第三十六話 正円の大陸
「お兄様!どういうことですか!」
ソフィが強い口調で言った。冷静さを欠いている。戸惑いと驚き、少し怒りも感じる。アレストシスはソフィの方を見ようともせず、右手を挙げて彼を制した。これ以上の発言は許さない。そんな雰囲気を感じる。ソフィもその雰囲気を察して口を閉じた。言葉をぐっと飲みこんでいるように見える。アスティは一度、深く呼吸をした。そしてまっすぐアレストシスの目を見る。
「・・・説明をしていただけますか?」
「無論だ」
アレストシスはゆっくりと話し出した。それは思い付きではない、ずっと考えていた言葉を丁寧に紡ぐような話し方だ。
「我々王家とテアディース教教団との関係はアスティ、君も知っていると思う。このままではゆるやかに、だが確実にバセレシウ王国は教団に乗っ取られるだろう。原理主義派が実権を握っている教団が権力を持つと何をしでかすか分からない。現に今、王国には血が流れ始めている。それも同志の血だ。君も冬の祭典の惨劇は見ただろう」
アスティの脳裏にあのときの情景が浮かぶ。血だまりと火柱。人々の叫び。アレストシスは言葉を続けた。
「あんなことを続けさせてはならない。しかし教団は既に遠征軍の組織を始めている。あの惨劇を王国中で行うつもりなのだ。なんとしてでも教団の愚行を止めなくてはならない。しかし、騎士団や王国軍を動かすことはできないのだ」
教団の行いは確かに卑劣で恐ろしいものだ。だが異教徒を弾圧するという点で言えば、間違ったことはしていない。王家も騎士団や軍を動かすことが難しいのだろう。
「そこで、血を流さず軍も動かさずに教団の力を削ぐ方法をソフィロスが考えたのだ」
アスティはソフィを見た。ソフィはアレストシスの言いたいことを理解したのだろう。しかし納得ができていないようだ。ぎゅっと唇を噛んでアレストシスを見ている。
「女神テアディースの三つの恩恵の一つである正円の大陸。これは、このテアディース大陸が正円の形をしていて、神の力をもって大陸の外にある異国の侵略を防いでいるというものだ。更に言えば、恵みのある大地や魔法の元となる神力も、この大陸が正円だからこそ生まれるものだと言われている。しかし、本当にそうだろうか?本当にこの大陸は正円の形をしているのか?誰も見たことがないのだ。西と北は王国が支配できていない。南東は道がなく海まで行く事が難しい。この大陸を一周して、この大陸が正円だと証明したものは存在しない。・・・君はどう思う、アスティ。このテアディース大陸は本当に正円の形をしていると思うかい?」
アスティはアレストシスの話を聞きながら、父のことを思い出していた。育ての父ヒストリエ・イオル。僕にイオルの名をくれた人。歴史学を研究していた研究者。何故か田舎の村の外れに暮らしていた男。彼は色んな話をしてくれた。時には本を見ながら王国の歴史を語り、時には森の奥に入り、岩を削って大陸の歴史を教えてくれた。そうだ。彼はそのときに、こう言ったんだ。
「・・・ここは昔、海だったのかもしれない」
「なんだって?」
アレストシスが聞き返した。アスティは考えていたことが声に出ていたことに気が付いた。
「・・・育ての父の言葉です。父はよく、住んでいた村の近くにある森に入って地面を掘ったり岩を削ったりしていました。そのときに、貝殻の化石を見つけたのです。父は僕にこう言いました。『この化石が意味することは分かるかい?昔、ここに人が住んでいて貝を主食にしていたのかもしれない。貝殻が昔の貨幣だったのかもしれない。そして、ここは昔、海だったのかもしれない。この貝殻の化石一つで、色んな歴史を想像することができるんだ』と」
アスティはアレストシスを見た。これは決意だ。そして意志だ。真理を探究し歴史に名を刻む。父は真理を追い求め、歴史を探究し、そして名を残そうとした。その道程の末、命を落とした。僕は父の遺志を継がなくてはならない。口を開く。唇が渇いているのが分かる。これから発する言葉は、僕の将来を大きく変えるのだろう。しかし、言わなくてはならない。
アスティは軽く息を吸った。
「僕は、テアディース大陸が正円の形をしているとは思いません」




