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第17話:夫が王都を氷河期にしそうだったので、口づけをして止めました。心の声が『死んでもいい! いや生きる!』とバグって、天候が「快晴」に戻りました

 世界が白く染まっていた。

 王都の配送ギルドがあった場所は、今や極寒のブリザードの中心地と化していた。


 ヒュオォォォォォ⋯⋯!!


 猛烈な吹雪が視界を遮り、破壊された建物の瓦礫が一瞬にして氷塊へと変わっていく。

 その中心に彼は立っていた。


 ギルバート・フォン・アイゼンシュタイン。

 銀色の髪が嵐の中で逆立ち、その全身から溢れ出る青白い魔力が大気を凍てつかせている。


 彼の瞳はもはや人間のそれではない。

 感情を失い、ただ目の前の敵を殲滅するためだけの「システム」と化した、氷の魔神の瞳だ。


「⋯⋯消え失せろ」


 彼が右手を掲げるとその掌に周囲の冷気が収束していく。

 あれはまずい。絶対零度の波動砲だ。あんなものを放てば、ラウルだけでなく、この区画一帯が永久凍土になってしまう。


「ひぃっ⋯⋯! や、やめろ⋯⋯!」


 ラウル子爵は腰を抜かして瓦礫の上を這いずり回っていた。

 髪も眉も凍りつき、ガチガチと歯を鳴らしている。

 かつての余裕も傲慢な笑みもどこにもない。あるのは圧倒的な「死」への恐怖だけだ。


「くるな! 化け物! 悪魔!」


 ラウルの悲鳴が風にかき消される。

 ギルバートには届かない。彼の耳は閉ざされ、心は怒りの冷気に飲み込まれている。


『許さない。リリアを傷つけた。リリアを泣かせた。⋯⋯僕の大切な世界を壊そうとした罪は、魂の凍結であがなえ』


 心の声ですら機械的で冷徹な響きに変わっていた。

 これは暴走だ。

 彼自身も、もうこの怒りを止める術を見失っているのだ。


(⋯⋯このままじゃ、ラウルごと王都が消し飛ぶ!)


 私は吹きすさぶ風の中で、必死に踏ん張った。

 肌を刺す冷気によってドレスの裾は凍りつき、重くなっている。


 普通の人間なら近づくだけで凍死しかねない領域だ。


 でも、行かなければ。

 誰があの人を止めるの?

 誰があの孤独な「化け物」の手を引いて、こちらの世界に連れ戻すの?


 私しかいない。

 彼の「熱」を知っている、私しか。


「ギルバート様!!」


 私は叫び、暴風雪の中心へと飛び込んだ。


 ◇


 風圧が壁のように立ちはだかる。

 一歩進むたびに体温が奪われていく。

 それでも私は足を止めなかった。


「ギルバート様! 私です、リリアです!」


 私の声が届いたのか、ギルバートの手がピクリと止まった。

 蒼く発光する瞳が、ゆっくりと私を捉える。


「⋯⋯リ、リア⋯⋯?」


 彼が掠れた声で私の名を呼んだ。

 一瞬、瞳の奥に理性の光が戻る。

 しかし、すぐに苦痛に顔が歪んだ。


「⋯⋯来るな! 離れろ!」


 彼が叫ぶ。


「制御できない! 冷気が⋯⋯溢れる⋯⋯! お前まで凍らせてしまう!」


 彼は必死に魔力を抑え込もうとしているが、一度決壊したダムの水は止まらない。


 彼の足元から鋭い氷の棘が四方八方へと伸びていく。

 拒絶ではない。私を守るための警告だ。


 でも、そんな言葉に従う私ではない。


「凍らせたりなんて、させません!」


 私は最後の数メートルを駆け抜け、彼の懐へと飛び込んだ。


 ドサッ。


 私は彼の胸に体当たりするように抱きついた。

 冷たい――まるで氷像に抱きついたようだ。黒いコート越しでも、心臓が凍りそうな冷気が伝わってくる。


「リリア! 馬鹿な! 離れろ、死ぬぞ!」


「離しません! 貴方が戻ってくるまで、絶対に!」


 私は彼の襟を掴み、無理やり顔を近づけた。

 言葉じゃ届かない。


 「落ち着いて」なんて言葉で収まるようなエネルギー量ではない。


 なら直接伝えるしかない。

 私の体温を私の「生」を。

 貴方は化け物なんかじゃないという証明を。


 (⋯⋯んっ!)


 私はつま先立ちをして、背伸びをした。

 そして驚愕に見開かれた彼の、その凍りついた唇に――自分の唇を押し付けた。


 触れた瞬間、ビリリと電気が走るような感覚があった。

 冷たい、氷のような唇。

 血の通っていない、死人のような冷たさ。


 一番最初、蘇った朝に彼が私の腕を掴んだ時のことを思い出す。


 あの時も彼は冷たかった。

 でも今は違う。私は逃げない。

 私は目を閉じ、さらに深く、強く唇を押し付けた。


 ――私の熱を、全部あなたにあげる。


 その瞬間――時が止まった。


 そして、私の頭の中にビッグバーン――宇宙が創成させる音が響き渡った。


『!?!?!?!?!?』


 言葉にならない絶叫。

 思考停止。

 システムエラー。


『んぐっ!? ちゅ、ちゅーした!? キス!? 接吻!? リリアが!? 僕に!?』


 ザザッ、ピーーーーーッ!!!

