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第6話:外出許可が出ましたが護衛が軍隊規模でした。街の人々が夫を「冷血公爵」と恐れる中、私だけが『健やかに生きてほしい』という夫の本音を聞いています

 サファイアのブローチを手に入れてから数日後。

 私の「資金調達計画」は、新たな壁にぶつかっていた。


(⋯⋯物が、売れない)


 自室の窓辺で私は深いため息をついた。

 手元には高価なブローチがある。クローゼットには山のような高級ドレスがある。


 しかし、これらを現金化する手段がないのだ。


 屋敷に出入りする商人は皆、ギルバートの息がかかっている。彼らに「これを売ってください」と頼めば、即座に夫の耳に入るだろう。


 そうなれば「お金に困っているのか? じゃあ国家予算をやる」とか言い出しかねない。

 私が欲しいのは、足のつかない隠し資産なのだ。


 (やっぱり外に出なきゃ。街の質屋まで自力で行って、こっそり換金するルートを開拓しないと)


 しかし、ギルバートは私を「北の別邸(要塞)」に送り込もうとしたほどの過保護だ。


 ただ「買い物に行きたい」と言ったところで「商人を呼べばいい」と却下されるのがオチである。


「⋯⋯こうなったら、最終手段ね」


 私は鏡の前で表情筋を緩め、瞳を潤ませる練習をした。

 儚げな、今にも折れそうな花のように。


  ◇


 執務室にて。

 私はハンカチで口元を押さえ、よろりと身を崩した。


「⋯⋯ギルバート様」


「どうした? 顔色が悪いぞ」


 ギルバートが弾かれたようにペンを置いた。

 私は上目遣いで、涙を一粒だけ溜めてみせる。


「最近、少し息苦しくて⋯⋯。ずっとお屋敷の中に閉じこもっているせいでしょうか。外の空気を吸わないと、なんだか胸が詰まって⋯⋯死んでしまいそうです⋯⋯」


 ガタッ!!!


 ギルバートが椅子を蹴倒して立ち上がった。

 室温が一気に氷点下まで下がり、私の吐く息が白くなる。


『死ぬ!? リリアが死ぬ!? ストレス死!? 日光不足か!? 酸素欠乏か!? 馬鹿な、屋敷の空調は完璧なはずなのに!』


 彼の心の中はパニック映画のクライマックスのようになっていた。


『ごめんよ、僕が過保護すぎたんだ! 箱入り娘にしすぎて、逆に花を枯らせてしまうところだった! 太陽だ! 光合成が必要だ! 今すぐ外出だ! 全軍出撃! 国家非常事態宣言発令!!』


(⋯⋯そこまで大事ではないけれど、まあいいわ)


「⋯⋯わかった。すぐに準備をさせる」


 ギルバートは青ざめた顔で(元から白いが)、即座に側近たちに指示を飛ばし始めた。


 よし、作戦成功だ。

 これで街に出られる。隙を見て質屋へ駆け込めば、念願の現金ゲットだ。


 ◇


 一時間後。

 屋敷の玄関ホールに降り立った私は、目の前の光景に絶句した。


「⋯⋯あの、ギルバート様?」


「なんだ」


「これから、どちらの国へ戦争に行かれるのですか?」


 玄関前に横付けされていたのは、もはや「馬車」と呼んでいいのか迷う代物だった。

 漆黒の装甲に覆われた車体。窓には鉄格子と、中が見えないマジックミラー。

 車輪は私の背丈ほどもあり、全体から微かに防御魔法の青い光が漏れている。


 そして、その周囲を取り囲むのは完全武装した騎士団五十名。

 全員が剣を抜き、殺気立っている。


「散歩だ。気にするな」


 ギルバートは平然と言い放った。

 彼は黒いロングコートを身に纏い、手には例の「火竜の革手袋」を装着している。


『スナイパー対策よし。毒ガス検知魔法よし。物理防御結界よし。紫外線カット率99.9%よし。完璧だ。これならリリアを安全に運搬できる。まるで聖櫃せいしつを運ぶ儀式だ。僕が先導する神官になろう』


(ただの買い物だってば!)


 私は引きつった笑顔のまま、ギルバートのエスコートで馬車に乗り込んだ。

 中は意外なほど狭かった。

 外装が分厚すぎるせいで、居住スペースが圧迫されているのだ。

 向かい合わせに座ると、ギルバートの膝が私の膝に触れそうになる。


 ガチャリ、ドスン。

 重厚な扉が閉められ、密室が出来上がった。


「⋯⋯狭いですね」


 私が呟くと、ギルバートは気まずそうに視線を逸らした。


「安全性を優先したら、こうなった。⋯⋯我慢しろ」


 口では冷たいが、心の中はまたしてもバグり始めていた。


『狭い! 近い! 密室! リリアと二人きり! 酸素濃度が薄い、いや濃い? 待てよ、この空間の空気は循環している⋯⋯ということは、リリアが吸って吐いた二酸化炭素を僕が吸い、僕が吐いた空気をリリアが吸う⋯⋯永久機関の完成だ!』


(気持ち悪いわ!)


