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第24話:逃亡資金が大量に余っているので「南の島に行きましょう」と誘ったら、夫が『島を買う手続きを済ませよう』としたので慌てて普通の旅行に変更しました

 ラウル子爵による一連の騒動が解決し、ギルバートの魔力欠乏も完治した。


 アイゼンシュタイン公爵家には、かつてないほど穏やかで、そして騒がしい(主に夫の心の声が)日常が戻っている。


 ある晴れた日の午後に私は自室で、ベッドの下から重たい革袋を引きずり出していた。


 ズシリ、と手首に伝わる重み。紐を解くと中からジャラジャラと眩い黄金の輝きが溢れ出した。


「⋯⋯結構な金額が貯まっちゃったわね」


 私はベッドの上に金貨を広げ、ため息をついた。

 これらは全て私が「悪徳妻」としてコツコツ貯め込んだ財産だ。


 ラウルから巻き上げた巨額の慰謝料の一部。

 横領事件解決の報奨金。

 そして屋敷の予算管理を任されてから、不要な経費を削減してこっそり浮かせた「へそくり」。


 総額、金貨八百枚。

 一般市民なら遊んで暮らしても孫の代まで残るほどの大金だ。


「元々は離婚して南の島へ逃げるための資金だったのよね⋯⋯」


 前世の記憶、寒くて暗い北の別邸で私は最期に願った。


 『次はもっと温かい人生を。南の島で、太陽を浴びてぬくぬくと暮らしたい』と。


 そのために、なりふり構わずお金を集めてきた。夫を騙し、利用してでも生き残ろうと必死だった。


 でも今の私には南の太陽よりも温かい場所がある。

 不器用で愛が重くて心の声がうるさいけれど、誰よりも私を大切にしてくれる夫の腕の中だ。


「もう、逃げる必要なんてない」


 私は一枚の金貨を指先で弾いた。


 逃亡資金としての役目は終わった。じゃあ、このお金はどうしよう? 屋敷の金庫に戻す?


 いいえ、それはつまらない。これは私が知恵と勇気で勝ち取った、私個人の財産なのだから。


 窓の外には王都の空は青く澄み渡っている。その向こう、遥か南の空を想像した。


「⋯⋯そうだわ」


 名案がひらめいた。

 私は金貨を袋に戻し、ギュッと紐を結んだ。


「このお金、二人で使いましょう。⋯⋯私の『夢』を、二人で叶えるために」


 私は重たい袋を抱え、弾む足取りで部屋を出た。



 コンコン、と執務室のドアをノックする。


「入れ」


「失礼します、ギルバート様」


 中に入るとギルバートは執務机に向かい、山積みの書類と格闘していた。


 相変わらずの激務だ。


 しかし、私が入ってきた瞬間、彼の手が止まり、氷のような無表情がフワッと緩んだ(ように見えた)。


『リリアだ! リリアが来た! 執務室に! 仕事の疲れを癒やしに来てくれた! ありがとう神様! もう仕事なんて放り出して膝に乗せたい! いや吸いたい!』


(⋯⋯相変わらずのハイテンションね)


 魂の同調率100%のせいで、心の声は以前にも増してクリアに聞こえる。


 私は苦笑しつつ、机の前まで歩み寄った。


「お忙しいところ申し訳ありません。少し、ご相談がありまして」


「構わん。リリアの頼みなら、どんな法案よりも優先する」


 彼はペンを置き、真剣な眼差しで私を見た。


「実は⋯⋯少し長めのお休みを取れませんか?」


「休み?」


「はい」


 私は抱えていた革袋を、ドスンと机の上に置いた。

 中身が重すぎて、机がミシッと悲鳴を上げる。


「これ、私がコツコツ貯めた『へそくり』なんです」


「⋯⋯ほう」


「これを使って⋯⋯二人で南の島へ行きませんか?」


 私は真っ直ぐに彼を見つめて言った。


「ずっと夢だったんです。一年中花が咲いていて、青い海が広がっていて⋯⋯そんな場所で、のんびり過ごしてみたくて」


 シン、と部屋が静まり返る。

 ギルバートは金貨の袋と私の顔を交互に見つめ、瞬きを繰り返した。


 そして数秒後――彼の脳内でビッグバンが起きるのを予想して私は耳栓(脳内で)をする。


『南の島⋯⋯!?』


 ドォォォォォォン!!


