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第1話:死に戻ったので離婚を切り出したら心の声で『鎖で繋いで監禁したい』とヤンデレられ拒否されました。早速詰んでるかもしれません

 寒かった。

 骨の髄まで凍りつくような、痛みを伴う寒さだった。


 王都から遠く離れた、北の森の奥深く。

 この「別邸」という名の牢獄に押し込められてから、三度目の冬が訪れようとしていた。


 窓の外は猛吹雪が吹き荒れ、古びた窓枠をガタガタと揺らしている。


 暖炉の薪は数日前に尽きていた。追加を持ってきてくれる使用人はいない。流行り病に倒れた私を看取る物好きなど、この屋敷には一人もいなかったのだ。


(⋯⋯ああ、やっぱり。あの人は来ないのね)


 薄れゆく意識の中で、夫であるギルバート・フォン・アイゼンシュタイン公爵の顔を思い浮かべる。


 銀色の髪に、凍てつく湖のような青い瞳。

 彫刻のように美しいけれど、そこには何の感情も浮かんでいなかった。


 ――お前に相応しい場所がある。


 何もなかった初夜の翌日、私を見下ろして言い放たれた言葉。

 それきり私はこの別邸へと追いやられた。


 「愛のない妻」として、邪魔者扱いされ、最後はこうして誰にも知られずに死んでいく。


 悔しい、という感情すら凍り付いてしまったようだ。

 ただ、一つだけ強く思うことがあった。


(もし、次があるなら⋯⋯)


 肺がヒューヒューと音を立てる。指先の感覚はもうない。


(次は絶対に、自由になる。お金を貯めて、離婚して、南の島に行くの。一年中花が咲いていて、太陽が降り注ぐような温かい場所で⋯⋯ぬくぬくと暮らしたい⋯⋯)


 視界が暗転する。

 心臓が最後の鐘を打つ。


 ああ、神様。

 次はもっと『温かい』人生をください。

 そう願って、リリア・アイゼンシュタインの二十年の生涯は幕を閉じた――はずだった。


「⋯⋯ん」


 鳥のさえずりが聞こえる。

 柔らかい。背中がふかふかする。それに、寒くない。

 むしろ、差し込む日差しが少し暑いくらいだ。


「え⋯⋯?」


 私は跳ね起きた。

 そこはカビ臭い別邸の寝室ではなかった。

 天蓋付きの豪奢なベッド。最高級のシルクのシーツ。部屋の隅々に置かれた調度品は、どれも目が飛び出るような高価なものばかりだ。


 見覚えがある。ここは公爵家の本邸にある客室だ。

 慌てて自分の手を見る。あかぎれだらけで痩せ細っていたはずの手は、白くふっくらとしていて、若々しい張りがあった。


「いたっ!」


 頬をつねると涙が出るほど痛かった。

 夢じゃない。生きている。

 ベッドサイドの鏡を覗き込むとそこには別邸に送られる前――二十歳の私ではなく、十七歳の私が映っていた。


「戻ってる⋯⋯? 結婚式の翌日に?」


 心臓が高鳴る。

 これは奇跡だ。神様が私の願いを聞き届けて人生をやり直すチャンスをくれたのだ。


「やった⋯⋯! これなら、これなら回避できる!」


 別邸送りになって孤独死する未来なんて真っ平ごめんだ。

 今すぐに荷物をまとめて逃げ出そう。実家は頼れないけれど、平民として隠れて暮らすくらいなら何とかなるはずだ。


 そう決意してベッドから降りようとした、その時だった。


 ガチャリ。


 重厚な扉が開く音がして私の動きが止まる。

 入ってきたのは長身の青年だった。


 銀色の髪が朝日にきらめき、整いすぎた顔立ちは陶器の人形のように無機質だ。


 ギルバート・アイゼンシュタイン。

 私を冷遇し、死に追いやった冷酷な夫。


 彼を見た瞬間、前世の恐怖が蘇って私の体は小刻みに震えだした。


 また、あの言葉を言われる。

 『お前に相応しい場所がある』と突き放される。


 ギルバートが氷のような青い瞳で私を見据えた。

 薄い唇がゆっくりと開く。


「⋯⋯目が覚めたか」


 部屋の温度が一度下がるような、絶対零度の冷たい声。

 ああ、やっぱりこの人は変わらない。

 絶望しかけた、その瞬間。


『ザザッ⋯⋯ピー⋯⋯ガガガッ⋯⋯!』


「!?」


 突然、鼓膜をつんざくような耳鳴りが脳内に響き渡った。

 頭が割れそうだ。私は思わず耳を塞ぐ。

 壊れたラジオのような不快なノイズ。その奥から、何か凄まじい音量の「声」が流れ込んでくる。


『――ア⋯⋯リリア⋯⋯! ああ、リリア⋯⋯! 生きてる、動いてる、呼吸してる⋯⋯! 朝日に照らされた髪が女神の御光のようだ⋯⋯尊い⋯⋯!』


「⋯⋯はい?」


 呆気にとられて顔を上げた。部屋には私とギルバートしかいない。

 ギルバートは相変わらず、能面のような無表情で立ち尽くしているし口は一ミリも動いていない。


 じゃあ、今聞こえた、暑苦しい叫び声は?


