎて死ぬ! これが尊死というやつか! 遺言書! 遺言書を書かねば! 全財産をリリアに譲る! あと僕の骨は砕いてダイヤモンドにして彼女の指輪にしてくれぇぇぇぇ!!』
ガクン。
ギルバートの瞳が白目を剥いた。
そして糸が切れた操り人形のように彼はその場に崩れ落ちた。
「えっ、ちょっ、ギルバート様!?」
私は慌てて彼を支えた。
ズシリと重い。
彼は完全に気を失っていた。
「もしもし? 大丈夫ですか?」
頬を叩いてみるが反応はない。
ただ、その体はポカポカと温かく、顔にはこの世の春を謳歌しきったような、だらしなく緩んだ幸福な笑みが浮かんでいた。
(⋯⋯気絶した)
あまりの幸福量に脳の処理が追いつかずにシャットダウンしたらしい。
私は湯気を立てて伸びている夫を見下ろして、深いため息をついた。
「⋯⋯攻略法は見つけたけど扱いが難しすぎるわね、この夫」
温かくするのは簡単だ。愛を囁けばいい。
でも少し刺激が強すぎると、こうして機能停止してしまう。
適度な温度を保つための「寸止め」の技術が必要になりそうだ。
「よいしょ⋯⋯」
私は気絶した大男をなんとか動かしてベッドへ横たえた。
重い。でも温かい。
そのまま寝かせると無意識の彼は私の手を握ったまま離そうとしなかった。
「⋯⋯ま、いいか」
私は諦めて、ベッドの端に腰掛けた。
彼の手はカイロのように温かく、冷え性の私には丁度いい。
「おやすみなさい、ギルバート様。⋯⋯明日起きたら、私の『大好き』は嘘じゃないって、証明してあげますから」
私は小さく呟いて、彼の寝顔を見つめた。
前世で孤独に死んだ私と今世で愛に溺れて気絶する夫。
私たちの「愛のない結婚生活」は、なんだかとても騒がしくて、温かいものになりそうだった。