『南の島って、あのアレか!? 常夏の楽園!? バカンス!? つまり⋯⋯ハネムーンか!? 愛の逃避行か!?』


 彼の顔が一気に赤く染まる。


『しかもこのお金! リリアのへそくり!? 自分のお金で僕を旅行に連れて行ってくれるというのか!? 男の僕がエスコートするのではなく、リリアが僕を養ってくれるというプロポーズなのか!? なんて男前なんだ! 一生ついていきます!!』


(⋯⋯養うわけじゃないけど、まあいいわ)


 しかし、彼の妄想はそこで止まらなかった。

 さらに危険な領域へと加速していく。


『待てよ。南の島ということは⋯⋯海がある。海があるということは⋯⋯水着!?』


 キィィィィィン!!(緊急警報音)


『リリアの水着姿が見られるということか!? 白い肌! 華奢な肢体! それを薄い布切れ一枚で!? 刺激が強すぎる! 僕の網膜が焼けるかもしれない! 心臓が持たない! でも見たい! 網膜に焼き付けて死にたい!!』


 ギルバートは手で口元を覆い、プルプルと震え始めた。

 鼻血を堪えているようだ。


「⋯⋯あ、あの、ギルバート様? 嫌ですか?」


「い、嫌なものか!」


 彼は勢いよく立ち上がった。


「行こう! すぐに行こう! 南の果てでも、地の果てでも、お前と一緒ならどこへでも!」


「よかったです! では、準備を⋯⋯」


「よし任せろ。全て私が手配する」


 ギルバートは私の言葉を遮り、机の引き出しから通信用の魔導具を取り出した。

 

 それは遠く離れた領地や部下へ即座に命令を伝えるための、軍事用にも使われる高級品だ。


「緊急事態だ。⋯⋯至急、南方のリゾートアイランド『サザンクロス島』の手配をしろ」


 彼は魔導具に向かって、冷徹な公爵の声で指示を出し始めた。

 行動が早い。さすが有能な公爵様だ。


 ⋯⋯と、感心したのも束の間だった。


「ああ、そうだ。ホテル予約ではない」


 ギルバートは平然と言い放った。


「島ごと買い取れ」


「はい?」


 私は耳を疑った。


「現在滞在している観光客および住民は、補償金を積んで全員退去させろ。島を完全に無人にしろ。⋯⋯リリアと私の二人きりだ。邪魔者は蟻一匹たりとも入れるな」


「ちょっ、待っ⋯⋯!」


「それから島の周辺海域を封鎖せよ。第三艦隊を配備し、半径二十キロ以内への船舶の侵入を禁止する。空からの視線も遮断するために、認識阻害の結界も展開しろ」


『当然だ! リリアの水着姿を、他の有象無象の男に見せるわけにはいかない! 太陽ですらリリアの肌を焼くのは許せないのに、他の男の視線など論外だ! 眼球をくり抜く作業でバカンスが終わってしまう!』


「ストーーーーップ!!!」


 私は叫んで魔導具を彼の手から奪い取った。


「キャンセルです! 今の命令、全部キャンセルです! 島は買いません! 艦隊も呼びません!」


 魔導具の向こうで、部下が「えっ、あ、はい、承知しました⋯⋯」と困惑しているのが聞こえる。


 私は通信を切って、机に叩きつけた。


「ギルバート様! 何を考えているんですか!?」


「何って⋯⋯安全確保とプライバシーの保護だが」


 彼はキョトンとしている。本気だ。この男は本気で島を要塞化してバカンスをするつもりだった。


「買い取らないでください! 観光客も追い出さないでください! そんな無人の孤島に行っても、寂しいだけじゃないですか!」


「二人きりだぞ? 寂しくないだろう」


「そういうことじゃなくて!」


 私はため息をついた。


「私は⋯⋯『普通の夫婦』みたいに旅行がしたいんです」


「普通の、夫婦⋯⋯?」


「はい。賑やかな市場を二人で歩いたり、海辺のカフェでジュースを飲んだり、お土産屋さんを冷やかしたり⋯⋯。そういう、当たり前のデートがしたいんです。⋯⋯誰にも邪魔されない無人島に籠るんじゃなくて、世界の中に二人でいたいんです」


