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第10話:帳簿の数字が合わないので担当者を問い詰めたら、裏切り者が発覚しました。夫が『氷漬けにして砕いてやる』とブチ切れたので、私が動くしかありません

 私の前に一人の男が座っていた。

 三十代半ばの小太りで脂ぎった顔をした男だ。

 名前はロドニー、この公爵家の会計の一部を任されている職員である。


 場所はギルバートの執務室、私はロドニーを挟んで反対側に座り、手元には証拠となる帳簿と数枚の領収書を広げていた。


 そして、私の背後には――。


『⋯⋯殺す。この害虫め。リリアの視界に入れたことすら不愉快だ。今すぐ窓から放り出してカラスの餌にしてやろうか』


 氷の彫像のように冷徹な表情で、しかし心の中では物騒な殺害計画を練っているギルバート公爵が控えていた。


 室温は既に氷点下に近い――ロドニーは寒さにガタガタと震えているが、それが公爵の怒りによるものだとは気づいていないようだ。単に「冷房が効きすぎている」と思っているらしい。鈍感すぎる。


「ロドニーさん」


 私は冷ややかな声で呼びかけた。


「この帳簿の記述について、説明していただけますか?」


 私は一枚の領収書を指差した。


「『北壁の修繕費』として金貨五百枚が計上されていますが⋯⋯。工期も費用も、あまりに不自然ですわ」


「は、はあ⋯⋯」


「北の別邸は石造りです。屋根の修繕にこれほどの大金がかかるとは思えませんし、工期がたったの三日というのは物理的にありえません」


 私が指摘するとロドニーは鼻で笑った。


「奥様のような素人には分かりませんよ。あれは特殊な魔法工事でしてね⋯⋯相応の業者に依頼する必要があります」


 彼は私を小馬鹿にしたような目で見た。


「公爵家の名に恥じぬよう高名な魔導士を雇って、最高級の資材を使ったのですよ。だから費用も当然かさむのです。⋯⋯まあ、屋敷の奥で刺繍でもなさっている奥様には、現場の苦労など想像もつかないでしょうが」


 典型的な「女子供には分かるまい」という態度だ。

 前世の私なら、ここで萎縮して引き下がっていたかもしれない。


 「私が無知なせいだわ」と自分を責めて、彼の言うことを鵜呑みにしていただろう。


 けれど今の私は違う。私は生き残るためにそして何より「現金」のために戦っているのだ。


「現場の苦労、ですか」


 私は口元だけで笑った。


「ええ、ええ。さぞかしご苦労なさったでしょうね。⋯⋯存在しない工事の報告書をでっち上げるのは」


 ロドニーの顔色がサッと変わった。


「な、何を仰るのですか! 言いがかりはやめてください!」


「言いがかり? あら、そうですか?」


 私が畳み掛けようとした時、ロドニーが舌打ちをした。


「チッ⋯⋯。これだから世間知らずの貴族のお嬢様は⋯⋯。少しばかり数字が読めるからって、いい気になって」


 彼は明らかに私を見下し、ため息をついた。


 パキィィィィン!!!!


 凄まじい音が響いた。

 部屋の隅に置かれていた背の高い観葉植物が、一瞬にしてカチンコチンに凍りつき次の瞬間、内側から破裂して粉々に砕け散ったのだ。


 氷の破片がキラキラと舞い散る。


「ヒィッ!?」


 ロドニーが悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。

 室温が一気にマイナス十度まで急降下する。私の吐く息が白く染まった。


「⋯⋯貴様」


 地獄の底から響くような声。


 ギルバートがゆっくりとロドニーを見下ろしていた。

 その青い瞳には一切の慈悲がない。絶対零度の殺意だけが渦巻いている。


「⋯⋯死にたいのか?」


『今、リリアを愚弄したな? その汚い口、二度と開けないように氷漬けにして砕いてやろうか。いや、指先から少しずつ壊死させて、一生後悔させてやるのがいいか? リリアの爪の垢ほどにも値しないゴミ屑めが!!』


 ギルバートの背後から、どす黒い冷気がオーラのように立ち上っている。


 本気だ。この人は本気で、この場でロドニーを処刑するつもりだ。


「ま、待ってください、閣下! 誤解です!」


「誤解などない。⋯⋯消えろ」


 ギルバートが手をかざすと、ロドニーの足元から氷の蔦が伸びてきて、彼の足を拘束し始めた。


「ギャアアアア! 冷たい! 足が! 足がなくなる!」


 ロドニーが泣き叫ぶ。

 まずい。非常にまずい。


(ちょっと待ったぁあああ!! そいつを殺したら横領の証拠も消えちゃう! お金も戻ってこないじゃない!)


