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ルークルイリス物語  作者: 梅雨前線
紅の動乱編
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第二十八話 血と炎の祭壇

 テアディース教教団。彼らはバセレシウ王家の関与できない独立した組織体系を持つ。元々はバセレシウ王国の国教であるテアディース教の布教や異教徒の弾圧を生業としてきた彼らだが、ここ数年で教団内での権力争いが激化。原理主義派が台頭し王国内での影響力を強めてきた。


 王国の歴史は血と剣の歴史であると言われている。バセレシウ王国が建国する以前、女神テアディースの恩恵を受けた大陸の民が分裂し、争いと支配を長年繰り返していた。そんな中、一人の豪傑が現れる。クラトラス・バセレシウ初代国王である。


 彼は一つの民族を率い、次々と他の民族を殲滅、吸収していった。それはまるで冬に起こる森林火災のように素早く、苛烈に大陸を支配した。南の民族を滅ぼしたクラトラスに恐れをなした他民族は、トサナート山脈やピリニ大砂漠を越えた、北と西の辺境へ逃げ込んだ。クラトラスは大陸中央に城を構え、バセレシウ王国の建国を宣言した。そして、大陸で広く信仰されていたテアディース教を国教とし、王国民に信仰を求めた。また、教団を抱き込み王国中に教会を建設。異教徒を弾圧するという名目で反逆者を炙り出し、王国の支配を強めていった。その頃はまだ王家と教団は互恵関係にあった。




 冬の祭典の日、空は黒い雲に覆われていた。それはまるで不吉の予兆のようだった。アスティは外套のフードを被り、顔を隠して祭典の行われる場所へと向かっていた。


 教団が取り仕切る大規模な催事である冬の祭典は、教団本部で行われる。真っ白の巨大な本部建物の正面には広い敷地があり、そこに王国中から集まった教団関係者がいた。また、信仰心の厚い王国民もさらにその周りに集まり、周辺は人で埋まっていた。冬の祭典は白の衣装の着用が義務付けられていることから、その光景はまるで王都の一部に雪が降ったように見えた。アスティは人ごみの一番後方から、祭典の行われる教団本部建物の正面を見た。


 建物の正面に大きな祭壇が作られている。真っ白の布で覆われたその祭壇の上には、同じように真っ白の催事衣装を身に纏った教団の幹部が並んでいる。枢機卿以上の階級の者達だ。彼らは建物を背に、群衆の方を向いて等間隔に並んでいる。その中央には一人分空いている場所があり、赤い花の飾られた壇が置かれていた。


 教団本部の建物から、一人の男が出てきた。群衆のざわめきが一瞬にして収まり、静寂が訪れる。敷地にいる教団関係者が一斉に片膝をつき、跪いて手を組んだ。その後方にいる市民も皆、目を閉じて手を組む。教皇だ。彼は金の刺繍の施された純白のローブを纏い、壇の前に立った。そして、声高に言った。決して声を張り上げたわけではない。しかし、広く、王都中に聞こえるように感じる声だ。


「只今より、冬の祭典を始めさせていただきます」


 教皇の宣言によって、冬の祭典が始まった。




 教皇による長い神への祈りの口上が聞こえる。教皇以外の者は皆、目を瞑り手を組んで祈りを捧げる。その祈りは一刻ほど続いた。


 祈りが終わると、教皇は教団本部の建物の中に入った。これから一人で女神像の前でさらに長い祈りを捧げる。これが冬の祭典における教皇の役割である。


 教皇が使った壇が下げられ、その場所に一人の枢機卿の男が立った。彼は教典の読み上げを始めた。


「神は宇宙を創った。永遠と続く暗闇の中に光を欲した。・・・」


 全てを読み上げるまで、彼の声以外は何も聞こえない。真冬の厳しい寒さの日だったが、人が多いおかげか式場一帯は熱に包まれていた。


 更に半刻が過ぎ、教典の読み上げが終わった。祭典自体はここで終了となる。ここからは教団の人事や重要な公布が行われる。教典を読み上げていた枢機卿が元の場所に戻り、また別の枢機卿がその場所に立った。彼は大司教以上の任命と、逝去した教団関係者の名前を読み上げ、最後に冥福を祈った。そして、名前の書かれた紙を丁寧に折りたたんで懐に入れた後、こう宣告した。