 ギルバートは目を見開いた。

 彼の思考が、高速で回転するのが聞こえる。


『普通の夫婦⋯⋯。他の人々の中に混じって、手をつないで歩く⋯⋯? 貸し切りじゃないの? 他の男(海水パンツ姿)がリリアを見る可能性がある空間に、僕の天使を連れ出すだと!?』


 彼の独占欲が悲鳴を上げている。


『嫌だ! 耐えられない! リリアを見られたくない! 閉じ込めたい! ⋯⋯でも』


 彼は私の顔を見た。

 私が期待と不安を込めて見つめ返すと、彼の心が揺らいだ。


『リリアがそれを望んでいるなら⋯⋯。彼女が「普通」の幸せを感じたいと言うなら⋯⋯。くっ、試練か! これは僕の独占欲を試す神の試練なのか!』


 ギルバートは苦悶の表情で天を仰いだ。

 そして、数秒後。

 彼は覚悟を決めたように、重々しく頷いた。


「⋯⋯わかった。お前の望み通りにしよう」


『耐えてみせる! リリアのためなら、嫉妬の炎で身を焼かれようとも、笑顔でエスコートしてみせる! ⋯⋯ただし、防衛策は講じさせてもらうがな!』



 数日後――私たちは南へ向かう豪華客船の甲板にいた。

 青い海、白いカモメ、頬を撫でる潮風は温かい。


 すったもんだの末、旅行プランは以下のように妥協案でまとまった。


 1.島は買わない(ただし、宿泊先は島で一番高級なコテージを一棟借り)


 2.プライベートビーチ付きだが、公共のビーチや市場への外出もOK


 3.ギルバートは外出時、サングラスと帽子で変装する(彼の美貌と威圧感が騒ぎになるのを防ぐため、あと目つきの悪さを隠すため)


「楽しみですね、ギルバート様」


 私は帽子を押さえながら彼に微笑みかけた。

 ギルバートは黒いサングラスをかけ、リゾート風のラフなシャツを着ている。


 普段の堅苦しい軍服姿とは違い、どこかワイルドな魅力があってドキッとする。


「⋯⋯ああ、そうだな」


 彼は短く答えた。


 しかし、その体はガチガチに緊張していた。

 そして足元には山のような荷物が積まれている。

 私と彼の着替えにしては、量が多すぎる気がする。


「それにしても、すごいお荷物ですわね。何が入っているんですか?」


 私が尋ねるとギルバートはサングラスの奥で視線を泳がせた。


「⋯⋯念のための、備えだ。万が一の事態に備えてな」


 万が一? 海賊でも出ると思っているのだろうか。

 私は不思議に思い、彼の心の声に耳を傾けた。


『どうしよう、南の島だ。開放的な気分になる場所だ。⋯⋯もし』


 ゴクリ、と彼が喉を鳴らす音が聞こえた。


『もし、リリアがその気になって⋯⋯「子供が欲しい」とか言われたら⋯⋯僕は正気を保てるだろうか? いや、望むところだ! 全力で応える! 愛の結晶を作るんだ!』


(⋯⋯まだそんな話してないけど)


『そのために準備は万全にしてきた! 東方の秘薬「龍の根」! 南方の「不死鳥の尾のスープ」! スタミナ増強剤に、滋養強壮の特製ドリンク! このトランク三つ分、全部精力剤だ! これなら一週間寝なくても戦える!!』


(⋯⋯ッ!?)


 私は思わず吹き出しそうになった。

 荷物の大半が夜の生活のためのドーピングアイテムだったなんて。


 この人、バカンスに行く気なの? それとも子作り合宿に行く気なの?


「⋯⋯ふふっ」


「リ、リリア? なぜ笑う?」


「いいえ。⋯⋯頼もしい旦那様だと思って」


 私は彼の腕に抱きついた。ギルバートの体温がカッと上がるのがわかる。


「期待していますわ、ギルバート様」


 私が少し悪戯っぽく囁くと、彼はサングラス越しでも分かるほど真っ赤になり、直立不動で敬礼しそうな勢いで固まった。


『お、おおおおお任せくださいいいいいい!! 身が果てるまで頑張りますううううう!!』


 汽笛が鳴る。

 船はゆっくりと港を離れ、南の楽園へと進み始めた。


 私の「逃亡」のための資金は、最高の「新婚旅行」へと形を変えた。


 前途多難で騒がしくて、きっと甘くて熱い旅になるだろう。

 どこまでも広がる青い海を見つめながら、私はかつてない幸福を感じていた。

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