第三十二話 ソヴァルの憂鬱②
クディナルと別れた後、家に着くまでの記憶がない。驚きと畏怖の入り混じった複雑な感情が心を支配する。ソヴァルは自室に着き、革の鞄を下ろして外套を脱いだ。じんわりと汗が滲む。寒さを忘れるほど、圧を感じた。
あの後クディナルは、異端認定した天文学の調査のためにイオルの筆跡を確認したいという話をした。ヴァシーリオ学術大学の学長はあまり協力的ではないから、俺に協力して欲しいと言った。そして、もう一つ。このことはまだ父には話してはいけないとも言っていた。理由は分からない。だが、断ることはできない。
イオルは確か春には大学を辞めるはずだ。今もほとんど登校していない。誰か教授の部屋に忍び込んで奴の課題を盗み出すか、寮に忍び込んで探すか・・・。どちらにせよ危ない橋であることには変わりない。
ソヴァルは深い溜息を吐いた。これが、神の為なのだ。奴のような異端者を野放しにはできない。ソヴァルはそう自分に言い聞かせた。
数日後、ソヴァルは講義を休んで学生寮に来ていた。少し離れた場所から寮の建物を覗き見る。同じ寮に住んでいる学生からイオルの部屋の場所は聞いた。今日奴は大学に来ていた。今は取り巻きに見張らせている。おかげで、講義を休んでここまで走ってくるはめになったんだ。
ソヴァルは息を整えた。失敗はできない。クディナルの顔が脳裏をよぎる。ソヴァルは動き出した。
寮の建物の構造は事前に調べている。玄関近くには寮長の部屋がある。玄関から入ってすぐ上に上る階段があり、奥には食堂と台所、裏口がある。
ソヴァルは裏口に周り、手近にあった木桶を力いっぱい壁に向かって投げた。パアンという音と共に、木桶が砕け散る。ソヴァルは急いで身を隠した。しばらくして裏口の扉が開き、寮長が出てきた。もう結構な歳のはずなのに、まだまだ元気に歩いている。
ソヴァルは忍び足で玄関から入り、階段を上った。ここまでは順調だ。汗が滴る。心臓の音が響いて聞こえる。ソヴァルは軽く息を吐き、廊下を進んだ。
「203・・・ここか」
扉を押すと、ギイという音を立てて開いた。鍵はかかっていない。靴を脱ぎ、足音を立てないように部屋に入った。荷物は整理され、木箱に詰められている。大学を辞めたらすぐに寮も出るのだろう。
ソヴァルは部屋の中を見回した。ほとんど何も見当たらない。やはりここには何もないか。木箱を開けると、観測に使うのだろう道具と本が数冊入っていた。本を手に取りパラパラとページをめくる。ひらりと紙が一枚、落ちてきた。何かのメモだろうか。ソヴァルはその紙を拾った。
「見つけた・・・。これだ!」
紙には数字が羅列している。何かの記録のメモだろう。おそらく、イオルが書いたものだ。目的の物は手に入れた。早くこの場を去らなければ。
ソヴァルは窓を開き、外を見た。通りには誰もいない。この辺りは、昼間は人通りが少ない。ソヴァルは靴を履き、拾った紙を手布で包んで懐に入れた。そして深く息を吸い、窓から飛び降りた。
「上手くいった!上手くいったぞ!」
ソヴァルは走りながら大学へと戻った。




