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第2話:「森の別邸で静かに暮らせ」と命じられました。心の声が『あそこは核シェルター並みの要塞だ!』と自慢してくるので全力で拒否します

「大人しくしていろ」


 そう言い残して夫であるギルバート公爵は部屋を出て行ってしまった。


 残された私は天蓋付きの豪奢なベッドの上で深々とため息をついた。


 ふかふかの羽毛布団。肌触りの良いシルクの寝間着。そして、適温に保たれた室温。


 前世の最期、あの凍えるような別邸の寝室とは天と地ほどの差がある。


「⋯⋯でも、このままじゃダメだわ」


 私は拳を握りしめた。


 前世の記憶が正しければこの後、ギルバートの宣言と共に執事がやってきてこう告げるはずだ。


『旦那様のご命令により、奥様には北の別邸へ移っていただきます』と。


 そして馬車に乗せられ、片道三日かけてあの極寒の地へ送られる。

 一度入ってしまえば、二度と戻ることはできない「氷の牢獄」へ。


「絶対に嫌! あんな寂しい死に方は二度とごめんだわ!」


 私は慌ててベッドから飛び降りた。


 幸い、体は健康そのものだ。死に際、病に侵されていた前世の倦怠感はない。


 クローゼットを開けるとそこにはギルバートの心の声通り、目が眩むような数のドレスが並んでいた。


 とりあえず動きやすそうなシンプルなワンピースを選んで着替える。


「直談判よ。なんとしてでも、この本邸での居住権を勝ち取らなきゃ」


 目標は離婚、あるいは逃亡資金が貯まるまでの間、この屋敷でぬくぬくと食いつなぐこと。


 そのためには、あの「氷の公爵」を説得しなければならない。

 ⋯⋯いや、説得というよりは、あのダダ漏れの「心の声」を利用して、言いくるめるのだ。


 私は部屋を飛び出した。

 長い廊下には、まだ冷気が漂っている。

 遥か前方に銀髪の長身が見えた。ギルバートだ。


「お待ちください、ギルバート様!」


 声を張り上げて追いかける。

 彼はピタリと足を止めた。

 けれど振り返らない。背中を向けたまま、氷像のように固まっている。


(無視? それとも怒ってる?)


 私が身構えたその時、例のノイズが頭の中に響き渡った。


『ザザッ⋯⋯リリアの声だ⋯⋯! 天使のラッパのような可憐な声が僕の名を呼んでいる⋯⋯! 振り返りたい。今すぐ振り返って、その愛らしい姿を目に焼き付けたい。駆け寄って抱きしめて「どうしたの? 僕のことが恋しくなったの?」って甘やかしたい!』


「⋯⋯⋯⋯」


 私は走りながら、ガクッと膝が折れそうになった。

 相変わらずのハイテンションである。

 しかし、心の声はすぐに陰鬱なトーンへと変わった。


『⋯⋯でもダメだ。さっき僕は、彼女を拒絶するようなことを言ってしまった。今振り返ったら、リリアは僕のこの「人を殺しそうな凶悪面」を見て悲鳴を上げるに違いない。彼女に恐怖を与えるくらいなら、僕は背中で語る男になるしかないんだ⋯⋯!』


(メンタルが乙女か!)


 私は心の中で鋭くツッコミを入れた。

 しかも凶悪面って自分で自覚あったのか。


 というか、振り返らない理由が「顔が怖くて嫌われるのが嫌だから」って、どれだけ自己評価が低いのよ。


「ギルバート様、お話があります!」


 私は彼の背中に追いつき、その前に回り込んだ。

 ギルバートはビクッと肩を震わせた後、諦めたように私を見下ろした。


 その表情はやはり能面のように無表情。青い瞳は冷たく凪いでいる。


「⋯⋯部屋から出るなと言ったはずだが」


 口から出る言葉は相変わらず冷たい。

 でも今の私には、その裏にある本音が聞こえている。

 だから前ほど怖くはなかった。


「今後のことについて、重要な話があるのです」


 私は彼を真っ直ぐに見つめ返した。


『うっ、直視できない! 上目遣いの破壊力が凄まじい! 瞳が宝石だ! ああもう、そんな目で見つめられたら、全財産を差し出して「好きに使ってくれ」と言ってしまいそうだ⋯⋯!』


(とんでもなくチョロい⋯⋯これはいけるかもしれない)


 私は確信した。

 この男、見た目は鉄壁の要塞だが内面はセキュリティゼロのあばら家だ。



 場所を移し、私たちは公爵の執務室へと入った。

 重厚なマホガニーの机に壁一面の本棚は、いかにも「冷徹な仕事人間」が好みそうな、無駄のない空間だ。


 ギルバートは机の向こう側に座ると手元の書類に視線を落とした。

 私と目を合わせないようにしているらしい。


「⋯⋯手短に頼む。私は忙しい」


 彼は羽ペンを手に取り、書類に何かを書き込み始めた。

 さらさらとペンが走る音がする。

 ふと見ると、彼の手元にあるのは公文書⋯⋯ではなく、真っ白な紙だった。


『⋯⋯リリアの横顔、書き留めておかなきゃ。記憶だけじゃ足りない。このふっくらとした頬のライン、まつ毛の曲線⋯⋯。ああ、僕に絵画の才能があれば、この美しさを後世に残せるのに⋯⋯!』


(仕事してないじゃん!!)


