シャウレイの戦いの後
シャウレイの戦いで、新興国リトアニアの勇名は高まった。
だが、筆頭公爵ミンダウガスにとって嬉しい事ばかりではない。
この勝利で讃えられたのは、ヴィーキンタスであってミンダウガスではない。
ミンダウガスは、皆が戦っている間に大軍を集め、必要な戦場に最適なタイミングで送るという、後方担当としては十分な働きをした。
だが、賞賛されるのは前線で戦った将軍である。
ヴィーキンタスは、援軍到着前に少数の手勢だけで動き、敵の退路を断つという見事な手腕を見せた。
最終盤には数百という少数の手勢で、士気が瓦解した騎士団の背後から襲い掛かって、多くの騎士を打ち倒した。
戦上手の面目躍如という所だ。
更に、最も多くの打撃を与えるのは掃討戦である。
先制攻撃に使った後は温存していた軽騎兵を、リガに逃げ帰ろうとした従士たちを狩る為に使った。
歩兵を狩る騎兵は理想的な使い方であり、装備から来る重量のせいで沼地から動けない騎士は、恨みを持つ周辺民族の傭兵に任せ、軽騎兵はその他の部隊を徹底的に叩きのめした。
こうして帯剣騎士団は損耗率九割という未曾有の敗北となる。
それ故、敵味方ともにヴィーキンタスを讃え、ミンダウガスは無視されてしまった。
特に戦場となったシャウレイ公の三兄弟がヴィーキンタスを褒め称えている。
一度の大勝利は、過去の大敗北を忘れさせる。
ヴィーキンタスの勝利は、クールラントにおけるドイツ騎士団戦の屈辱を、忘れさせまではしないが、相当に薄めてしまった。
シャウレイの戦いは、結局は沼地に引き摺り込んで騎士の足を止めるという従来の戦術が生きた戦い。
やはりこれで勝てるんだ。
そう思うと、負担の大きいミンダウガスの国軍編成、軽騎兵育成、クロスボウ部隊の拡充は意味なく思えて来る。
ドイツ騎士団に対する恐怖からミンダウガスのやり方に従っていただけの者は、これにてヴィーキンタスを旗頭にして「昔のやり方に戻せ」という主張を始めるようになった。
シャウレイ公たちの大袈裟なヴィーキンタス称賛には、ミンダウガスに対する当てつけも含まれていたかもしれない。
「ドイツ騎士団と帯剣騎士団は違う!
雑軍に過ぎない帯剣騎士団に勝ったやり方で、ドイツ騎士団に勝てるとは限らない!」
ミンダウガスはそう言うが、「騎士団なんだから同じに違いない」というバイアスが掛かった者たちには届かない。
ミンダウガスはイライラするようになって来た。
「なんで俺の言う事が分からないんだよ。
一回負けて、酷い目に遭ったのに、もう忘れたのかよ……」
ミンダウガスは病床の妻に愚痴を零す。
暖簾に腕押し、糠に釘な、気の利いた返しが出来ない女性なのだが、愚痴を聞いてくれるだけでミンダウガスの精神は癒される。
「抵抗勢力が頼りにするヴィーキンタスを、いっそ殺してしまおうか。
旗頭を失えば、あいつらは何も言えなくなる。
あいつにばかり名声が集まって、癪に障る」
流石にこんな物騒な事を言ったミンダウガスに対しては、妻ルアーナも言葉を返して来た。
「貴方様、そんな恐ろしい事を言わないで下さい。
皆様、同じリトアニアの仲間じゃないですか。
ヴィーキンタス様はリトアニアを救ってくれた方。
なんで殺すなんて言うんですか?」
ルアーナが涙ながらに抗議したのを見たミンダウガスは、しまったという表情になり、
「ごめん、心にも無い事を言って怖がらせてしまった。
冗談だよ。
一人で考え込んでいると、ろくな事無いね。
そうしてやろうかと思う事もあるけど、実際にはしないからね。
リトアニアの仲間をそんな事で殺したら、死んだ兄貴に怒られてしまうよ」
とは言え、ミンダウガスの心に闇が掛かっているのは事実である。
有能な部下に対する嫉妬、猜疑心、恐怖といった、数々の君主が心に棲まわせた闇。
今はまだ少ない。
妻に話す事で発散しているが、「心の中の澱」は少しずつ成長し始めていた。
リトアニアに大敗した帯剣騎士団の名は地に堕ちた。
元々評判は悪かった。
力で押し切って周囲を支配していたのだが、その強面も通じなくなってしまった。
直ちにリーヴ人たちが反乱を起こす。
セミガリア人たちも、自分の土地から騎士を追い出しに掛かる。
エストニアや島嶼部の諸民族も同様だ。
騎士団の弱体化に、ハリチ・ヴォルィニ公国のダニエルが乗じて、ルーシ地域を占領していた騎士を撃破した。
そして、帯剣騎士団と組んで外敵を招き入れた反対派貴族を粛清し、ヴォルィニ公領内全ての貴族を屈服させた。
ダニエルは、ハリチ・ヴォルィニ統一を一歩進める。
「随分と恥を上乗せしたのお」
ドイツ騎士団総長ヘルマン・フォン・ザルツァに嫌味を言われ、新任の帯剣騎士団長代行は屈辱に顔を赤くする。
反論は出来ない。
現状、騎士団にリヴォニアを支配する力は無くなってしまった。
リガ大司教区の警備もおぼつかない。
リガ大司教は焦り、ドイツ騎士団に助けを求めていた。
立場が完全に上なザルツァは、帯剣騎士団長代行をプルーセンまで呼び出して
「どうかね?
