守りたいもの
事故が起きた直後、私はただその場に膝をついて「悠太…結人…悠太…結人…」と呪文のように何度も呟いていた。
足が動かない。そこに行かないとダメなのに体が動かない。視覚から伝達される情報全てを拒否をしたかった。
「いっちー!!」
小笠原先輩が大きな声でそう呼び、走って向かう姿を見て私は我に返った。
「行かなきゃ…」
そして、走って悠太を抱きしめた。
「悠太!怪我はない!?どこも痛くない!?」
「大丈夫…だけどお兄ちゃんが…お兄ちゃんが返事しない…」
「結人!ねえ!結人!なんでこんな…お願い!目を覚まして!」
隣にいた小笠原先輩が救急車を呼び、「いっちーは私が病院連れて行く。大丈夫なら弟くんと運転手と警察の対応してほしい。できる?」
小笠原先輩はとても冷静に対応しているように見えた。そのおかげで、救急車もすぐに来て結人と小笠原先輩は一緒に病院へ向かった。
隣で何度もごめんなさいと泣いている弟を抱きしめながら、一緒にごめんなさいと何度も心の中で叫んで救急車を見送った。
足が重たい。こんなに走ったのはいつ振りだろうか。息が切れても、転びそうになっても私は走った。どうしようもない私を動かしてくれたあの先輩に感謝しないと。
先輩の言葉は私の心に響いた。「頑張ったね」「偉いね」はたくさん聞いた。もちろんそうやって言われると自分がしてきたことを認められている気がして嬉しい。
でもそうじゃない。私に必要なのは叱ってくれる人だった。誰かに叱られるなんていつぶりだろう。あんなに真っ直ぐに言葉を投げかけてくれる人がいるなんて、結人が…そして遥香が羨ましいな。
病院に着き、受付に向かった。
「はぁ…はぁ…あの…一ノ瀬結人の病室はどこでしょうか…?頼まれた物を持って来たんですが…」
受付にいた女性は驚いたようにちさとを見た。
(あれ…?さっき一緒にいた人と違う…?)
何やら訳ありなのかと思ったが、「302です。そこの階段を上がって左の病室。病院の中は走ったらダメですよ」とちさとに伝えた。
「ありがとうございます!」
病室に着き、ノックをすると「どうぞ」と聞こえた。結人の声だ。その声を聞くだけで涙が出そうになる。グッとこらえてドアを開けた。
「ちさと…あ、弟は大丈夫だった!?」
最初に結人から出た言葉。自分が大変なことになってしまったのに、弟を心配してくれている。頬にガーゼをあてて、左腕に包帯を巻いて、弱々しくなってしまった一ノ瀬の姿を見てちさとの我慢は限界を迎えた。
「ごめんなさい…結人、本当にごめんなさい…!そして、ありがとう…悠太を守ってくれてありがとう」
涙を流しながら抱きつきながら、何度も何度も伝えた。
「弟くんが無事でよかった」
俺は右腕でちさとを抱きしめた。泣き止むまで「大丈夫。大丈夫だよ」と囁きながら、落ち着くまでずっと震えるちさとの肩をポンポンと叩いた。
「結人…左手…ごめんなさい…」
「こんなのすぐ治る」
「ドラムだってできなくるし…本当にごめんなさい…」
「初心者にいろいろ教える時間が増えるから楽できていいな」
「生活だっていろいろ困る…」
「右利きでよかったよ」
「もうすぐ期末テストだってあるし…」
「それは怪我してなくてもヤバいかな」
「ぶっ…あははは!もう!いろいろ心配してるのに!ばか!」
やっとちさとが笑顔になった。俺は泣いたり悲しんでいるちさとを見たくない。いつも笑顔で、輝いている姿を見て、元気におはようと言ってくれるちさとをいつだって見たい。
「なぁ、ちさと1つだけ聞きたいことあるんだけどいい?」
「なーに?」
「ライブの時さ、最後いなかったじゃん?用事あったの?」
その質問は全く意図していないものだった。
「えっ…と…」
ちさとが躊躇っていることにすぐ気づいた。
「いや、言いたくないならいいけど」
「ううん。結人には全部聞いてほしい。引かないでほしいんだけどいい?」
「いいよ。聞く」
「ありがとう。どこから話そうかな…。私さ、将来サックス奏者になるのが夢だったんだ。だから本当は高校も吹奏楽が強いとこに行って、高校生になったらサックス教室にも通って、音大に行ってプロになるか、楽団に入って演奏するのが夢だったの」
「うん。それはすごく似合ってるし、ちさとなら人気が出るだろうな」
「ふふ。でもね、中2の秋くらいにお母さんのライブを観に行く機会があって、街の中のJAZZバーに行ったんだ。そのときに見たサックス奏者の人がめちゃくちゃカッコよくて、こういう場所で誰にも知られず演奏するのもかっこいいなって思ったの」
「え!ちさとのお母さんも音楽やってる人だったの?」
「そうだよ。ベースやってた。スクールの先生だったんだよ。それでそのライブが終わってさ、私もいつかお母さんとこのステージで一緒に吹きたい!って思ったの。それからはお母さんがライブやるたびに見に行ってさ、バンドが多かったけど、お母さんすごくカッコよかった。その年の12月の終わり頃かな。違う教室のライブに助っ人で出ることになって観に行ったの。お母さんさ、一緒に演奏するドラムの人が中学生で経験は浅いけど上手な子だって言ってたの」
「まさか…」