 しかも盗み見ながら私のデッサンしてる!?

 よく見ると描きかけの絵はそれなりに上手いのが余計に腹立たしい。


 私は咳払いを一つして、本題を切り出した。


「単刀直入に申し上げます。私は別邸には行きません」


 ピタリ、とペンの音が止まる。

 ギルバートがゆっくりと顔を上げた。

 室内の温度が、スーッと下がっていくのを感じる。


「⋯⋯何?」


「聞こえなかったのですか? 私はこの本邸に残ります。公爵夫人として、ここで生活させていただきます」


 ギルバートの眉間にかすかな皺が寄った。

 それだけで部屋の空気が張り詰める。

 机の上のインク壺の表面が、薄く凍りつき始めた。


(物理的に寒いわ! 感情と魔力が直結しすぎでしょ!)


 私は腕をさすりながら、彼の言葉を待った。


「駄目だ」


 ギルバートは短く、しかし拒絶の意思を込めて言った。


「お前は本邸にはふさわしくない。北の森にある別邸へ行け。あそこで静かに暮らすのがお前のためだ」


 前世と同じセリフだ。

 あの時はこの言葉に「お前は邪魔だ」「顔も見たくない」という意味が含まれているのだと思っていた。


 けれど、今は違う。

 彼の無表情の下で心の声が大演説を始めている。


『本邸は危険なんだよおおお! リリア! 王都は古狸のような貴族たちがうようよしてるし、僕の政敵だっていつ毒を盛ってくるかわからない! そんな戦場に、こんな深窓の令嬢(天使)を置いておけるわけがないだろう!?』


(過保護か!)


『それに何より、僕自身の理性が持たない! 同じ屋根の下にリリアがいると思ったら、僕は毎晩毎晩、君の寝室のドアの前で「開けてくれ、抱き枕にさせてくれ」と懇願する変質者になってしまう! そんな姿を見せたら軽蔑される!』


(それは自制しなさいよ!)


 ギルバートは真顔のまま、淡々と続ける。


「あの別邸は、お前が何不自由なく暮らせるように整えてある。あそこへ行けば、誰にも脅かされることはない」


『そうだよ! あそこは僕が5年の歳月と国家予算並みの私財を投じて改造した、最強の要塞なんだ! 壁にはオリハルコンを埋め込み、窓ガラスはドラゴンブレスにも耐える強化魔法硝子! 地下には食料備蓄庫と核シェルター並みの安全部屋も完備した! 外敵は蟻一匹たりとも侵入できない絶対安全圏! あそこで一生、最高級の綿にくるまって、ぬくぬくと幸せに生きていてほしいんだ!』


 私は絶句した。


(⋯⋯は?)


 あのボロ屋敷、そんなハイスペックな要塞だったの?

 いや、確かに「誰も来なかった」のは事実だ。

 でもそれは、私が嫌われていたからじゃなくて⋯⋯。


(⋯⋯セキュリティが強固すぎて、医者も使用人も中に入れなかったってこと!?)


 なんというマッチポンプ。

 前世の私の孤独死の原因、半分くらいはこの人の過剰な防衛システムのせいじゃないか!


 私は怒りで震えた。


 そんな「核シェルター」にまた押し込められたら、今度こそ精神が死んでしまう。


 それに、そんな僻地にいたらお金も稼げないし、南の島へ逃げる計画も頓挫してしまう。


「お断りします」


 私は机をバン! と叩いた。


「要塞だろうが何だろうが、人里離れた森の奥で一人ぼっちなんて御免です! 私はここで、人間らしい生活がしたいんです!」


「リリア。これは決定事項だ」


 ギルバートが立ち上がった。

 その背後から冷気が陽炎のように立ち上る。


 窓ガラスがガタガタと音を立て、観葉植物の葉が一瞬でカチンコチンに凍りついた。


 彼は本気で私を追い出すつもりだ。それが「愛」ゆえの行動だと信じ込んで。


(⋯⋯こうなったら、最終手段よ)


 私は大きく息を吸い込むと彼を睨みつけた。


「わかりました。どうしても私を追い出すと言うのなら⋯⋯」


 私は一歩も引かずに宣言した。


「今ここで、舌を噛み切って死んでみせます!」


 シーン、と部屋が凍りついた。

 いや、元から凍っていたけれど今度は比喩的な意味で時間が止まった。


 ギルバートの青い瞳が、極限まで見開かれる。


『ヒィッ!!』


 脳内に、情けない悲鳴が響き渡った。


『死ぬ!? リリアが死ぬ!? 舌を噛む!? 痛い! 想像しただけで僕の心臓が裂けそうだ! 嫌だ嫌だ嫌だ! リリアのいない世界なんて一秒だって耐えられない! 血を見るのも嫌だ! 僕の細胞が全滅する!!』


