ルーシ再侵攻
ミンダウガスも50歳、当時ならそろそろお迎えが来る年齢になったのだが……全然落ち着いていなかった。
二番目の妻・モルタを得てから、若返ったように見える。
最初の妻を喪った後の数年、真面目ではあったが妙に強権的かつ高圧的で、やる事の半分は上手くいかず、国内に敵を作っていた時期と比べれば、今のミンダウガスが生き生きとしているのは一目瞭然だ。
そのミンダウガスは、東方進出の足掛かりとして、まず政治的な手から打つ。
「ダウマンタス公。
貴方も妻を亡くされているそうだな」
「はい、儚いものです」
「どうだろう、後妻として王妃の妹、リリヤを貰ってくれないか?」
「え、あの……それはどういう事ですか?」
「簡単に言えば、俺の家族にならないかって事だ。
俺と貴卿の妻同士が姉妹という関係だ。
もっとハッキリ言えば、卿との関係を強化し、ナルシュア統治を安定させたい」
「そこまで露骨に言われるとは思いませんでした」
「俺の師匠が、お互いに利がある話なら、腹の探り合いするより、ハッキリ言った上で相手の態度を見て判断する女性だったからな。
卿も、共同統治するナルシュア公が俺の甥で、自分だけ他人では居心地悪いのではないか?」
「私もハッキリ言われて貰えば、確かに臣属こそしましたが、いつ捨てられるか分からない不安があります」
「ならば、俺の家族に加わる件、承知してくれるな?」
「はい、喜んでお受けします」
こうしてダウマンタスを義弟としたミンダウガスは、ナルシュアを拠点にルーシ侵攻を開始した。
ルーシ侵攻軍は、リトアニアに復帰したばかりのポラツク公タウトヴィラスが司令官である。
この地はリトアニアの失地と言えた。
元々黒ルーシまで領土を拡大させていたリトアニアは、ポラツク公国を併合し、その公としてタウトヴィラスが任命されていた。
しかしスモレンスクの戦いで負けると、ミンダウガスはその地を没収、自分の子に任せる。
その子、ヴァイシュヴィルガスは、ダニエル大公に包囲されて降伏した。
そのままポラツクは、ハリチ・ヴォルィニ大公国の保護領となっていた。
タウトヴィラスは、散発的な現地の抵抗を撃砕しつつ、かつてスモレンスクに向かった道を進む。
タウトヴィラスには不安が一つあった。
それは、この地に手を出せば「ロシア王」ことハリチ・ヴォルィニ大公ダニエルが出て来る事である。
「叔父貴は何を考えているのか、俺には分からん」
期せずにして、タウトヴィラスと同じ事を言っている者が居た。
ハリチ・ヴォルィニ大公ダニエルである。
「ミンダウガスは何を考えているのか、私にはさっぱり分からん!!」
つい先日、リトアニアとハリチ・ヴォルィニ大公国は婚姻を成立させ、何度目かの和平条約を結んだ。
リトアニアが王国として成立し、国境という概念も出来た。
両国は国境を定め、そこより無断で立ち入らないよう決める。
ダニエル大公からしたら、今度こそ、ようやく、やっと背後が安定したと思っていたら、また侵攻して来ている。
周囲からの援軍要請もあり、ダニエル大公は軍を率いてポラツクに向かった。
「ミンダウガスが来ているだと?
あいつ、また性懲りも無く陣内に入り込んだのか?」
不快さを隠さないダニエル大公に怯えながらも、伝令はそれを否定する。
「いえ、リトアニア王は数千の騎兵を率いて、既にポラツク前面に布陣しています。
臨戦態勢でした」
「それは良かった……って、良くないな!
あの男、私と戦う気なのか?
娘を嫁がせておいて、分からんなあ。
まあ、あちらがやる気なら、応じるまで。
ルーシの強さを見せてやるぞ」
現在のハリチ・ヴォルィニ大公国は、対モンゴルでは小康状態である。
貢ぎ物は要求されているが、属国の地位に甘んじたハリチ・ヴォルィニ大公国に、モンゴル帝国キプチャク汗国はそれ以上を要求しない。
ダニエル大公は、モンゴルの支配を脱したく準備をしているが、応じる周辺国は無い。
孤独な戦いになる事を覚悟している。
だが、味方しないならせめて邪魔するな!
リトアニアが背後で蠢めくなら、モンゴルとの戦いの前に叩き潰す!
