第1話 大威徳明王
ここは曼荼羅の世界。
物質で構成されず、無限に広がる智慧と慈悲の心によって展開された空の世界。
不動明王の黒焔が壁となり。
降三世明王の怒声が時の針を止める。
大威徳明王の八面が八方を見据え。
軍荼利明王の毒が言葉を封じ。
金剛夜叉明王の光が真実を照らす。
何があって集まっているかといえば、もちろん暇だからでもなければ、仲良しだからでもない。
護法の五柱が、一人の衆生を巡って集っていた。
「……ぬ。久方ぶりに見込みのある魂が徳を積み、転生を繰り返し、ようやく解脱に至らんかと思えば……」
「悟りを開き涅槃を得るを選ばぬか。救いを求めし衆生の声を耳にして、ただひとり向かいおったわ」
「愚か也。救わんとする心があるは、ひとつ違えば悲劇を望む煩悩よ」
「見所はあったが、やはり末法の世では石も珠も磨かれにくかろう。遠き異界にて荒行を積むがよいわ」
明王たちは、逝去した仏僧の男が阿羅漢となるに相応しい魂か、裁きを終えて次の輪廻に入る前までに見定めるため集まっていた。
一見して冷たいように聞こえる言葉、しかしこれらはすべて明王ズが慈悲の心から発された言葉である。
阿羅漢とは元々は仏の別名である。
しかし仏の死から数百年後『自分だけ悟りを開いて解脱するのは、慈悲の心がないんじゃないですか?』と古代インドにお住まいのペンネーム龍樹くんからのお問合せを受けて、大乗仏教では「自己の解脱のみを追求する=阿羅漢」と「自分も悟りを得るけど、衆生の救済も目指す菩薩の境地=仏」と区別されるようになった。
だがブッダの弟子でさえ、衆生を救う使命を帯びず、阿羅漢として涅槃に入った。
衆生救済を誓願し、涅槃に入ったのはブッダその人だけであり、ブッダと同様の道をゆく弥勒菩薩が涅槃に入るのは、これより56億飛んで7千万年後のことである。
……遥か遠い。
とても容易いといえるような話ではなく、いかに功徳を積んだ魂であっても衆生を救いながらに涅槃を得ることは困難ばかりの道である。
観察によりさらなる智慧を、行により功徳を積んで転生を繰り返さなければ、涅槃を得るには早すぎる。
断じて、断じて期待の新人の登場にテンション爆上げしていたところをドタキャンされて拗ねてるいるわけではない。
「……しかし大威徳明王よ、お主随分とあの小僧を気にかけていたように見えたが」
明王たちが小僧と呼んでいる男は、血に宿った宿痾故に身体が弱く、そのうえ流行病を得てしまい、周囲による懸命の治療の甲斐なく逝去した。
そして閻魔による裁きを受ける前に、男の魂は三途の川を渡る途中、船頭をしていた死神の前から忽然と姿を消してしまった。
己が魂の迎えるべき結末を自ら放棄したのだ。
そもそも死んだ魂は何処へ向かうのか。
六道を輪廻する世界があるように、神との契約を遵守した者が向かう神の国や、あるいは勇敢な戦士が戦乙女に導かれ辿り着くヴァルハラなど、死後の世界とはひとつではない。
故に個人の信仰と、捧げられた供養の念によって正しく向かうべき場所へと辿り着くようになっている。
男が彼岸へと辿り着くことなく消えたのは、ふいに掠れるように仄細く、救いを求める幽かな声を聞いたことがきっかけだった。
男は届いた声にわずかに迷い、生まれた迷いを静かに観察し、自身の心の奥底を知って納得した。
苦痛を感じる者がいるならば、その傍にいて、苦痛を和らげるものでありたいと思う者なのだと知ったのだ。
この時、男は肉体を失い魂だけとなったため意識は朧げであり、夢を見ているように現実感が欠けていた。
生前にあったしがらみや仏教徒として生きてきた体面さえも肉体に取り残し、それでもなお、男の魂は常となんら変わりなく、静寂の中で自らの心を諦観したのだ。
男は気の所為と思ってしまいそうな小さな声と自分とを導いた縁に感謝し、未練を感じさせない足取りで遠い異世界へと続く道を行くことにした。
それを知る不動明王が重苦しい威圧を声に乗せながら、西方に座している大威徳明王を問い詰める。
「なぜ異界の者の声を届かせ、あの小僧が涅槃に至るを良しとせなんだか。護法と仏僧の守護を務めとする我らが、何故に異界の地と縁を結ぶような真似をする」
「左様。仏道を志す者の悟りの妨げしは仏敵の所業……如何な由があっての行いか?」
金剛夜叉明王が多面に憤怒相を湛え、火焔光背の様相で大威徳明王に迫る。
