第三十七話 密命
「君ならそう言うと思ったよ」
アレストシスの顔が少し綻んだ。同時にソフィはアスティに歩み寄った。戸惑いと怒りの入り混じった表情でアスティに問いかけた。
「アスティ。君は天文学を学びたいんじゃなかったのか?大陸の地図なんて、王都の地図とは比べ物にならないほど時間がかかるぞ。危険だって多い。教団に気が付かれたら命まで狙われるかもしれない。君が命を張る必要はないんだ!」
「大丈夫だ」
アスティはソフィをちらりと見て、微笑んだ。そしてアレストシスに向き直った。
「アレストシス殿下。僕は正直、王国と教団がどうなろうが構わないと思っています。ただ、父やエウドクス教授のように、世界の真理を知りたい。そのための船を王国が用意してくれるというなら僕は躊躇いなく乗り込みます。例えそれが泥船だろうと、僕が沈ませません」
「よし」
アレストシスは立ち上がりそう言った。
「では改めて言おう。これは密命だ、アスティニース・イオル。君に大陸地図作成を命ずる。春までに準備を整えよ。必要なものはソフィロスに用意させる。ソフィロス、よいな?」
「・・・分かりました。アスティが納得しているなら私に異論はありません」
ソフィロスはまだ複雑そうな表情だ。しかし、自分を押し殺してそう答えた。
「護衛が必要だな。・・・私に心当たりがある。少し当たってみよう」
アレストシスからもう圧は感じない。穏やかな顔をしている。アレストシスは執務用の机から離れ、アスティの前に立ち右手を差し出した。
「また会おう、アスティ」
「ええ。よろしくお願いします」
アスティは差し出された手をしっかりと握り返した。
アスティとソフィを見送り、アレストシスは息を吐いた。手鈴を鳴らしてメイドを呼び、温かいマブロ茶と甘味を用意するよう伝える。メイドが部屋を出ると、アレストシスはバルコニーに出た。冷たい風が肌を撫でる。頭がすっと冷める感覚がする。
アスティ、彼なら引き受けてくれると踏んでいた。教団の言葉を借りるなら、行き過ぎた好奇心という名の大罪を犯す者。彼ならきっと興味を持つと思っていた。
「それにしても・・・」
彼は、一度も私から視線を外さなかった。碧い瞳。深い海のような、飲み込まれそうな目をしていた。あれはなかなか肝が据わっている。やはり、私の判断は間違いではなかった。あとは教団に嗅ぎつかれないよう準備を進めるだけだ。
扉をたたく音が聞こえる。メイドがお茶を持ってきたのだろう。バルコニーから扉に向かって「入れ」と声をかけた。
がちゃりと扉が開く。アレストシスは目を見開いた。
「失礼する」
そう言って部屋に入ってきたのはテレステオ・バセレシウ国王だ。
「陛下、なぜこちらに・・・?」
アレストシスはすぐに感情を抑え込んだ。バルコニーから部屋へ戻ろうとすると、テレステオは手を挙げてそれを制した。テレステオはゆっくりとバルコニーに向かってくる。
「今日も冷えるな」
バルコニーに出て、テレステオは空を見上げ呟いた。
「ええ。ここまで王都で雪が降り続いたのは数年ぶりだそうです」
アレストシスも空を見上げた。薄曇りの空が彼方まで広がっている。空気が澄んでりうのだろう。今日は遠くまで景色を見ることができる。
「それで陛下。私になにか御用でしょうか?お呼び下されば出向きましたが・・・」
「先ほど、君を尋ねていた少年。王都の地図を作った少年だそうだな」
アスティのことだろう。全ての話がまとまってから陛下に話すつもりだったが、どこかで勘づかれたのだろうか。
「ええ。実は陛下。彼に大陸の地図を作らせるつもりなのですが・・・」
アレストシスが説明をしようとするのを、テレステオはまた手を挙げて制した。
「皆まで言わずともよい。全てお前に任せよう、アレストシス。私から言いたいことは一つだけだ」
「・・・なんでしょうか」
「元老院には気を付けなさい。彼らはイリスの血を嫌っている」
テレステオはそう言うとアレストシスの肩に手を置き、そして出て行った。途中でメイドとすれ違ったのだろう。若い女性の驚いた声が扉の向こうから聞こえた。
アレストシスはバルコニーに置かれた白い椅子に座り、メイドの持ってきたマブロ茶を飲んだ。元老院。存在は聞いたことがある。王政の相談機関であり実質の決定機関。誰が属しているのかは国王しか知らない。それに気を付けろとは、一体どういうことなのだろうか。そしてイリスの血とはなんなのか。
まあ、分からないことを考え過ぎても仕方がない。今は情報が少なすぎる。最優先はアスティを無事に送り出すことだ。アレストシスはかぶりを振ってそう考えた。
湯気が立つマブロ茶に雪が舞い降り、一瞬で溶けた。空を見上げると、雪が降り始めていた。