帯剣騎士団を解散し、共にやり直さないか?」
と提案……いや、事実上の決定通告をする。
「騎士団修道会を解散ですと?
我々の名誉と誇りを奪うと言うのか?」
「既にそんなものは無くなっているがね。
君たちは、民から搾取する強欲の者、民を虐殺する残虐者、そして異教徒に負けた軟弱者と、悪名に塗れている。
何か言いたい事はあるかね?」
ザルツァは正論でぶった斬る。
怒りに震える帯剣騎士団長代行に、落ち着くよう諭した。
「帯剣騎士団は、我がドイツ騎士団と一つにならぬか?
さすれば、リヴォニアは変わらず主キリストの物であり続けられようぞ」
「ドイツ騎士団の下に入れと言うのか!」
「言葉を飾っても意味がない。
そうだ。
我々の下部組織となって、やり直せ」
帯剣騎士団に断る術は無かった。
意地を張っても状況は変わらないどころか、悪化するだけだろう。
最早、帯剣騎士団は同胞のドイツ騎士団の支援無くして維持出来ない。
となると、名目はどうであれドイツ騎士団の傘下に入るのは避けられない。
名誉という一点で、「帯剣騎士団」という名前だけ残しても何も意味は無い。
一旦持ち帰って皆と相談するとは言ったものの、結局帯剣騎士団はドイツ騎士団に吸収合併されてしまう。
以降彼等リヴォニアの騎士団は、単にリヴォニア騎士団、もしくは親組織のドイツ騎士団で呼ばれる。
そのリヴォニア騎士団長には、ドイツ騎士団からヘルマン・フォン・バルクという男が派遣された。
自分たちの組織の長すら出せない、支部化が推し進められる。
ドイツ騎士団からしたら、帯剣騎士団という名前を消滅させる事に意味があった。
外から見れば、ローマ教皇からも非難されていた悪逆の不良修道会を成敗したように見える。
ドイツ騎士団の名声は高まる。
そして、十字軍の勅令は生きている。
敵はリトアニア。
他にも改宗させねばならない民も居るが、リトアニアという異教の象徴を倒せば、一気に進展するだろう。
その際、バラバラに攻めるよりは、北と西から足並みを揃えて攻めた方が良い。
独立した帯剣騎士団であるより、支配下にあるドイツ騎士団リヴォニア支部である方が便利なのだ。
ローマ教皇も、ドイツ騎士団の処理を是とする。
リガ大司教区は、帯剣騎士団によってローマから独立した存在となっていた。
バルト海沿岸の港湾利権が帯剣騎士団にとって財源となるから、それをローマの財産とするのは都合が悪い。
リガ大司教をローマ教皇と同格のように持ち上げ、旗印として独立会計で好き勝手していた。
その帯剣騎士団が消滅した以上、リガ大司教は再びローマ教会の統制下に戻る。
単なる支部に成り下がり、教区の人事もローマが行う。
良い事尽くめであった。
後は、愚連隊か盗賊団かと悪名高い騎士団所属の者を、私物化を禁じるドイツ騎士団の戒律で鍛え直せば良い。
まあ不良騎士はリトアニアが殺してくれたから、残った者の再教育は然程難しくないだろう。
帯剣騎士団が敗れた事で、ダニエル公は恩恵を受けていた。
ルーシから騎士団残党を叩き出し、ダニエルは後顧の憂いを断つ。
ハンガリーの援軍と共に、ダニエルはハリチ公を名乗るチェルニゴフ公ミハエルを攻撃した。
ミハエルはチェルニゴフに逃れ、同時にハリチ公領内の反ダニエル派貴族も壊滅し、ここに統一戦争は完了する。
帯剣騎士団と共にリトアニアを攻めたプスコフ公国だが、彼等はリトアニアに謝罪をした後、帯剣騎士団から離脱する事を決めた。
とは言え、ルーシ諸国の中でも弱体のプスコフ公国は、単独では弱り切った帯剣騎士団にすら対抗出来ない。
彼等はノヴゴロド公国の傘下に入る道を選択した。
この頃、西暦1236年にノヴゴロド公国の貴族及び市民は、後に「ロシアの英雄」と呼ばれる人物を、傭兵隊長こと「ノヴゴロド公」として迎えていた。
その名はアレクサンドル・ヤロスラヴィチ。
有名な別の呼び方は、今は言わないでおく。
この時点ではまだ16歳だが、父親でノヴゴロド公を勤めたヤロスラフ2世からその知勇兼備ぶりを高く評価されていた。
こうしてルーシ地域は、ハリチ・ヴォルィニ公国の再統一、ノヴゴロド公国の後の英雄奉戴とギリギリ間に合ったようである。
歴史には偶然というものがあるようだ。
ルーシは、奴らが戻って来た頃に、図らずも有能な指導者を得られたのである。
奴ら……即ちモンゴルがルーシに戻って来たのである。
歴史に言う「バトゥの西征」、これは1236年2月にオゴタイ汗の命令で既に始まっていたのだった。
おまけ:
帯剣騎士団は統合後もそれ程従順ではありませんでした。
ヘルマン・フォン・バルクはエストニアをデンマークに返還し、関係修復しました。
しかしこれに元帯剣騎士団が反発してサボタージュ。
バルクはザルツァ総長やローマ教皇に支援を求めてイタリアに向かうも、そこで死亡。
早々にディートリッヒ・フォン・グリューニンゲンに団長交代してます。
H社とN社の経営統合からの、N社子会社化に反乱からの、統合協議破綻を見ても分かるように、どの世界でも合併は、される側がどんなに酷くても抵抗するものですな。