『ああ、空気が甘い。リリアの肺を通った空気は、なんでこんなに美味しいんだろう。瓶詰めにして売り出せば国の財政赤字が解消するんじゃないか? いや売らない、僕が独占する』


 ギルバートは膝の上で拳を握りしめ、脳内でハァハァと荒い呼吸をしている。


 変質者だ。この国の公爵は、正真正銘の変質者だった。

 私はそっと窓の方へ体を寄せた。


 ◇


 馬車は重々しい音を立てて動き出した。

 王都のメインストリートを進んでいく。

 マジックミラー越しに外の景色が見える。


 賑やかな市場、行き交う人々。久しぶりに見る「外の世界」に、私の心は躍った。


 しかし、人々の反応は異様だった。

 アイゼンシュタイン公爵家の紋章が入った黒い馬車が通ると、通りは蜘蛛の子を散らすように静まり返り、人々は道端に避けて深く頭を下げた。


 その顔に浮かんでいるのは敬意ではなく「恐怖」だ。


 かすかに、外の声が聞こえてくる。


「おい見ろ、氷の公爵のお通りだぞ」


「目を合わせるなよ、凍らされるぞ」


「若い奥様をもらったらしいな」


「可哀想に⋯⋯。どうせすぐに飽きられて、氷像にされて捨てられるのさ」


「血も涙もない化け物だからな⋯⋯」


 心無い噂話――前世の私はこの言葉を信じていた。

 ギルバートは冷酷な化け物で、私のことなんて道具としか思っていないのだと。だから私も彼を怖がり心を閉ざしていたところはある。


 私はちらりと向かいの席を見た。

 ギルバートは腕組みをして、無表情で目を閉じている。

 外の声など聞こえていないかのように平然としていた。


 けれど、心の中は違った。


『⋯⋯その通りだ。否定はしない』


 低く、沈んだ声が響く。


『僕は化け物だ。感情が高ぶれば周りを凍らせ、触れることすらできない呪われた存在だ。⋯⋯リリア、彼らの言う通り僕のそばにいれば君も凍えてしまうだろう』


 彼の拳が、白くなるほど強く握りしめられている。


『だから隠すんだ。僕という害悪から、そして世間の悪意ある目からリリアを守るために。⋯⋯僕が全ての外敵から君を隠し通すことで健やかに生きていて欲しい』


 私は息を呑んだ。

 監禁願望や要塞馬車の裏にあるのは、ただの変態的な執着だけではなかった。

 そこには、痛々しいほどの「劣等感」と「自己犠牲」があったのだ。


 彼は自分が愛されるはずがないと思っている。

 だから嫌われることを前提にして、それでも私が安全であるようにと不器用すぎる愛し方をしている。


(⋯⋯馬鹿な人)


 胸の奥が、きゅっと締め付けられた。

 同情ではない。ただ、この不器用な男のことが少しだけ愛おしく思えてしまったのだった。


 ◇


「⋯⋯少し、降りたいです」


 私は言った。


「せっかく街に来たのですから、少し歩きたいです」


「危険だ」


「五十人も護衛がいるのでしょう? 大丈夫です」


 私は強引に馬車を止めさせ、外に降り立った。

 ギルバートも慌てて続いてくる。

 騎士たちが円陣を組んで周囲を警戒する中、私たちは石畳の道を歩き出した。


 もちろん私の目的は「質屋のリサーチ」だ。

 どの店なら目立たずに入れるか、看板を確認しながら歩く。


 その時だった。


「やあ! リリアじゃないか!」


 人混みをかき分けて、一人の青年が近づいてきた。

 護衛の騎士たちが剣を抜こうとするが、ギルバートが手で制する。


「⋯⋯ラウルか」


 現れたのは栗色の髪をした優男だった。

 ラウル子爵――ギルバートの従兄弟いとこにあたる人物だ。

 柔和な笑顔を浮かべ、親しげに私に手を振ってくる。


「久しぶりだね、リリア。結婚式以来かな? 元気そうで安心したよ。⋯⋯こんな厳重な警備の中で、息が詰まっていないかい?」


 彼は心配そうに眉を下げた。

 前世の記憶が蘇る。


 ラウルはギルバートと私が婚約したときから親切にしてくれて、別邸に送られたときも唯一手紙をくれた人。


 『ギルバートは冷たい男だ』『君のような美しい女性が不幸になるのは見ていられない』と、いつも私を気遣ってくれたり、励ましてくれていた。


 前世の私は彼だけが味方だと思っていた。


「ええ、ラウル様。お久しぶりです」


 私が礼を返すとラウルは一歩踏み込んできた。


「公爵閣下は相変わらずだね。街の人々をこんなに怯えさせて。⋯⋯リリア、何か困ったことがあったら、いつでも僕に相談してくれ。僕はいつだって君の味方だ」


 そう言って、彼は私の手を取ろうと手を伸ばしてきた。

 優しく、温かそうな手。


 しかし、その手は私に届かなかった。


 ヒュオッ!