『まつ毛が長い。瞬き一つが芸術だ。どうしよう、朝の光に包まれたリリアが神々しすぎて直視できない。でも見たい。網膜に焼き付けたい。あああ、僕のような汚れた人間が同じ部屋の空気を吸ってしまって申し訳ない、ごめんなさい、でも幸せすぎて死にそうだ⋯⋯!』


(⋯⋯な、何これ?)


 ノイズ混じりの大音量。


 幻聴? それとも、生き返った副作用で頭がおかしくなったの?

 混乱する私をよそに目の前の「氷の公爵」は冷淡に言葉を続けた。


「⋯⋯身支度をしろ。話がある」


 口から出る声は、南極の氷山のように冷たい――けれど。


『僕好みの服を何着も用意したんだ! どれでも好きなものを着てほしい! いや、何も着なくても最高に美しいけれど、他の男の目に触れるなんてありえないから全身を布で覆って隠したい! リリアの肌を見ていいのは世界で僕だけだ!』


(⋯⋯情報量が、多い⋯⋯ッ!)


 私は額を押さえた。

 どうやら、とんでもない能力おまけを持って死に戻ってしまったらしい。


 ◇


 幻聴だろうが何だろうが、事態は一刻を争う。


 このまま彼のペースに乗せられていれば、待っているのは「お前に相応しい場所がある」という宣言と別邸への片道切符だけ。


 あの寒くて孤独な日々に戻るのだけは、絶対に嫌だ。


(先手を打つしかない!)


 覚悟を決めた私はベッドの上で素早く体勢を変え、ふかふかのシーツに額を擦り付ける――華麗なる土下座である。


「ギルバート様!」


 お腹に力を込めて叫んだ。


「私のような至らない小娘は、由緒あるアイゼンシュタイン公爵家にはふさわしくありません! お願いです、どうか私と離婚してください!」


 言い切った。

 これならどうだ。自分から身を引くと言えば、彼も好都合だと思って手切れ金を渡してくれるかもしれない。


 シン、と部屋が静まり返る。


 顔を上げるとギルバートはピクリとも動いていなかった。

 ただ、その青い瞳が怪しく光り、部屋の空気が急速に冷えていくのを感じた。


 パキ、パキパキ⋯⋯。


 窓ガラスに霜が走り、花瓶の水が一瞬で凍りつく。

 ギルバートから溢れ出した魔力が、物理的に気温を下げているのだ。


(ひっ⋯⋯怒らせた!?)


 やはり「氷の公爵」のプライドを傷つけてしまったのか。殺されるかもしれない。


 ガチガチと歯を鳴らす私の頭の中に再びあの大音量のノイズが爆発した。


『離婚!? 離婚って言った!? 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! なんで!? どうして!? 昨日抱かなかったからか!? それには理由があって⋯⋯大事にしたかっただけなのに! それが裏目に出たのか!?』


「えっ」


『もしかして僕の顔が怖かったのか!? ごめん、生まれつき顔面の筋肉が死んでて笑えないんだ! 心の中では満面の笑みなんだよ! 頼むから捨てないでくれ! リリアに捨てられたら僕はまた、あの永遠の暗闇に戻ってしまう! 死ぬ! リリアがいない世界なんて生きてる意味がない!!』


(⋯⋯うるさあああああああああいっ!!!)


 私は心の中で絶叫した。

 鼓膜が破れそうなほどの絶叫と駄々っ子のような懇願。


 目の前の男は氷像のように冷徹な表情を崩していないのに、頭の中では滝のような涙を流して地面を転げ回っているのがありありと伝わってくる。


「⋯⋯ふん。勝手なことを言うな」


 ギルバートは吐き捨てるようにそう言った。

 私への侮蔑を隠そうともしない、冷え冷えとした声音。


 しかし、その副音声は――。


『うわあああああ!! 言っちゃった! 突き放しちゃった! 違うんだリリア! 口が勝手に! 本当は「君の言うことなら何でも聞くよ、靴もお舐めします」って言いたかったんだ! でも離婚だけは無理! それだけは勘弁して! 愛してる!!』


(⋯⋯ねえ、何なのこの人?)