「それでは今から、教団による布告を行う!クディナル枢機卿、前へ」


 彼はそう言うと、また元の場所へ戻る。その場所には新たに一人の男が立った。他の枢機卿より見るからに背が高くがっしりとした体躯。金色の髪を丁寧に撫でつけている。右目の上に傷があるのがアスティのいる場所からも見える。おおよそ聖職者には見えない顔だちだ。クディナル・・・。確か、エウドクス教授が話していた人物だ。十年前にエウドクス教授の教え子を処刑した人物。奴がエウドクス教授を捕らえたのだろうか。


 クディナルは祭壇の上で右手を心臓の位置に置き、言葉を発した。それは先ほどの教皇のような静かに広がっていくような声ではない。威圧的で、体に響くような、獣の咆哮のような声だ。


「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。大変素晴らしい祭典となりましたこと、心より感謝いたします。これもひとえに皆様の厚い信仰心によるものだと、私は実感しております。女神テアディース様も大変喜んでおられることでしょう」


 クディナルは大きくかぶりを振った。まるでパフォーマンスだ。


「ですが、まことに残念なことに、このような素晴らしい女神テアディースの教えに反し、異端の道に落ちてしまった人間もいます」


 クディナルはそう言うと、祭壇の下で待機している円環軍の兵に何か指示を出した。兵は裏手に走って行き、しばらくすると大勢の人間が連れてこられた。この厳しい寒さの中、薄手で遠目でも分かるほどにみすぼらしい服を着ている。手枷を付けられ、皆一様に項垂れて抵抗する様子もない。群衆の中から息をのむ音や小さな悲鳴、誰かの名前を叫ぶ声が聞こえた。おそらく、円環軍によって連行された市民なのだろう。アスティは目をこらした。エウドクス教授の姿は見えない。


 彼らは祭壇の前に横一列で並べられ、両膝をついて跪かせられた。クディナルは祭壇の下にいる彼らを一瞥し、また声を張り上げた。


「今までなら、彼らには改宗の機会が与えられ、すぐに釈放してきました。しかしこのままでは異教が王国を蝕んでしまう!現に異教徒は増え続けています。なので我々は考えを改めました」


 クディナルは胸に当てていた右手を空に向かって挙げた。捕えられた人々の横に一人ずつ円環軍の兵が立ち、携えていた剣を抜いた。


「ここに布告します。異端の罪に問われた者は今後、その罪の大小に関係なく、死によって救いをもたらすと!彼らはその命をもって罪を償い、命の円環に還ることを許されるのです!」


 クディナルが右手を降ろすと同時に、真っ白の祭壇が赤く染まった。群衆から悲鳴が聞こえる。顔を覆う者、目を逸らす者もいる。アスティは、その光景から目が離せなかった。祭壇の下には血が広がっていく。ばたばたと、跪いた人の体が倒れていく。そしてその周りに転がっているのは、首だ。奴らは首を刎ねたのだ。群衆の前にいる教団関係者からも、呻き声や小さな悲鳴が聞こえた。彼らもこの惨状を知らなかったのだろうか。


 祭壇の裏手からまた数人の兵が出てきた。兵達はバシャバシャと血溜まりを歩き、それぞれ体と首を持って行った。群衆のざわめきは収まらない。


 兵が遺体を全て運んだことを見届け、クディナルは群衆の方を向いた。


「さて、実はもう一人神の教えに背きし異教徒がいます。彼は他の者より重い異端の罪があるのです」


 アスティは叫びそうになった。必死で拳を握り、声を抑えた。祭壇の前に連れてこられたのは、あれは、エウドクス教授だ。


 一緒に観測をした。天文学を教えてくれた彼の面影はなかった。上半身は裸で、夥しいほどの切り傷や火傷の痕がアスティの場所からでも見える。髪は乱れ、顔は腫れあがっている。口角から耳にかけて大きな傷跡も見える。拷問をされたのだ。長時間、苛烈な拷問を。そしておそらく、治癒魔法をかけられながら。終わりのない地獄を彼は味わったのだ。アスティの目には、彼も気が付かないうちに涙が浮かんでいた。


