よるに襲われて
保健室に運んだときのちさとの態度は異常だった。
「結人!?ねえ結人!大丈夫!?」
「俺らで保健室運ぶぞ」
安達と山崎で一ノ瀬を持ち、急いで保健室まで運んだ。その後ろには梨木とちさとがついてきている。星峰と横田は先に保健室に行って状況を伝えてくれていた。
「とりあえずベッドに寝かせて」
保健室の先生はそう言い、容体を確かめているようだ。
「先生!結人は!結人は大丈夫なんですか!?」
「たぶん貧血だと思う。脈に異常も無いし。とりあえず休ませておくから君たちは教室に戻りなさい」
そう伝えられ、俺たちにできることは何も無いとのことでみんな保健室から出ようとしたが、ちさとだけはその場から動かなかった。
「聞こえなかったかな?授業も始まるから教室に戻りなさい」
「嫌です。結人が起きるまでここにいます」
「ちさと…?」
梨木がちさとに声をかけるが、ちさとは微動だにしない。
「これ以上大切な人がいなくなるのは嫌なんです。何もできないけど、ここに居させてください…お願いします…」
みんなその言葉の意味がわからず、ただじっとちさとを見ていた。
「あ、先生。さっきその子お腹痛いって言ってたんで、診てあげてください。なんなら放課後まで保健室にいたほうがいいかもです」
横田が言った。ちさとはこちらを振り返り、今にも泣きそうな顔を見せた。誰もがそんなちさとの表情を見たことは無かった。
「はぁ…それならしょうがないね。わかった。落ち着くまで休んだらいい」
先生はちさとが保健室にいることを許した。そして、ちさとを残しみんなは教室へ戻っていった。
「あんな水科さん初めて見た。やっぱあの2人って何かあるのかなー」
山崎が何も考えずポロッと言った。安達が「バカ野郎」と言い頭を叩く。そしてチラッと梨木のほうを見た。
「なに?」
梨木はゾッとするような視線を安達と山崎に向けた。そんなこと言わなくてもわかる。あの2人には私たちの知らない何かがある。
ちさとは一ノ瀬のことが好きなのだろうか。一ノ瀬はどう思ってるんだろう。いや、単純に好きとかそういうのでは無い、表現しずらい何かがある気がする。けれどもそれを確かめるのは怖い。だって相手はあのちさとだから。
友達だし、同じグループにいるからわかる。あんなかわいい子はいない。それでいて男に靡かない、強い自分も持っている。私が男だったら惹かれて当然だと思う。
もし、ちさとが恋のライバルになるとしたら私は勝てる気がしない。落ち込む私の肩にまどかと結衣はそっと手をあてた。気にしないでいい、落ち込むことないよ、と言っているかのように。
そして私たちは教室に戻った。
「ただいまー」
一ノ瀬の家で寝てしまったため、いつもより少しだけ帰るのが遅くなってしまった。弟は心配していないだろうか。ちゃんといい子にしてただろうか。
「あ、姉ちゃんお帰りー!」
家に帰ると必ず悠太が出迎えてくれる。この瞬間がとても好きだった。疲れも忘れさせてくれる気分になる。
「遅くなってごめんね。急いでご飯作るから待っててね」
今日も私は家族のためにご飯を作り、洗濯を回し、家事をこなす。
友達が、同じ高校生が部活に遊びに恋愛に勤しんでいることを羨ましく感じることもある。けれどもこれは自分で決めたことだ。こうなりたいと思っていた夢というレールが急に外されたあの日から。
父は基本帰ってくるのが夜中だった。朝早くから夜は遅くまで仕事をしている。「いつも家のことを任せてしまってごめんな」と顔を合わせると言ってくる。
「ううん。お父さんもいつもお仕事お疲れ様さま。身体に気をつけてね」その言葉をかける度に父は泣きそうになる顔を隠し、その場から去ってしまう。
悠太は寝言で「お母さん」と呟くときがある。まだこんなに小さいのに、家族の前ではそれを見せない強い子だ。
「姉ちゃん、明日の参観日本当に来てくれるの?」
明日は悠太の参観日だ。父は仕事で行けないため、私が行くという話をしていた。
「うん!ちゃんと悠太が学校で勉強してるか確かめに行くよ〜」
「でも…姉ちゃんも学校あるんじゃないの?」
「高校生はね、勉強できたらたまーに休んでも大丈夫なんだよ」
「姉ちゃん頭いいもんね!じゃあ楽しみにしてる!」
悠太はとびっきりの笑顔を見せた。
「今日はお風呂に入って早く寝よーっと!」
悠太がお風呂に入っている間に、洗い物を済ませる。その後に自分もお風呂に入る。そして自由な時間を迎えるのはいつも22時頃だ。
こんな生活を1年近く続けている。もちろんテスト期間、長期の休みなども変わらない。徹夜をすると次の日の家事に響く可能性があったので、勉強はなるべく授業を真剣に聞くことにしていた。
1日のサイクルが終わり、ちさとはベッドの上で目を閉じて今日あった出来事を思い出していた。
