第四十一話 旧・大陸地図
「失敗したか」
テアディース教教団本部。レンガ造りの地下の一室でクディナルは部下からの報告を聞いていた。燭台の蠟燭が部屋をぼんやりと照らしている。
「申し訳ありません。ご命令通り、一人になるタイミングで暗殺を試みたのですが、途中魔法使いの邪魔が入ってしまい・・・」
「まあよい。今回は実験的な意味合いも強かったからな。これから君達には、円環軍の手が回らない仕事をしてもらわねばならない。組織を強化しておけ。人選は任せる」
「承知しました」
すっと、部屋から気配が無くなった。静寂の中で、天井から染み出た水滴が地面をたたく小さな音が部屋に響く。
「奴は王都のどこかに潜んでいるだろう。だが既に円環軍が四方の城門を昼夜問わず監視している。そう簡単には逃げられまい。少しずつあぶり出してやるぞ、アスティニース・イオル」
クディナルは独り言を呟いていた。蝋燭の小さな灯りが、彼のほくそ笑む顔を照らしていた。
神聖歴967年 翠の月
旅立ちまで一カ月を切った。アスティは王城でひっそりと身を潜めていた。この日は旅の計画を立てるため、アスティの部屋にソフィ、アネッサ、ディナティオス、王国宰相のシブロスという老人が集まっていた。五人は脚の長い机を立って囲んでいた。
「シブロスは信用のおける人だ。今回の密命にも賛同している。ではシブロス、始めてくれ」と、ソフィが声をかけた。
シブロスが頷いた。白、黒、灰色の混ざった髪を後ろに撫でつけている。エウドクス教授を思い出す髪型だ。背は低く、腰も曲がっている。だが、彼の纏う雰囲気は何か隙のないもののようにアスティは感じた。
「皆様、お初にお目にかかります。私はシブロス。バセレシウ王国で宰相を務めております」
シブロスはその老いた顔つきとは裏腹に、低く若々しい声でそう言った。
「大陸地図作成の旅の順路の相談をさせていただきたい。アスティ様、よろしいですかな?」
「よろしくお願いします」とアスティは返事をした。
その言葉を聞くと、シブロスは何やら自ら持ってきた木箱をガサガサと漁り、一枚の大きな羊皮紙を取り出してテーブルに広げた。
「これは・・・」
「絵・・・いや、地図ですか?」
ディナティオスとアネッサも羊皮紙を覗き込む。そこには丸い大きな枠の中に山や街の絵や、動物の絵が描かれていた。
「テアディース大陸の地図ですか・・・。しかし、かなり抽象的ですね」
アスティもその紙に描かれた絵を見て言った。
「太古から伝わるテアディース大陸の地図と言われるものです。今見ていただいている物は、元の地図に街や主要な道を書き足した物になります」
「私も魔法大学で見たことがあります。これが唯一にして絶対のテアディース大陸の地図であると教えられました」
アネッサが地図をまじまじと見つめながらそう呟いた。
「アネッサ様、その通りでございます。これが現在王国にある唯一にして絶対のテアディース大陸の地図でございます」
「おれたちはこの地図を作り直す旅に出るというわけだな。さながらこいつは『旧・大陸地図』ってところか」
ディナティオスは難しい顔で腕を組みながら言った。
「問題は・・・どこから行くか、ですね」
考えながら話すアスティにシブロスは答える。
「その通りです。そのためにまずバセレシウ王国の基本的なことをお伝えいたします。皆様はそれぞれ王国随一の大学で学ばれているので、既にご存じの内容かもしれませんが・・・」
アスティとアネッサは頷き、ほとんど一緒にディナティオスの顔を見た。ディナティオスは眉間に皺を寄せて言った。
「おれは実技の単位でなんとか卒業したんだ」
「まずバセレシウ王国はテアディース大陸のほぼ全土を支配しています。しかし残念なことに全て、ではありません。この場所はご存じですかな」
シブロスは大陸の西と北に描かれている絵を指差して尋ねた。
「こっちは山だな。こっちは・・・なんだ?」とディナティオスが不思議そうに地図を見る。
「砂漠ですね。西方にあるといわれるピリニ大砂漠です」
「この山の絵は北方のトサナート山脈でしょう」
アネッサとアスティが交互に言った。「この程度は基礎知識ですよ」と、アネッサは呆れた顔でディナティオスを見る。
「そうです、このピリニ大砂漠とトサナート山脈はそれぞれ過酷な自然環境から人間が住むのに適しておりません。そのためこれより西と北は我々バセレシウ王国の支配が届いていないのです。そしてその西と北にはそれぞれに固有の文化を持つ民族が住んでいるといわれています」
「西の民と北の民ですね」
「おお!それなら聞いたことがあるぜ。『異教の民』だよな!」
アネッサの言葉を聞いて嬉しそうにディナティオスが叫んだ。アネッサは冷たい目でディナティオスを見る。シブロスは頷いて説明を続けた。
「そう、教団が『異教の民』と呼んでいる民族です。彼らの住む場所へはそう簡単に行くことができません。なのでまずは王都ヴァシーリオから東に向かう、というのはいかがでしょうか」
「エヴリ平原を抜けて東の港町リマーニへ向かうということでしょうか?」
「そうですアスティ様。東方は自由主義派の領主が治める街が多く、比較的安全に旅ができるでしょう。そしてリマーニは今、王妃殿下が統治されています。旅の支援も期待できるでしょう」
「そして東から海沿いを回って南、西へ向かうと」
「その通りです。その間にこの大陸が正円でないことが証明できれば、西と北には行かずともある程度信頼できる新しい大陸地図を作ることができるのではないでしょうか?」