「うん。観に行ったらクラスメイトの男の子がそこでライブしてた。激しい曲で、すごく難しそうな曲なのに完璧に叩いてる姿を見て、すごくカッコよかった。お母さんもベース弾きながら歌ってるし驚いちゃった。それからあのとき聴いた曲は忘れられない曲になったんだ。だからあの曲を聴いたらお母さんのこと思い出して泣いちゃうの。大好きな曲だったのに、いつのまにか大嫌いな曲になった。だから見てられなくなって、帰っちゃった。ごめん」
「そっか…」
俺はなんて声をかけるべきか悩んだ。声をかける前にちさとは続けた。
「お母さんが男作って出てってからさ、何のためにサックスやってるんだろうってわからなくなった。もちろん部活はみんながいたから頑張ったけど、最後のコンクールも心ここにあらずって感じだった。練習する時間も全然無くなって、結局結果も残せないで終わっちゃった。高校だって結局家から近いところに進んだし、部活だって入ってるけど家のことあるから遅くまで練習はできない。結人のこといろいろ言ったけど、精一杯頑張れない自分もいてモヤモヤしてた」
「ちさと忙しいし大変だからな。仕方ないよ」
「正直なんでこんなに辛いんだろうって最近すごく考えるんだ。みんな友達と遊んだり、部活したり、恋愛したり。私はどれも諦めてばかりなのに、ずるいなって思う自分がいる。それがすごく嫌。でもどうしたらいいかわかんなくてさ、いくら悩んでも答えなんて出ないの。結人こないだ私に疲れてそうって言ってたでしょ?」
「うん…」
「実はさ、最近全然寝れないんだ。寝てもお母さんが出て行ったときのこととか、みんな私から離れていく夢ばかりみて起きちゃうの」
「そっ…か…」
「実は今日ね、悠太の参観日だったんだ。それで学校休んで観に行ったの。そしたら周りの親御さんたちみんなしてさ、私のこと変な目で見てきて正直辛かった。でも悠太が私が来たことに喜んでくれてさ、そんな視線に負けてられないなって堂々としてた。その後の個別懇談会でね、悠太の先生が『悠太がいい子に育ってるのは私がいるからだって』言ってくれたんだ。すごく嬉しかった。悠太のために頑張ってきたことが報われた気がした。これからも頑張ろうって思った。でも帰り道にあの公園で…」
「参観日に来てた親が悠太の家に関わるなって言ったのか…それであんなことが起きてたんだな」
「…うん。それにあの中の1人のお兄ちゃんが私たちと同じ中学で私の悪口言ってたらしくて、それで悠太怒って…。結局私が悠太を傷つけてるのかなって。先生はあのとき言ってくれたけど、やっぱり間違ってたのかなって。いろんなこと考えたら頭の中真っ白になっちゃって…悠太走って行っちゃって…結人が庇ってくれて…私何もできなくて…うう…ごめんなさい…これで全部です…うわああああああん」
泣き止んだはずの涙がまた出てきた。ちさとは俺が思っていた以上に悩んで、苦しんで、それを決して見せないよう努力していた。こんなになるまでずっと1人で頑張ってきた。
「あのさ…ちさと。俺にはさ、ちさとの悩みを解決することはできない。ごめん。でも、辛いときにそばにいてあげられることぐらいはできる。相談に乗ったり、話しを聞いてあげたりくらいしかできないけど、それでもよかったら…少しぐらいは頼ってほしい。ちさとが全部を1人で抱えることは無いと思うから」
「結人…」
「俺はさ、1人だから守るべきものとか無いし自由にやってる。情けないけど将来こうなりたいって夢も無い。部活だって割と融通がきく部活だ。だけどその分友達の悩みを聞いたり、何かを一緒に解決する方法を考える時間は有り余ってるわけだし。その…頼りがいは無いけどさ、ちさとのその辛い気持ちを少しは俺に預けてくれないかな?全部が同じってわけじゃないけど、片親がいないって境遇は同じなわけだし、似ている者同士で助け合う…というのはどうでしょう…か?」
「なにそれ。頼りにならなさそう。でもなんでそんなこと言ってくれるの?」
ちさとはじっと俺のことを見つめていた。
「俺さ、嫌なんだよね」
「なにが?」
「悲しい顔をしたり、泣いたりしてるちさとを見るの。ちさとにはいつも笑っててほしいし、堂々としててほしい。水科ちさとって人間はこんなにすごいんだってところをずっと見ていたい。いや、もちろん今でも十分すごいんだけど…」
「…ありがとう」
「あとさ、夢諦めんなよ。お母さんと一緒には立てないかもしれないけどさ、その代わり…俺と一緒にやろうよ。JAZZバーでもいいし、学校でもいいし、どこでもいい。腕が治ってさ、練習して一緒に演奏しよう。練習する時間が無いなら作る手助けは俺もするから。だから一緒にやろう」
その言葉を聞いた瞬間、ちさとな瞳が輝いた。思ってもいなかった言葉。お母さんと一緒にやることは叶わないけど、私の大切な人が一緒にやろうと言ってくれている。
「いいの?本当にいいの?私と一緒にやってくれるの?私…夢…諦めなくていいの?」
「ああ。ドラムのことだけは頼ってくれて大丈夫だから。その代わり1つだけお願いあるんだ」
「お願い…?」
「まだまだ先だけど、リハビリ手伝ってください」
「…あはは!いいよ!じゃあ約束!指切りげんまんしよ!」
ちさとが泣いたら俺が笑顔にさせる。
ちさとが守りたいものは俺も一緒に守る。
そう心に決め、スッキリした表情で病室から出て行くちさとを見送った。
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