第二話 第四王子の頼み事
バセレシウ王国はテアディース大陸のほぼ全土を支配する大国である。王都ヴァシーリオはそんなバセレシウ王国の中央に位置しており、王城、テアディース教教団本部、三学府、商人の集う城下町が密集している。王都の周りは高い城壁に囲まれており、その向こうには広大なエヴリ平野や一度迷うと永遠に出られないと言われるスコティの森が広がっている。王都は東西南北に大きな道が通っていて、その大道を中心に街が広がっている。アスティの通うヴァシーリオ学術大学は王都の東側に位置する小高い丘の上に建っていた。
アスティはラクーセオ教授の長い説教を聞き終え、「失礼しました」と部屋を出た。ふうとため息をつく。どんな話もにこやかな表情を崩さないアスティに苛立ってか、ラクーセオ教授の説教はいつも長い。時間の無駄だなとアスティは思った。
アスティがラクーセオ教授の部屋から出てすぐ、廊下の人ごみの向こうからアスティの名を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。少し高い、よく通る声だ。
「アスティ、ようやく見つけた」
声の主はソフィロス・バセレシウ。アスティの同級生にして数少ない友人であり、バセレシウ王国の第四王子である。ソヴァルと同い年の十六歳だが、それにしては背丈がある。長い金色の髪をいつも後ろで結んでいる。王族に共通する金色の瞳を持ち、一見では男か女か分からない整った顔立ちをしている。
廊下にいる群衆がソフィの存在に気が付き、自然と道を開けた。さすがは王族だ。ソフィはアスティに駆け寄った。
「やあソフィ。君も授業終わりかい?」
「いや、学長に呼ばれていたんだ。橙の月にある収穫祭の準備で出席できない講義があってね。その相談だよ」
爽やかにソフィは言った。アスティはふと周りを見た。群衆が皆こちらに注目している。中には不躾な視線を送ってくる輩もいた。王族と学内の異端児が一緒にいるとそうなるだろうと、アスティは思った。しかしこの一年でこの視線にも慣れたものだ。
ソフィと友人になったのはちょうど一年前の頃だった。天文学を専修したことが学内で噂になり、周りの人間がさざ波のように遠ざかって行ったときに彼は唯一人僕に近付いてきた。テアディース教に対する僕の態度や天文学を専修していることに興味を持ったらしい。彼もまた変わり者なのだ。しかし、あまり目立つのもよくない。
「ここは目立つ。僕に何か用があるなら、歩きながら話を聞くよ」
アスティはそうソフィに言った。ソフィは整った顔によく似合う笑顔を浮かべた。
「アスティ、この後講義は?」
「いや、今日はさっきの神学の講義で終わりだ。夜、観測があるけれどね」
「ならちょうどいい。昼食でも一緒にどうだい?」
これは何か、長く厄介な話になりそうだとアスティは思った。
ヴァシーリオ学術大学は学生のための設備が整っている。学費はそこまで高くはないが、王国が次世代育成のため予算を多く注ぎ込んでいるのだ、食堂もその一つで、専任の料理人が常時いて安価で様々な料理を食べることができる。
昼食には少し早い時間のおかげか、食堂はまばらに人がいるだけだった。
「上へ行こうか」とソフィが言った。
食堂は大広間とその奥に階段があり中二階のような形になっている。中二階にも席があり、主に王族や貴族がその席を使っていた。アスティとソフィは大広間を歩いて抜け階段を登って中二階の席へと座った。大広間は簡易的な木のテーブルと椅子だが、中二階の席は金属の装飾が施された椅子と、白いクロスの掛かった丸いテーブルが置いてある。
席に座ったアスティはソフィに言った。
「で、話とはなんだい?」
「相変わらずせっかちだな、君は。先に注文しよう」
ソフィは手を上げて給仕を呼び、注文をした。続けてアスティも注文を給仕に伝えた。ソフィはガラスのコップに入った水を一口飲み、話し始めた。
「橙の月にある収穫祭の話だ」
収穫祭とは年に一回、王城が主催となって行う王都随一の祭りだ。今年の収穫のお礼と来年の収穫に向けての祈りを行う祭りで、目玉は商人達の屋台が立ち並ぶ長い屋台街だ。屋台と共に灯篭が並び、夜には美しい光景を作り出すことから王国内ではかなり有名な祭りである。
「その収穫祭がどうかしたのか?」
「実は、入国管理統括の仕事をお父様から任命されたんだ。去年まではダイ兄さんがしていたんだけど、ついに僕にもお鉢が回ってきたってわけさ」
ダイ兄さん、ダイナ様のことか、とアスティは思った。確かバセレシウ王国第二王子でソフィの兄だった。一度バセレシウ王の生誕祭で姿を見たことがあるが、とても体の大きな人だった。