 脳内放送がバグる。


『あわわわわ柔らかい! 甘い! 温かい! 息が止まる! 心臓が動いた! いや爆発した! 脳が沸騰する! なんだこれ、なんだこれぇぇぇぇぇ!! うわあああああああ!!!』


 ギルバートの体の中で暴走していた「冷却の魔力」が、リリアとの接触による「極限のデレ」という触媒を得て、未知のエネルギー変換を起こした。


 すなわち、熱エネルギーへの変換である。


『魔力? ラウル? どうでもいい! 今すぐ全魔力を熱量に変換してこの瞬間を焼き付けろ! 保存しろ! 神よ、僕は今、伝説になった!!』


『死んでもいい! ⋯⋯いや、生きる! こんな幸せな世界でリリアを残して死んでたまるか! 僕は生きるぞおおおおおおお!!』


 ボォォォォォォォォォォォォン!!!!!!


 爆発音がした。

 ギルバートを中心にして、猛烈な「熱波」がドーム状に広がったのだ。


 それは破壊の炎ではない。

 生命の息吹のような、圧倒的な陽のエネルギー。


 ジュワアアアア⋯⋯ッ!


 吹き荒れていた吹雪が一瞬にして蒸発し、白い水蒸気となって消えた。


 空を覆っていた分厚い雨雲が熱風によって吹き飛ばされ、穴が開いたように晴れ間が広がる。


 そして王都の上空に美しい夕焼けと一番星が輝きだした。


 気温の変化は劇的だった。


 マイナス数十度の極寒地獄から、一気に初夏のような爽やかな陽気へ。


 凍りついていた瓦礫からは水が滴り、どこからともなく鳥のさえずりさえ聞こえてきそうな平和な空気が戻ってきた。


 私はゆっくりと唇を離した⋯⋯目の前のギルバートは茹でダコのように真っ赤な顔をして、へなへなと座り込んでいる。


「⋯⋯リ、リリア⋯⋯?」


 彼は夢遊病者のように、ふらふらと自分の口元に手を当てた。


「今の、は⋯⋯? ゆ、夢⋯⋯?」


「夢ではありません」


 私も顔が熱い。心臓がうるさい。

 でも、ここで恥ずかしがっては「公爵夫人」の名折れだ。

 私は精一杯の虚勢を張って、彼を見下ろした。


「⋯⋯お薬、です」


 暴走を止めるための特効薬。


 そう言うとギルバートは「お薬⋯⋯」と反芻し、幸せそうな顔で白目を剥いて卒倒しかけた。(気絶はしなかった、成長している)


『最高のお薬だ⋯⋯。毎日処方してほしい⋯⋯。オーバードーズで死にたい⋯⋯ああ⋯⋯ありがとうリリア』


 一方、この急激な天候変化の最大の被害者がそこにいた。


「が、ガチ⋯⋯ガチガチ⋯⋯」


 ラウル子爵である。

 彼は先ほどの絶対零度で瞬間冷凍されかけ、直後の熱波で急速解凍された。


 この過酷な温度変化により、彼の体は限界を迎えていた。

 ショック状態で白目を剥き、口から泡を吹いて倒れている。


「⋯⋯あらあら」


 私はラウルを見下ろした。

 同情はしない。彼がしてきたことを思えば、これくらいの報いは受けて当然だ。


 そこへ騒ぎを聞きつけた王都の衛兵隊が駆けつけてきた。


「こ、これは一体⋯⋯!? 突然の吹雪とその後の快晴⋯⋯何事ですか」


 隊長らしき騎士が、半壊したギルドを見て絶句する。

 私は素早く表情を切り替え「被害者」の顔を作った。


「衛兵の方ですね。助かりました」


 私は懐から先ほど押収した「裏帳簿」を取り出した。


「実はこの配送ギルドとラウル子爵による大規模な横領と密輸の現場を押さえようとしたのです。そうしたら彼らが口封じに襲ってきまして⋯⋯」


「なっ、公爵夫人を襲ったと!?」


「ええ。夫が駆けつけてくれなければ、どうなっていたか⋯⋯。あちらに倒れているのが主犯のラウル子爵です」


 私は気絶しているラウルを指差した。

 衛兵たちは直ちにラウルを拘束する。


 裏帳簿という動かぬ証拠、そして「公爵家への反逆」という重罪。さらに私の証言。


 ラウルが言い逃れできる余地は、もうどこにもなかった。


「連れて行け!」


 ラウルとその私兵たちが引きずられていく。

 これで終わった。

 前世の因縁も、今世の脅威もすべて。


「⋯⋯終わりましたね、ギルバート様」


 私はへたり込んでいる夫に手を差し伸べた。

 ギルバートは私の手を取り、立ち上がる。

 その手はポカポカと温かく、しっかりと私を握り返してくれた。


『終わった⋯⋯。リリアを守れた⋯⋯。そして、チューもできた⋯⋯』


 最後のが一番重要らしい。


「帰りましょう、私たちの家に」


 夕焼けに染まる王都の空の下、私たちは繋いだ手を離さずに歩き出した。


 私の「逃走資金」確保計画は、予想外の方向へ転がってしまったけれど。


 この温かい手があるならもう少しだけ、この場所に留まってみてもいいかもしれない。


 そんなことを思いながら私は隣でニヤけっぱなしの夫に、こっそりと微笑みかけたのだった。

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