「みんなの前で取り乱しちゃったし、遥香には悪いことをしちゃったな…それに要再検査って結人は大丈夫なのかな。遥香の話だとたぶん栄養バランスが〜って話だったよね。何かしてあげれることないかな…」
そんなことを考えていると携帯が鳴った。画面を見ると『起きてる?』と一言だけ書いてあった。『起きてるよ』と返すと電話が来た。
「もしもし。どうしたの?遥香、こんな時間に珍しいね」
何を言われるか怖かったけど、逃げるのは良くないと思ったので電話に出た。
「うん。あのさ、あれから一ノ瀬大丈夫だったかなって」
違うでしょ。遥香の聞きたいことはそんなことじゃないでしょ。
「大丈夫だったよ。あのさ、私さ遥香に謝らないといけないことある。怒らないで聞いてくれる?」
携帯越しに少しの沈黙があり、「うん」と小さく聞こえた。
「結人を家まで送ってさ、お礼にってお茶くれて休んでたらいつの間にか寝ちゃってさ。もちろん何もされてないし、何もなかったよ?30分くらいだと思う。それでさ、もしこの話を後から聞いて遥香が嫌な気持ちになったら私も嫌だから先に言っておこうと思って」
少し状況が違うところもあるが、ちさとの口から出た言葉はほとんどが事実だった。
「そう…なんだ。ううん、話してくれてありがとう。ていうか怒るところ何もないし!」
「えへへ、だって遥香は結人のこと好きなんじゃないの?」
「あのさ、ちさとはどうなの?」
梨木はずっと気になっていたことを聞いてみた。どうか違うと言ってほしい。仲は良いけど友達だよと言ってほしい。大好きなちさとと争いにはなりたくない。勝てる気がしないけど、一ノ瀬への気持ちも諦めたくない。
だから…お願い。
「私は好きじゃないよ」
その言葉を聞いた瞬間、梨木はほっとした表情を浮かべていた。もちろん電話越しのちさとにその表情は伝わらない。
「そ、そっか。ひょっとしたらさ、ちさとも好きなのかなって思ったりしてたから…なんかごめん」
「ううん。こっちこそ勘違いさせちゃったみたいでごめんね。中学からの知り合いだしさ、なんかいじりやすいから距離近いのかもしれない。嫌だったら言ってね」
「嫌とかは無いから大丈夫。急にごめんね。変なこと聞いて」
「大丈夫。遥香のこと応援してるから手伝えることあったら何でも言ってね」
電話が終わり、喉が渇いたので台所に向かうと父がちょうど帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま。どうした?目、腫れてないか?」
「ちょっと痒くて。冷やして寝るから大丈夫。おやすみ」
窓を開けて月明かりを見つめる。
どれだけ拭っても涙は止まらなかった。
中学生の頃、私はサックス奏者になるのが夢だった。才能があったこともあり、どれだけ辛い練習も苦じゃなく必死に吹いた。
高校生になったらサックス教室に通ってジャズの勉強をしようと考えていた。
けれども、その夢は途絶えた。諦めなければならなくなった。部活に、サックスに割く時間が彼女から無くなった。
中3の夏、仲が良かった男子に告白された。割とイケメンで話も合い、いろんな噂が出ていた時期だったが気にしてないと言ってくれる人だった。付き合ってもいいかなと思える人だったので、少し考えさせてほしいと答えを保留にしたとき、悠太が熱を出した。
必死に看病している最中、自分は誰かと付き合ったりしている場合じゃないということを思い出し、断った。悠太が大きくなるまで我慢しなければならないと思った。
ごく普通の恋愛をする時間が彼女から無くなった。
そしていま。
自分と似たような境遇の人が近くにいた。ううん、正しくは前から知っていた人が同じ境遇だった。その人は私を励ましてくれて、私の努力に気づいてくれて、心配してくれて。その人だって大変なのに気遣ってくれる優しさを持っている人だった。
けれども私はその人のことを好きになってはいけない。初めて誰かに恋と呼べる感情を抱いたが、これも諦めないといけない。
私には誰かの彼女として過ごす時間がないし、友達がその人のことを好きと言っている。少し距離おいた方がいいかな。
心の拠り所が彼女から無くなった。
私はこれから先、どれだけのことを諦めないといけないんだろう
明るく照らす月に向かってそう投げかけるも返事は無い。きっとこのまま眠りについても、またあの悪夢を見る。
眠りにつくのが怖かった。もうあの夢は見たくない。夜が怖い。1人になるのが怖い。でも誰も助けてはくれない。
嫌でも眠気はちさとに襲いかかってくる。そして気づけば眠りにつき、夢を見て汗だくになって目覚める。
ちさとの心は、限界を迎えようとしていた。
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