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ルークルイリス物語  作者: 梅雨前線
収穫祭編
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第十六話 レプ・イリス

 収穫祭四日目、広場では収穫物を奉納する火の柱が上がっていた。アスティは収穫祭が行われている間も、夜は観測を続けていた。いつもの北門の城壁へ登ると、一番上からは小さく広場の火が見える。アスティは視線を空へと移した。


「観測日和だな」


 空には星々がまるで水面のきらめきのように輝いていた。アスティの深い碧色の瞳に映るそれは、まるで別世界の宝石のようだった。


「冬が近いね」


 アスティの後ろから声がする。振り返るとエウドクス教授が立っていた。


「こんばんは、教授」とアスティは微笑みながらいつもの挨拶をする。エウドクスも穏やかな笑みを浮かべてそれに答えた。


 収穫祭の間も何度かエウドクス教授と会ったが、いつもと様子は変わらない。やはりソフィの言っていたことは何かの間違いだったのだろう。アスティは隣で観測の準備を始めたエウドクス教授を見ながらそう思った。


「どうしたんだい?」

 エウドクス教授はアスティの視線に気が付き問いかける。


「いえ、なんでも。今日はいい観測ができそうですね」とアスティは答えた。


 エウドクス教授は夜空を見上げ目を細める。まるで夜空の奥のそのまた奥にある星を見つけようとするように。そして言った。


「こんなに美しい星空は久しぶりだ。早く観測を始めよう」


 二人は数刻の間、黙々と観測と記録を続けた。しばらくの後、エウドクス教授がアスティに話しかけた。


「そういえば、収穫祭では君の作った地図をよく見かけたよ。大活躍だったね」


「いえ、僕はできることをしただけです。ソフィは想像より流通したと驚いていましたが」

 アスティは苦笑いを浮かべながら答えた。


「やはり、世界の常識が変わっただろう?」とエウドクス教授が言う。アスティは地図が完成した日の、エウドクス教授と交わした会話を思い出した。


「まあ確かに、一面ではそうかもしれません。でも世界なんて大規模なものじゃない。ただの国の、一つの街の常識ですよ」


 エウドクス教授はアスティの言葉を聞いて、答えた。


「いいかいイオル君。これはまあ大人の説教みたいなものだと思って聞いてほしいんだが」


「説教ですか、あまり得意ではありませんね」


「記憶の片隅にでも置いておいてくれ。・・・このバセレシウ王国において、常識を変えるということは、神の作ったものを変えるということになる」


「そんな大仰な」


 真面目な顔で話を聞くアスティに、エウドクス教授は微笑みながら続けた。


「我々研究者は、真理を追い求めている。まだ見つかっていない真理を見つけることが生きる意味であり目的だ。そして、その真理はときに神の意志に背くことがある」


 アスティは黙った。エウドクス教授がここまで踏み込んだことを話すのは初めてだと思っていた。


「神の創ったものを探究することだけが研究なのではない。神の間違いを探究することもまた研究なのだ。そこに真理があるならね」


「しかし教授、それは教団の教えに反します。危険思想です」


エウドクス教授はくすりと笑った。


「おや、君がそれを言うかねイオル君。今回の地図作りはまさにそうだ。神の存在を疑う行為に繋がっていく。私には分かるよ。イオル君、君は神を信じていないだろう」


 アスティはまた黙る。エウドクス教授はいつもと変わらない口調で話しを続けた。


「私も昔はそうだった。教授としてヴァシーリオ学術大学に着任したころ、初めて受け持ったとある学生が惑星の周回軌道に今までの記録との誤差を見つけてね。観測を続けるとどうやら昔の記録に大きな間違いがあったんだ」


「そんなことが・・・」


「十年も昔の話だがね。あの頃の私は、一番に自分を信じていた。自分が真理を探究することになんの迷いもなかった。私はその学生とともに観測を続け、そして記録は完成した」


「・・・それでどうなったのですか」


 アスティは薄々気が付いていた。その研究は教団が許さない。もし気が付かれていたら今、ヴァシーリオ学術大学に天文学は存在しない。


 エウドクス教授は肩をすくめた。


「その観測記録を公表しようとしたんだ。王国中に知れ渡るよう公表してしまえば、それが世界の常識に書き換わる。君がこの王都でやったようにね。・・・だが事はそう上手くはいかなかった。教会に嗅ぎ付けられたんだ。あの頃ちょうど原理主義派の中でも力を持ったクディナルという男が枢機卿に着任し、原理主義派が力をつけてきたころだった。クディナルは恐ろしい男だ。決断力があり全ての行動が早い。どこかからか記録の存在を嗅ぎつけたクディナルは、その足で私の研究室に来たんだ。ちょうど私が留守の時にな」