 冷たい突風が吹き荒れ、周囲の気温が一瞬で五度ほど下がった。

 ギルバートが私の前に割り込み、ラウルとの間に立ちはだかったのだ。


「⋯⋯ラウル」


 地獄の底から響くような声。

 ギルバートの青い瞳が、絶対零度の殺気を帯びて従兄弟を射抜いている。


「気安く私の妻の名を呼ぶな。⋯⋯その汚い手を近づけるな」


「おっと、怖い怖い」


 ラウルは大げさに肩をすくめた。

 しかし、その目が一瞬だけ冷たく光ったのを、私は見逃さなかった。


 そしてギルバートの心の中は殺意の嵐だった。


『害虫が⋯⋯リリアの視界に入ったな? その網膜、今すぐ焼き払ってやろうか。それとも眼球をくり抜いてカクテルの氷にしてやろうか』


(ひっ、物騒すぎる!)


『こいつは昔からそうだ。僕の持っているものを何でも欲しがるハイエナめ。地位も、名誉も、そして今はリリアまで⋯⋯! 絶対に渡さん。リリアに指一本でも触れてみろ、その瞬間に全身の血液を凍らせて砕いてやる!!』


 凄まじい嫉妬と独占欲。

 そのときラウルの手が、うっかりギルバートの腕にかすった。


「冷たッ!?」


 ラウルは悲鳴を上げて手を引っ込めた。

 ギルバートの冷気が、物理的な攻撃となって彼を拒絶したのだ。


「⋯⋯失せろ」


 ギルバートの拒絶に、ラウルは「わかったよ、またねリリア」と言い残して、群衆の中へと消えていった。


 ◇


 ラウルが去った後もギルバートの殺気は収まらなかった。

 彼は私の前に立ちふさがったまま、肩で息をしている。

 周囲の石畳には霜が降り、護衛の騎士たちすら寒さで震えていた。


「⋯⋯ギルバート様」


 私は恐る恐る、彼の背中に手を伸ばした。

 彼を落ち着かせなければ、この辺り一帯が冬になってしまう。

 いつものように、氷のように冷たい背中だと思って触れた。


 ――え?


 私は目を見開いた。

 黒いロングコート越しに伝わってくる感触。

 それは、冷たくなかった。


 むしろ、ほんのりと「生温かい」。


「⋯⋯!」


 私は思わず、彼の背中にしがみついた。

 驚いたギルバートがビクリと震えるが、私は手を離さなかった。


 間違いない。温かい。

 普段の「ドライアイス」のような異常な冷たさではなく、人間らしい体温がそこにある。


『触るな!! リリアに触れていいのは、リリアに許された僕だけだ! 誰にも渡さない! 彼女は僕の命だ!』


 彼の心の中は、まだ激昂げきこう状態で叫び続けている。

 怒り、嫉妬、そして私を守ろうとする強烈な意志。


(どうして⋯⋯? いつもはとてつもない冷たさなのに)


 私は彼の背中に頬を押し当ててみた。

 やはり、温かい。


 普段、彼が冷静あるいはネガティブな時は、制御できない魔力が冷気となって漏れ出している。


 でも、今のように感情が爆発し、何かに熱中している時――例えば「怒り」や「守護」の感情が頂点に達した時だけ、その冷気が引っ込み、代わりに人間らしい「熱」が戻ってくる?


(もしかして、この呪いを解く鍵は⋯⋯「感情の爆発」?)


 ギルバートが恐る恐る振り返った。


「⋯⋯リリア? 大丈夫か? 寒くないか?」


 心配そうな顔に戻った瞬間、彼の体温はまたスッと下がっていった。

 コート越しでもわかる、いつもの冷たさだ。


「⋯⋯いいえ、大丈夫です」


 私は彼を見上げ、意味ありげに微笑んだ。


「ギルバート様、とても『温かかった』ですよ」


「え?」


 彼が呆気にとられている間に、私は一つの仮説にたどり着いていた。

 この「氷の公爵」を攻略し、普通の人間体温に戻す方法。

 それは彼の感情を揺さぶり続け、常に「熱く」させておくことかもしれない。


 そしてそれは私が生き残り、あわよくば彼を手玉に取るための最強の武器になる予感がした。


(質屋探しは後回しね。まずは、この仮説を検証してみましょう)


 私は要塞馬車に戻りながら、密かに拳を握った。

 私の二度目の人生、反撃の狼煙のろしが上がった瞬間だった。

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