第五十三話 小麦の街ティルヒース
翌朝、三人はティルヒースの市へと向かった。
「ヴァシーリオほどじゃないが、なかなか栄えてるな」
ディナティオスは、屋台で売っていた平野兎の串焼きをくわえながらキョロキョロと辺りを見回した。
「ディナティオス、行儀が悪いですよ」
アネッサが呆れたように言う。「へーへー」とディナティオスが適当に答えた。
「ようお前ら!到着していたんだな!」
聞き慣れた野太い男の声が聞こえた。声の方を見ると、シタパが小さな屋台を構えていた。荷車を平行になるよう固定し、簡易的な屋根を取り付けている。木製の折り畳み机を前に置き、様々な種類のパンを並べていた。アスティは軽く会釈をした。
「こんにちは、シタパさん」
「おう!市は楽しんでるかい?」
「ええ、主にディナティオスがですが」
にこやかにアネッサが答えた。その笑顔がむしろ怖い。アスティは苦笑いを浮かべた。
ディナティオスは気にしない様子で、「おっちゃん、パンを一つくれよ」と布袋から硬貨を取り出しながら言った。その手をシタパが止めた。
「金はいらねえよ。一つずつ持ってってくれや。ところでよ・・・」
シタパが身を屈め、三人を手招きした。三人も身を寄せ、体を屈めた。シタパは小声で囁いた。
「他の街から来た商人仲間に聞いたんだが、王都から教団の遠征軍が出立したらしい。東から順に異教徒の見回りをするそうだ。そのせいか、ここティルヒースの教会もピリピリしてやがる。この街の領主様や教会の司祭は自由主義派だが、一応気を付けた方がいいぞ」
「一応、目立たないように動かないといけませんね」
シタパに別れを告げた後、アネッサは呟いた。
「特にアスティ、あなたの髪色は目立ちます」
「そうですね・・・」とアスティはフードを被った。
「早いとこ、この街を出ましょう」
「仕方ないな」
ディナティオスは名残惜しそうに整然と立ち並ぶ屋台を見つめた。
三人は人混みを抜け、ティルヒースの街門へと向かった。ティルヒースは王都ヴァシーリオと違い、出入りの手続きはほとんどない。外から来た人間は、身分証を発行し街にいる間中ずっと身につけているだけでよい。そして、街から出る際に街門で衛兵に身分証を渡すのだ。
ティルヒースの東側の街門に到着した三人は衛兵に止められた。三人は街門近くにある詰所に連れていかれた。
「こちらの部屋で少々お待ちください」
衛兵は三人を部屋に入れ、去って行った。足音が遠ざかるのを確認してディナティオスが呟いた。
「教団の仕業か?」
鋭い視線で辺りを見回している。アスティは手近にあった椅子に腰掛けた。
「いや、恐らく違うと思います。武器は取り上げられていないし、三人とも同じ部屋に入れるのもおかしい。鍵もかかっていない。それに・・・」
「衛兵にしては、やけに丁寧な口調でしたね」
アネッサが、アスティの言葉を継いでそう言った。アスティも頷いた。だが、ディナティオスはまだ警戒を解いていない。
「杞憂ならいいがな。危険だと思ったら強行突破するぞ」
剣の柄から手を放さず、ディナティオスは言った。
半刻ほどたち、しびれを切らしたディナティオスが衛兵を呼ぼうと言い始めた時、三人のいる部屋の扉がコンコンと二回叩かれた。三人は扉を見つめ身構える。「・・・どうぞ」とアスティが扉の向こうに言った。
「失礼するよ」
ゆっくりと扉が開き、背の高い男が入ってきた。その男の後ろには三人を連れてきた衛兵と、服装の違う男が二人控えていた。
背の高い男は、紫紺の外套を纏っていた。胸には金糸で紋章が刺繍されている。どこかの家紋だろうか。アスティはじっとその男を見つめた。よく見ると、後ろにいる二人の男の兵装にも同じ紋章が描かれていた。
「急にすまないね。私はティルヒースとその一体を治めている領主、ギャシリー・ホルンという。君達はアスティニース一行に間違いないかな?」
穏やかな口調。だが銀縁の眼鏡の奥にある瞳は笑っていない。鉄の剣のような色の髪はエウドクス教授を思い出す。だが教授より長く、ソフィのように頭の後ろで結んでいる。
「ええ。領主様が何用でしょうか?」
自分の名前を知っている。アスティは警戒した。王家と繋がりのある人間か、もしくは教団の手先か。ちらりと意識を二人に向ける。ディナティオスもアネッサも警戒は解いていないようだ。領主の前とあって、さすがのディナティオスも剣の柄から手を離していた。だが、鋭い眼光は目前の領主と後ろに控える兵達に向いている。アネッサも魔法を使うことができるようじりじりと後退していた。
スッと、ギャシリーが両手を挙げた。
「そんなに警戒しないで大丈夫だ。君達のことはアレストシス殿下から聞いている。ティルヒースを去る前に一度話がしたくてね。衛兵に君達の特徴を伝えていたんだ」
アスティは緊張を解いた。もとよりティルヒースの領主は自由主義派だと聞いたことがある。王族派なのだろう。二人も少し警戒を解いたようだ。それでもディナティオスは視線を外していない。ギャシリーはディナティオスの視線に気が付いているように両手を挙げたまま肩をすくめた。
「私の館に来てくれないか?時間は取らせない。君達の旅の目的も聞いているからね。それにアスティニースくん、君に渡したい物があるんだ」
「どうしますか、アスティ」
アネッサがアスティに近付いて囁いた。地図を作るためには早くリマーニへ行かなければならないが、領主の頼みは無下にできない。領主のほとんどは貴族だ。これは頼みではなく命令に近い。それに、渡したい物も気になる。アスティは考えをまとめ、口を開いた。
「願ってもありません領主様。是非伺わせていただきたいと思います」
「そうか!よかったよかった。急ぐ旅だというのにすまないね」
アスティの返事を聞いたギャシリーは笑顔で部屋を出ようし、何かを思い出して振り返った。
「すまないアスティニースくん。念のため、君が君だと証明できる物を見せてもらいたい」
君を君だと証明できる物・・・?アスティは少し困惑した。身分証はこの街で発行したものだから役には立たない。それにもう衛兵に返している。何があるだろうか・・・。
アスティは少し考え、そして思い付いた。床に置いてある背嚢を開き、一本の剣を取り出した。ソフィから貰った長剣。絢爛華麗だが上品な細工が施された鞘に入った剣だ。アスティは鞘に収まったままの剣の真ん中を握り、ギャシリーに見せた。ギャシリーは微笑みながら頷いた。
「確かに、確認しました。アスティニースくん、アネッサくん、ディナティオスくん。遅くなったが、ようこそ小麦の街ティルヒースへ」




