第五十六話 魔法と剣戟
「ヴォロス山賊団・・・。王都にいたころに聞いたことがあるな。王都近くの街道まで出てきて荷馬車を襲い女子ども構わず殺す残虐な山賊・・・。確か首領は賞金首だったはずだ」
ディナティオスの纏う空気が変わった。いつの間にか剣の柄に手をかけている。騎士団にいたころに聞いたのだろう。髭面の男はニヤニヤと笑った。
「ほお、よくご存じで。なら俺達の強さとしつこさも知っているだろう。命が惜しくばさっさと荷物を置け。女はこっちに来い」
ヒューと誰かが口笛を吹く。下品な視線が無遠慮にアネッサに向く。そんな視線から庇うようにディナティオスが山賊とアネッサの間に立ちふさがった。スラリと剣を抜く。光に当たって剣先が煌めく。
「いい度胸だ、剣士様。嫌いじゃないぜ。だがそれは蛮勇ってもんだ」
ガチャガチャと、野生動物の威嚇のように山賊達が武器や防具を叩いて音を鳴らした。早く殺させろ、奪わせろ、犯させろと騒ぎ立てる。首領の、開戦の合図を待っているようだ。
アスティはそっとディナティオスとアネッサの後ろに隠れた。こと戦闘において自分が全く役に立たないことをアスティは理解していた。念のため、腰から下げていたナイフを抜く。
髭面の男はにたりと笑い声を張り上げた。
「殺す前に名乗っておこう。俺はアドラス・ヴォロス。ヴォロス山賊団の首領だ」
「ディナティオス・フィラッソン」
ディナティオスは静かに答えた。視線はぶれないまま、アドラスを捉えている。
アドラスは大きく息を吸い、右手に持つ剣を空に向けた。そして、振り下ろしながら叫んだ。
「かかれぃ!」
掛け声とともに「おおお!」と叫びながらまず男が三人、ディナティオスに切りかかった。剣を持つ男が二人、斧を持つ男が一人だ。ディナティオスは軽く構えたまま動かない。剣がディナティオスの首を切った。・・・ように見えた瞬間、ディナティオスが消えた。空ぶった勢いで剣を持った男が大勢を崩す。ディナティオスはしゃがんだのだ。そして、立ち上がる勢いのまま剣を振る。いや、振るったように見えた。早すぎてアスティの目では彼の剣が見えなかった。男の腹から横一直線に血が噴き出て、初めてディナティオスが剣を振るったと分かった。ディナティオスは低い姿勢のまま、残りの男二人に突っ込む。唖然と立ち尽くしていた二人は、突っ込んでくるディナティオスに向かって闇雲に剣や斧を振りかざす。それを踊るようにひらりひらりと躱し、舞うように剣を滑らせる。剣の軌道は見えない。だが、そこに確かに剣が通ったことを示すように一拍遅れて血が飛び散った。
何が起こったのか気が付いていないような表情のまま、男達は地面に伏した。血溜まりができる。ディナティオスは頬についた返り血を手の甲で拭きながら他の山賊達を睨んだ。剣技を習っていないアスティでも、威圧感を感じる。他の山賊達も足が止まっている。
アドラスは舌打ちをした。
「五人でそこの剣士を押さえろ!他の奴は女と子どもを狙え!人質にするんだ!」
アドラスの怒号で山賊達は弾かれたように動き出した。指示通り五人の男がディナティオスを取り囲む。首領を除いた残りの三人の山賊がアスティとアネッサの方へと歩いてきた。
「アネッサ!いけるか?」
ディナティオスが背を向けながら声を張り上げた。その声を聞き、アネッサは微笑んだ。こんな状況になっても、彼女の様子は変わらない。
「あなたこそ、助けが必要ならいつでも呼んでくださいね」
ディナティオスは背を向けながら、左手をひらひらと振った。それほどまでに、アネッサの実力を信頼しているのだ。そしてそれはアスティも同様だった。近付いても慌てる様子のない二人に、山賊達は苛立っているようだった。
「平気な顔してられるのも今のうちだぜ」
山賊達は、二人を囲むようにジリジリと距離を詰めてくる。アネッサが背負っていた魔杖を手に持ち、覆っていた布を取り払った。
一本の木で作られた、美しい杖だった。焦がした砂糖のような色の木で、下にいくにつれて細くなっている。上部は木の根をひっくり返したような形で、幾重にも枝分かれして複雑に絡み合っている。そしてその上部の中心部分には拳より少しばかり大きい真っ白の球体が埋め込まれていた。
「美しいな・・・」