 私は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。



 呆然とする私を逃がすまいと思ったのか、ギルバートがとっさに手を伸ばしてきた。


 大きな手が私の細い腕を掴む。


「⋯⋯ッ!」


 咄嗟に悲鳴を堪えた。

 冷たい――まるで氷塊に直接触れられたような、激痛に近い冷たさが肌を刺す。


 人間の体温ではない。ドライアイスを押し付けられたようだ。


(痛い、冷たい⋯⋯!)


 身をすくませて手を振り払おうとした時、頭の中の金切り声が、ふっと止んだ。


 代わりに聞こえてきたのは、とろけるような恍惚の溜め息だった。


『⋯⋯あ⋯⋯温かい⋯⋯』


 さっきまでのパニックが嘘のように、静かで、深い声。


『痛みが⋯⋯消えていく⋯⋯。呪われた僕の凍った血が、リリアに触れている部分から溶けていくようだ⋯⋯』


(呪い⋯⋯?)


 私の動きが止まる。掴まれた腕は痛いほど冷たいのに伝わってくる彼の心は、温泉に浸かったかのように安らいでいた。


『ああ、なんて心地いいんだ。このまま全身を彼女に擦り付けたい。骨の髄までこの熱に浸っていたい』


 ザザッ、とノイズが走り、一瞬だけ知らない光景が脳裏を過った。

 暗い地下牢。鉄格子。震える小さな男の子。

 その鉄格子の向こうから、そっと手を差し伸べる少女の手――。


『地下牢の僕に手を差し伸べてくれたあの日の少女。世界中が僕を「化け物」と呼んで遠ざけた中で、君だけが僕に「熱」をくれた』


 それは知らない記憶だった。

 いや、幼い頃にどこかで会ったことがあったのだろうか。


 ギルバートは縋り付くように私の腕を握りしめている。

 その表情は相変わらず無表情だったが青い瞳の奥が、ゆらりと熱く揺らいだように見えた。


「⋯⋯離婚は認めない」


 彼は低く唸るように言った。


「お前は私の妻だ。一生、この屋敷から出ることは許さん」


 それは前世の私なら恐怖で震え上がっていたであろう独占欲に満ちた命令だった。


 実際に私の腕を掴む手は小刻みに震えている。怒りに震えているのだと、ずっと思っていた。


 でも、今は聞こえてしまう。


『頼む、ここにいてくれ! 視界に入るだけでいい! 同じ空気を吸わせてくれるだけでいいから! リリアがいなくなったら、僕は寒くて死んでしまう! 愛してる、愛してるんだ! 鎖で繋いででも手放したくない!』


(⋯⋯鎖って言った?)


 感動的な雰囲気になりかけたのに、最後に不穏な単語が聞こえた気がする。


 ギルバートは、はっとしたように私の腕を離すと名残惜しそうに指先が空を切る。


『⋯⋯しまった! これ以上触れていたらリリアの腕が凍ってしまう⋯⋯! 僕はなんてことを! バカバカバカ! それにこのままリリアといたら理性が飛んで、そのまま押し倒して、この部屋に監禁しかねない!』


(ひっ)


「⋯⋯お前は部屋で大人しくしていろ」


 彼はそれだけ言い捨てると逃げるように踵を返した。


 バタン! と乱暴に扉が閉められる。


 広い部屋に私だけが取り残された。

 窓の霜は溶け始め、再び穏やかな朝日が差し込んでいる。


 思わずベッドの上でへたり込んだ。心臓が早鐘を打っている。


「⋯⋯⋯⋯」


 前世では「私を嫌って遠ざけた冷酷な夫」だと思っていた。

 冷遇され、放置され、最後は愛のないまま死んだのだと信じていた。


 しかし、今の心の声を聞く限り⋯⋯。


「⋯⋯もしかしてこの人、私のことが好きすぎて拗らせてるだけ、なの?」


 自分の冷たい体質が私に害をなすのを恐れて、近づかなかった? 表情筋が死んでいるせいで、あんな怖い顔に?


 そこまで考えて私は青ざめた。


「いや、だとしても『鎖で繋いで監禁したい』は重すぎるでしょ!!!」


 誰もいない部屋にツッコミが虚しく響く――どうやら離婚で別邸回避は失敗したらしい。

 しかも相手はド級のヤンデレで、実は私のことを監禁したいほど大好きときた。 


 南の島でのんびり暮らす計画は、開始早々に暗雲が立ち込めていた。

 私の平穏な二度目の人生、もしかして⋯⋯さっそく詰んだかもしれない。

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