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22/25

第22話:心の中の夫は泣き虫な子供のままでした。「僕の魂を半分あげるから消えないで」と泣く彼に、私は「半分こじゃなくて、二人で一つになりましょう」と伝えました

「――凍らないわ」


 そう言って私が少年の冷たい頬に触れたその瞬間だった。


 ビクッと彼の小さな体が大きく跳ねた。

 まるで触れてはいけない「熱」に怯えるように。

 凍てついた瞳が大きく見開かれ、動揺に揺れる。


『⋯⋯っ! だめだ!』


 少年は悲鳴のような声を上げると、乱暴に私の手を振り払った。


『触らないで! 僕に触れたら、君まで壊れちゃう!』


「ギルバート⋯⋯?」


『あっちへ行ってよ! 見ないで! こっちを見ないで!』

 

 彼は雪の上を後ずさりながら、必死に背後の「何か」を隠そうと、小さな体で立ちふさがった。


 大きなシャツの袖が吹雪の中でバタバタとはためく。


 その必死な姿はただの拒絶ではない。誰にも触れさせたくない、絶対的な秘密を守ろうとする番人のようだった。


「何を隠しているの? ギルバート」


 私が一歩踏み出すと彼は涙目で首を横に振った。


『来ちゃダメだ! まだ見せられない! まだ⋯⋯まだ途中なんだ!』


 彼がバリケードのように広げた腕の隙間から、背後に隠されていたものの正体が見えた。


 その瞬間、私は息を呑んだ。

 それは巨大な「氷のひつぎ」だった。


 透明度の高い、美しい氷の結晶で作られた棺。

 その中に一人の女性が横たわっていた。


 青白い肌、生気のない唇、凍りついた睫毛――それは前世で死んだ瞬間の私の姿だった。


「⋯⋯っ」


 息を呑んだ。

 美しいけれど、あまりにも残酷な光景。


 彼の心の奥底では私はまだ棺の中で眠ったまま、あの寒くて寂しい別邸で誰にも看取られずに息絶えたまま時が止まっている。


 彼はこの極寒の精神世界で、ずっとその亡骸を守り続けていたのだ。


『まだ生き返らない⋯⋯!』


 少年は氷の棺にすがりつき、悲痛な声を上げた。


『もっと魔力を注がなきゃ⋯⋯。時間を戻しても、魂が足りないんだ⋯⋯僕がもっと頑張らないと、リリアが消えちゃう⋯⋯!』


 見ると少年の胸のあたりから青白い光のラインのようなものが伸びていた。


 それは血管のように脈打ち、彼の小さな体から生命力を吸い上げ、氷の中の「私」へと注ぎ込まれている。


 輸血⋯⋯いや「輸魂」だ。

 彼は自分の存在を削り取り、それを燃料にして死んだ私を無理やり繋ぎ止めようとしている。


『僕が消えてもいい。⋯⋯僕なんていらないから、彼女だけは⋯⋯!』


 少年の体は、すでに半透明になっていた。

 向こう側の雪景色が透けて見えるほど、存在が希薄になっている。

 このままでは彼は本当に消えてしまう。


 その光景を見て私は全ての謎を理解した。


(⋯⋯ああ、そうか)


 私は自分の胸に手を当てた。

 トクン、トクンと規則正しく打つ鼓動。

 温かい血流。


(これが⋯⋯私の命の源だったのね)


