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第14話:夜会の中心で夫を「冷たくなんかない」と庇ったら、殺意を我慢していた夫の心の声が『聞いたかラウル! 貴様の洗脳が解けた瞬間だ!』と勝利宣言を始めました

 夜会の会場は異様な緊張感に包まれていた。

 私の夫、ギルバート公爵とその従兄弟であるラウル子爵。

 二人の男が対峙し火花を散らしている。


 先ほど私の肩に触れようとしたラウルの手は、ギルバートによって力強く払いのけられた。


 ラウルは一瞬だけ驚きの表情を見せたが、すぐに口元に粘着質な笑みを貼り付け直した。


「⋯⋯ふふ。本当に痛いなあ」


 ラウルは大げさに手を振った。

 そして獲物を追い詰める蛇のような目で、ギルバートを見据えた。


「まったく変わらないね、ギルバート公爵は。昔からそうやって、力ずくで僕から奪おうとする」


「⋯⋯」


「忘れたのかい? 十年前のあの日を。『お前は化け物だ』と親族会議で断罪されたことを」


 ギルバートの肩がピクリと跳ねた。

 ラウルはギルバートが最も触れられたくない傷口を的確にえぐりにかかった。


「その呪われた手で触れれば、愛するものさえ壊してしまう。⋯⋯君は学習しないな。その冷気が隣にいるリリアを傷つけるとわからないのか?」


 言葉のナイフが突き刺さる。

 ギルバートの顔色からさっきまでの赤みが引いていく。

 私を背に庇うように広げられていた背中が、微かに震え始めた。


『⋯⋯やめろ』


 悲痛な心の声が漏れる。


『リリアの前でその話をするな。⋯⋯僕が、壊してしまう? そうだ、僕は昔、制御できなかった力で⋯⋯』


 彼の脳裏に古いトラウマがフラッシュバックしているのがわかった。

 自信が揺らぐ――せっかく温まっていた彼の手から、再び冷たい冷気が漏れ出し始めた。


 床のカーペットに再び白い霜が広がり始める。


『怖い。リリアを傷つけるのが怖い。僕がそばにいたら、やっぱりリリアを凍らせてしまうかもしれない⋯⋯。僕は化け物だ。離れなきゃいけないのに⋯⋯!』


 自己嫌悪と恐怖。

 ラウルはギルバートの最大の弱点――「自分は愛される資格がない」という強烈な劣等感――を知り尽くしているのだ。


 ギルバートの動揺を見逃さずラウルは標的を変えた。

 彼は優雅な動作で一歩踏み出し、私に向かって甘い声をかけた。


「ねえ、リリア。君も感じているだろう?」


 彼は私の顔を覗き込んだ。


「彼のそばにいる時の、あの骨まで凍るような『寒さ』を」


「⋯⋯」


「隠さなくていいんだよ。噂は聞いている。君は屋敷に閉じ込められ、外に出ることも許されていないそうだね」


 ラウルは同情たっぷりに眉を下げた。


「彼は君を愛しているフリをして、本当は君を支配し、凍らせて自分のコレクションに加えたいだけなんだ。⋯⋯哀れな氷像のようにね」


(⋯⋯まあ、否定はできないわね)


 私は心の中で苦笑した。


 実際、ギルバートの心の声は「閉じ込めたい」「保存したい」「氷像にしたい」と叫んでいることが多い。監禁願望があるのは事実だし前世は実際に監禁状態だった。


 前世の私ならラウルのこの言葉に頷いていただろう。「この人は私の苦しみを理解してくれている」と勘違いしていただろう。


 ラウルが白手袋をはめた手を差し出した。


「僕なら君をそんな目には遭わせない。君の自由を尊重し、温かい家庭を築ける」


 彼は爽やかに微笑んだ。


「さあ、おいでリリア。あんな氷の化け物のところから逃げて⋯⋯僕と一緒に踊ろう」


 会場中の視線が私に集まる。


 公爵夫人は夫の手を取るのか、それとも救いの手を取るのか。


 隣でギルバートが絶望に沈んでいく気配がした。


『⋯⋯ああ、そうだ。ラウルの言う通りだ。僕はリリアを幸せになんてできない。僕の手は冷たい。リリアを凍えさせるだけだ。⋯⋯離さなきゃ。リリアを行かせてやらなきゃ⋯⋯』


