秘密
夏休み1週間経過
俺の左手もかなり違和感無く動かせるようになった。少しずつリハビリも開始して、軽い荷物ぐらいなら持てるようになるまで回復した。まだドラムを叩くことは難しいが、ちょっとずつ慣れるために『sing』のスタジオに入ろうと思う。
ここ最近、過去最高の暑さを更新しているというニュースをよく見る。部室にはクーラーも設置してあるので心配はしてないが、念のため美優に水分補給を忘れないようにとLINEを送ってから俺も家を出た。
「こんにちは」
「お!結人くんいらっしゃい!左手はもう大丈夫かい?」
「順調に回復してます。今日はリハビリで叩きに来ました。あれ?ていうかマスターなんで怪我したの知ってるんですか?」
「ん?ああ、教えてくれた人がいるからね。でも大事に至らなくて安心したよ」
誰だろう?と思ったが軽音部の誰かが言ったのかなと考えてそこまで気にしなかった。とりあえずスタジオに入ってドラムの準備をしていると、スタジオ内の電気が消えてすぐに点いた。これは、中に入るから演奏止めてねという合図だが、一緒に入る予定の人などいない。
「誰だろう?」
そう思いドアを開けると驚くべき人がいた。
「一ノ瀬くん、左手はもう大丈夫?」
「せ、先生!?なんでこんなところに!?」
「だってここ私の家だから」
「えっと…どういうことですか?」
「だから、このお店は私の実家なの。マスターは私の父親よ」
「はああああ!!?」
驚くべき事実だった。そう言われてみると前のライブも先生のツテであのライブハウスを貸りたという話を聞いていたし、音楽好きなのは父の影響と言われたら違和感は無い。ただ、あの人からこんな美人が…というのは心の内に閉まっておこう。
「あの…まさかとは思いますけど、弾く気満々ですよね」
新田先生はしっかりとMUSICMANのスティングレイを握っている。
「だってドラム1人だったらつまらないでしょ?だから先生が一緒に弾いてあげようと思って」
「先生がベース弾きたいだけじゃないですか」
「さ!やるよー!」
本当にこの人は楽器を持つと性格が変わる。今日はリハビリも兼ねての練習だったから、一緒に合わせることができるかわからないのもある。
「でも先生、俺久しぶりに叩くし左手心配なのであまり激しい感じはできないですよ」
「大丈夫よ。とりあえず痛みとかが無い程度に8ビートでお願い。私は勝手に弾いて合わせるから」
「何か曲やるんじゃないんですか?」
「ううん。適当に合わせるの。それでその人が好きな曲がわかるし、感性やスタイルとかいろんなことがわかるのよ」
「そうなんですか?今までそういうの今までやったことないから上手くできるか心配です」
「セッションって言うのよ。これから先もいろんな人とバンド組んだりスタジオ入ったり音楽するのであれば、覚えておいていいと思います」
「セッション…」
「さ!とりあえずやってみましょう!もし痛みとか出たらいつでも止めていいからね」
こうして俺は先生と一緒にセッションをした。激し目のフィルインやロールなどはせず、淡々といろんなパターンの8ビートを刻んだ。先生はリズムに合わせて自由にベースを弾いている。何度聞いても上手い。音の一粒がしっかりしていて、安定感もある。それでいて音の響きというものが違う。
「あの、先生。先生って夏休み中に部室は行かないんですか?」
「たまに顔出すくらいかな?こう見えていろいろとやる事があるのよ」
「あの、俺から言うのも違うかもしれないんですけど、先生にお願いがあります」
「あら。それは梨木さんが直接言うことなんじゃないかな?」
やっぱり先生は何でもお見通しなのだろう。俺は梨木にベースを教えてあげてほしいと言おうと思った。確かにそれは梨木が直接先生にお願いすることだ。それに、教えてもらいたいと思っているのかもわからないのだから。
「もし梨木が教えてくださいって言ったら、先生は教えてあげるんですか?」
「もちろん。顧問だし教えることはできるけど、ちょっと厳しいかもしれないわよ」
「ありがとうございます。梨木に聞いてみます」
「一ノ瀬くんに私からも1つ聞いていいかしら?」
「なんですか?」
「小笠原さんとは順調?」
「な、なんのことですか!ていうか先生がそんなこと聞いていいんですか」
「小笠原さんには辛い思いをさせてしまったから。でも順調そうなら安心。それじゃあ今日はお疲れさま。左手ももう心配無さそうね」
そう言って先生はスタジオから出ていった。俺も時間が迫っていたので、急いで片付けをしてスタジオから出た。
「美優に辛い思いってなんだろう?」
いつも部活を纏めていることだろうか。そういえば前にここで先生と会ったときも橘部長と一緒にいたし、きっとそれのことだろうと思った。今日の夜に美優が俺の家に泊まりに来る予定だから、あとで先生のことを言っておこう。
「マスター、ありがとうございました」
「おう、結人くんもまた空いてるときいつでも来ていいからね」
一礼して『sing』から出た。それにしてもやはりあの人から先生が…と思い俺は少し笑いながら帰り道を1人歩いた。
時刻は18時になろうとしている。美優が来るのを俺は待っていた。今日のご飯はどうしようか。とりあえず一緒にスーパーに行って、また前のカレーのリベンジでもいいなと想像するだけでニヤケ顔になる。
ピンポーン
「美優、いらっしゃい」
「結人ー!早く会いたかった!おじゃましまーす!」
この瞬間のために俺は生きているのかもしれない、と思うのは大袈裟だろうか。それでも美優のこの笑顔を見ると心が洗われる感情になるのだ。
俺は今日の出来事を話した。久しぶりにドラムを叩いても問題無かったことに美優はすごく喜んでいた。そして、そこに先生が現れたことを話し、先生が美優のこと心配にしていたことを話したときだった。
「何それ。別に私は何とも思ってないんだけど」
明らかに態度が変わった。美優と先生の間に俺の知らない何かがあるのだろうか。
「美優、先生と何かあったの?」
「…結人にはあまり話したくないけど、隠し事は良くないよね。ねえ、絶対に嫌な気持ちにならないって約束してくれる?」
ここまで前置きをするのは珍しいと同時に少しだけ聞くのが怖い気持ちになった。だけど俺は知っておいたほうがいいと思い、静かに頷いた。
「先生と部長って付き合ってるの」
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