第三十五話 分岐点
神聖歴967年 銀の月
アスティは王城を訪れていた。アレストシス第一王子が面会を求めていることをソフィから聞き、謁見の日を調整してもらった。あまり気乗りはしないが、自分のために一国の王子が動いてくれた事実は重い。礼は尽くさないといけない。
王城には教団と繋がりのある原理主義派の貴族もいるらしく、アスティは王城の南側にある裏門に来ていた。門の前には見知った女性が立っている。女性は歩いてくるアスティに気が付き、軽く頭を下げた。
「こんにちは、アスティニース様」
「こんにちは、カマリエさん。お久しぶりです」
アスティはカマリエの案内で王城へと入った。あまり考えていなかったが、城内で見るカマリエはその凛とした佇まいから気品すら感じる。そのはずだ。彼女は王家の中でも第四王子に仕えるメイドなのだから。
いつも見るドレスとは違い、白のレースが多くあしらわれ、スカートの部分は少し膨らんでいる。城内でのメイド服なのだろう。アスティは先導するカマリエの後ろを、はぐれないようについて歩いた。
さすがに王城ともなれば、柱の一つ一つに金細工が施されていたり、あちこちに像や花瓶に生けられた花が置かれていたりしている。床には見たことのない白い石がタイル状に敷き詰められている。壁には王家の象徴である狼があしらわれたレリーフや誰かの肖像画がほどよい間隔で飾られている。
「アスティニース様」
気が付くとカマリエから少し離れていた。アスティは急いでカマリエの方へ歩く。アスティが追いつくのを待って、カマリエは再び歩き出した。
「お気をつけください。人のいない道を選んで歩いていますが、万が一原理主義派の貴族に出くわすと厄介です。今、王城を出入りする人間は彼らの関心を引きやすいので」
それもそうだ。王家と教団の関係が複雑な今、どちらも相手のどんな情報でも手に入れて情勢を変えたいだろう。アスティは「すいません」と小声で謝罪し、カマリエに付いて行った。
「こちらです」
どれくらい歩いたかも分からない距離を歩き、廊下の奥にある部屋の前に着いた。そこには、他の部屋のものより幾分か大きく装飾も豪華な両開きの扉があった。カマリエがその扉を二回、軽く叩いた。
「アレストシス殿下、ソフィロス殿下。アスティニース様をお連れしました」
「入りたまえ」
ソフィの声ではない。似ているが少し低く、しかし上品で、体の芯に響くような声だ。カマリエが扉を両手で押して開いた。正面には椅子に座り、机に肘を置いて手を組んだ男がいる。ソフィによく似ている整った顔。肩まで伸びた綺麗な金色の髪。微笑んでいるが鋭い眼光。『金獅子』の異名を持つだけはある。それほどの威圧感だ。彼がアレストシス・バセレシウ第一王子なのだ。
アスティは部屋に入り、片膝をついた。
「お初にお目にかかります。アレストシス殿下。私はアスティニース・イオルと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
「楽にしてくれ」
アレストシスは軽い口調でそう言った。アスティは「失礼します」と言って立ち上がった。改めてアレストシスの顔を見る。先ほどまでの威圧感はない。アスティは自然と方の力が抜けるのと感じた。
「やあ、アスティ」
よく見ると、アレストシスのすぐ近くにソフィが立っていた。気が付かなかった。それほどアレストシスは目を引くのだ。
アレストシスが目配せをすると、カマリエが深く頭を下げ、部屋を出て行った。彼女の足音が遠ざかるのを聞いて、アレストシスが口を開いた。
「アスティニース君。いや、ソフィに倣ってアスティと呼んでもいいかな?」
「恐れ多いですが、私は構いません」
「ではアスティ。まずは礼を言わせてほしい。我が愚弟の頼みを聞き、収穫祭の開催に尽力してくれたそうだな。ありがとう」
アスティ少し面食らった。まさか収穫祭の礼を第一王子から言われるとは思っていなかったからだ。しかしすぐに心を落ち着けた。
「過分なお言葉、ありがとうございます。ただ、私は私にできることをしたまでです。ソフィロス様にも手伝っていただきました」
「ずいぶん謙虚だ。それでも、君がしたことは私が礼を言うに値するのだよ。私も見させてもらったが、あの地図は大変素晴らしい出来だった」
「ありがとうございます。恐縮です」
「しかし、そのせいもあって君には大変苦労をかけてしまっている。ソフィロスから聞いたが大学を辞めて王都を出るそうだね。我々にも責任がある。東へは私が責任を持って送り届けることを約束しよう」
「ありがとうございます」
アスティは立ったまま、右手を胸に当て頭を下げた。ちらりとソフィの顔が目に入る。少しほっとした表情だ。彼も彼なりに兄が僕になんと言うのか気になっていたのだろう。この場に同席するのも彼から言い出したに違いない。
「頭を上げたまえ」
アレストシスに促されアスティは頭を上げた。アレストシスは軽く息を吐き、そしてさっきまでとは違う、真剣な表情になった。部屋の空気が変わった気がする。ソフィも何かを感じたのか、表情が固まった。
「さて、アスティ。単刀直入に言おう。君にお願いがある」
ソフィが驚いた表情でアレストシスの顔を見た。どうやらソフィも聞いていなかった話なのだろう。アスティはアレストシスの目を見て答えた。
「なんでしょうか」
「まず、この願いを聞かずとも君を東へ送り届けることは約束しよう。決して強要するものではないと理解してほしい。そのうえで私の、いや、このバセレシウ王国の願いを聞いてくれ」
バセレシウ王国の願い?アスティは困惑した。そんな大仰なことを、貴族でも騎士でもないこの自分に?アスティは戸惑いながら、口を開いた。
「・・・お聞きします」
アレストシスは真剣な表情でアスティを見る。金色の瞳の奥に碧い炎が見える。鋭い眼光。威圧感。音が消える。自分の鼓動だけが耳に響く。
「アスティニース・イオル。君にテアディース大陸の地図を作ってもらいたい」




