第六十一話 ソヴァルの憂鬱③
王都は春の穏やかな陽気に包まれていた。エウドクス騒乱は鎮まり、王都の人々もまた日常へと戻っていた。空は青く澄み渡り、小鳥のさえずりは何かの歌のように聞こえる。
冬の祭典の惨劇、エウドクスの残した神への最期の反抗。王都の民はそれらを全て見ていたはずなのに、まるでそんなことは無かったかのように笑顔で通りを歩いている。時とは無常だが、これが、王国が永らく維持してきた平和を享受する人々のありのままの姿なのだろう。皆日々を送ることに精一杯なのだ。教団もそれを分かっていたからこそ、冬の祭典であのような行為をすることができたのだろう。俺は、そこからはみ出してしまったのだろうか。
「どうしたソヴァル。ボーッとして」
隣から声が聞こえ、ソヴァルは我に返った。
「いや・・・。なんでもない」
「そう?戦地に赴くような顔をしていたけど」
ソヴァルはちらりと横を歩く赤髪の女に目を向けた。
彼女はエラフリア。同期入隊だからかよく話しかけてくる、軽妙な女だ。あまり得意ではない。
ソヴァルは胸元の刺繍にそっと手を当てた。純白のマントの胸元には正円と、その中央に剣と聖典が描かれている、円環軍の刺繍だ。
俺は今、学術大学を辞めて円環軍にいる。これは女神テアディースのお導きなのだろうか。俺には分からない。
クディナル猊下にイオルのメモを渡してから一か月後、俺は教団本部に呼び出された。通された部屋にはクディナルと、蒼白な顔の父上がいた。クディナル猊下は俺に「大学を辞めて私の指揮する円環軍に入らないか?君の力を渡しに貸してほしい」と言った。俺は父上の顔を見た。父上は何も言わず、ただじっと俺を見つめた。俺は理解した。これは提案のようで提案ではない、命令なのだと。これも女神テアディースのお導きなのだろう。どちらにせよ大学を卒業後は教団に関わる仕事に就くつもりだった。これが、自分の能力を見込んで枢機卿から声をかけられるなど栄光の極みだ。なにも迷うことはない。ないはずだ。
「・・・喜んで、拝命いたします」
俺はそう答えた。自分でも驚くほどに、その声は弱弱しかったように思う。
その後、大学の退学手続きと円環軍への入隊手続きはまるで準備されていたかのように進んだ。気が付けば俺は灰色の鎧と純白のマントに身を包んでいた。
気が付けば、教団本部の広場まで来ていた。広場には既に大勢の円環軍の兵がいた。
「王都中の円環軍が招集されているらしい。すごい人数だな」
ヒューッと口笛を吹きながらエラフリアが言った。ソヴァルは返事をせず、広場に入って行った。
円環軍の指揮官が変わるという噂はすぐにソヴァルの耳にまで届いた。噂を聞いた時は半信半疑だったが、どうやら今日正式に発表されるらしい。広場に集められた兵達は隊列を組んでいる。ソヴァルとエラフリアもその隊列に加わった。
広場の正面に大柄な男とその側近らしき男が現れた。ざわめきが少しずつ静まる。彼が新たに円環軍の指揮官となるアフピティス枢機卿だろう。
アフピティスはコホンと一つ、咳払いをして話し始めた。
「勇敢なる円環軍の兵士諸君!私はアフピティス枢機卿である。この度、栄光ある円環軍の指揮官の座を頂戴した。これからはクディナル卿に変わり、私が君達の指揮官となる!皆、大いに励んでくれたまえ」
シンと広場が静まる。アフピティスは少し顔をしかめ、すぐに張り付けたような笑顔を作って話を続けた。
「私は、今の軍を変えたいと思っている!望まぬ行いをしている者もいるだろう。血を流し過ぎだと思う者も。果たして女神テアディースは本当にそれを望んでおられるのだろうか?私はそうは思わない!まず、クディナル卿が進めていた遠征軍は一時保留とする!また新たに指令を出すので準備は怠らぬように!」
ざわめきが広がる。それもそうだろう。遠征軍に選ばれた兵は皆、女神テアディースのため、王国の平和のために今日まで準備を進めてきた。それを突然保留にするとは。アフピティス卿は何を考えておられるのか。
ソヴァルは少し不信感を抱いた。他の兵も同様だったようでざわめきは収まらない。皆、クディナル猊下のもとで神の力になるためにその身を費やしてきたのだ。
疑念の視線に気が付いていないのか、アフピティスは満足げな笑みを浮かべ「以上!」と言い残して去って行った。
「・・・ソヴァル、どう思う?」
エラフリアが耳元で囁いた。ソヴァルはアフピティスが立っていた場所を凝視しながら答えた。
「まだ分からんが、アフピティス猊下の信念たるものは感じなかったな」
アフピティスが去った広場では、不穏なざわめきが続いていた。
「皆の反応はどうであった?」
アフピティスは執務室の椅子に腰掛け、付き人の男に尋ねた。大きな体を支える椅子はキイキイと軋んでいる。
「皆、よい反応を示されておりました。猊下のお言葉が響いたのでしょう」
「そうかそうか。貴様の言った通り、皆クディナルのやり方に疑問を持っていたのだな」
アフピティスは満足げな表情で顎に生やした髭を触った。
「ええ。クディナル猊下のやり方はいくらか強行過ぎました。私にも兵から陳情が何度も来ていましたから」
「よし、これからも何か情報が入ればすぐに私に知らせるのだ。頼んだぞ、カタス」
「お任せ下さい、猊下。私カタス、猊下と兵達の橋渡しをしかと務めさせていただきます」




