第四話 山積みの面倒事
ヴァシーリオ学術大学は入学に際し年齢制限はない。難関といわれる入学試験を合格すれば誰でもその門扉をたたくことができるのである。入学後、学生たちは数多ある学問の中から一つの学問を専修し、その後卒業までの間は教授や同じ学問を専修する仲間とともに研究に身を費やす。卒業後は研究者や国に仕える高位の職に就くことがほとんどである。
大学では研究だけを行っているわけではない。様々な授業を受け、知識を身につける。特に必修科目と呼ばれるいくつかの授業は、これを受講しなければ進級や卒業ができなくなる。
アスティは観測の数日後、授業を受けるため学校へ向かっていた。今日は必修科目である神学の授業がある。全くもって気分が乗らない、陰鬱な朝だ。ソフィのお願い事もいい案はまだ浮かんでいない。
学生寮から学校へ向かう途中、後ろから何かが肩にぶつかった。軽い衝撃がアスティを襲う。振り返ると、同じ紺色の学生服を着たソヴァルが傍に立ちアスティを見下ろしていた。にやにやと気色の悪い笑みを浮かべている。この顔を是非ともラクーセオ教授に見てもらいたいものだとアスティは思った。
「やあ、アスティ―ニス」
「ソヴァルか」
アスティは気に留めず、歩き出した。ソヴァルは追いかけながら言葉を重ねた。
「今日は神学の授業だ、お前には関係ないんじゃないのか」
「受けないと卒業できないからね」
ふん、とソヴァルは鼻を鳴らした。
「まったく、こんな異端の白狐がまだこの学校にいるとは。校長も甘過ぎる。なあお前ら」
そうだ、まったくだと、ソヴァルの後ろで取り巻きの学生が騒ぐ。どの顔も講義室で見たことがある。同級生だろう。
「私ならすぐに天文学などという異端思想の学問は廃止させ、お前を異教徒認定してやるというのに」
「今の校長や教授たちの対応に不満があるということかい?」
ソヴァルは舌打ちをした。
「減らず口を。お前といいエウドクスとかいう異端の教授といい、正円の大地の恵みを享受するだけで何も生み出さない家畜ではないか」
アスティは肩をすくめた。
「きっちり学費は納めているよ」
「相変わらず口だけは達者だな。まあいい。お父様にもお前のことはよく話しているんだ。このままでいられると思わないことだな」
行くぞと、ソヴァルは取り巻きを連れアスティを追い越して学校へ向かった。
「はあ・・・。面倒事だらけだな、まったく」
アスティはため息をつきながらソヴァルの後ろを歩き学校へ向かった。陰鬱な気分とは裏腹に爽やかな朝陽がアスティを照らした。
大学に着き、アスティは神学の講義室へと向かった。講義室には既に大勢の学生が席に座っていた。アスティがいつも座る席の周りがぽっかりと空いている。相変わらず露骨だなと思いながらアスティは窓際の席へと座った。
神学の授業は、アスティにとって居心地のよいものではない。ソヴァルやその取り巻きからは敵視され、他の学生からも敵視まではいかずとも関わりたくないと思われ避けられている。
しかしアスティは周りの視線はあまり気にしていなかった。面倒なのは神学の教授、ラクーセオだ。アスティはラクーセオ教授からよく思われておらず、講義中も事あるごとに名指しで注意をしてくるのだ。まあ寝ている自分も悪いのだが。
しかもアスティは他の学生より数段賢いため、ラクーセオ教授の嫌がらせのような無理難題の問いを全て答えてしまい、それが輪をかけてラクーセオ教授の機嫌を損ねることになっていた。
この日も、ねちねちとしたラクーセオ教授からの問いを全て正答し機嫌を損ねていた。授業の終わりを告げる鐘が鳴り、アスティは立ち上がる。そのアスティにラクーセオ教授が声をかけてきた。
「イオル君、この後私の部屋に来なさい」
「・・・分かりました」
今日は朝からつくづく面倒なことが起こる。アスティは思い足取りでラクーセオ教授の部屋へ向かった。
コンコンと二回、金の蝶番を鳴らす。「入りたまえ」と中から声が聞こえた。
「失礼します」
アスティは扉を開けて部屋に入る。壁一面に立てつけられた本棚には本が詰まっていて、そこに入りきらない本がそこかしこに積まれていた。正面に大きな窓があり、その前に立派な装飾が施された椅子と机がある。部屋の中央には来客用と思われる皮のソファと低めの重厚なテーブルがあった。ラクーセオ教授は窓際に立っていた。
「座りなさい」
ラクーセオ教授はソファを示しながら言った。アスティはゆっくりと腰かけた。
「さて、イオル君。早速だが本題に入ろうか。魔杖を知っているかね」
「ええ、魔法を行使するために必要な道具、ですよね」
魔杖とは字のとおり魔法の行使をスムーズに行うための道具だ。短い木の棒のような物から身の丈ほどの長さがある杖のような物まで様々ある。一般人は魔法使いと呼ばれる人々とは違い、簡単な魔法しか行使することができないため小さな魔杖で事足りるのだが、特殊な材料を使っているため値が張る物が多い。
「その通りだ。実は来週の授業で魔杖を使用するのだが、誰か友人から聞いているかな?」
アスティは、その話を聞いていなかった。おそらくラクーセオ教授がソヴァルあたりにだけそのことを伝え、意図的にアスティにだけ情報が回らないように仕組んだのだろう。わざとらしい嫌がらせだなと、アスティは思った。
「いえ、聞いていませんでした」とアスティは答える。
「それは困った!来週の授業までに魔杖がなければ単位をあげることができなくなってしまうぞ。今回は急な話だったから自分のものでなくてもよい。親から借り受けることも許可しているが・・・。失礼、君は確か」
「ええ、両親はいません。育ての親も三年前に亡くなりました」
「そうだったか、それは申し訳ないことを聞いた。謝罪しよう。しかし魔杖は来週までに用意してもらわなければならない。大丈夫かな?」
わざとらしい。全て知っていながらやったことだろうに。アスティはそう思いながら、しかし感情を隠して答えた。
「問題ありません。来週の講義までに必ず用意します」
「そうか。期待しているよ。話はそれだけだ、行きなさい」
ラクーセオ教授は嫌らしい笑みを浮かべながら言った。
「失礼します」
アスティは部屋を出た。どうしたものかと考える。魔杖はその高級さから、一般的には成人の時に祝い品として贈られることが多い。もちろん僕は持っていない。魔杖は使い手を認識する特性を持つため、本人と、一親等以内の人間しか使うことができない。なので誰かから借りることもできないのだ。エウドクスめ、周到に嫌がらせをしてくる。
おそらくソフィにもこの話は伝わっていないのだろう。知っていれば真っ先に教えてくれたはず。ソフィは王族で既に自分の魔杖を持っているから知らせるのは直前でいいと奴らは考えたのだ。
とりあえず、今貯めている来年度分の学費を回せば魔杖を買うことができる。しかしそうなると年末に納める学費が足りなくなるなと、アスティは考えた。
アスティは自身で学費を払っていた。エウドクス教授の研究の手伝いをして給金を貰い、それを学費や生活費に充てていた。
「生活費を削るか、しかし紙代も馬鹿にならないし・・・」
アスティは深くため息をついた。
「まったく・・・今日は本当に面倒事だらけだな」