 私の目的は「制裁」ではなく「回収」だ。

 犯人を殺してしまっては、隠し財産の場所も吐かせられないし、私の報奨金もパァになってしまう。


「ギルバート様! お待ちください!」


 私は慌てて立ち上がり、ギルバートの腕にしがみついた。

 接触――私の体温が彼に伝わる。


「⋯⋯リリア。離れろ。こいつは生かしておけん」


 彼は冷たく言うが、その腕は少し震えていた。

 怒りで制御を失いかけているのだ。


「殺してはいけません。それではあなたの名誉に関わります」


「私の名誉などどうでもいい。私の妻を侮辱した罪は死に値する」


『リリアが止めるなら止めたいけど! でも許せない! 僕の大切な女神を「世間知らず」呼ばわりしたんだぞ!? 万死に値する! いや億死でも足りない! 宇宙の果てまで飛ばして星の塵にしてやりたい!!』


(⋯⋯愛が重いのはわかったから、落ち着いて!)


 私は彼の手を両手で包み込み、優しく撫でた。

 カイロのように温かい。いや、怒りの熱で少し熱いくらいだ。


「私にお任せください。⋯⋯ちゃんと、落とし前はつけさせますから」


 私はニッコリと微笑んだ。

 その笑顔に、ギルバートがハッと息を呑んだ。


『⋯⋯美しい』


 彼の殺気がスッと引いていく。


『なんて凛とした表情だ。怒りに我を忘れることなく、冷静に事態を収拾しようとしている。⋯⋯かっこいい。好きだ。リリアが僕の家を守ってくれている。この姿を肖像画にして全国民に配るべきだ』


(それはやめてください⋯⋯)


 彼の心の声が殺意から崇拝へと切り替わった。

 発言は相変わらずぶっ飛んでいるがチョロい。本当にチョロい夫だ。


 私は彼を座らせると再びロドニーに向き直った。

 氷の蔦は消えているがロドニーは腰を抜かして動けないでいる。


「さて、ロドニーさん」


 私は冷徹な事務的な口調に戻った。


「すでに裏は取ってあります。施工業者である『バルト商会』に問い合わせたところ、そのような工事を受注した事実はないと回答がありました」


「なっ⋯⋯!?」


「さらに資材の購入履歴も確認しました。あなたのサインで大量の資材が発注されていますが、納品先は北の別邸ではなく、王都の闇市場にある倉庫でしたわ」


 私は突きつけた。


「横領ですね? それとも横流しですか?」


 ロドニーの顔から血の気が引いていく。

 完全に詰みだ。言い逃れはできない。


「衛兵を呼びますか? それとも⋯⋯」


 私はチラリとギルバートを見た。

 彼は無表情で、しかし楽しそうに指先で小さな氷の刃を弄んでいる。


「公爵様の『個人的な制裁』を受けますか? ⋯⋯先ほどのような氷漬けがお望みなら、止めはしませんけれど」


「ひっ、ヒィィッ!!」


 ロドニーは悲鳴を上げて、床に額を擦り付けた。


「じ、自白します! 全部喋ります! 金も返します! だから命だけは! 氷だけはご勘弁をぉぉぉ!!」


 勝負ありだ。


 ギルバートの心の中では、スタンディングオベーションが起きていた。


『ブラボー!! 素晴らしい! 完璧だ! 慈悲深く、かつ冷徹な采配! 君こそが真の女主人だ! 一生ついていきます! 靴をお舐めしたい! いや、いっそ僕が床になって踏まれたい!!』