アスティは思わず嘆息した。彼女の魔杖の全貌は初めて目にした。これほどまでに美しい魔杖は見たことが無い。おそらく特注品なのだろう。
山賊達は立ち止まった。驚いているような、魔杖に見惚れているような表情をしている。彼らにさっきまでの余裕を感じない。だがそれを打ち破るように一人の男が叫んだ。
「貴様!魔法使いか!」
もう一人も続けて叫ぶ。
「魔法使いなら近距離に弱い!突っ込むぞ!」
その声に合わせて、三人の男達がアネッサ目掛けて突っ込んできた。一瞬にして距離が詰まっていく。だがアネッサに焦りは見えない。彼女は杖を大きく空に向けて掲げた。
確か彼女は、魔杖無しでかなり大きな火球を五つ作っていた。それが魔杖を使えばどうなるのか。
「舐めないでもらいたいですね」
アネッサを中心に風が巻き起こる。渦を巻くように木の葉が舞う。アネッサの美しいブロンズの髪がなびく。魔杖の上部が白い光を放っている。その光は徐々に強くなった。
『リノリティス』
彼女の声はそれほど大きくはなかったが、なぜか一体に響き渡ったようにアスティは感じた。それは山賊達も同様だったのだろう。あと少しでアネッサに届くという距離で彼らはまた立ち止まった。
アネッサの詠唱とともに、上空に火球が一つ浮かんだ。ゴウゴウと音を立てながらそれは一気に巨大化した。熱波が起こる。アスティは茂みに身を隠した。山賊達は後ずさりをした。恐怖からか、それとも火球による暑さのせいか。彼らはダラダラと汗を流している。火球は大きくなる。太陽を隠し、山賊達を影が覆う。
「逃げろ!」
アネッサ達を取り囲んでいた男達の一人が叫んだ。うわあああと情けない声を上げながら、彼らはアネッサに背を向けて走り出した。
「逃がしませんよ」
アネッサはそう呟くと、杖を振った。すると巨大な火球から少し大きな石程度の大きさの火球が三つ生まれた。アネッサがもう一度杖を振ると、三つの火球は真っ直ぐに逃げる山賊達を狙って飛翔した。そしてその火球は正確に男達の背中を貫いた。バタリバタリと三人の男達は倒れた。
「口ほどにもありませんね」
気が付くと、アネッサは早々に魔杖を白い布でくるんでいた。もう戦いは終わったというように。
「こっちも終わったぞ」
少し離れた場所からディナティオスの声がする。アスティは茂みから出てディナティオスの方を見た。彼を取り囲んでいた山賊達五人は全員地面に倒れていた。命は取らなかったのだろう。うぅ・・・と呻いている者もいる。ディナティオスは剣を、首領であるアドラスに向けた。
「さあどうする、アドラス。あとはお前だけだ」
アドラスは苦々しい表情をしながら、背中に背負った大剣を引き抜いて両手で構えた。
「男たるもの、逃げる選択肢などないわ!」
雄叫びをあげながらアドラスはディナティオスに突進した。それをひらりと躱す。
剣と剣がぶつかる。金属音が響き、火花が散る。それを繰り返す。アドラスはその見た目に似合わず剣の扱いが上手かった。ディナティオスの剣戟を大剣で捌く。大きく剣を弾いて、ディナティオスとアドラスは距離を取った。
「なかなかやるじゃないか」
ディナティオスが叫ぶ。その声はどこか楽し気だ。純粋に剣を交えることが嬉しいのだろう。対してアドラスは息も絶え絶えだった。なんとか言葉を絞り出す。
「まさか・・・。ここまでの腕前とは思わなかった。俺達も運がねえ・・・。そこの女も、まさか魔女だとはな・・・。ついてないぜ」
アドラスはふーっと深く息を吐き呼吸を整える。二人は剣を構えた。
「死ねえええ!」
アドラスは叫びながらディナティオスに突っ込む。まるで猪のように、真っ直ぐに。それに呼応するかのように、ディナティオスも走り出した。彼は笑っていた。目は爛々と光っていた。
剣と剣が衝突した。瞬間、アドラスの大剣が宙に舞った。クルクルと弧を描きながら飛んでいき地面に突き刺さる。ディナティオスの剣が、アドラスの腹を貫いた。
アドラスは一瞬驚いた表情でディナティオスと自分の腹を見た。そして、にやりと笑い血を噴き出した。ディナティオスはゆっくりと剣を抜いた。アドラスは膝から崩れ落ち、そのままうつ伏せで地面へと倒れた。
「楽しかったぜ、アドラス」
ディナティオスの呟きが聞こえた。静まり返った山に、涼やかな風が吹き抜けた。




