第二十五話 聖職者
「久しぶりだな、エウドクス」
地下牢を真っ直ぐ行った先の最奥にある独房。クディナルが木製の扉を開ける、無機質な石の部屋の中央に椅子に縛られたエウドクスがいた。捕縛される時につけられたのか、腫れあがった顔がうつむいていた。燭台の上の数本の蠟燭が部屋を照らしている。どこからか水が地面に滴り落ちる音が聞こえる。クディナルはエピスコスに部屋の外で待機するよう命令を出し、エウドクスの正面にある木製の椅子に座った。古いせいか、椅子はミシミシと音を立てた。椅子の音に反応してエウドクスは顔を上げた。乱れた銀色の髪がはらりと落ちて目にかかる。
「・・・おや、クディナルではないですか。枢機卿自ら会いにきてくださるとは、私も大物になったものです」
エウドクスは落ち着いていた。少し余裕さえ感じる口調でそう言った。
「十年前、君を取り逃がして以来だな。ようやく会うことができて嬉しいよ、エウドクス。今回は私の勝ちのようだ」
「罪を捏造して捕まえておいて偉そうなことはいえないでしょう。クディナル。私を捕まえた部屋には、異端の証拠は何もなかったはずです。」
「確かにそうだ。だがなぜ物盗りの犯行に見せかけて失踪したんだ?やましいことがあったのだろう?」
「これ以上王都で天文学を研究することに身の危険を感じただけですよ。教団が弾圧を強めることも以前から聞いていたのでね」
「なるほど。だから研究の証拠を残さずに失踪したと。その意味ではまだ私は勝者ではないな。・・・しかしエウドクスよ。私は一つ、君に聞きたいことがあるのだ。答えてくれるのならば命だけは見逃そう」
クディナルの言葉を聞き、エウドクスは眉をひそめ「何の話ですか」と言った。
「これだよ、エウドクス先生」
クディナルは懐から一枚の紙を取り出し、広げてエウドクスに見せた。
「これは、王都の地図ですか・・・。収穫祭のときに出回っていた物ですね」
「さすがは先生、よくご存じだ。私はこれを作った人間が君の知り合いだと思っていてね」
クディナルは指で地図をトントンと叩いた。
「何の話か分からないですね。それに、ただ地図を作っただけでは異端の罪には問えないでしょう?」
エウドクスは静かに言った。反対にクディナルは声を張り上げる。
「そう!それが残念なところだ。これだけでは女神テアディースのご意思に背いているとまでは言えない。だが私は、この地図を作った人間が異端になりうるとは思っているのだよ」
「・・・どういう意味ですか?」
「分からないかね。今回は王都という既に作られた場所の地図だった。これは異端の罪には問えまい。しかしこれが、王都の外にまで広がったらどうかな?」
「神がお創りになられた世界の形を改めて王国民が知ることができて、よいことだと思いますが?」
クディナルはエウドクスを見つめる。そして、静かに語り出した。
「君は、本当に神テアディースの創られた、教典に書かれているような世界がこの大陸に広がっていると思っているのかね」
クディナルは立ち上がり、部屋を歩きまわりながら続ける。
「教典には、『正円の大陸には大自然が広がり、深い森の奥には赤、青、黄色と美しく輝く花が咲いている。海は金色の波を纏い、草原には天にまで登る大樹が根を張っている。天翔ける馬、地を統べる大蛇、そして神が住まう山々の守護神たる大鷲。それぞれがこの大陸を守っている。』という一文がある。エウドクス、君は本当にそんな場所が、そんな生き物たちがこの世界に存在すると思うのかい?」
「何を馬鹿なことを・・・」
エウドクスは眉をひそめクディナルを睨む。
「何かおかしいかな?君も神の世界に疑問を持っているだろう?だからこそ真理を追い求めている」
「あなたは・・・、あなたは聖職者でしょう。そんなことは許されない。いや、神が許さないのでは?」
「残念だがエウドクス、許されるのだ。許されるのだよ。私は昔からこの世界を疑っている。だがそんな私に神の裁きはまだ下っていない。・・・しかしねエウドクス、王国民にはそんな考えを抱かせてはいけない。王国民には厚い信仰心を持ったままでいてもらわねばならない。教団が維持できないからだ。そのために、異端の芽は小さな物でも摘まねばならん。地図作りとかいう神の創りし世界を壊しかねない技術など以ての外というわけだ」
クディナルは、唖然としているエウドクスを見て続けた。
「さて、君との議論は大変楽しいが私も忙しい身でね。そろそろこの地図を作った人間を吐いてもらおうか。言わぬというなら、こちらも手段を講じなくてはならない」
「・・・拷問でもするつもりですか?」
「ご明察だ、エウドクス」
クディナルは壁に固定された、両開きの木製の棚を開いた。中に大小様々な鉄の器具が置かれている。どれも黒く錆びついている。
「さて、できるだけ長く耐えてくれよ」
クディナルは青銅で出来た、先が膨らんだ金属棒を手に取った。
『リノリティス』
クディナルがそう唱えると、手のひらに小さな火球が浮かび上がった。クディナルはその火球に金属棒の先端をつける。金属棒が少しずつ赤くなってくる。火に照らされたクディナルの顔を見て、エウドクスは言った。
「その顔、確かに聖職者の顔ではないですね。・・・クディナル、あなたは悪魔だ」
「悪魔か・・・。ついさっきも聞いたな。まったく、学のある人間が増えるのも困りものだ」
クディナルは真っ赤に染まった金属棒を持ちエウドクスに近付く。熱で周りがゆらめいている。エウドクスの顔には熱さなのか、それとも恐怖なのか、大粒の汗が浮かんでいた。
くぐもった声が独房に響く。それが叫び声になるまでに時間は掛からなかった。
数刻後、独房から出てきたクディナルにエピスコスが声をかけた。
「ご苦労様です猊下。やつは何か情報を吐きましたか?」
クディナルは手に着いた血を白い布で拭きながら答えた。
「ああ。例の地図を作ったのは自分だそうだ。その証拠に地図の作り方と、作成に使用した道具の隠し場所を吐いた。すぐにその場所へ向かえ」
「承知しました!」
エピスコスはクディナルから場所を聞くと、走ってその場を離れた。
「例の少年だと思っていたが、勘が外れたようだ」
クディナルは少しつまらなさそうに呟き、近くにいた兵士に命令を出した。
「この独房にいるやつを治療しろ。冬の祭典までは生かしておけ」




