第五話 仕掛玩具を解く
神聖歴九六六年 藍の月
アスティは無事に魔杖を買うことができ、講義を受けることができた。講義の内容は『神力を用いた魔法の正しい行使について』という内容だった。
やはりソフィはこの話を知らなかったようで、アスティが話すと怒ってラクーセオ教授に文句を言いに行った。しかし問題は解決しなかった。仕方のない事だ。ソフィは王族とはいえこの学校では一介の学生だ。それに、借りばかり作るのは面白くないと、アスティは思っていた。その分ソフィの抱えている問題を解決したら報酬を頼むよと伝えた。
アスティは一人、屋台街の予定地へと足を運んでいた。大学の帰りということもあり、時間は夕刻に差し掛かっていた。屋台予定地はまだ本格的な作業には入っておらず、石畳の上に屋台の骨組みに使われるのであろう木材が並べられているだけだった。作業員もいない。周りの建物は店舗が多いが、どこも昼までの営業のようで閉店している。人の気配の無い道で、アスティは木材の束に腰を下ろした。現場に来てみたら何か思いつくかもしれない。そう思ってここまで足を運んだがそう簡単にはいかない。この時間になると暑さも少し和らぐとはいえ、昼間までの太陽が残した熱が座ったアスティを包んでいた。
道の向こうから男女の声が聞こえてきた。会話の様子から恋仲だろうとアスティは察した。屋台予定地のこの道を抜けてどこかへ行くのだろう。二人の会話が耳に入る距離まで来た。
「収穫祭、楽しみね」と女が言うと、
「そうだね、とても楽しみだ」と男が答える。
「新しい屋台もたくさんできるそうよ」と女が言うと
「このあたりは再開発されたからね。知り合いの商人も気合が入っていたよ」と男が答える。
「どこのお店に行こうかしら、とっても迷うわ。どんな屋台が出るか知り合いの方に聞いてみてくれない?」と女が言うと、
「いいけど、知り合いも全部は知らないと思うよ」と男が答える。
腕を組み、体を密着させて歩く恋仲らしき二人は、そのまま道を抜け酒場通りの方へ歩いて行った。
「まったく、いい気なものだよ」
アスティは近くの木材に座ってカップルを見送り、考えを巡らせた。
大勢の商人、知らない道、出店の場所、足りない人員、お金、出店の種類・・・。
「どんな屋台があるか知りたい、か」
アスティはさっきの女性が言っていた言葉を頭の中で反芻する。バラバラの仕掛玩具が少しずつはまっていくような感じがする。アスティは黙ってその仕掛玩具を解く。いつの間にか日が暮れはじめ、街が夕焼け色に染まっていた。
「この方法なら、もしくは・・・」
アスティは立ち上がった。手段は思い付いた。あとはそこに至る道のりを考える必要がある。スコティの森から抜け出したような気持で、アスティは帰路についた。
バセレシウ王国において砂糖や小麦は高級品である。故に王都であろうと甘い菓子を食べる機会はそうそう訪れない。アスティは、この時ばかりは王族であるソフィが友人となってくれた事を心の底から感謝した。
恋仲と思われる男女の逢瀬からヒントを得た数日後。アスティとソフィはヴァシーリオ学術大学の食堂にいた。お願い事を引き受けた時と同じ席に座っている。目前には砂糖と小麦粉で作られた菓子が、綺麗な白い焼物の皿に載せられている。菓子の上には紫色の小さな蜜漬け果実が載っていて、それは静かに、甘美香りを漂わせていた。
「思いついたのか?」
ソフィは菓子には目もくれず、アスティに食い気味に尋ねた。アスティは使い慣れていない小さなフォークを使って菓子をそっと崩しながら答えた。
「問題は人員を使わずに屋台の場所を商人達に知らせること、だ。これには商人達自ら自分達の屋台の場所を知ってもらう必要がある」
思ったように菓子を崩すことができず、上に乗った果実が皿まで転がり落ちた。アスティはあっと小さな声を出した。
「商人達一人ひとりに手紙でも出そうとでもいうのか?彼らは王国中を飛び回っている。場所の把握にはかなり時間がかかる。現実的じゃないな」
ソフィは菓子には手を付けず、皿と同じ色の焼物のカップを手に取った。中にはバセレシウ王国南方名産のマブロ茶が注がれている。茶葉を湯で煮出すと黒くなるそのお茶は香り高いことで有名だ。ソフィはマブロ茶を一口飲んだ。
「それも考えたさ。けれど君の言う通り現実的じゃない。もっと別の方法だ」
アスティは菓子をフォークに載せて口へ運ぶ。なんて上品な甘さなんだ!砂糖と果実の甘味と、果実のほんの少しの酸味が口の中いっぱいに広がる。勿体なくて噛む速さが自然とゆっくりになった。
「ちなみにソフィ、収穫祭の屋台の数はどのくらになるんだい?」
「大小合わせると百近くになるかな」
「そんなに多いと、市民が目当ての屋台を探すことは大変だろうね」
「ああ、例年混雑が問題にはなっている。騎士団が対応しているが、まあこの混雑も収穫祭ならではのものだな」
ソフィはまたゆっくりとマブロ茶を飲む。菓子には手を付けない。甘味が嫌いなのだろうか。
「それと、話は変わるんだけどね」とアスティは言う。
「いや、変えるなよ・・・」
「聞いてくれ。僕は今財政難なんだ」
ソフィの顔が曇る。
「魔杖の件か。本当に困っているなら学費くらい貸すぞ」
アスティは手を振って答えた。
「君のお金は国民の税だろう。そんなものいただけないよ。でもソフィ、今僕が言った全ての問題を解決する方法があるんだ」
ソフィはカップを口に運ぶ途中でその動きを止めた。カップは口まで行くことなく、受け皿へとゆっくり帰っていく。ソフィは目を開いてアスティを見つめた。金色の瞳が眩く光っている。吸い込まれそうなその瞳を見ながらアスティは告げた。
「王都の地図を作る。そして販売するんだ」