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第21話:夫の魂が消えかけています。どうやら私の命を繋ぎ止めるために、自分の魂を削って「燃料」にしているようです。⋯⋯止めさせなきゃ

 地下の牢獄跡から持ち帰った「永久氷」は、青白く神秘的な光を放っていた。


 私はそれをタオルに包み、震える手でギルバートの額に乗せた。


 ジュワァァァァ⋯⋯!


 氷が肌に触れた瞬間、焼けた鉄板に水をかけたような音が響いて猛烈な水蒸気が立ち上る。


 数百年もの間、一度も溶けることがないと謳われる魔法の氷が、見る見るうちに小さくなっていく。


「⋯⋯嘘でしょう?」


 私は愕然とした。

 これほど強力な冷気を持つ氷でも、彼の内側から溢れ出る「熱」を冷ますことができないなんて。


「う⋯⋯ぅ⋯⋯」


 ギルバートが苦悶の声を漏らす。

 高熱にうなされる彼の体は、見ていて痛々しいほど消耗していた。

 そして何より恐ろしい変化が、彼の体に起きていた。


「⋯⋯指が」


 私が握りしめていた彼の手――その指先が透けていた。


 物理的に透明になり始め、向こう側のシーツの柄がうっすらと見えているのだ。


 ただの病気ではない。彼の存在そのものが世界から希薄になり、消えかけている。


「これは⋯⋯やはり」


 重苦しい沈黙を破ったのは、緊急の要請を受けて王宮から駆けつけた、筆頭宮廷魔術師だった。


 白髭を蓄えた老魔術師はギルバートの体を覆う魔力の流れを視て、絶望的な顔で首を振った。


「公爵様の魂が急速に摩耗しています」


「摩耗⋯⋯?」


「はい。彼は今、無意識下で『超高位魔法』を行使し続けています。⋯⋯それも通常の人間の魔力では到底維持できない規模の術式を」


 魔術師は透き通りかけたギルバートの手を指差した。


「魔力という燃料が尽き、今は自らの『魂』そのものを削って燃料にしているのです。蝋燭が自らの身を溶かして燃えるように⋯⋯」


「そんな⋯⋯。彼は一体、何をしているのですか?」


 魔術師は空間に漂う魔力の残滓を読み取り、静かに告げた。


「まるで⋯⋯『終わってしまった世界』を、無理やり繋ぎ止めているかのようです。壊れた時空を、自分の魂を接着剤にして修復し続けている⋯⋯。このままでは、あと数日も持ちません。彼の魂は燃え尽き、砕け散って消滅するでしょう」


 ――終わってしまった世界。

 その言葉が、重いくさびのように胸に刺さった。


 その時、頭の中にノイズ混じりの心の声が響いた。


『ザザッ⋯⋯まだだ⋯⋯』


 途切れ途切れの、今にも消えそうな声。


『⋯⋯まだ、足りない⋯⋯』


『⋯⋯もっと注がないと⋯⋯。魔力が足りないなら、命を使えばいい⋯⋯』


『⋯⋯リリアの世界(時間)が終わってしまう⋯⋯。彼女の鼓動を、止めてはならない⋯⋯』


 ギルバートの指先がさらに薄く、透明になっていく。


『⋯⋯僕の半分をあげる⋯⋯。全部あげてもいい⋯⋯。だから、生きて⋯⋯』


 ◇


 私は完全に理解した。

 私が「死に戻り」をしたのは、やっぱり偶然でも神の奇跡でもなかった。


 前世で私が死んだその瞬間、駆けつけたギルバートが禁忌の魔法を発動し、時間を強引に巻き戻したのだ。


 そして今、私がこうして生き続けていられるのは――あの日、彼が自分の魂を切り取り、それを燃料にして「私の時間」を維持してくれたから。


 私は彼に生かされていた。

 私の心臓が動くたびに彼の魂が削られていくように感じられる。


(⋯⋯でも、どうして?)


 私は涙を拭い、必死に思考を巡らせた。

 時間はすでに巻き戻ったはずだ。


 私は生きているし、未来は変わったはずだ。

 それなのになぜ彼は今もなお、魂を燃やし続けているの?


 私は彼の心の声に耳を澄ませた。

 そこから聞こえてくるのは、現在の彼の思考ではない。

 もっと深く、暗い場所からの声だ。


『⋯⋯冷たい⋯⋯リリアが動かない⋯⋯』


『⋯⋯なんで⋯⋯どうして⋯⋯』


(⋯⋯そうか、もしかして)


