第四十七話 誰が為の信仰
タリィと名乗った少女は是非うちの村に来て欲しいと言った。アスティ達は話し合い、その村で一泊することにした。
水色のワンピースをはためかせ、彼女は歩いて三人を先導した。足取りは軽やかで楽しそうだ。旅人が好きなのだろう。そんなタリィをアネッサは微笑みながら見ていた。時折、タリィは振り返ってアネッサと話をしていた。特に魔法に興味があるようだ。大きな街以外で魔法使いと出会うことはそうそうない。まるでお伽噺を聞いているように、楽しそうにアネッサの話を聞いていた。
「それはなんですか?」
ふとアネッサが、タリィの首元を見て言った。そこにはペンダントが掛けられていて、丸い木のペンダントには何かの模様が彫られていた。タリィはペンダントを手に取ると少し躊躇いながら、恐る恐る口を開いた。
「お父さんには内緒って言われてるんだけど・・・。お姉ちゃん達には教えるね!内緒だよ」
タリィは立ち止まってそう言った。そして、ペンダントを首から外して模様を三人に見せた。
「これは・・・小麦と人かしら?」
そこには小麦の稲穂が輪になるように彫られていて、その中心には祈りを捧げる女性が描かれていた。
「この人は小麦の神様だよ!」
タリィは屈託のない笑顔でそう言った。彼女の言葉を聞き、アスティとアネッサは顔を見合わせた。女神テアディースを唯一神として信仰するテアディース教教団は、他の信仰を異端とみなしている。おそらく、彼女の住む村独自の信仰なのだろう。それでも、教団に知られると危険なことに変わりない。彼女の父親が内緒だと言うのも当然のことだ。すっかり黙ってしまったアネッサの顔を、タリィは不安そうに見つめる。アネッサはそんな彼女の視線に気が付いて、ふっと笑いかけた。
「それは素敵ね」
タリィの住む村は住人が三十人ほどの小さな村だった。そのほとんどが小麦の栽培をする農家で、広大な畑といくつかの木造の民家があった。
村人達は皆顔見知りのようで、タリィを見ると笑顔で話しかけてきた。
「いい村だな」
ディナティオスは村を見渡しながらそう言った。アネッサはくるりと振り返り、眩い笑顔で「そうでしょう!」と言った。
アネッサの家は、周辺の家より幾分か大きく、レンガも使われていた。屋根から飛び出た煙突から煙が立ち上っている。家に近付くと仄かに香ばしい匂いがした。そういえばパン屋をやっていると言っていたか。アスティは少女との会話を思い出した。
「ちょっと待ってて」とタリィは三人に告げ、家に入って行った。「ただいま!」と元気のよい声が聞こえた。ほどなくして家からアネッサと大柄な男性が出てきた。茶色く固そうな髪に無精ひげを蓄えた男はタリィの父親でこの村の村長だと名乗った。
「この村の村長のシタパだ。タリィのわがままを聞いてくれてありがとう。よければ一晩泊ってくれ」
シタパはそう名乗ると、口を開けて豪快に笑った。なるほど、笑った顔はタリィにそっくりだ。アスティはそう思いながら軽く会釈をした。
「お言葉に甘えて、お邪魔させてもらいます」
シタパの家はいくつも部屋があり、アスティ達は二部屋を借りることにした。タリィが夕食を一緒に食べたいというので、夕食も世話になることにした。
「お父さんのご飯はとっても美味しいのよ!」
タリィは嬉しそうにアネッサに言った。すっかり懐いているようだ。アネッサも笑顔で答えている。それはまるで本当の姉妹のように見えた。
夕食は豪勢なものだった。といってもここしばらく乾いたパンと干し肉しか食べていなかった三人にとってはどんな食事も美味しく感じることができたのだが。木製のテーブルには所狭しと木皿に盛られた料理が並んだ。サラダに仔牛のステーキ、ふかした芋、ワイン、アスティ達が提供した平野狼の肉はシチューになっていた。そしてテーブルの中央にはパンが山のように盛られていた。
「美味い!さすがパン屋だな!」
ディナティオスは両手にパンを持ち、感動した様子でそう叫んだ。アスティも同感だった。綿のようにふわふわの生地に香ばしい小麦の香りが鼻を抜ける。ステーキを薄切りにして載せても、シチューに漬けても絶品だった。
「確かに、王都でもここまでのパンは食べたことがありません」
アネッサは一口大の大きさにパンをちぎり、口に運びながらそう言った。「そうでしょう」とアネッサの隣に座るタリィは満足げな表情を浮かべていた。
「お姉ちゃん達はとってもいい人なんだよ!」