ひと睨みで煩悩を吹き飛ばす威圧を前にして、しかし向けられた明王は楚々として佇まいを崩さない。
大威徳明王――流れるような金髪は、炎を映し取ったのように濃淡に彩られ、その瞳に六道をあまねく見通す紫紺の瞳を宿した少女は、大河の静けさを思わせる落ち着き払った声音で答えた。
「――仏敵だなんて酷い言われ様ですね」
波打つような言葉の波動がなす技か、曼荼羅一帯を支配していた重圧が、清浄な空気に塗り替えられていく。
「アレは届いたのではなく、彼の心が受け取った。そもそも正しく涅槃に至る魂ならば、自心の魔を持たぬものです。容易く揺れるような心なら、悟りの境地はまだ遠いでしょう? 見極めを担うのもまた護法の務め。何か間違いがあるかしら?」
静謐かつ清浄。
それに加えて少女の言葉は、言葉遊びのように軽やかに、問いかけるように甘い響きが混ざる。
少女は楚々として花の咲くようなたおやかさに、トゲの孕んだ危うさが混ざる微笑みを浮かべている口元を袖で隠した。
「成る程な。涅槃を得られねど、あの功徳、来世は天道に転生しよう。よもや救いの心から発して救われぬ世界を創るなどと、醒めぬ迷いに耽ることになるのと比べれば……ふむ」
天道に生まれ変わるとは、すなわち神とも等しき神通力を得ることになる。
正しき世界を願えば、過ちを正されるために間違った世界が生まれる。
苦しむ人に救いの手を差し伸べたいと願えば、そのために苦痛に喘ぐ人々が生まれる。
天道とはすべてが自由。
故にこそ苦が少なく、発心を起こしにくい世界といえる。
その力は現世に名高き高僧であっても、容易く傲りと迷いを生み出すほどに難しいとされる。
未熟な魂のままに天道へ転生することに比べれば、末法の世とも比較にならない信仰なき異世界に転生した方が……とは、最初に大威徳明王以外の明王たちも言った通りである。
理があると納得して、この場の決着はついた。
「しかし惜しい。世が荒れる時代は弱肉強食がまかり通る。我らが手を貸さずして、法の光を照らせるものか」
さておき現世で発菩提心をあそこまで起こした者は最近では珍しく、だからこそ五大明王がそろって観戦していたのだ。
明王たちもかつては仏門を志す者が苦行をこなす様を見て満足げにしていたくらいだが、戦国時代よりこっち少々過保護なきらいがある。
まあ、とはいえ捨身飼虎や雪山童子、兎の布施の説話からわかる通りに仏教の苦行は基準が狂っている。
「惜しがることもあるまい。そうなったならば、それまでということよ」
「左様。悟りのために苦行を為すは仏僧がためのもの。手を貸せばむしろ邪魔になろうよ」
捨身飼虎とは、マハーサッタという名前の王子が、飢えた子連れの虎のため我が身を与えたという苦行的徳行である。ちなみにマハーサッタはお釈迦さまの前世である。
雪山童子とは、かつて雪山童子という名の少年が、帝釈天が鬼の姿を化身して諸行無常の詩を唱えているのを聞いて感銘を受け、残りの半分を聞かせてくれるなら喜んで身を捧げると約束した。鬼が寂滅為楽と詩を結ぶと、約束通りに身を投げた。鬼は帝釈天の姿を現して、童子を受け止め、礼拝したとされる。雪山童子はお釈迦さまの前世ではないと見せかけて、やっぱりお釈迦さまの前世である。
兎の布施とは、兎と三種類の動物が「貧しくて困っている者にお布施しよう」と約束したが、兎だけが何も用意できなかった。兎は考えた末に、自分の身体を捧げることにした。それを知った帝釈天が兎の気持ちを試すため、高僧の姿で現れ火を起こし、兎は「私の身体を食べて修行に励んでください」と美しく笑みを浮かべ火に飛び込んだ。何やってんだ帝釈天。そしてこの兎もお釈迦さまの前世である。本当に何やってんだ帝釈天……!
それはさておき。
「されど己で悟りを開くことではなく、異なる世界の衆生を救わんとするは菩薩行なり。しからば我ら護法の番人が手助けするは正しく本懐であらぬか?」
「ふむ。いずれにせ、我らは我らが務めを果たすのみ。大威徳明王よ、お主もそれでよいな」
まとめ役の不動明王が観察するように大威徳明王を見据える。
少女は顔色ひとつ変わらない。
「――ええ。急かしたりするはずもない」
大威徳明王はなりの良い唇を袖で隠し、明王にすら悟らせぬ内心でひとつ呟いた。
「だって、こんなに待ったんですもの――」
10月13日 文章のの修正と、兎の布施についての解説を追加。