 彼の深層心理は、まだ「あの日の絶望」の中にいるのだ。


 現実世界の彼は昏睡状態、その深い夢の中で彼はまだ前世の私が死んだ瞬間の、あの凍てつく別邸に一人で立ち尽くしている。


 きっと彼の心の奥底で私はまだ死んでいて、彼は必死に時間を巻き戻そうとあがき続けているのだ。


 だから、止まらない。

 現実の私がいくら「生きている」と叫んでも、夢の中の彼には届かない。


 彼が自らを犠牲にする世界の再生は、彼が「リリアは助かった」と認識するまで永遠に続く。


「⋯⋯物理的な治療じゃ、治らないわ」


 私は決断した。

 薬も魔法も氷も効かない。

 原因は彼の「心」にあるのだから。


「私が行くしかない」


「奥様? 何を⋯⋯?」


 魔術師が怪訝な顔をする。

 私はギルバートの手を強く握りしめた。


「私には彼と繋がっている『パス』があります。⋯⋯彼の心の声を逆に辿って、内側から燃焼を止めさせます」


 それは賭けだ。

 自分で言ってみたものの、そんなことができる保証はない。

 

 でも私には確かに聞こえている。彼と私を繋ぐ魂のパイプライン――心の声が。


 これを通って、彼の深層心理へダイブする。


「皆様、下がっていてください」


 私は使用人たちを下がらせるとベッドの上に上がり、ギルバートの隣に横たわった。


 透き通って消えそうな彼の手を私の両手で包み込む。

 体温は熱いのにその存在感は儚い。


「聞こえますか、ギルバート様」


 私は彼の耳元で囁いた。


「いつも貴方は、一方的に私の心に語りかけてきましたね。⋯⋯今度は、私が貴方の心に行きます」


 私は目を閉じた。

 意識を集中させる。


 頭の中に響く、不快なノイズ。

 普段なら「うるさい」と思って聞き流していたその音に、あえて意識をチューニングしていく。


『ザザッ⋯⋯寒い⋯⋯』


『⋯⋯リリア⋯⋯』


 声がする方へ――暗い闇の奥、ノイズの発生源へと意識を沈めていく。


 体がふわふわと浮くような、それでいて泥の中に沈んでいくような奇妙な感覚。


 現実の音が遠ざかる⋯⋯時計の針の音も、魔術師の衣擦れの音も消え、代わりに風の音が聞こえてくる。


 ヒュオォォォォ⋯⋯。


 冷たい風の音。

 悲しみの音。


(⋯⋯見つけた)


 私はその風の中に、身を投じた。


 ◇


 ――カッ! と視界が白く染まった。


 目を開けるとそこは雪国だった。いや国ですらない。

 上も下も、空も大地も分からない、完全なるホワイトアウトの世界。


 猛烈な吹雪が吹き荒れ、視界を遮っている。


「⋯⋯寒い」


 私は身を震わせた。

 ここはギルバートの内面世界(心象風景)、彼が王都を凍らせた時と同じ、いやそれ以上に純粋で濃密な「孤独」の世界だ。


 色がない。音もない。

 あるのは魂を削り取るような寒さと虚無だけ。


「ギルバート様!」


 私は叫んだ。

 声が風にかき消される。


 でも進まなければならない。この吹雪の向こうに彼がいるはずだから。


 雪をかき分けて歩く。

 足が重い。感覚がなくなっていく。

 ここは彼の絶望そのものだ。油断すれば私の心まで凍りついて同化してしまうだろう。


(負けない。⋯⋯私は彼に貰った命で、ここに来たんだもの)


 私は胸元のブローチ――彼がくれたサファイアを握りしめ、一歩一歩進んだ。


 どれくらい歩いただろうか。

 永遠にも思える時間の果てに、吹雪の向こうに黒い影が見えた。


「⋯⋯ギルバート様?」


 私は一目散に駆け寄った。

 そこにいたのは、私の知る長身の公爵ではなかった。


 雪の中にうずくまり、膝を抱えている小さな影。

 銀色の髪――大きなサイズの服に埋もれるようにして震えている、小さな男の子。


 それは過去の記憶の中で見た、地下牢の少年――いや、それよりもさらに幼い、五歳くらいの子供だった。


「⋯⋯」


 彼は顔を膝に埋めて動かない。

 その小さな体から絶えず青白い光の魔力が溢れ出し、空へと昇っている。

 自分の命を削り、空の向こうにある「何か」に送り続けているのだ。


 インナーチャイルド――彼の深層心理の核。

 強大な力を持ちながらも、誰にも愛されず、誰も救えなかったという無力感を抱えた、幼いギルバート。


「⋯⋯ギルバート」


 私は彼の前に膝をつき、声をかけた。

 少年がゆっくりと顔を上げた。

 その瞳は凍てついた湖のように光がなく、涙で濡れていた。


『⋯⋯だれ?』


 少年は掠れた声で言った。


『⋯⋯こないで。⋯⋯凍っちゃうよ』


 その言葉は、あの日地下牢で聞いた拒絶と同じだった。


 でも今はその意味が分かる。

 これは拒絶ではない。優しさだ。


 自分が大切な人を傷つけてしまうことを、何よりも恐れている、悲痛な叫びだ。


「凍らないわ」


 私は微笑んだ。

 この世界で唯一の色彩として、私は彼に手を伸ばした。


「だって私は、貴方の『熱』を知っているもの」


 私は少年の冷たい頬に触れた。

 今度こそ、彼をこの孤独な冬から連れ出すために。

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