タリィはシチューを食べながら、シタパに言った。
「シティアス様のことも素敵だって言ってくれたの」
タリィの言葉を聞いて、シタパの表情が固まった。シタパの視線がタリィのペンダントに向く。アスティは空気が凍り付いたように感じた。異様な空気をタリィも感じたのか、俯いて小さく「ごめんさない」と呟いた。
シティアスとは、ペンダントに掘られた小麦の神様のことだろう。タリィは内緒だと言っていた。おそらくシタパに口止めされていたのだ。彼女は言ってはいけないことを言って怒られると思ったのか、背を小さく丸め目を潤ませていた。さて、どうしたものか。アスティが口を開きかけるのと同時に、アネッサがいつもと変わらない様子で言った。
「私達はテアディース教を信仰していません」
また静寂が食卓を包む。燭台の小さな蝋燭の火が揺れる。風が窓を叩く音が響く。アネッサは意に介さずシチューを木のスプーンですくって口に運んでいた。ディナティオスは驚いたようにアネッサを見た。やれやれ、そうきたか。アスティは苦笑いを浮かべた。
「・・・それは本当か?」
シタパが静かに尋ねる。小さいが威圧感のある声だ。
「ええ。彼なんて天文学の研究者ですから」
アネッサはアスティの方を向いてそう言った。アスティは軽く溜息を吐いた。
「アネッサの言う通りです、シタパさん。まあ僕はテアディース教を信仰していないというわけではありませんが。その教えの全てを受け入れているわけではありません。特に信仰は自由であるべきだと思っています。なので、この村の方々がどんな神を信仰していても気にしません」
アスティの言葉を聞き、シタパは少しほっとしたように息を吐いた。そして「すまんな、タリィ。怖がらせてしまった」と、タリィに優し気な笑顔を向けた。
「それにしても」とアネッサはシタパの方を向いた。
「小麦の神、ですか。この村は皆さんその神様を信仰されているのですか?」
「・・・なぜそのようなことを?」
シタパは疑うようにアネッサに尋ねる。アネッサは少しテーブルから身を乗り出した。
「私、王都の大学では神力の研究をしていました。女神テアディースが与えたとされる、大陸を循環する神の力。人々は皆その力をもってして魔法を行使します。シタパさん、魔法は使えますか?」
シタパは右の眉を吊り上げ、困惑した表情で答えた。
「簡単な火の魔法だけなら・・・」
「やはり・・・。であるならばテアディース教を信仰していない人間も魔法を使うことができるということですね」
アネッサは目を輝かせてそう言った。こんな彼女を見るのは初めてだ。アスティは戸惑いながらアネッサの話を聞いていた。ちらりとディナティオスを見ると、会話を理解することを諦めたのかパンにステーキとサラダを載せて器用にサンドイッチを作っていた。
アネッサに悪意がないと思ったのか、シタパは片肘をテーブルにつき、ワインをあおって答えた。
「シティアス様について知りたいなら、明日教会へ行くといい。案内しよう」
「是非!いいですかアスティ」
アネッサはアスティに尋ねた。アスティは「大丈夫ですよ」と答えた。アスティ自身も、テアディース教ではない信仰に少し興味を持っていた。
その後は他愛もない話で盛り上がり、タリィが船を漕ぎだしたあたりで片付けを始めた。タリィを寝室に運び、手慣れた様子で皿を片付けるシタパに、ディナティオスが声をかけた。
「そういえば、ここには二人で住んでいるのか?奥さんは?」
アネッサは呆れた表情でディナティオスを睨んだ。アスティも思わず額に手をやった。空気が読めない人だとは思っていたが、まさかここまでとは。シタパは軽く微笑んで、片付ける手は止めずに答えた。
「三年前に亡くなったんだ。流行病でな。タリィには寂しい思いをさせている。いつも笑っているがな・・・。妻はよくタリィに旅人の物語を話していた。だからあいつは旅人が好きなんだ。今日はあいつのわがままを聞いてくれてありがとな」
ディナティオスは気まずそうな表情でアネッサとアスティを交互に見た。アネッサとアスティは二人して呆れた表情を浮かべた。そしてアネッサは「それは、お気の毒です」と胸に手を当て、シタパに言った。シタパは右手を大きく振って笑いながら言った。
「気にすんな!おれたちはもう前を向いているんだ。ただ、お前さん達さえよければ明日もあいつと遊んでやってくれ」
アネッサは微笑みながら「ええ、よろこんで」と答えた。