ダニエル大公が闘気を滾らせている所に、再び伝令が駆け込んで来た。
「申し上げます。
リトアニア王が来ました」
「既に聞いておる。
で、リトアニア軍が動いたのか?
それを言え」
「いえ、ですからリトアニア王が……」
「よお、お邪魔するね!」
「ミンダウガス、お前っ!」
「おっと、俺を捕縛ってのは無しだぞ。
俺もあんたも、宣戦布告をしていない。
両国は争っていないのだから」
「よくそんな事が言えるな!
ポラツクを攻めておきながら……」
「あそこ、お前の領地じゃないだろ?」
「まあ、そうなんだが……」
ここでダニエル大公は、周囲の視線に気づく。
調子を狂わされ、威厳が無い姿を見せたくない。
「皆は下がれ。
私はリトアニア王と話す。
呼ぶまで誰も来るな」
人払いをしてから、ダニエル大公は咳払いもして、ミンダウガスに尋ねる。
「どういうつもりだ?
娘を私の倅に嫁がせておいて、こんな事を仕出かすとは?
私を油断させる為か?
ならば、お前が可愛がっていた娘は、死骸にして送り返すのが礼儀だがな」
「なんて野蛮な……」
「お前に言われたくないわ!
で、どうして約束を破った?」
「約束を破ってなんかいない。
黒ルーシには手を出さないと言ったが、白ルーシに手を出さないとは一言も言っていないぞ」
「ナルシュア公国は黒ルーシだ。
タウトヴィラスが侵攻しているのも黒ルーシだ。
そして、このポラツクの先に在るのは私の国だ。
野心を疑われてもおかしくない」
「そこまでは行かんよ。
手を伸ばし過ぎる」
「前科がある以上、信用出来ん」
「俺に必要な大きさまでだ。
それ以上だと手が回らん。
無闇に管理出来ない領土を得ても、タタールとの戦いを前に、国を混乱させるだけだ」
ダニエル大公は今の言葉を聞き逃さなかった。
「ミンダウガス、お前はタタールと、キプチャク草原の連中と戦う気なのか?」
ミンダウガスは頷く。
「俺の人生は、タタールからリトアニアを守る為、時に手を汚して歩いて来た。
リトアニアだけでは足りない。
戦場をリトアニアの外に置きたい。
だから俺は領土を拡げて来た。
やり過ぎは危ういと学んだが、それでも白ルーシまでは手に入れたい。
ナルシュア公国はだな……あちらからリトアニア入りを言って来たから、無碍には断れん」
「抜け抜けと言いおって……。
だが、その言葉に嘘は無いか?」
ダニエル大公にしたら、突然同志が現れたようで、信用出来ないまでも浮き足立ってしまう。
ポーランドもハンガリーも、モンゴルとは戦いたくないようだ。
ルーシ諸国は悉くキプチャク汗国の属国となっているから、迂闊に相談すれば、通報されてしまうだろう。
まさかリトアニアに、モンゴルと戦う意思が有ったとは!
「俺とお前の仲だろう?
嘘なんか言わないよ」
「それが信用出来ん!
お前、私に何度迷惑を掛けて来た?」
「昨日より前の事は覚えてないねえ」
そんなやり取りをしつつも、ダニエル大公は頭の中で様々に計算をしていた。
この男は、ノヴゴロド公国と繋がりがある。
カトリックに改宗し、直接リヴォニアやエストニアへのアクセスが可能になったにも関わらず、正教会のノヴゴロドとの関係も断たず、そのまま商人を介しての交易を続けている。
そのノヴゴロド公からウラジーミル大公に転じた「ネヴァ川の英雄」アレクサンドルとは、対騎士団絡みで連絡を取り合っているとも聞く。
この辺り、宗教ガチガチの石頭ではない、曲者な統治者である。
自分にとって、ノヴゴロド公国やウラジーミル・スーズダリ大公国の動向は注視すべき情報だ。
彼等はモンゴル派であり、「タタールの軛」に積極的に繋がれに行っている。
アレクサンドル大公に至っては、反モンゴル派の弟を打倒してその地位に就いた。
そんな彼等からモンゴルの情報を得たいし、逆にこちらの情報は上手く操作して、叛意を悟られないようにしたい。
孤独な戦いは覚悟している。
だったらせめて、邪魔されないようにしたい。
キプチャク汗国からの独立闘争で、戦上手のアレクサンドル大公に出張って来られたら勝ち目が無くなる。
「ミンダウガス、今以上にルーシに侵攻しないのなら、ここまでは認めてやろう。
ポラツクはリトアニアに渡す。
うちも貴族統率が面倒で、ポラツクまで手が回らんのは事実だ。
我が義兄タウトヴィラスがポラツク公となるなら、そこが妥協点になる」
「流石、話が分かるなあ、兄弟よ」
「子供同士が結婚しただけで、俺とお前は義兄弟とかそんな関係ではないだろ!
