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第5話:宝石をねだると夫は分厚い革手袋をして現れました。受け渡しの瞬間に指が触れたら、心の声が『熱い! 溶ける! 結婚した!』とバグり始めました

 その日の午後、私は自室のクローゼットの前で頭を抱えていた。


「⋯⋯失敗したわ」


 目の前には先日ギルバートが「ここからここまで全部」と買い占めたドレスの山が築かれている。


 全部で百着以上の色とりどりのシルクやレースの海だ。

 しかし、これらは私の「離婚資金計画」には何の役にも立たないことが判明した。


 まず(かさ)張りすぎる。

 こんな大量のドレスをどうやって屋敷から持ち出し、質屋へ運ぶというのか。馬車をチャーターした時点で怪しまれて終了だ。


 それに、どれもこれも最高級品すぎて素人の私にはどれが「換金率の高いアタリ」なのかさっぱり見分けがつかない。


「ドレス作戦は失敗⋯⋯。もっとこう、小さくて、高価で、ポケットに入れて持ち運べるものじゃないと⋯⋯」


 私は腕組みをして考え込み、そしてポンと手を打った。


「そうよ、宝石だわ!」


 宝石なら小さくて隠しやすい。そして何より単価が高い。

 指輪の一つでもこっそり持ち出せば当面の逃亡資金にはなるはずだ。


「善は急げね。またおねだりしに行きましょう」


 私は気合を入れて部屋を出た。


 数日前の「おねだり」で、ギルバートが私の頼みを断らない(むしろ暴走気味に叶える)ことは実証済みだ。


 多少、心の声がうるさいのさえ我慢すれば、彼は最高のお財布様なのである。


 ◇


 午後のお茶の時間に合わせて、私はギルバートをサロンに呼び出した。ついでに王都の宝石商も手配済みだ。


 扉が開き、ギルバートが入ってくる。

 私は立ち上がって彼を出迎えた。


「ギルバート様、お忙しいところ申し訳ありません」


「⋯⋯構わん」


 彼は短く答え、私の対面のソファに座った。

 相変わらずの無表情。そして私との距離はきっちり二メートル空いている。


 しかし、今日の彼はいつもと少し違っていた。


(⋯⋯手袋?)


 私は彼の両手に注目した。

 いつもは素手か、薄手の白い手袋をしている彼が、今日は分厚い黒革の手袋をめている。


 表面がゴツゴツとしていて、まるで猛禽類を扱う鷹匠たかじょうか、あるいは火炉を扱う鍛冶職人が使うような重厚な造りの手袋だ。


 室内で着けるような代物ではない。


「あの、その手袋は⋯⋯?」


 私が恐る恐る尋ねるとギルバートはふい、と視線を逸らした。


「⋯⋯手が、冷えるのでな」


 嘘だ。

 あなたが冷気の発信源でしょうに。


 私が心の中でツッコミを入れたその時、例のノイズと共に「正解」が流れてきた。


『ザザッ⋯⋯この特注の断熱手袋があれば⋯⋯! これは火竜サラマンダーの革を三層に重ね、間に断熱魔法陣を挟み込んだ最高傑作だ! これなら僕の冷気も遮断できる!』


(⋯⋯相変わらずスペックが無駄に高い)


『計算上、三秒くらいならリリアに触れても大丈夫なはずだ。今日こそは⋯⋯今日こそは、手渡しでプレゼントを渡すという「普通の夫婦」のミッションをクリアするんだ! 頑張れギルバート、震えるな、男を見せろ!』


 ギルバートは膝の上で拳を握りしめ、自分を鼓舞していた。

 どうやら前回、私の手を振り払ってしまったことをまだ気に病んでいるらしい。

 この手袋は、私に触れるための安全装置というわけか。


(⋯⋯健気というか、なんというか)


 私は少しだけ口元が緩むのを抑えた。

 目的はあくまで資金調達だ。情に流されてはいけない。


「失礼いたします、公爵閣下、奥様」


 タイミングよく宝石商が入室してきた。

 恰幅の良い紳士が、恭しくトレイをテーブルの上に広げる。


「本日は王家御用達の逸品をお持ちいたしました。どれも一級品でございます」


 トレイの上にはダイヤモンド、ルビー、エメラルドなど目が眩むような宝石たちが並んでいた。

 照明を受けてキラキラと輝くその様は、まさに富の象徴だ。


(すごい⋯⋯! これ売っていけば南の島に別荘だって建てられるわ!)


