第三十一話 ソヴァルの憂鬱①
円環軍とは、テアディース教教団が所有する私設軍である。女神テアディースの名のもとに有志が集っている円環軍の兵は皆、神のためなら命を捨てることも惜しまない猛者ばかりだった。クディナル枢機卿が指揮官となった冬の祭典以降、円環軍はその数を増やしていた。
通りを円環軍の兵が巡回している。灰色の鎧を身につけ、大きな円が刺繍された白いマントをたなびかせている。
雪が解け始め、ここのところまた円環軍の兵をよく見かける。教団はまた何かしようとしているのかもしれない。お父様も最近は帰りが遅い。お勤めが忙しいのだろう。
ソヴァル・エピスコスはそんなことを考えながら、ヴァシーリオ学術大学を出て家に帰っていた。
エウドクス教授が処刑され、天文学が異端認定された冬の祭典。あれはソヴァルにとっても衝撃的な光景だった。今でも思い出す。灰が舞うあの場所のことを。エウドクス教授の最期の言葉を。
ソヴァルは大きくかぶりを振った。教団を疑うようなことを考えてはいけない。あれは正しい行いなのだ。女神テアディースがお認めになられた、正義の行為なのだ。
「やあ、こんにちは」
もうすぐ家に着くというところで、男に話しかけられた。考え事をしながら歩いていたから、急に話しかけられて驚きを隠せなかった。
「は、はい。こんにちは・・・?」
意識を現実に持ってきたソヴァルは、目の前に立つ男を見てさらに驚いた。目が眩むほどの純白のローブに金や紅の刺繍が輝いている。教団の、おそらく高位聖職者だ。それにどこかで見た覚えがある・・・。ソヴァルは急いて右手を胸に当て頭を垂れた。
「これはこれはご丁寧に」
男もゆっくりと同じ動きをした。そして、頭を上げて言った。
「君がソヴァル・エピスコス君だね。私はクディナルという。テアディース教教団で枢機卿の職に就いている者だ」
クディナル枢機卿。冬の祭典で大勢の人々を処刑した方だ。それで見覚えがあったのか。瞬間、あの時の光景がまた頭によぎる。ソヴァルは目を瞑り、軽く息を吐いた。そして頭を下げたまま言った。
「猊下。お名前は存じております。私に何の御用でしょうか?」
「楽にしてくれ」とクディナルが言った。ソヴァルは目を開け、手を下ろした。
「君のお父様にはお世話になっていてね」
「父・・・ですか?確かに教団で務めておりますが・・・」
ソヴァルは訝しげに言った。クディナルは優し気な笑顔を浮かべている。冬の祭典で見た印象とは違い、穏やかそうに見える。
「聞いていないのか。エピスコス司教は私の直属の部下なんだ」
ソヴァルは驚きを隠せなかった。少し口が開いた。父はこの人の下で働いていたのか。なら、あの処刑も、公布も、全て知っていたのか。ソヴァルの胸に、何かが刺さったような感じがした。
「そうでしたか!それは父がお世話になっております」
ソヴァルは胸の痛みに蓋をして、そう言った。クディナルは軽く手を挙げて、ソヴァルの言葉を制した。
「エピスコス司教から君の話を聞いてね。学術大学で優秀な成績を収めているそうじゃないか。実に素晴らしいことだ」
「あ、ありがとうございます」
話が見えないことに困惑しながら、ソヴァルは答えた。クディナルがゆっくりと歩きながら近づいてくる。
「実はねソヴァル君。そんな優秀な君に頼みたいことがあるんだ」
クディナルが目の前に立つ。離れていた時には感じなかった。圧がある。まるで剣を喉元に突き付けられているような圧だ。寒いはずなのに汗が滲むのが分かる。ちらりと彼の顔を見上げると、表情はさっきと変わらない。穏やかな笑顔のままだ。なのに、何故こんなに圧を感じるのだろう。ソヴァルは答えた。口から出る声は少し震えていた。
「な、なんでしょうか・・・?」
ポンとクディナルが手を肩に置いた。ビクッと体が跳ねる。俺はこの人に恐怖を感じている。
「君の同級生のアスティニース・イオルを知っているかい?『神童』と呼ばれている少年のことだ。寮でも大学でもどこでも構わない。彼の直筆で書かれた記録を盗み出してもらいたい」




