第十九話 ヴァシーリオ騎士団の男
収穫祭七日目。王都には祭りが終わる、少し寂し気な空気が流れていた。四日目を過ぎたあたりから屋台の数は少しずつ減っていき、まだ営業している店も商品の値引きを大声で謳っていた。屋台通りの人の数とは逆に、外に出るための城門は少しずつ王都から出るための商人や王国民の数が増えてきていた。
アスティは寮の自室から外を見ていた。通りには祭りを楽しんだ、満足げな表情を浮かべる人達が城門へ向かって歩いている様子が見える。他の場所に目をやると、裏路地に数人、人の気配がした。おそらくソフィが手配した護衛だろう。カマリエさんと『猫の手亭』で別れた後から、ずっと人の気配を感じる。あまり気分のいいものではないが、今は仕方ない。むしろそこまで手を回してくれたソフィに感謝をしなくてはいけない。
アスティは収穫祭の期間、寮から出ていなかった。教団がどこまで情報を掴んでいるのか分からない以上、無闇に動くことは得策ではない。アスティは自室にある無機質な木の椅子に腰掛け、エウドクス教授と共に観測した天体の記録を眺めていた。
彼が姿を消して三日、天文学の教授が失踪した噂は王都に一度広まった後、少しずつその話をする人の数は減って行った。所詮は噂話。他に興味を集める話題が出れば人々は皆新しい方へ注目することは世の必定だ。今は専ら、収穫祭で売られていた新しい砂糖菓子の話やとても歌声が美しい中世的な吟遊詩人の話、円環軍の数が増えてきている話などが街の噂話になっている。寮長から聞いた話を思い出しながらアスティはそんなことを考えていた。
カマリエさんの話によると、教団は何か大きなことを計画している。同じタイミングで起きたエウドクス教授の失踪。十年前の事件。そして原理主義派の台頭。クディナルという枢機卿の男。僕の地図作りとは別軸で、王都で何かが起ころうとしている。いや、元々別軸だったものが交わってきているのだろうか。円環軍が増員されているのも不気味だ。
待つことしかできない自分に、アスティは少し腹を立てていた。ずっと部屋にいると気が滅入ってしまう。ここ数日はずっと薄曇りで観測もまともにできていない。
「よし、外に行こう」
アスティはそう呟き、着替え始めた。人も少なくなって、護衛や街に出ると巡回の衛兵、騎士団もいる。教団もそう下手なことはできないだろう。それにこのままでは頭がおかしくなってしまう。
いつものリネンの上下衣に着替え、外套を羽織ってアスティは外に出た。外はやはり薄曇りで昼間だというのにかなり薄暗い。雨が降っていないのは幸いだ。アスティは空を一度見上げ、屋台通りに向かって歩き出した。
アスティは特に行く当てもなく、通りを散策していた。スコティの森で採れた猪肉の串焼きを食べたり、果実を砂糖水に漬けたジュースを飲んだりした。
「やっぱり、初日とは比べられない程歩きやすいな」
人の数が少ないことを小さく喜びながらアスティは屋台通りを歩いた。ふと、ある店が目に入った。
「武器屋、か」
剣と槍が交差しその下に『オルゴ武具店』と書かれた木製の看板がかけられている、店はかなり古そうだ。おそらく元々この場所でやっている店なのだろう。今まで武器の類はほとんど触ったことがない。護身用に一本ナイフでもあればいいかもしれない。アスティはドアを押して開き、中に入った。
店に入ると、主人と思われる大柄の男が店の奥にあるカウンターに座っている。店内には客が一人。ソフィと近い色の金髪があちこちにはねている。黒の上下衣の上に黒のマント。裏地は赤。背中には王家の紋章である狼と剣、葡萄の蔓が金の刺繍で描かれている。ヴァシーリオ騎士団の制服だ。しかも黒服。一般の騎士は白服で騎士団長をはじめ役職のある騎士は赤服。黒服は確か実力者のみで構成された遊撃部隊が着用している。この男は相当な実力者なのだろう。