 私が心の中で喜んでいるとギルバートがスッと身を乗り出した。

 彼は鷹のような鋭い眼光で、宝石たちを値踏みし始める。


「⋯⋯ふん」


 彼は一つ、大きなダイヤモンドを指先で弾いた。


「濁っている」


「は、はい?」


「クラリティが低い。中心部に微細なインクルージョンが見える。こんな石ころ、リリアの指にはめさせられるか」


 宝石商が真っ青になった。

 肉眼ではどう見ても無傷の最高級ダイヤだが、どうやら「氷魔法スキャン」を持つ彼の目には、顕微鏡レベルの傷が見えているらしい。


「こっちは色が薄い。こっちはカットが甘い。⋯⋯駄目だ、すべて三流品だ。やり直し」


「そ、そんな⋯⋯!」


(まずい⋯⋯)


 ギルバートが次々と宝石を却下していく。

 このままでは「全部ダメだ、帰れ」と言われてしまう。それでは私の資金調達計画が水の泡だ。


『ちがう、そうじゃないんだ! 石が悪いんじゃない、リリアが美しすぎるんだ! 女神の肌に、こんな石ころを乗せるなんて冒涜だ! もっとこう、星の瞬きをそのまま結晶化したような、伝説級の秘宝じゃないと釣り合わないんだよおおお!』


(ハードル上げすぎだから!)


 私は慌てて介入した。

 伝説級の秘宝なんて手に入れたら、足がつきすぎて売るに売れない。

 私が欲しいのは適度に高価で、市場に流しても怪しまれないレベルの宝石だ。


「ギルバート様、待ってください」


 私はトレイの隅にあった、一つのブローチを指差した。


「私は、これがいいです」


 それは大粒のサファイアをあしらったブローチだった。

 深みのある青色が、プラチナの台座の上で静かに輝いている。ダイヤほどの派手さはないが、品があって美しい。


「⋯⋯サファイアか?」


 ギルバートが訝しげに眉をひそめた。


「それこそ、お前の瞳のエメラルドグリーンとは違うだろう。お前の美しさを引き立てるなら、もっと明るい色が⋯⋯」


「いいえ、この色がいいのです」


 私は彼を見上げ、計算された上目遣いで微笑んだ。

 さあ、殺し文句の投下だ。


「だって、ギルバート様の瞳と同じ色ですから」


 ピキィッ。


 テーブルの上の角砂糖が、音を立てて凍りついた。

 ギルバートの動きが完全に停止した。瞬きすら忘れたように、私を凝視している。


 その表情は無だ。

 しかし、心の中ではビッグバンが起きていた。


『僕の瞳の色⋯⋯!?』


 ドクン、ドクン、という心臓の音がノイズ越しに聞こえてきそうなほどの衝撃。


『リリアが⋯⋯僕の色を選んでくれた!? ダイヤでもルビーでもなく、僕の瞳のサファイアを!? ということは、これは実質的に「僕を選んでくれた」ということでは!?』


(⋯⋯まあ、拡大解釈すればそうなる⋯⋯か?)


『つまりこれは求婚! プロポーズだ! 結婚だ! いやもうしてた! じゃあ再婚だ! 結婚式のやり直しだ! 初夜もやり直しだ! 子供の名前はどうしよう、女の子ならリリアに似て天使になるに決まってる!! 来世の予約も今すぐ教会に入れてこよう!!』


 室温が一気に乱高下する。

 あまりの熱量に凍りついた角砂糖が今度は溶け始めている。

 宝石商は公爵が無表情のまま固まっているので「お気に召さなかったのか」とガタガタ震えている。


「⋯⋯買う」


 ギルバートは、震える声で言った。


「これを買う。言い値でいい。⋯⋯いや、言い値の十倍払う」


「は、はい! ありがとうございます!」


 宝石商が涙目で平伏した。


 ◇


 商人がそそくさと退室し、サロンには私とギルバートだけが残された。

 テーブルの上には、青いベルベットの箱に入ったサファイアのブローチ。


 ギルバートは分厚い革手袋をはめた手で、その箱を慎重に持ち上げた。

 まるで爆発物を扱うような手つきだ。


「⋯⋯リリア」


「はい」


「受け取ってくれ」


 彼は立ち上がり、私の方へ歩み寄ってきた。

 いつもなら机に置いて下がるところだが今日は違う。

 一歩、また一歩、私との距離が縮まる。


『いける。いけるぞギルバート。この「火竜の革手袋」があれば、僕の呪われた冷気は遮断できる。リリアに手渡しできるんだ。普通の夫婦のように!』


 彼の緊張が伝わってきて、私までドキドキしてきた。

 別に、ただ物を渡すだけなのに。


 私の目の前で彼の手が差し出された。

 黒い革手袋に乗った青いブローチ。


「ありがとうございます、ギルバート様」


 私は手を伸ばした。

 普通にブローチをつまみ上げれば指は触れない。

 

 でも私はあえて、ブローチと一緒に彼の手袋ごしに指を触れさせた。

 そっと絡めるように。


 ビクッ!!


