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第4話:資金調達のためにドレスをおねだりしたら、夫が商人を氷漬けにしそうな勢いで「私が魔法で採寸する!」と言い出し、挙句に服を買い占めようと暴走しました


 本邸での生活が始まって数日。

 私、リリア・アイゼンシュタインは自室の豪奢なデスクに向かい、深刻な顔で腕組みをしていた。


 目の前には空っぽのジュエリーボックスと小銭すら入っていない財布。


「⋯⋯ない」


 私はがっくりと項垂れた。


「現金が、全くないわ」


 公爵夫人としての生活は快適そのものだ。


 食事は豪華(毒味という名の変態プレイ付きだが)お風呂は薔薇の香り、ドレスも最高級のシルクと何不自由ない生活。


 しかし、ここには致命的な欠点があった。


 自由になる「現金」がないのだ。


 貴族社会において夫人の買い物はすべて「ツケ」が基本。店にサインをするだけで後日、夫である公爵に請求書が回るシステムになっている。


 つまり、私の手元には1銅貨たりとも現生げんなまが入ってこない。


「これじゃあ、タンス預金よきんができないじゃない!」


 私の目的はあくまで「離婚後の南の島での優雅な生活」そのためには、足のつかない現金が必要不可欠。


 離婚を切り出した瞬間に無一文で放り出されては、野垂れ死ぬ未来しか待っていない。


「⋯⋯となると、方法は一つね」


 私は悪巧みをする悪役令嬢のような顔で、ニヤリと笑った。


「夫に高価な宝石やドレスをおねだりして買ってもらう。そして、それをこっそりと裏ルートで質屋に流して現金化する!」


 名付けて「悪徳妻の錬金術」作戦である。

 倫理観? そんなものは前世の寒空の下に置いてきた。生き残るためなら、私は何だって利用してやる。


 そうと決まれば善は急げだ。

 私は意気揚々と部屋を出た。


 廊下を歩いていると、向こうから銀髪の長身が歩いてくるのが見えた。

 ギルバートだ。

 ちょうどいい。早速おねだりを⋯⋯と思った瞬間。


 サッ!!


 私とすれ違う五メートル手前で、ギルバートが忍者のような素早さで壁際に張り付いた。

 まるで汚いものでも避けるかのように、廊下の端ギリギリを歩いていく。


「⋯⋯⋯⋯」


 これで五回目、同居を始めてから彼は徹底して私との「物理的な距離」を保っている。

 書類を渡す時も直接手渡しはしない。机の端に置いて顎でしゃくって「取れ」と合図するだけ。

 半径一メートル以内には、絶対に入らせないという鉄の意志を感じる。


(いくらなんでも避けすぎじゃない?)


 前世で嫌われていた記憶が蘇り、少し胸がチクリとする。

 しかし、その直後。私の脳内にいつもの爆音が響き渡った。


『近い! 近い近い近い!! 危ない! 僕の半径一メートル以内は絶対零度の結界だ! うっかり触れたらリリアの華奢な肩が凍ってしまう! リリアは南国の花なんだ、僕みたいな歩く冷凍庫が近づいていい存在じゃない!』


 ギルバートは無表情で、壁の染みを見つめながらすれ違っていく。


『でも⋯⋯ああ、残り香がする⋯⋯。すれ違いざまの風が、リリアの甘い香りを運んでくる⋯⋯。これだ。これが僕の生存エネルギーだ。吸え! 肺の空気を全部入れ替える勢いで吸い込むんだ! スーッ、ハーッ! スーッ、ハーッ!!』


 (⋯⋯変質者か。というか何回か接触しているでしょうに⋯⋯)


 私はジト目で彼を見送った。


 避けられているのは嫌われているからではなく、彼が「周囲を凍らせる体質」だから。

 そして呼吸音が聞こえないように息を止めつつ、脳内では深呼吸を繰り返している。


 (ちょっと寂しいような、でもやっぱりキモいような⋯⋯)


 複雑な乙女心を抱えつつ、私は彼の背中を見送った。

 今は感傷に浸っている場合ではない。現金だ。金づるを捕まえに行かねば。


 数分後。

 私は気を取り直して、執務室のドアをノックした。


「入れ」


 中に入るとギルバートは執務机に向かって書類仕事をしていた。

 私が入室しても顔を上げようともしない。


 私は深呼吸をして、心の準備をした。

 前回の教訓から彼の心の声が聞こえる距離で会話するのは精神衛生上極めて悪い。


 しかし、背に腹は代えられない。

 私は「可憐で物欲しそうな妻」の仮面を被り、机の前へと進み出た。


「あの、ギルバート様」


「⋯⋯なんだ」


 彼は書類に視線を落としたまま、低い声で応じた。

 私は一歩踏み出し、上目遣いで彼を見つめた。

 そして、少し甘えたような猫なで声を出す。


「実は⋯⋯新しいドレスが欲しいのです」


 バキィッ!!!