それはさておき、現在の拡大したリトアニアを認める上で、条件がある」
「まあ、そうなるだろうな。
何だ?」
「お前の娘婿になる、私の子のシュヴァルナスをお前の家臣に加えろ。
そして、リトアニア国王の後継者候補として認定しろ」
「う……む、まあ……良いだろう」
「ついでだ、もう一人の息子、ロマンにはお前の息子、ヴァイシュヴィルガスの領内の土地を治める権利を与えろ」
「それは強欲過ぎだ」
「お前が言うな。
安心しろ、ヴァイシュヴィルガスの領土は俺が与える。
ナヴァフルダクの地なんてどうだ?」
「ちょっと待て、えーっと……そこは黒ルーシの地だと思ったが、良いのか?」
「お前の息子がそこに来るならな」
「俺の手元から切り離した、態の良い人質って事だな。
まあ、分かった。
リトアニアの領土が増えるし、あいつにも苦労させた方が成長するだろう」
「それともう一つ」
「まだあるのか?」
「ノヴゴロド公国とウラジーミル・スーズダリ大公国、いや……『ネヴァ川の英雄』の動向を常に私に教えろ。
裏で手を組んでいるのは、とっくに知っている。
それと、私のタタールからの独立については隠し通せ」
「???
同じルーシ諸国だろう?
あんたの方が情報を持っているんじゃないのか?」
「私はあの連中のように、タタールと仲良くしていない。
だから、少し距離を置かれている。
一番欲しいタタールの情報が入って来るのが遅い。
それは時と場合によっては致命的な間違いの元になる」
「……という事は、俺もタタールには好意的だと思わせて、あいつらと関係を持ち続けろと?」
「お前、今すぐタタールと戦えるか?」
「まだまだ無理だ」
「そうだろう。
私もまだ無理だ。
だから、牙を隠しておく期間が必要だ。
リトアニアもそうならば、しばらくは親タタールの仮面をかぶっておけ」
「分かった。
俺はいつかはタタールと戦わなければならないと思っている。
だが、戦わずに済むなら、その方がマシだと思ってもいる。
それは『海の尽きるまで我が領土』という彼等が、リトアニアを侵さない事が必要だ。
俺の方から攻める気は全くない」
「それは私も似たようなものだ。
奴等の軛から脱する事が出来たなら。あえてキプチャク草原まで攻め込んだりしない」
「リトアニアはタタールと戦うにはルーシの領土を奪う必要がある。
しかし一方で、タタールからなるべく目をつけられたくはない。
分かった。
目立ちたくない、タタールとは戦いたくない、そういう姿勢でノヴゴルドと接し、何か分かったらあんたに報告しよう」
「まあ、期待はしていないが、邪魔だけはしないでくれ。
あとあいつらからも邪魔が入らないようにして欲しい」
こうしてミンダウガスとダニエル大公は、何度目かの和平条約を結んで国境線を更新した。
そして、反モンゴルでの共闘を誓う。
考えてみれば、ダニエル大公は別に自領が侵されたのではないから、ミンダウガスの見ているものが「全ルーシの征服」ではなく「対モンゴル」ならば、同盟だって可能である。
かくしてリトアニアの領土は、従来のものから、東の黒ルーシ方面、南東の白ルーシ方面に多少拡大された。
おまけ:
おそらく、ですがダウマンタスとリリヤ、両方配偶者と死別かと。
リリヤさん、生年が分かりませんが、1254年時点で44歳のモルタさんの12歳下設定なので、32歳になります。
この時代、若き日のモルタの13歳で結婚はあり得るし、逆に32歳で初婚はあり得ないかな、と考えました。
そして、初婚で32歳の(当時は)年増女性を迎える「公」も居ないかな。
両方一回結婚済みなら、30代同士の再婚はアリでしょう。
(生年が分からないから、こんな解釈してるんだい!
まあ没年が分かるだけマシですが)