 ギルバートの顔色は、一瞬にして土気色になった。

 魔力の暴走が止まり、逆に彼自身の体温が下がっていく気がする。


「ま、待て⋯⋯!」


 彼は震える声で手を伸ばしてきた。


「早まるな。⋯⋯死ぬなどと、簡単に口にするな」


『お願いだから死なないで! なんでもするから! 君の靴を舐めろと言うなら今すぐ舐めるし、全裸で王都を一周してこいと言うなら喜んで走ってくるから!! だから命だけは粗末にしないでくれええええ!!』


(⋯⋯そこまでしろとは言ってない)


 あまりの狼狽えっぷりに、こちらが引くほどだ。

 やはりこの男にとって、私の命は自分自身の尊厳よりも重いらしい。


 これなら交渉の余地はある。


「では本邸に置くと約束してください。別邸送りは撤回してください」


「⋯⋯⋯⋯」


 ギルバートは苦渋の表情を浮かべた。

 葛藤しているのが手に取るように分かる。


「リリアの安全(隔離)」と「リリアの命(自殺阻止)」の天秤⋯⋯勝負は一瞬でついた。


「⋯⋯わかった」


 彼は深いため息をつき、椅子に座り直した。


「別邸行きの話は白紙に戻す。お前をこの屋敷に置こう」


『やったああああああああああああああああ!!!』


 ズドーン! と衝撃音がした。


(うるさっ!!)


 何事かと思えば、ギルバートの歓喜の魔力が爆発し、背後の窓ガラスが盛大に割れ飛んでいた。


 外の寒風が吹き込んでくるが、彼の心の中は南国のカーニバルのようだ。


『同居だ! 同居確定だ! 毎日リリアの足音が聞ける! 毎朝「おはよう」が言えるかもしれない! 同じ屋根の下の空気を共有できるなんて、神様ありがとう! 今すぐ教会に寄付金1億ゴールド積んでくる!! いや、この屋敷の壁紙を全部リリア色に貼り替えようか!?』


(リリア色って何色なのよ⋯⋯)


「⋯⋯ただし」


 ギルバートは割れた窓ガラスを気にする様子もなく(使用人たちは慣れているのか、誰も飛んでこない)厳しい顔で条件を提示した。


「条件がある。私の生活圏には入るな。執務室はもちろん、私の寝室の近くにも寄るな」


 彼は冷たく言い放つ。


「私は多忙だ。お前の相手をしている暇はない。⋯⋯顔を合わせるのは必要最低限に留めろ。食事も別々だ。いいな?」


 その突き放すような言葉に前世の私なら「やっぱり嫌われているんだ」と泣いていただろう。


 でも今の私にはわかる。

 彼の机の下で、握りしめられた拳が「ガッツポーズ」の形を作っていることが。


『危ない危ない、条件をつけないと理性が崩壊する! 食事なんて一緒に摂ったら、彼女がパンを齧る姿に見とれて喉を詰まらせて死ぬ自信がある! それに近くにいたら匂いを嗅ぎに行ってしまう! 遠くから見守るくらいが丁度いいんだ。僕は陰から、こっそりと彼女の幸せを噛みしめよう⋯⋯!』


(⋯⋯うん、まあいいわ)


 私としても、四六時中この「ダダ漏れ心の声」を聞かされるのは精神衛生上よろしくない。


 距離を置いてくれるなら好都合だ。


 本邸にいられれば生活費は公爵家持ち。お小遣いもねだれば貰えるだろうし、別邸のように情報が遮断されることもない。


 ここを拠点に、数年かけて離婚と自立の準備を進めればいいのだ。


「承知いたしました、旦那様」


 私は淑女のカーテシーをとった。


「では、お言葉に甘えて本邸で暮らさせていただきます。⋯⋯決して、旦那様のお邪魔はいたしませんので」


「⋯⋯ああ。下がっていい」


 ギルバートは素っ気なく手で追い払う仕草をした。

 私は踵を返し、執務室を出る。


 バタン、と扉が閉まる。

 その瞬間。


『うおおおおおおお!! リリアが! 僕の家に! ずっといる!! 夢じゃない!! 今日を国民の祝日に制定したい!! とりあえず赤飯だ、料理長に赤飯を炊かせろおおお!!』


 扉の向こうから、凄まじい絶叫(心の声)と共に、ドタバタと何かが倒れる音と、さらに窓ガラスが割れる音が聞こえてきた。


「⋯⋯⋯⋯」


 私は廊下で一人、遠い目をした。

 とりあえず、生存ルートは確保した。

 別邸での孤独死は回避できた。


 けれど。


「⋯⋯これ、私の精神力が持つのかな」


 これから始まる共同生活は氷の仮面を被ったド級のヤンデレ夫と、その心の声にツッコミを入れ続ける日々⋯⋯安眠できる気が全くしない。


 私は重いため息をつきながら、自分の部屋へと戻るのだった。

 廊下の花瓶の花が、なぜか一斉に満開に咲き誇っているのを横目に見ながら。

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