 乾いた破砕音が室内に響き渡った。

 見ると、ギルバートが手に持っていた高級そうな羽ペンが、無惨にもへし折れていた。

 さらに、彼の手の下にあった書類が、見る見るうちに白く凍りついていく。


「⋯⋯⋯⋯」


 ギルバートは動かない。

 顔は氷像のように無表情だ。

 しかし、心の中は大噴火を起こしていた。


『おねだり⋯⋯ッ!! キタ! リリアからのおねだりキタこれ!! 上目遣いの破壊力がSランク級だ! 心臓が止まるかと思った! いや一度止まって再起動した! 尊い! 可愛い! 呼吸困難!』


 室温が急激に下がる。

 私は寒さに震えながら、続きの言葉を待った。


『欲しい? ドレス? そんなものでいいのか!? もっとこう、空に浮かぶ城とか、古代竜の心臓とか、小国の国家予算とか、そういうのをねだらなくていいのか!? 何でも買ってやる! リリアが望むなら月だって落としてくるぞ!!』


(月はいらないから現金をください)


 私は心の中で即答した。

 ギルバートは、折れたペンを無造作に放り投げると、ようやく私の方を見た。

 その瞳はあくまで冷徹だ。


「⋯⋯服など、クローゼットに山ほどあるだろう」


 口ではそう突き放す。なんて素直じゃない男なんだ。


「はい。ですが⋯⋯その、季節も変わりますし、流行のデザインのものも着てみたくて」


「⋯⋯ふん。くだらん」


 彼は鼻を鳴らした。

 そして引き出しから重厚な小切手帳を取り出した。


「午後に商人を呼べ。王都で一番の店だ。⋯⋯好きなだけ注文しろ」


『「流行の服を着たリリア」⋯⋯想像しただけで鼻血が出そうだ。いや、いっそ僕が流行の服(布)になって彼女の肌に密着するべきでは? いや、それだと洗濯される時に離れ離れになってしまう。やはりドレスを買おう。最高級のやつを! 五百着くらい!!』


「⋯⋯ありがとうございます」


 私は呆れながらも勝利のガッツポーズを心の中で決めた。

 チョロい。この夫、本当にチョロすぎる。



 その日の午後。

 公爵邸の客間には、王都でも指折りの高級ブティックの店主が訪れていた。

 色とりどりの生地見本や、最新のデザイン画がテーブルの上に広げられている。


「⋯⋯公爵夫人様、こちらのシルクなどはいかがでしょう。東方から取り寄せた最高級品でして」


「まあ、素敵ですね」


 私は適当に相槌を打ちながら、頭の中では電卓を弾いていた。


 (このドレスなら裏ルートで売れば金貨一〇枚にはなるわね⋯⋯)


 対面のソファには何故かギルバートも同席していて腕組みをしながら、不機嫌そうに商人を睨みつけている。

 その威圧感に、商人はガタガタと震えながら接客をしていた。


「で、では⋯⋯採寸をさせていただきます」


 商人がメジャーを取り出し、私の方へ歩み寄ってきた。

 ドレスを仕立てるには、正確なサイズが必要だ。

 私が立ち上がって腕を広げようとした、その時。


「待て」


 地を這うような低い声が響いた。

 ギルバートだ。


「⋯⋯え、あの、閣下?」


「触るな」


 ギルバートの青い瞳が、商人を射抜く。


「私の妻に、気安く触れるな」


 部屋の温度が一気に氷点下まで下がった。

 花瓶の水が凍り、商人の持っていたメジャーがパリパリと音を立てて硬直する。


「ひぃッ! も、申し訳ございません! しかし、採寸をいたしませんと⋯⋯」


「必要ない。⋯⋯サイズなら、私が把握している」


 ギルバートは冷たく言い放つと商人を下がらせた。

 そして、私に向かってスッと指先を向けた。


(えっ、まさかサイズを知ってるの? 怖いんだけど)


 私が戦慄していると彼の指先から青白い魔法の光が放たれた。

 光の粒子が私の体を包み込み、ゆっくりと上下にスキャンしていく。

 ひやりとした冷気と、くすぐったいような微弱電流が体を駆け巡る。


「ひゃっ」


 私は思わず変な声を漏らしてしまった。

 光のリングがバスト、ウエスト、ヒップのラインをなぞるように動いていく。


『どこの馬の骨とも知れぬ商人に、リリアの体に触れさせるものか! メジャー越しでも許さん! 僕だって触るのを我慢して血の涙を流しているのに、なんで他人が触れるんだ! 有罪! 即刻死刑!』


 ギルバートの心の声は、嫉妬の炎(冷気だが)で燃え盛っていた。


『この氷属性探知魔法アイス・スキャンなら、服の上からスリーサイズはおろか、筋肉量、骨格の歪み、昨日の夕食の消化具合までミリ単位で把握できる! ⋯⋯む、ウエストが記憶の中の少女時代より3ミリ細くなっている⋯⋯。痩せすぎだ。もっと食べさせねば! 脂肪を! 彼女にふっくらとした脂肪を!!』


(⋯⋯健康診断かよ!)


