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ルークルイリス物語  作者: 梅雨前線
紅の動乱編
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第二十六話 アスティの決断

 エウドクスが捕縛された同日。教団本部での出来事など露も知らないアスティは、寮で遅めの朝食をとっていた。午後には学長に呼び出されヴァシーリオ学術大学へ行く用事があった。アスティは小麦のパンを野菜のスープに浸しながらここ数日起こった事を思い出していた。


 エウドクス教授が手配された翌日、教団関係者がアスティのもとを訪ねてきた。アスティは教団本部へ連行されることも覚悟していたが、学長が手を回してくれたようで教団の聞き取りは形式的なもので終わった。その後、教団からアスティへの接触は無い。地図の作成者を探す動きも沈静化していると後日カマリエさんから聞いた。


 しかし、専修する学問の教授が異端認定の末に手配までされたとなるとアスティが学内で天文学の研究を続けることは様々な面で困難だった。日課である夜の観測は一人で継続していたが、アスティの知識では限界があった。それにおそらく、冬の祭典において天文学自体が異端認定されるだろう。身の振り方を考えていた時、学術大学の学長から直々に呼び出しがあった。それが今日の午後だ。


 アスティはパンを口に入れる。噛むと野菜スープが染み出し口を満たす。スープは薄味だが香辛料も入っていてアスティは嫌いな味ではなかった。味気のないパンも浸すと十分美味しく感じることができる。


 食べ終わったアスティは木製の皿と匙を持って台所へ行く。そこには竈の火を落とす寮長がいた。寮長はもう年齢も分からない程に高齢の女性だが。とても活発で寮生の朝晩の食事をいつも用意してくれている。外出報告をしない寮生にはよく拳を下ろしていた。


「ご馳走様でした」と、アスティは皿と匙をカウンターに置きながら言った。寮長はちらりとアスティを見て「あいよ」と言った。


 アスティは自室に戻り、紺の制服に袖を通した。その上から外套を羽織る。テアディース大陸の中で王都ヴァシーリオのある大陸中央付近は、北部ほど厳しい寒さではないがそれでも身を突き刺すような寒さを感じる日も多くある。今日はそんな、特に寒さの厳しい日だった。


 寮を出て大学へ向かう。通りに人は少ない。歩く人は皆早足で、何か警戒しているような様子も感じる。ここのところ増えてきた円環軍のせいだろう。一カ月ほど前から王都内で増えてきた円環軍、強化されている取り締まり。それらが王都の市民にえも言えぬ不安を与えていた。


 アスティは大学に着くと学長室に向かった。今日は必修の講義は無く、学長との約束だけだ。


 他の部屋より幾分か大きい両開きの扉の前に着く。アスティは軽く息を吸い蝶番を叩いた。重たい金属が木の扉にぶつかり、ゴンゴンと音がする。すぐに「どうぞ」という声が部屋の中から聞こえてきた。「失礼します」と言い、アスティは扉を開いた。


 部屋は広く、中央には応接用の机と椅子が四脚置かれている。そのさらに奥に大きな執務用の机があり、立派な木の細工が施された椅子に座る学長がいた。


「来てもらってすまないね」


 学長は穏やかにそう言った。アスティは、学長と話すことは初めてだった。寮長より少し年下だろうか。白髪交じりの、冬の空のような灰色の髪。顔に刻まれた皺には、その穏やかな笑顔の下にある彼女の歴史を感じ取れる。小柄だが、不思議な、威圧感のようなものを感じ、アスティは直立のまま学長の前に立った。


「エウドクス教授の件では苦労をかけたね。その後、何もなかったかい?」


 学長は教団のことを言っているのだろう。彼女が裏で教団に手を回して僕への対応を簡易的なものにさせたことはカマリエを通じてソフィから聞いた。学長は昔、権威ある研究者だったようだ。多くの功績を立て王国の発展に貢献したらしい。教団はそんな彼女が学長を務める学術大学には、よほどの証拠が無い限りあまり手出しができないのだ。


「いえ。学長のおかげであれから平穏に過ごすことができています」


 学長はアスティの言葉を聞くと静かに、小さく頷いた。


「イオル君、あなたも予想はしているだろうけど、これからこの学校で天文学を学ぶことは厳しくなるわ。こちらとしては専修する学問を他のものに変えることも特別に許可したいと思っています。君の才能を逃すのはこの学校にとっても損失になると私は思っているのよ」


 学長は穏やかに、されど芯のある声でそう言った。そしてこう続けた。


「ただ、あなたの意志を一番に尊重します。我々にできることがあれば協力もします。何か考えていることはある?」


 アスティは驚いた。学長とは、普通の学生なら関わる機会はほとんどない。アスティ自身も話すこと自体今日が初めてだ。そんな関係性の自分にも最大限学校として出来ることを提案してくれている。そんなことに感動すら覚える。しかし、アスティは既に考えを固めていた。学長からの提案はありがたいものだが、決断は揺るがない。


「色々とありがとうございます。ただ天文学の研究は続けたいので、大学は今年で辞めようと考えています」


 アスティは学長の目を見て、はっきりとそう言った。

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