 彼の手から力が抜けかける。

 その拳は悔しさと絶望で小刻みに震えていた。


 馬鹿な人⋯⋯本当に愛おしいほど馬鹿な人だ。


 私は力が抜けかけたギルバートの拳を両手でガシッと掴んだ。

 そして、強く、強く包み込んだ。


「ッ!?」


『リリア⋯⋯!?』


 私はギルバートを一瞥もしない。

 ただ目の前のラウルを真っ直ぐに見据えた。


 前世で私を騙し、横領によって私を間接的に殺したかもしれない男。

 その顔に張り付いた薄ら笑いが今は酷く滑稽に見えた。


「⋯⋯ご心配には及びませんわ、ラウル様」


 私は凛とした声で言い放った。

 会場の隅々まで響くように、はっきりと。


「誰が何を吹き込もうと、関係ありません。⋯⋯だってギルバート様は、貴方が言うような冷酷な方ではありませんもの」


 ラウルの眉がピクリと動く。


「リリア? 何を言って⋯⋯」


「感じませんか? この温度を」


 私はギルバートの腕を抱きしめたまま、一歩前に出た。


「私の夫の手は貴方が思うほど冷たくはありません。不器用で、言葉足らずで、誤解されやすい方ですけれど⋯⋯」


 私はギルバートを見上げた。

 彼は驚いた顔で私を見下ろしている。その瞳が揺れている。


「私を大切に思ってくださる心は、誰よりも熱いのです。⋯⋯この手は、貴方の口先だけの優しさなんかより、ずっと『温かい』のですから」


 言い切った。

 完全否定だ。


 私は「化け物」というレッテルを愛の定義で塗り替えてやったのだ。


 時が止まったような静寂。

 そして――。


『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?』


 ギルバートの心の中で何かが弾ける音がした。


『温かい? 僕が? ⋯⋯リリアは僕を怖がっていない? 化け物だと思っていない? ラウルの言葉より、僕の体温を信じてくれるの?』


 ドクン、ドクン、と彼の鼓動が早鐘を打つ。

 トラウマという厚い氷が私の言葉という熱源によって、音を立てて砕け散っていく。


『勝った⋯⋯!』


 小さな呟きが、やがて奔流となって溢れ出した。


『勝ったぞおおおおおおお!! 見たかラウル! 聞いたか世界! 貴様の洗脳は、リリアの愛の力で無効化された! 完全勝利だ! ざまあみろ!!』


 ボォォォォォォッ!!!


 凄まじい熱波が、ギルバートを中心にして巻き起こった。

 比喩ではない物理的な熱風が吹き荒れ、会場の空気が一瞬にして膨張し、窓ガラスがガタガタと揺れる。


『今のリリアの言葉を石碑に刻め! 教科書に載せろ! 国歌にしろ! 僕は今日から「リリア専用の暖炉」として、誇り高く生きていく!! 燃料はリリアの愛だ!! 無限機関の完成だ!!』


 ギルバートの体温が「限界突破オーバーヒート」を起こした。

 床の霜など一瞬で蒸発し、周囲の観葉植物が急激に成長して花を咲かせ、さらにドライフラワーになりそうな勢いで乾燥していく。


「あ、暑い⋯⋯?」


「なんだ、急に気温が⋯⋯」


「異常気象だ⋯⋯!」


 周囲の貴族たちが、扇子でパタパタとあおぎ始めた。

 会場内は春の陽気どころか、真夏の熱帯夜のような熱気に包まれていた。


 異常気象の張本人、ギルバートの顔からは不安も迷いも消え失せていた。

 あるのは満面の(そして茹で上がったように赤い)笑みと、溢れんばかりの自信だ。


「⋯⋯行こう、リリア」


 彼は私の手を取り、力強く引いた。


「ダンスの時間だ」


『踊ろう! 朝まで! いや靴底が擦り切れるまで! ラウルなんて視界に入れる価値もない! 僕の世界にはリリアしかいない! リリア、リリア、愛しのリリア!!』


 私たちはフロアの中央へと進み出ると慌てて音楽が再開される。

 ギルバートは私の腰に手を回し、軽やかにステップを踏んだ。

 そのリードは力強く、そして何より――熱かった。


「あっつ⋯⋯」


 私は小声で呟いた。

 ドレス越しでもわかる高熱。カイロどころではない、暖房器具を抱えて踊っているようだ。


 でも、不思議と不快ではなかった。


 私たちは踊った。

 周囲の視線など関係ない。


 ただ二人だけの世界で、熱波を撒き散らしながら優雅にワルツを踊る。その姿は誰が見ても「愛し合う情熱的な夫婦」そのものだった。


「⋯⋯クソッ」


 人垣の向こうで、ラウルが舌打ちをしたのが見えた。

 彼の計画は完全に失敗した。


 「不幸な公爵夫人」を演出するはずが、見せつけられたのは「バカップル」の灼熱ダンスだったのだから。


「ふんっ⋯⋯まあいい、楽しみは後にとっておこう」


 ラウルは屈辱に顔を歪めながら、踵を返した。

 その背中には以前よりも深く、暗い悪意が渦巻いていた。

 しかし、今のギルバート(暖房モード)には、そんな陰湿な気配など届かない。


 曲が終わる頃には、私は汗だくになっていた。


(ラウルに勝った⋯⋯勝ったけど⋯⋯)


 私はハンカチで額の汗を拭った。

 会場の貴族たちも「氷の公爵」のあまりの変貌ぶりと物理的な暑さに当てられて、呆気にとられている。


(流石にちょっと暑すぎるわね⋯⋯。これ、家に帰ったら冷却魔法をかけてもらわないと私が熱中症になるわ)


 満面の笑みで私を見つめる夫(体温40度オーバー)を見上げながら、私は次なる課題――「夫の適切な温度管理機能の実装」――を心に誓った。


 こうして波乱の夜会は、ギルバート公爵の「勝利宣言のダンス」と会場全体の「温暖化」によって幕を閉じたのである。

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