 私は顔を真っ赤にして身をよじった。

 魔法で全身を撫で回されているような感覚だ。

 商人は「ヒィッ、氷魔法の高等技術をこんなことに!?」と白目を剥きそうになっている。


 数秒後、光が消えた。

 ギルバートは満足げに頷き、宙に浮かんだ氷の板に数値を書き込んで商人に渡した。


「⋯⋯これで作れ。1ミリの狂いも許さん」


「は、はいぃぃッ!!」


 商人は氷の板を受け取り、逃げるように下がった。

 私は全身の力が抜けて、ソファにへたり込んだ。

 ドレスを作るだけで、なんでこんなに精神を消耗しなければならないのか。



「そ、それでは、デザインはいかがいたしましょうか」


 気を取り直した商人が震える手でカタログを差し出した。

 私は高そうなものを数点選んで残りは断ろうとした。

 あまり買いすぎても換金するのが大変だからだ。


「これと、これをお願いします。他は⋯⋯」


「ここからここまで、全部だ」


 横から、とんでもない言葉が聞こえてきた。

 ギルバートが、カタログの最初から最後までのページを指で弾いたのだ。


「え?」


「今期のもの、すべてだ。色違いも含めてな」


「はあぁぁッ!?」


 商人が裏返った声を上げる。私も上げた。


「ちょっと待ってください! そんなにいただけません! 体は一つしかないんですよ!?」


 全部買われたら困る。

 そんな大量のドレスが届いたら、質屋に持ち出すどころか、管理するだけで精一杯になってしまう。

 それに、いくら公爵家でも無駄遣いが過ぎる。


「ギルバート様、おやめください!」


 私は慌てて、ソファに座るギルバートの腕を掴んで止めようとした。

 彼の袖口に、私の指先が触れた――その瞬間。


 バシッ!!!


 鋭い音が響いた。

 私の手は、強烈な力で振り払われていた。


「あっ⋯⋯」


 弾かれた手が宙を舞い、私はバランスを崩してよろめいた。

 部屋が、シンと静まり返る。

 商人も、控えていたメイドたちも、息を呑んで凍りついた。


 ギルバートは立ち上がり、自分の袖口を押さえていた。

 その顔は能面のように無表情だ。

 しかし、顔色は死人のように蒼白になっている。


「⋯⋯気安く触れるな」


 彼は私を見下ろし、低い声で告げた。


「凍傷になるぞ」


 拒絶――そう受け取るしかない態度だった。

 商人は「やはり公爵様は奥様を愛していないのだ」という顔をして、気まずそうに目を伏せている。


 私の手は、叩かれた衝撃で赤くなっていた。

 少し痛い。

 前世の私ならこの痛みと拒絶の言葉に心を折られ、泣いて部屋を出ていただろう。


 けれど、今の私には聞こえてしまう。

 彼の心の奥底から響く、悲痛な絶叫が。


『やってしまった⋯⋯! 振り払ってしまった⋯⋯! 馬鹿! 僕の馬鹿! 腕を切り落として詫びるべきだ!』


 ギルバートの心の中は、嵐のような自己嫌悪で荒れ狂っていた。


『違うんだ、拒絶したんじゃない! 反射的に君を守ろうとしてしまったんだ! 今の僕は感情が高ぶって、体温が氷点下五十度くらいまで下がっている! うっかり触れれば、リリアの柔らかな皮膚が僕の服に張り付いて、剥がれてしまうところだったんだ!』


 彼は袖口をギュッと握りしめている。

 そこからは、目に見えないほどの冷気が漏れ出しているのがわかった。


『ああ、なんて僕は罪深い化け物なんだ。愛する妻に触れることもできない。触れようとすれば傷つけてしまう。こんな手なら、ない方がマシだ! 死のう、今すぐ裏庭で氷像になって粉々に砕け散って、リリアの家の前の砂利になろう⋯⋯!』


(⋯⋯重い。思考が重すぎる)


 私は叩かれた手をさすりながら、呆れ半分、同情半分のため息をついた。


 この人は私を嫌って避けているわけじゃない。

 むしろ大切にしすぎて、自分の「冷たさ」が私を傷つけることを過剰に恐れているのだ。


 ⋯⋯まあ、その結果として、私に恥をかかせているのだから世話はないけれど。


「⋯⋯申し訳ありませんでした、旦那様」


 私は殊勝な態度で頭を下げた。


「出過ぎた真似をいたしました。⋯⋯お買い物は、旦那様にお任せいたします」


 こうなったら、ヤケクソだ。

 全部買ってもらおうじゃないか。

 そして、その中から一番高いやつを売り払って、慰謝料代わりにしてやる。


「⋯⋯ああ」


 ギルバートは短く答え、商人を連れて部屋を出て行った。

 その背中は、どこか小さく、寂しげに見えた。


『リリアに嫌われた⋯⋯。絶対に嫌われた⋯⋯。もう終わりだ。明日から僕は廊下の隅でこけとして生きよう⋯⋯』


 廊下の向こうから聞こえてくるネガティブな独り言を聞きながら、私は小さく呟いた。


「⋯⋯めんどくさい人」


 でも、前世で感じていた「氷のような冷たさ」は、もう感じなかった。

 叩かれた手は少し痛むけれど、なぜか不思議と温かいような気がしたのだ。

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