「・・・入国管理というのは?」とアスティが尋ねた。
「収穫祭のときにだけ作られる屋台街があるだろう?あれは王都だけじゃなく外からも大勢の商人が来るんだ。その商人の荷を確認し屋台を割り振って、トラブルが起こらないよう確認する仕事だよ」
「その仕事を以前はダイナ様がされていたと?」
ソフィはその問いの意図をすぐに理解し、笑いながら言った。
「アスティ、君の言いたいことは分かる。ダイ兄さんは頭よりも体を使う方が得意そうに見えるからね。でも、ああ見えて意外と頭が回る人なんだよ」
アスティは「それはすまなかった」と言って、水を飲んだ。ほどよく冷やされた水が喉を通り抜けていく。乾燥した唇が湿った。
ソフィは一呼吸置いて話を続けた。
「仕事自体は去年までの記録を見れば分かるしそれほど難しいこともないんだ。やることは多いけどね。それに統括と言ってもお飾りに近い。実務は実行委員である商業組合の人達がほとんどやってくれるしね。ただ・・・」
ソフィは少し口ごもった。「どうした?」とアスティが尋ねる。
「この前、大規模な道路工事があっただろう」
「・・・あぁ、あったね」
確かに、去年から王都の上下水道工事と合わせて道路の修復工事が行われていたと、ソフィは思い出した。確かあの工事は最近終わったはずだ。大学から僕の住む寮までの道も工事範囲に入っていて遠回りさせられていた。
「その工事の影響で王都の道が少し変わったんだよ。問題はここだ。外から来る商人達の屋台の場所が、例年と変わることになる。場所自体はある程度商業組合の人達が決めているんだけど、問題は外から来る商人達に屋台の場所を知らせる方法だ。祭りの準備期間に入ってから商人達は一斉に王都にくる。例年と屋台の場所が変わることは出店希望の申し込みを受け付ける段階で伝えてはいるんだけど、正確な場所は出店者が出揃わないと決められないんだよ」とソフィが言った。
「なるほど、今までは、いつも来る商人達は屋台の場所が決まっていたから案内はその年に初めて出店する商人だけに限られていたけど、今年は屋台の場所が変わる影響で出店する商人全体への案内が必要になるということか」とアスティ。
「そうだ!さすが、理解が早くて助かるよ」
ソフィは笑顔で言った。そしてまた水を飲んだ。飲み終わるとコップを置いて、アスティの方を向いた。
「アスティ、君の力を借りたい。何かいい方法はないかい?」
アスティが口を開きかけたとき、料理が運ばれてきた。
「仔牛のステーキと川魚のソテーです」と、給仕が言いながらアスティの前に川魚のソテーを、ソフィの前に仔牛のステーキを置いた。香辛料の香りがツンと鼻腔を刺激する。いい香りが漂い、空腹を刺激した。
「まずは食べようか」とソフィは運ばれてきた銀のナイフとフォークを手に持った。アスティも同じく銀の食器を手に持つ。銀の食器なんてここでしか見たことがない。街中だとほとんどが木製だ。まあ恐らく同じ食堂でも大広間の方は木製だろう、とアスティは思った。
アスティとソフィは暫くの間、黙って食事をした。カチャカチャと食器の当たる軽い金属の音だけがする。
「それで、どうかな?」
ソフィは肉厚なステーキにナイフを入れながらアスティに聞いた。アスティは一度フォークを皿に置いた。
「ソフィ、君は僕を過大評価しているよ。おそらく既に商業組合の人や祭りに関わる人達が様々な方法を考えているだろう。その本業の人たち以上の考えが僕にあると思うのかい?」
ソフィはアスティの言葉を聞き、そして答えた。
「確かに今、僕の周りの色んな人達が解決方法を考えているのは事実だ。実際いくつかの方法が候補として僕のところまで上がってきている。だが、まだ最善手は出ていない気がするんだ・・・。それに、アスティ。僕は君をかなり買っているんだよ。最年少で試験に合格し成績も常に上位。『神童』と呼ばれながら、危険思想とも言われている天文学を専修。逆に必修科目である神学の授業態度は最悪ときた!」
「それは褒めているのかい?」とアスティが尋ねる。
「もちろん!まあ、君が他の人に避けられているのは知っている。それを全く意に介していないところも気に入ったんだよ。それにアスティ、君はいつも言っているじゃないか」
ソフィは右手に持ったナイフをアスティに向けて言った。まっすぐに、アスティの碧い目を見つめる。
「真理を探究して歴史に名を刻みたい、ってね。今回の問題が解決できれば真理かは分からないけど、少なくとも国の記録には名前が残るかもしれないよ」
アスティはしばらく黙って考え、答えた。
「まあ、少し考えてみるよ」