第三十八話 急襲
アスティはソフィの用意した隠れ家で旅の準備を進めていた。アスティ自身はほとんど外には出ず、カマリエを介してソフィとやり取りし、必要な物を揃えてもらった。
王都ではまた、円環軍の数が増えているような気がした。アスティはその視線を感じない日はなかった。どうやら見張られているようだ。
数日ぶりに王都に太陽の光が降り注いだ銀の月も終わりに差し掛かってきた日のこと。アスティは再びアレストシスに呼び出されていた。この日はカマリエも来ることができないと言われ、一人で裏道を通りながら、王城の裏門へと向かっていた。
王都を四つに分けるように通っている大通りは、タイルが美しく敷かれ整備されている。しかし一歩裏道に入ると、曲がり角や行き止まりも多く、迷路のようになっていた。アスティは外套のフードを目深に被り、裏道を歩いていた。晴れていても光が届かず、じめじめしている。ツンと生臭い匂いが鼻をさす。アスティは足早に裏道を抜けようとしていた。
一瞬、気配がしてアスティは足を止めた。瞬間目の前を何かが掠めて壁に刺さった。
「ナイフ・・・?」
上から舌打ちが聞こえた。その瞬間アスティは理解した。ナイフで命を狙われたのだ。理解すると同時に走り出す。裏道は人目が少ない。事故に見せかけて殺すことも容易だろう。大通りで円環軍に見られないことばかり気にしていてそこまで注意していなかった。
いや、後悔は後だ。アスティは裏道を走る。後ろから足音が聞こえる。どうやら追われているようだ。
また気配を感じ、アスティは体を右側に捩った。瞬間、ナイフが右腕をかすった。痛みが走る。火で焼かれたように熱い。服にじんわりと血が滲んでいく。
右腕を抑えながら走る。そして、立ち止まった。
「行き止まりか・・・」
地図作りの時に、ある程度裏道も頭に入っていたつもりだったがどこかで間違えたのだろう。後ろから足音が聞こえる。獲物を追い詰めたときの獣のように、ゆっくりとした足音だ。アスティは振り返った。
三人。全身黒づくめでマスクをしている。顔はよく見えない。全員右手にナイフを持っている。上手で握り、構えながらにじり寄ってくる。時間を稼がなければ。王城に着く予定時間になってもアスティが来なければ、ソフィ達が捜索してくれるだろう。
「・・・あなた達は何者ですか?教団の手先ですか?」
黒ずくめの人の足が止まる。
「お前がアスティニース・イオルだな」
低く、くぐもった声だ。どこか中性的で、男性か女性か区別がつかない。
「人違いでは?」
アスティは答えた。額に汗が浮かんでいる。ナイフがかすった右腕が焼けるように痛い。大体、喧嘩なんて一度もしたことがないのだ。痛みにも慣れていない。アスティはゆっくりと息を吐き、呼吸を整えた。
「いや、白髪の少年だと聞いた。この町で白髪の少年は君だけだ」
アスティは頭に手をやる。どうやら走っている間にフードが落ちてしまったのだろう。
「分かっていたのならそんな問いかけを?」
黒ずくめの人は黙った。そして「・・・なぜだろうな」と言った。アスティはそこには少し、人間らしさを感じた。
「さらばだ、アスティニース・イオル」
話していた黒ずくめの人が刃を向けた。鈍く光る鋼が少しずつ近付いてくる。ここまでか。
アスティが目を瞑ったその時、瞼の向こうに光と熱を感じ、ほぼ同時にドン!と大きな音が響いた。「なんだ!」と男の声も聞こえる。黒ずくめの中の一人だろうか。アスティはそっと目を開いた。
黒ずくめの人達の向こう側に大きな火球が五つ、浮いていた。煌々とアスティ達を照らしている。地面に落ちていた木箱が燃えている。黒ずくめの人達は、二人がその火球の方を向き、一人はアスティに刃を向けながらも意識は火球の方にあった。
「・・・何者だ」
黒ずくめの一人が問いかける。男の声だ。よく見ると、火球の更に奥に、人が立っていた。白いローブを着ている。フードを目深に被り顔はよく見えない。しかし・・・。
「なぜ魔杖も無しに魔法が使える!」
黒ずくめの男が重ねて言った。そうだ、その男の言う通りだ。こんな大きな火球を作ることができるのは魔法使いだけ。そしてその魔法を行使するためには魔杖が必要なはずだ。しかし、白ローブは手に何も持っていない。これは魔法ではないのだろうか。
アスティは頭にいくつもの疑念が生まれたが、全て押さえこんで叫んだ。
「そこの方!申し訳ありませんが助けてください!」
白ローブが小さく頷いたような気がした。大きく右手を空に挙げる。火球が一際輝いた。
「止めろ!」
アスティに刃を向けていた、中性的な声の黒ずくめが叫ぶ。その叫びとほとんど同時に、もう二人の黒ずくめが白ローブに向かって走り出した。しかしこれは間に合わない。アスティは本能的にそう思った。白ローブが挙げた手を黒ずくめ達に向けた。刹那、火球が黒ずくめに向かって飛ぶ。そして、大きな音を立てて爆発した。熱と爆風がアスティを襲う。思わず腕で顔を隠した。黒煙が立ち込める。
「こっち」
誰かがアスティの腕を掴んだ。薄く目を開けると、白ローブの人がアスティの腕を掴み走り出した。アスティも走り出す。
裏道を走る。白ローブは既にアスティの腕を離していた。しばらく裏道を走り、気が付けば王城の裏門の前まで来ていた。アスティは膝に手をつき、息を整えた。鼓動が早い。白ローブの人も息切れをしていた。まあここまで来れば安全だろう。アスティは白ローブを見た。
「助けていただいてありがとうございます。しかしなぜ、僕の目的地がここだと知っているんですか?」
白ローブは少し黙った後、フードを取った。さっき声を聴いた時にも思ったがやはり女性だ。胸あたりまで伸びた、明るいブロンズの髪がはらりと落ちる。カマリエとは違った、穏やかだが凛とした顔立ち。王族かのような気品ある雰囲気。今まで会った人の中で、一番美しいのではないだろうか。アスティは思わず見とれてしまった。
「はじめまして、アスティ様。私はアネッサ・マギア。アレストシス殿下に呼ばれこちらに来ました。あなたの旅の護衛を務める者です」
アネッサはそう言うと、ふわりと笑った。聖母のような笑顔だった。




