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ルークルイリス物語  作者: 梅雨前線
王都地図作成編
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第三話 観測

「真理を探究し歴史に名を刻む」


 これはアスティの父がよく口にしていた言葉だった。父といっても本当の父ではない。育ての父だ。アスティには五歳より前の記憶が無い。思い出せるのは白いリネンの布団に横たわる自分を、育ての父ヒストリエと母セオトアが心配そうな表情で覗き込んでいる場面からだった。森の中で倒れていたアスティを見つけたヒストリエは、自分と妻の住む家にアスティを運んだ。アスティに名前以外の記憶が無いことを知ると、「うちの子になりなさい」と言い、苗字をくれた。それ以来アスティは育ての両親の名を貰い、イオルと名乗っている。そんな育ての父と母も三年前に亡くなった。


 アスティはソフィと別れた後、大学を出て自室のある学生寮に帰る道中で父と母のことを考えていた。優しい人達だった。父は色んなことを教えてくれた。母はいつも笑顔で僕を迎えてくれた。


 石畳の道を歩く。歩く度に革靴の底が軽快な音を立てる。考え事をしながら歩くと、時間の感覚が無くなる。気が付くと学生寮の前まで帰ってきていた。


 学生寮はレンガ造りの三階建ての建物である。赤、橙、薄黄色のレンガが使われていて少し派手目な外観だ。古い建物のはずだが、外からはあまりその古さを感じない。しかし、一歩中に入るとその歳月を感じることができる。中は木が多く使われていて、そのどれもが古く、朽ちかけている物もあった。アスティは玄関口に一番近い部屋を覗き、寮長に帰寮を伝えてから自室のある二階へ向かった。ミシミシと足を進める度に階段が音を立てる。寮内は窓が少なく全体的に薄暗い。光が入りにくい構造のせいか一年中かび臭い。


 アスティは自室に入る。手狭な部屋に小さな木製のベッド、備え付けの箪笥、小さな机と椅子、そしてこの部屋を満たす光を取り入れる重責を担うたった一つの小さな出窓がある。アスティはこの部屋が嫌いではなかった。机と椅子があれば勉強に支障はない、それになにより家賃がほとんどかからないということがアスティにとっては最も好んでいる点だった。


 アスティは部屋に入ると大学の制服を脱いだ。深い紺色の上衣の、鈍い金色のボタンを外す。茶色い革ベルトを外し、上衣と同じ色をした足首まである下衣を脱ぐ。そして安っぽい薄橙色のリネンの上下衣を見に纏った。着替え終わるとベッドに腰かけ、ソフィとの会話を思い出した。


「屋台の場所を商人全員に伝える方法、か」


 アスティは考えた。屋台の場所に商人の名前が書かれた看板を立てる?いや、大渋滞を起こして事故も起きるだろう。現実的ではない。王都に入るときに一人ずつ場所を伝えるのが手っ取り早そうだが、ソフィに聞くと収穫祭のときは商人の荷車の数が多いので許可証の確認しか行わないという。ここで屋台の場所や行き方を伝えるのは時間にも人員にも余裕がない。ソフィは、今回の件に人員をあまり割けないのだと話していた。王城主催の祭りで人員が用意できないというのはどういうことなのだろうか。食堂で詳しい話を聞いていたときに、アスティは気になりソフィに尋ねた。


「教団が口出ししてきたんだよ」

 ソフィは声を小さくして言った。


「最近、教団は国の財政面にまで口出しをするようになった。有力貴族や領主と多くの繋がりがある原理主義派が力をつけてきたんだ。王政の中でもいくつかの省に奴らが入り込んできている。奴らは王城が主催する形式が気に入らないんだ」


 ソフィは肩をすくめながら「相手が国教を管理する教団なだけに、無碍にできないのさ」と付け加えていた。


 確かに最近教団の、特に原理主義派と呼ばれる派閥にいい噂は聞かない。聞いた話だと地方の領主が原理主義派に代替わりし、町民に重税を課すようになったとか。そういった話をよく耳にする。


「いや、今は具体策を考える方が先だな」

 アスティは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


アスティの部屋にはたくさんの紙、本が散らばっている。机には天文学の研究で使っている方位磁石やアストロラーベ、星の動きが途中まで記された紙が置かれている。


「まったく。自分の研究に集中したいというのにとんだ厄介ごとに巻き込まれた」

 アスティは軽くため息をつき、目を閉じて思考の海に潜るように考えていった。


 窓から淡い橙色の光が部屋に差し込んだ。アスティは目を開く。どうやら、いつの間にか眠ってしまったようだ。いい考えは浮かんではいなかった。窓を開けると夕刻の爽やかな風が部屋に吹き込む。空にはいくつかの星が瞬いていた。雲一つない空を見上げ、アスティは絶好の観測日和だと思った。一旦考え事は止めよう。学生の本分の時間だ。