アスティが店に入ると、その騎士団の男がちらっとアスティを見て、視線を外した。アスティはまっすぐカウンターに向かい、髭面でこわもての店主の男に話しかけた。
「すいません、小型のナイフは売っていますか?」
「おう、何に使うんだ?」店主はしゃがれた声でアスティに聞いた。アスティが答えようとしたとき、後ろから騎士団の男がぬっと覗き込んできた。
「おう坊主、そんなちゃちな武器じゃあ自分の身一つ守れねえぜ」
気障な声色で少し馬鹿にしたような言い方。アスティは、ちらりと男を見た。ソフィと似た髪色だと思ったが、近くで見ると少しくすんで見える。気障な声をしているがその目は鋭く、まるで獲物を狙う狼のようだ。
「男ならやっぱり長剣だろ!なあ、オルゴ」
どうやら騎士団この男はこの店の常連のようだ。オルゴはあきれたような表情で騎士団の男に言う。
「ディティ、てめえはいつも馴れ馴れしいんだよ。迷惑そうにしてんじゃねえか。すまねえな、坊主」
オルゴは騎士団の男をディティと呼び、呆れたように言った。
「いえ、大丈夫ですよ。ところでナイフを購入したいのですが。素人でも扱えるような護身用の物です」
騎士団の男は無視されたと感じたのか、アスティの肩に手をかけてきた。
「おいおい、坊主。無視とは常識が無いんじゃないか?」
「僕は坊主という名前じゃありません。アスティニース・イオルです。名前も名乗らずに年下の子どもに絡んでくるなんて、あなたの方こそ常識を知らないみたいですね」
アスティはまっすぐに騎士団の男の目を見て言った。男は少し感心したように「ほお」と言った。
「へえ、年の割にいい度胸してんじゃねえか。いいか、おれの名前はディナティオスっていう。ヴァシーリオ騎士団所属だ。アスティニース、お前ももうちょっとでかくなったら騎士団に来るといい。歓迎するぜ」
「ディティ、こんなところで勧誘はやめろ。さっさと仕事に戻れ」
オルゴは煩わしそうに手を振りながら言った。
「はいよ。じゃあなアスティニース。騎士団で待ってるぜ!まあ、ちょっと細すぎるからもう少しでかくなった方がいいけどな!」
騎士団の男ははそう言い残すと、手をひらひらと振って店から出て行った。
「まったく・・・。すまねえな、坊主。悪い奴じゃないんだが、人との距離感を測るのが苦手なんだ。特に坊主みたいな生意気なやつが好きでね」
「生意気、ですか」
アスティは苦笑いした。そして言葉を続けた。
「でも、あの人騎士団ですよね?あまりそう見えないというか・・・」
王国直轄騎士団であるヴァシーリオ騎士団は規律に厳しく、入隊するためには騎士養成学校の厳しい修練に耐え、さらに難関と言われる入隊試験に合格しなければならないと聞いたことがある。
「ああ、だからかいまだに騎士団に馴染めていないみたいでな。巡回の時にはよくサボってうちにくるんだ」
オルゴは手のかかる息子を思うようにそう言った。
「よくそれで入隊できましたね・・・」
「あいつは剣の腕だけは一流だからな。騎士団の中では騎士団長や副団長の次くらいには腕がたつはずだ」
「それは・・・すごいですね」
騎士団長と副団長といえば、強者揃いの騎士団の中でも飛び抜けて剣の腕が立つと評判の二人だ。その二人に並ぶとは・・・。アスティは少し驚いた。
「人は見かけによりませんね」
「そういうことだ。・・・おっと、ナイフだったな。ちょいと待ってくれや」
アスティはその後、オルゴが出した何本かのナイフの中から手になじむ一本を選んで購入し、店をあとにした。
収穫祭最終日の夜は広場にある奉納の火の周りに集まり、その火が消えるまで酒を飲みかわす。人々は祭りの終わりを惜しむように、夜更けまで飲み、歌い、騒いでいた。