 彼の体温は怒りの冷却から愛と尊敬による沸騰へと急激にシフトしていた。


 室温が一気に春のように暖かくなり、割れた観葉植物の周りに小さな花が咲き始めた気がする。


 ◇


 事後処理は迅速だった。

 ロドニーは衛兵に引き渡され、横領された金は(一部使い込まれていたものの)大半が回収された。


 公爵家の不正を暴いた私の手腕は、使用人たちの間でも評判になり「新しい奥様はただ者ではない」という噂が広まりつつあるらしい。


 しかし、連行される際、ロドニーが捨て台詞のように吐いた言葉が私の心に棘のように刺さっていた。


「くそっ⋯⋯! こんなはずじゃなかった! ラウル様が黙っていないぞ⋯⋯! 俺をこんな目に遭わせて、ただで済むと思うなよ!」


 ラウル様⋯⋯ラウル子爵――ギルバートの従兄弟であり、街で遭遇したあの優男やさおとこ


 前世で隔離された私に気をかけて優しくしてくれた、唯一の味方だと思っていた人物。


(⋯⋯まさか)


 私は寒気を覚えた。

 ロドニーはラウルの手先だったのか?

 公爵家の金を横領していたのは、ラウルの指示だったのか?


(もしそうなら⋯⋯前世の私が餓死寸前まで追い込まれたのは、ギルバートの冷遇のせいじゃなくて⋯⋯)


 北の別邸は本来なら十分な予算と物資が送られるはずだった。以前の私ならそんなバカな一蹴するところだが、ギルバートの心の声が聞こえる今なら、彼が私を飢えさせるわけがないと確信出来る。


 つまり、それを誰かが――例えばラウルが――予算を途中で着服し、私には最低限の物資しか届かないように細工していたとしたら?


(⋯⋯私が死んだのは、ラウルのせいだった?)


 真相に一歩近づいた気がした。

 あの優しげな笑顔の裏に底知れぬ悪意が隠されているのかもしれない。

 敵は思っていたよりも近くに、そして深く潜んでいたのだ。



 ロドニーが連行された後、執務室には私とギルバートだけが残っていた。


「⋯⋯リリア」


「はい」


 ギルバートが私に歩み寄り、そっと手を取った。

 その手はカイロのように温かい。


「感謝する。⋯⋯お前がいなければ私は長年、身内の恥に気づかずにいた」


 彼は真摯な瞳で私を見つめた。


「お前はこの家を守ってくれた。⋯⋯礼を言う」


 彼の言葉に嘘はない。心の声も純粋な感謝と愛で溢れている。


『ありがとう、リリア。君は僕の誇りだ。君のような素晴らしい女性を妻にできて、僕は世界一の幸せ者だ。⋯⋯本当は全財産あげたいけど、リリアは「自分の力で稼ぎたい」という高潔な魂の持ち主だから、働きに見合った額を渡すのが礼儀だよね!』


(⋯⋯高潔かどうかはさておき、報酬はいただきます!)


 私は期待に胸を膨らませた。

 ギルバートは引き出しから、ずっしりと重い革袋を取り出した。


「これは今回の件に関する正当な報酬だ。⋯⋯受け取ってくれ」


 私は震える手でそれを受け取った。

 重い、金属の重みだ。

 紐を解いて中を覗くと、そこには眩いばかりの金貨が詰まっていた。


 金貨百枚、一般市民なら一生遊んで暮らせるだけの大金だ。


「!」


 私は心の中でガッツポーズをした。


(やったあああああ!!!)


 ついに! 初めての! 現金収入!

 ドレスでも宝石でもない、どこでも使える「お金」だ!


 これで南の島への第一歩が踏み出せた。航空券(馬車代)と当面の滞在費くらいは余裕で賄える!


「ありがとうございます、あなた! 大切に使わせていただきますわ!」


 私は満面の笑みで袋を抱きしめた。

 この笑顔は演技ではない。純度100%の歓喜だ。


 その笑顔を見てギルバートもまた、幸せそうに目を細めた。


『ああ、なんて可愛いんだ。金貨ごときでこんなに喜んでくれるなんて。⋯⋯やっぱりこの袋の中身、あとゼロを二つくらい増やしておけばよかったかな? いや、次回の楽しみに取っておこう』


 夫への愛(?)と、逃亡資金(現実)の両方を手に入れ、私はホクホク顔だった。


 しかし、その背後には不穏な影がチラついている。

 私は金貨の重みを感じながら、決意を新たにした。

 

 誰にも私の「南の島計画」を邪魔はさせない。

 例えそれが前世の「恩人」であったとしても。

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