アスティは机の上の道具や紙を肩掛けの革鞄に詰める。外に出ようとしたが、ふと思いなおして部屋に戻り茶色の外套を羽織った。外に出ると冷たい風がアスティの体を撫でて吹き抜けていく。夏が近いとはいえ、夜はまだ肌寒い。アスティは王城を左手に見ながら北へ歩みを進めた。


 王都の北方向にはヴァシーリオ騎士団の広大な訓練場や魔法大学の練習場があり、夜間はほとんど人気がない。明かりも少なく、アスティは北門の城壁に上って天体観測を行うことが日課だった。衛兵に大学が発行する許可証を見せ、門からは少し離れた城壁の階段を登る。登るにつれて少しずつ、見渡せる街の範囲が広がっていく。城壁を登りきる頃には日が完全に地平の彼方に沈み、暗闇がその彼方から忍びよるように浸食してきた。アスティはランタンを灯し、城壁の一番上にある巡回路へと向かった。そこには既に、仄かな明かりを灯したランタンを持った一人の男が立っていた。大学の講師のみが身に纏うことを許された、胸に校章が縫われた黒の膝まであるローブを着ている。


「こんばんは、エウドクス教授。お早いですね」とアスティはその男に話しかけた。


「やあ、イオル君。今日はいい観測日和だね」

 エウドクス教授は少し皺の刻まれた、穏やかな表情で答えた。


 エウドクス教授はアスティが専修している天文学の教授だ。よく研がれた剣のような銀髪を後ろに撫でつけ、いつも穏やかな表情を浮かべる細身長身の男。とても危険思想といわれている天文学を研究している教授には見えない。いや、無害そうに見えるからこそここまで問題を起こさずに研究を続けられているのかもしれない。


 アスティはランタンを持ってエウドクス教授の隣へ歩いていく。ランタンの灯りが彼の顔を照らした。


「もう少し待って観測を始めようか」とエウドクス教授が言う。

「分かりました」とアスティは答えた。


 二人で巡回路の端に街側を向いて腰掛ける。王都の中央には王城がそびえ立ち篝火が煌々と照らしていた。衛兵の持つ松明の灯りもよく見える。アスティ達のいる北側にはほとんど灯りは無いが、西側、東側には家や店の灯りが点々と灯っている。暗闇の中、王都のシルエットが浮かび上がっていた。


「イオルくん、君が私のもとで天文学を学び始めてもう一年になるね」

エウドクス教授は遠く街の向こうを見ながらアスティに言った。


「ええ、とても短く感じます」とアスティは答えた。


「最初、君が私の研究室を訪ねてきた時のことを覚えているかい?」

「もちろん」

「君が、天文学の専修希望の書類を持ってきた時は本当に驚いたよ。ここ数年新しい学生はいなかったからね。しかもそれが神童ときた」


 アスティは黙ってエウドクス教授の話を聞いた。エウドクス教授の声と、虫の鳴き声だけが聞こえる。


「私が志望理由を尋ねた時、君は『父の遺志を継ぎ、世界の真理を知る為、そして歴史に名を残す為』と言ったね」

「ええ」

「一年間、学んでみてどうかね」


 エウドクス教授の問いにアスティは少し悩み、答えた。

「天文学はまだまだ解明されていないことが多くあります。それを解明することが神への冒涜に繋がるとされ、危険思想と言われていたことは知っていました。ですがここでなら真理に繋がる何かを知ることができると、今でもそう思っています」


 エウドクス教授はアスティの言葉を聞いて微笑んだ。

「私が十年かけても辿り着けなかった場所まで、君はすぐに行くことができそうだ」

「そんな!エウドクス教授の教えがなければできませんよ」

「君が少しでもこの学問を専修したことを後悔しているのならば、他の学問へ推薦することも考えていたんだよ。君も知っての通り天文学は教団から危険視されている。君はまだまだ若い。選択肢は眼前に多く広がっていることを知ってほしい」

「神の創りし世界を疑う学問、と教団が呼称していることは知っています」

「そうだ。そして教団から目を付けられた学問は今まで歴史から消されてきた。どれも素晴らしい真理を追い求めるものだというのに」

「地質学、そして歴史学・・・ですね」

「神の作った完璧な世界を疑うことは神の存在を疑うことである、という理由でね。そんな身を亡ぼしかねない研究をこんな若い子がする必要はないと思ったんだ。だが君に後悔は無いようだ」


 エウドクス教授は膝に手をつき、立ち上がった。いつの間にか街の灯りもほとんどが消えている。西側にある酒場通りだけが赤く光っているのが見える。空を見上げると、星の数が増え、アスティ達を包み込むように光り輝いていた。


「では、観測を始めようか」

 エウドクス教授は穏やかな笑顔を浮かべてそう言った。


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