第七話 初めてのダンジョン攻略は
緊張の瞬間が訪れた。
長年の一人暮らしで培った自炊スキル。大抵のものはレシピを見ずとも、納得のいく味で作れるようになった。
しかし子どもの舌ではどうだろうか。心の底から美味しいと思わなければ、きっとダンジョンは攻略されないだろう。
「先生」
俺はふっと保育士の方へ振り返る。彼女は俺のそばで再びしゃがみ込み、そっと頭を撫でてから告げた。
「……君が食べてごらん? 作ったのは、君なんだから」
優しい笑顔でそう告げる保育士に、俺はこくりと頷きで返す。
小さな手で箸を持ち、キャベツににんじんに豚肉にピーマンを、一気に捕まえて。
「いただきます……!」
ぱく、と口に含む。
途端にじゅわりと広がる肉汁と、ほんのりと辛さの効いたタレの味。ゆっくりと咀嚼すれば、それぞれの野菜の旨みも伝わってくる。
そして、ピーマンも――。
「……美味しい……!」
瞬間、厨房内を柔らかな風が駆け抜けた。
キラキラと世界が輝きを放つ。次第に、どこからともなく声が聞こえ始める。
『おいしい!』
『もっとたべたーい!』
『いいわよ。たくさん食べてね』
明るい子ども達の笑い声。安堵した様子の大人の声。
きっと攻略されたんだ。この、ダンジョンが――。
「……うん、美味しい! おめでとう、ぼく」
回鍋肉をいつの間にか食べていた保育士が、隣でふわりと笑う。
俺はそれについ照れ臭さを覚えながらも、「ありがとう」と素直な言葉を伝えた。
厨房の壁が取り払われ、畑もキラキラと眩い光の中に溶けていく。そうして真っ白になった世界はやがて、現実の町並みを取り戻し――。
「……帰ってきたね……」
「うん……」
はっと手元を見ると、握っていたはずの箸がスマートフォンへと変わっている。
画面に注目してみると、先ほどまで赤く光っていた表示が、跡形もなく消え去っていた。
「やった……本当に、攻略できたんだ」
身体中が喜びで満ちていく。小さいけれど確かな一歩を、俺は今踏み出したんだ。
達成感に浸る俺の隣で、保育士がほっと胸を撫で下ろした。
「……私からも、ありがとう」
その言葉に振り返った俺の瞳と、保育士の静かな眼差しが交わる。彼女はやがて、ゆっくりとした声音で話した。
「ピーマン、食べてみようって思えたよ」
「え……」
「なんでだろうね……私も、このダンジョンに囚われていた一人なのかも。なんとなく、そんな勇気で溢れてくるんだ」
穏やかな笑顔でそう告げる保育士を、俺はぽかんと見つめる。
そういえば、ダンジョンが攻略されたらどうなるのかは考えていなかった。もしかしたら、今頃子ども達は――。
「――ねぇ! どうやったの! どうやったの!?」
「わっ……!?」
「こんなにピーマンたべたいっておもったのはじめて!」
「こうりゃくするって、いってたもんね!」
ぞろぞろと門越しにやってきた子どもに圧倒される俺。
やがて後ろから現れた園長先生が、朗らかに笑った。
「子ども達が突然、今日の給食はピーマンがいい! って口々に言い始めてねぇ。良かったら君も一緒に食べないかい?」
「え、えっと……」
「……おいで? 大丈夫。親御さんには私たちから連絡するから」
隣にしゃがんでいた保育士が、そっと手を差し伸べて笑う。俺は戸惑いながらも、恐る恐るその手を握った。
「――にがい! でも、おいしいー!」
「このちょっとからいのすき! なんておりょうり?」
「回鍋肉って言うんだよ」
「ほーこーろー!」
「ママにつくってもらうー!」
久々に食べるハンディイーツ以外の料理に舌鼓を打ちながら、俺は賑やかな子ども達の声を聞いていた。
誰かと食べる食事というものは、こんなにも温かいものだったのか――。
『美味しい? ピーマンが入っているから、ちょっぴり苦いかな』
『……ううん! おいしいよ!』
――懐かしい。前世の俺の、子どもの頃の記憶。
母子家庭で育った俺は、母親の作る手料理を毎日食べていた。
少しだけ不器用な母親の作る料理は、時折焦げていたり、味付けが変だったりしたけれど――。
『そっかぁ。良かった!』
そう言ってホッとしたように形作られる笑顔が、大好きだったんだ。
「……どうかした?」
気がつけば、保育士が不思議そうに俺を見ている。俺は小さく首を振り、子ども用の箸を握り直した。
「ううん。美味しいなって思って」
「そっか」
彼女と二人、笑い合う。
周りを見渡せば、思い思いに談笑しながら回鍋肉を食べる子どもたち。
俺はその喧騒に耳を傾けながら、大口で今日のメインを頬張った。
――賑やかで穏やかな食事の時間は、あっという間に過ぎていった。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
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