 ギルバートの巨体が、電気に打たれたように跳ねた。


『触れた!!』


 大音量の絶叫。

 頭がキーンとなる。


『触れた! 触れた触れた触れた! 革越しだけど! 分厚い火竜の皮越しだけど、わかる! そこにリリアの指がある! 温かい、いや熱い! マグマだ!』


(マグマではない)


 私は苦笑しながら指を離さずに彼を見上げた。

 手袋越しでも彼の手が小刻みに震えているのがわかる。


 冷たくはない。むしろ、手袋の中で彼の体温が急上昇しているのか、じんわりと温かささえ感じる。


『リリアの体温が革を貫通して僕の真皮に到達している! 細胞が歓喜の歌を歌っている! 溶ける! 腕が溶けてアメーバになってしまいそうだ! いや、いっそ溶けてリリアの指に纏わりつきたい!!』


(思考が相変わらず変態的!)


『幸せだ⋯⋯。生きててよかった⋯⋯。もうこの手袋は一生外さない。お風呂もこのまま入る。いや、外して真空パックにして家宝にしよう。神棚に飾って毎朝五体投地で拝もう⋯⋯』


 ギルバートは真っ赤な顔(ギルバート比)で、石のように硬直していた。

 私はそっとブローチを受け取り、指を離した。


「⋯⋯とても温かい手袋ですね、ギルバート様」


「っ、あ、ああ⋯⋯」


 彼は裏返った声で答え、脱力したようにソファに手をついた。

 どうやらたった数秒の接触で、フルマラソンを走りきったくらいのエネルギーを消費したらしい。


 ◇


 私は手に入れたサファイアのブローチを胸に当てて、ほくそ笑んだ。

 作戦成功――第一歩だが逃亡資金の確保に成功した。あとは、この調子で少しずつ宝石を貯めていって⋯⋯。


「⋯⋯足りない」


 不意にギルバートが呟いた。

 彼は自分の手(手袋)を見つめたまま、真剣な表情で首を振った。


「足りない⋯⋯。こんな小さな石一つでは、全く足りない」


 嫌な予感がした。

 彼の思考回路が、またあらぬ方向へ暴走を始めている気配がする。


『リリアが僕にくれた「熱量」に対して、この石ころは質量がなさすぎる! 彼女は僕に「人生の春」をくれたんだぞ!? 等価交換の法則が乱れている! もっとデカい愛を返さなければ! もっと重くて、大きくて、永遠に残るものを!』


「あの、ギルバート様? 私はこれで十分⋯⋯」


「リリア」


 彼はバッと顔を上げた。

 その瞳は、狂気じみた決意に燃えていた。


「サファイアが好きなのだな?」


「え、ええ。まあ」(換金しやすいし)


「わかった。⋯⋯北の鉱山を一つ買おう」


「は?」


 私は耳を疑った。


「アイゼンシュタイン領の更に北部に、良質なサファイアが採れる鉱山がある。山ごと買い取る手続きをすぐに進めよう。そうすればお前は一生、好きなだけサファイアを掘り出せる」


 ギルバートは本気だった。

 冗談でも比喩でもなく、不動産契約の話を始めている。


『山だ! 山を贈ろう! 「君の瞳に乾杯」なんて言葉より「君の名義で登記」の方が愛が伝わるはずだ! リリア山脈と名付けよう! そして山頂に二人の愛の像を建てて⋯⋯』


「やめてください!!!」


 私は思わず叫んだ。


「山なんていりません! そんな大きなもの、もらっても困ります!」


「なぜだ? 保管場所なら心配いらん。山は逃げない」


「そういう問題じゃありません!」


 私は心の中で絶叫した。

 山をもらってどうするのよ!

 懐に入れて質屋に持っていけないじゃない!


 「すみません、この山を買い取ってください」なんて言ったら、衛兵を呼ばれて病院送りよ!


「私は! この! ブローチ一つで! 十分幸せなんです!!」


 私は必死に訴えた。

 換金できないサイズの愛なんて、ただの迷惑な粗大ゴミ(山だけど)だ。


「⋯⋯そうか?」


 ギルバートは少し残念そうに眉を下げた。


『そうか⋯⋯リリアは無欲だな⋯⋯。いや⋯⋯山一つでは満足できないか、やはり彼女には国一つくらい捧げないとダメなのかもしれない⋯⋯』


(違う、そうじゃない)


 私は頭痛をこらえながらブローチを握りしめた。

 とりあえず、このブローチだけは死守した。今日のところはこれで良しとしよう。

 これ以上彼を刺激すると、次は「大陸を買う」とか言い出しかねない。


「⋯⋯大切にしますね、あなた」


 私が引きつった笑顔でそう言うと、ギルバートは再び耳まで真っ赤にして、手袋で顔を覆ってしまった。

 その隙間から漏れる魔力が、天井のシャンデリアをキラキラと凍らせていくのを、私は遠い目で見つめていた。


 私の「平穏な離婚」への道は、まだまだ険しい。

 というか物理的にも経済的にも、スケールが大きすぎて迷子になりそうだ。

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