 私が「死に戻り」をしてから、ずっと感じていた違和感。

 なぜ夫の「心の声」だけが聞こえるのか。

 それは特殊能力でも何でもなかった。


 単純な話――私の命の半分は彼でできているから。


 私の心臓を動かしているのは、彼が送り続けてくれる魂の光だからだ。


 私たちは魂のレベルで繋がってしまっている。だから彼の思考がノイズとなって私に流れ込んできていたのだ。


「⋯⋯もういいの、ギルバート」


 私は雪を踏みしめ、彼に近づいた。


「もう十分よ。私はここにいるわ」


 私は胸に手を当てて訴えた。

 しかし、少年は涙に濡れた目で私を睨みつけた。


『違う! 君は偽物だ!』


 彼は頑なに拒絶した。


『本物のリリアは死んじゃったんだ! 僕が迎えに行かなかったから! 僕が弱虫で、あいつに騙されて彼女を一人ぼっちにしたから!』


 罪悪感が彼に真実を見ることを拒ませている。

 目の前の生きた私よりも自分が背負った「死んだ私」の方が、彼にとってはリアルなのだ。


『だから償わなきゃいけないんだ。僕の魂をあげる。半分じゃ足りないなら、全部あげる! だから消えないで、お願いだ⋯⋯!』


 彼は泣きじゃくっていた。

 愛する人を救えなかった後悔と自分への憎悪、それらが彼をこの極寒の世界に縛り付け、永遠の贖罪しょくざいを強いている。


 なんて悲しい献身だろう。

 自分を無価値だと思い込み、愛する人のためなら塵になっても構わないなんて。


 でも、それは間違いだ。


「⋯⋯わからず屋」


 私は呟くと暴れる少年を無理やり抱きしめた。


『わぁっ!? 離して! 凍っちゃうよ!』


「大丈夫、凍らないって言ったでしょ? ⋯⋯貴方は温かいわ」


 私は彼の冷たい体を自分の体温で包み込んだ。

 透き通った体は頼りなく、今にも霧散してしまいそうだ。


「⋯⋯貴方が消えたら私が生きている意味がないじゃない」


 私は彼の耳元で囁いた。


 そしてポケットの中を探った。そこには現実世界から持ってきたものではない、私の「記憶」から具現化させた小さなアイテムがあった。


 赤い包み紙。

 あの日のミルクキャンディ。


 思い出した記憶――彼と私が初めて出会い、初めて触れ合い、そして彼が初めて「温もり」を知った原点の記憶。


「半分あげる、じゃないわ」


 私は包み紙を開いた。

 甘いミルクの香りが、無機質な雪の世界にふわりと漂う。


「⋯⋯二人で一つになるの」


『え⋯⋯?』


 少年が涙を止めて、私を見上げた。

 私はキャンディを指先で摘み、自分の口に含んだ。


「口を開けて、ギルバート」


『⋯⋯?』


「あの日と同じ、甘いおまじないよ」


 私は呆気にとられる少年の顔を引き寄せ、その冷たい唇に口づけをした。


 ――んっ。


 唇が重なる。

 私は舌先で口の中にあるキャンディを彼へと押し渡した。


 コロリ。


 固いキャンディが彼の口内へと転がり込む。

 濃厚なミルクの甘さと私の体温が、冷え切った彼の内側へと溶け出した。


『⋯⋯っ!』


 その瞬間、世界が震えた。


 ドクン!!


 大きな鼓動の音が響いた。


 少年の胸から伸びていた一方通行だった「光の鎖」が、彼から私へと流れるだけだった自己犠牲のラインが、脈動し逆流を始めたのだ。


 私から彼へ。彼から私へ。

 魂のエネルギーが二人の間を行き来し循環し始めた。


 それは消耗ではない「無限のループ」私たちの魂が完全に混ざり合い、足りない部分を補い合い、増幅し合う。


 1引く1が0になる関係ではなく、1足す1が無限になる関係。


『⋯⋯あ⋯⋯』


 少年の瞳が見開かれた。

 透けていた体が、みるみると実体を取り戻していく。

 青白かった肌に赤みが差し、冷たい指先に熱が戻る。


『⋯⋯甘い⋯⋯』


 彼は私の唇越しに、ぼんやりと呟いた。


『⋯⋯温かい⋯⋯』


 彼が「生きた私」を認識した、その瞬間。


 パキィィィィン⋯⋯!!


 世界を覆っていた分厚い氷が、音を立てて砕け散った。

 吹き荒れていた猛吹雪が、嘘のようにピタリと止む。


 そして――足元の割れた氷の隙間から、青い光が溢れ出した。


 ボッ、ボッ、ボッ⋯⋯!


 次々と芽吹き、花開いていく。

 それは彼の瞳と同じ深いサファイアブルーの花々だった。


 一面の雪景色が瞬く間に青い花畑へと塗り替えられていく。

 寒々しかった世界が、鮮やかな色彩と春の陽気のような温かさに満たされた。


 背後にあった「氷の棺」が、光の粒子となって霧散する。

 中の「死んだ私」は微笑んで消え、目の前の「生きた私」と重なった。


 過去の呪縛が解け、現在いまが動き出したのだ。


 私は唇を離した。

 目の前の少年は、もう泣き虫な子供ではなかった。


 光に包まれた彼の体がすぅっと伸びていく。

 幼い輪郭が精悍になり、頼りなかった肩幅が広がり、私を包み込めるほどの逞しさを帯びていく。


 光が収まるとそこには見慣れた銀髪の青年――大人のギルバートが立っていた。


 以前のような、心を閉ざした「氷の公爵」ではない。

 穏やかで慈愛に満ちた瞳をした一人の夫として。


「⋯⋯リリア」


 彼は愛おしそうに私の頬に触れた。

 その手はとても温かかった。


「おはよう、僕の女神様」


 彼は少し照れくさそうに、でも誇らしげに言った。

 私は首を横に振り、彼の胸に飛び込んだ。


「違うわ」


 私は彼の首に腕を回し、耳元で囁いた。


「⋯⋯おはよう、あなた。⋯⋯私は、貴方の妻よ」


 女神として崇められるのはもう十分。

 私は貴方と同じ目線で、同じ体温で生きていく、ただのパートナーになりたいの。


「⋯⋯ああ。そうだな」


 ギルバートは破顔した。

 初めて見る、心からの満面の笑顔だった。


「愛している、僕の妻」


 二人の体が優しい光に包まれていく。

 精神世界の青い花畑が遠ざかり、私たちは意識の表層――現実世界へと浮上していった。


 ・・・・・・・・・


 現実の寝室。

 朝の光が差し込むベッドの上で私とギルバートは同時に目を覚ました。


「⋯⋯ん」


 目が合う――透けて消えそうだった彼の手は、しっかりと私の手を握り返し、力強い脈動を伝えていた。


 高熱も下がり、部屋の凍結も溶けている。


 私たちは何も言わずに、ただ静かに抱きしめ合った。

 言葉はいらなかった。魂が半分ずつ混ざり合った私たちは、もう言葉にしなくても、お互いの愛が痛いほど伝わっていたから。


 こうして長い長い夜が明け、本当の意味で私たちの「夫婦生活」が始まったのだった。

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