アスティは黙って聞いていた。エウドクス教授は空を見上げ、話した。


「だが、その記録をともに作った学生は頭の切れる少年だった。今の君のようにね。教団に気が付かれたことにいち早く気が付き、記録や資料を全て自室に持って帰っていたんだ。もちろんすぐに教団が彼の部屋へ立ち入って調査をし、記録は全て見つかり没収された。しかし彼は全て自分で記録したと言ったんだ。本当は私と長い間ともに観測をしたというのに。彼は私をかばい、罪を全て背負った」


「その人はどうなったんですか」


「処刑されたよ。異教徒は弾圧するという原理主義派の宣伝工作に利用されてね。見せしめに処刑された」


 エウドクス教授の表情は変わらない。しかしその顔に刻まれた皺に、そのときの絶望が残っているのだとアスティは思った。エウドクス教授は話を続ける。


「私は言い出せなかった。自分も共犯だと。今まで真理を追い求める自分の行動を疑ったことはなかったというのに・・・。笑える話だ。それ以来、私は自分を許せずにいる。私は結局、本物の真理の探究者にはなれなかった。本物の探究者は、彼のような人間のことをいうんだ」


 アスティは考えていた。エウドクス教授が危険な天文学の研究を今まで続けてきた理由、そしてこれだけ長い間研究をしているのに成果を出していなかった理由を。


「研究の成果を出したら、異教徒として処刑されてしまう。あなたはそれを恐れていたんですね」


 アスティはエウドクス教授に言った。エウドクス教授はアスティの方を見た。穏やかな笑顔を浮かべている。


「そうだ。私は怖かったんだ。調べれば調べるほど、この国は矛盾が生まれてくる。どの学問においても。教団はその全てに蓋をする気なんだ」


「そこまでして・・・、原理主義派はそこまでして何を守りたいんでしょうか」


「権威と支配だよ。・・・おそらく彼らはこのバセレシウ王国の支配を企んでいる」


 アスティは目を開いた。驚きを隠せない。


「王国の支配・・・なぜそんなことを」


「分からない。だが、画策しているのは事実だ。そして私はそれを止める義務がある」


「何をするつもりですか、エウドクス教授」


 エウドクス教授は微笑み、それ以上何も言おうとはしなかった。冷たい風が二人の間を吹き抜ける。星々は変わらず二人の上で瞬いている。今にも落ちてきそうなその星々は冷たく、しかし優しく二人を見守っているような気がした。


「イオル君、これをあげよう」


 エウドクス教授はおもむろに外套の懐から掌ほどの大きさのものを取り出し、アスティに渡した。


「これは・・・?」


 アスティは受け取った物をランタンの灯りで照らした。それは貝殻だった。夜で分かりづらいが、その貝は日が沈んだ直後の空のような淡い青色をしている。光に当たるとキラキラと輝く様子はまるで今の星空のようだ。端には小さな穴が開けられ、麻の紐が通されていて首飾りのようになっている。


「・・・綺麗ですね」


 アスティはその貝殻を見つめて言った。


「私が若い頃、西方のとある村で友好の証に貰ったものだ。持っていると旅の安全が約束されるとその村では言われていた。私の宝物だよ」


「そんな大切をなぜ僕に?」


 アスティの問いかけにエウドクス教授は笑って答えた。


「私にはもう必要ないからね。それに君ならあるいは・・・。いや、なんでもないよ」


 アスティはエウドクス教授の言葉の意味が分からなかった。しかし、なぜだか急に、エウドクス教授が遠く離れていく感じがした。その思いを心の隅に追いやり、アスティは「なんという名前の貝殻ですか?」とエウドクス教授に尋ねた。


「その貝の名は、『レプイリス貝』という。西の海でしか採れないものだ」


エウドクス教授はまた遠い目で星を見る。


「ありがとうございます。大切にします」


 アスティは貝の首飾りをそっと首からかけ、そう言った。ふと前を見ると、眼前に横たわるトサナート山脈が少しずつ橙色に光を放っていた。日が昇ってきた。


「では私は帰るとするよ。イオル君、残りの収穫祭も楽しみたまえ」


 エウドクス教授はいつもの穏やかな笑顔でアスティにそう言うと、城壁の階段を下りて行った。アスティはその姿が見えなくなるまで見送った。

 

 これが、アスティがエウドクス教授と話した最後になった。


 翌日、エウドクス教授は失踪した。


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