 兵が血溜まりの上に大量の木を並べ、中央に杭を打ち付けた。その周りに、木桶で何かの液体を撒いている。クディナルは両手を広げ、まるで演説をするかのように群衆に向かって声を張り上げる。


「この男はかつて、天文学の研究をしていました。しかし、悪魔の囁きにより神が作られたこの美しい空の存在を疑ってしまったのです!星々は神の定めたように動く。これは不変のものです。しかし、この男は神の存在すら疑った、大変危険な思想を持った異教徒になってしまったのです!」


 兵がエウドクス教授を先ほど打ち付けられた杭に縛りつける。


「これほどの罪、首を失うだけでは償いきれないでしょう。神の許しを請うためには罪を全て燃やし尽くしてしまわなければならない!」


 群衆にざわめきと悲鳴が広がる。それもそうだ。王国法において、長く辛い苦しみを与えるということで火刑は禁止されてきた。それを教団は今、執行しようとしている。クディナルは群衆の訴えに応えるように言った。


「確かに今まで、火刑は苦しみが大きいとして禁止されてきました。しかし、それは決して神の教えによるものではありません!あくまで王国の定めた法としてであります。我々教団はその苦しみをもって数多の罪から解放されるという答えに辿り着きました。これは教皇様もお認めになられています!」


 暴論だ。詭弁だ。それは。アスティは怒りを必死に抑えた。自分を見失いそうだ。教団は最後まで彼にそんな苦しみを与えるのか。それが神の導きなのか。握りしめた拳からは血が滴り落ちる。アスティはその痛みも感じていなかった。目を見開き、祭壇の上に立つ悪魔のような顔の男を睨みつけた。


「これはもう一つの布告です。これから教団は異教徒の処刑方法の一つとして、火刑を取り入れます!」


クディナルは祭壇を降り、兵の一人から火のついた松明を受け取った。そして、縛られたクディナルに近付いた。




「エウドクスよ。最後に何か、言い残すことはあるかな?」


 エウドクスはゆっくりと首を持ち上げ、クディナルを見た。


「・・・・・・ああ、では一つだけ」


 エウドクスは、笑みを浮かべながらいつもの穏やかな口調で言った。


「クディナル、あなたは自分が勝ったとお思いでしょう。十年前、私は教え子を一人失った。私は逃げ出したんだ。あのときから私は負け続けていた。あなたにも、自分にも、そして神にも。今回もあなたは私を捕らえ自白させ、勝ちを確信したはずだ。でもね、クディナル。私はまだ負けていない。今あなたに殺されても負けていないのです」


「何を馬鹿なことを」


 クディナルはエウドクスの言葉を聞いて嘲笑した。


「君はここで死ぬのだ。残念ながら君に勝ちの道はもうない」


 エウドクスは空を見上げる。空からはちらちらと雪が降り始めていた。


「エウドクス。あなたはきっと殺される。世界の真理にね。神をも信じていないあなたに救いはないのだから」


「君も、神を信じていないだろう?」


「私は、神の創った世界を信じていないだけです。私は神を信じています」


「戯言を。遺言として受け取っておこう。ではな、エウドクス。神のもとに行くがいい」




 クディナルがエウドクス教授と何かを話し、そして少し離れて松明を投げ入れた。炎が燃えて、広がっていく。炎の柱が高くなり群衆を照らす。皆、じっと見つめていた。いや、目が離せなかったのかもしれない。炎の海に消えて行く一人の男を。


 炎の中から、エウドクス教授の叫び声が聞こえた。それは今まで聞いたことのない、彼の大きな叫びだった。


「いいですか皆さん!神を盲信してはいけない!皆それぞれの信仰心を大切にしなさい!信仰とは、心の支えです!そして私の名前を覚えなさい!私の名はエウドクス!エウドクス・ジョルダン!」


 エウドクス教授は炎に包まれながら自分の名前を何度も叫んだ。その声は徐々に悲鳴に変わり、そしてその悲鳴も聞こえなくなった。群衆は静まり返り、薪が爆ぜ炎の燃え盛る音だけが聞こえた。アスティは流れる涙をぬぐうこともせず、ただ見つめていた。エウドクス教授の最期を。


 王都には今年最初の雪が降っていた。


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