涙
その日の夜は4月の終わりとは思えないほど寒かった。
空は透き通っていて月がいつもより輝いている。吐く息は少し白く、途中で自販機で買った温かい飲み物を飲み、寒さを堪えながら俺たちは歩いていた。
公園に着くとベンチに座ってまた飲み物を一口飲む。2人の間に沈黙が続いていた。
先に切り出したのはちさとからだった。
「昨日は…ごめん…少し言い過ぎた」
やはり昨日のことか。気にしてないと言えば嘘になるが、ちさとが言ってることは間違ってはいない。梨木は「事情があるから気にしないでいい」と言っていたが、昔から真面目に部活に励んできた側からしたらフラフラしてるように見えたのだろう。
「気にしてないよ。ちさとが言ったことは間違ってないし」
俺は思っている通りの言葉を吐いた。
「いや…でも私の一方的な意見だけ言っちゃったなって思ったし…。ひょっとしたら何か理由があったのかなとか、いろいろ考えちゃって…」
「梨木から何か聞いた?」
「遥香?いや、何も聞いてないけど…。何かあったの?」
てっきり梨木からいろいろ聞いたのだと思った。あいつは昨日許せないと怒っていたから、熱くなって俺の事情を言ったのかと勘違いしていた。
「いや、なんでもない。別に梨木と何かあったわけじゃないから。本当に気にしてないから安心してくれ」
また沈黙が2人を包む。握っていた缶コーヒーもすっかり冷めてしまっている。
「もし…嫌じゃなかったら教えてほしい。また同じようなことしたくないし、気にして少しずつ溝が深まるのもやだ」
「溝か…」
ちさとが言ったその言葉に納得してしまった。ここでただ仲直りをしたとしても、それは本当の意味で解決したとは言わないのだろう。
結局俺とちさとはどこかぎこちなくなり、これからは気軽に話せなくなり、中学の頃と同じようにただのクラスメイトになるのだ。
毎朝「おはよう」と陽気に言ってくることもなくなり、鞄を引っ張られることもなくなり、部室まで一緒に行くこともなくなる。
俺はそれが心の底から嫌だと思った。
「実はさ…」
気づけば俺は話していた。両親の離婚、片親が単身赴任で今は1人で暮らしていること。生活に慣れるため、部活に入ることが遅くなったこと。梨木に伝えたことと同じことをちさとに伝えた。
話している間は小さく「うん…うん」と頷いていたが、全てを聞き終えた後のちさとの頬には涙が流れていた。
「えっ…いやなんかごめん!ていうかなんでちさとが泣いてるんだよ!」
「だっで…何も知らなかったのに勝手なこと言っちゃったなっで…うぅ…ごめんなざい…」
ちさとの目には次々と涙が流れている。俺は鞄の中に入っていたポケットティッシュをちさとに渡し、とりあえず涙を拭くよう伝えた。
「ったく…何もこんな泣くことないだろ…でもありがとうな」
それからもちさとは泣き止むまで「ごめんね…ごめんなさい」と何度も言った。
5分くらい経ち、ちさともようやく落ち着いてきた。
「やっと落ち着いたか」
「うん。もう大丈夫。ごめん、本当は泣きたいの結人のほうなのに」
「ばーか。泣かねーよ。むしろ一人暮らしって最高だよ?何やっても自由だから」
「何それ。ちゃんとご飯食べてるの?」
「俺にはコンビニとスーパーという頼もしい味方がいるからな。心配すんな」
「うわ…それ最悪なやつじゃん。どうせカップラーメンとかばかり食べてるんでしょ」
「カップ焼きそばもあるし」
「はぁ…呆れた。慣れたって言うなら自炊もちゃんとしなさい」
「お、お母さん!ここにいたの!」
「笑っていいのかわからない冗談やめて!?」
2人の間にあった気まずさはもう無くなっていた。空を見上げると透き通った空にいくつもの星が光っている。
「さてと、寒いしそろそろ帰るか」
俺たちはゆっくり歩き始めた。
「結人って家はどの辺なの?」
「ん?そこの角曲がってちょっと行ったとこだけど」
「え、うちとめちゃくちゃ近いよ」
「まじか。じゃあ一緒に帰るか」
「うん。あとね、もう1つだけ言っておきたいことあるんだけどいい?」
「ん?なに?」
「私も父子家庭だから一緒だよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず固まってしまった。
「まぁ単身赴任とかしてないし、弟もいるから結人の環境とはちょっと違うけどね」
「あ…こないだ弟くんがご飯作ってくれるって言ってたの…」
「うん。お父さんいつも帰ってくるの遅いから私がご飯作ってる。離婚したのは中3になるときぐらいかな。お母さんが違う男つくって出て行ったの。まぁそれまでも家でケンカばかりしてたけどね」
「俺の両親が離婚したのは2ヶ月前だな。じゃなくて、じゃあちさとは家事も学校も部活も弟のお世話も全部してるって…こと?」
「そうだよ。てか2ヶ月前とか受験真っ最中じゃん!親もタイミング考えろよ!って思わない?」
「いや、そうだけど…そうじゃなくてお前…大丈夫なのか?」
「何が?大丈夫に決まってるじゃん。だって私しかいないんだよ。他に誰がやってくれるの?弟なんてまだ小4だよ?私がちゃんとしないとダメなの。弱音なんて吐いてられない。もちろんお母さんがいなくなったときは、なんで?どうして?って若干自暴自棄になりそうなときもあったけどさ、お母さんがいないって泣いてる弟見たら、私がなんとかしないとって。」
「それなら…俺なんてめちゃくちゃ惨めに見えただろ」
「ううん。そんなことないよ。でも結人が強がってることは少しわかるかな。いつもそこにいてくれた人がいなくなるのはやっぱり辛いしね。それに、ほんの少し時間かかったかもだけど、ちゃんとドラムやってくれるの嬉しい」
「なんでそこまで…俺のドラムに?」
「うーん…部活は違うけどさ、お互い音楽やってたらいつか一緒にやることもあるかもしれないでしょ?だからそのときまでうーんと上達しておくように!」
俺は自分が情けなくて仕方なくなった。ちさとはとても強くそして美しかった。この夜空に浮かぶ月が照らしているのは君のことなんだろうと思うほど、何よりも眩しく輝いていた。
「ったく…ちさとには敵わないな」
「そりゃそうだよ。だって水科ちさとは女神様ですから!」
「自分で言うなよ…なぁ1つ聞いていいか?」
「なーに?」
「気分悪くしたらごめん。中2の頃ぐらいからさ、あんまりいい噂しなかっただろ?それって…」
「あー親のケンカを見るのが嫌で家に帰りたくなかったからね。あっちこっち出かけてた。でも男に媚びたこととかは1回も無いので安心してください」
真実が聞けた。
これが真実だったのだ。きっと夜に1人でいるところなどを見た人が、変な噂を流して広まったのだろう。
「なんで違うって反論しなかったんだ?」
「反論したら私絶対止まらなくなるからケンカになるもん。そしたら先生にもいろいろバレちゃって親にも話がいくと思ったの。それが原因で親はまた喧嘩してってなりそうだから。私が黙っていたら先生たちの耳には入ることないと思ったからだよ」
俺はそれを聞いて自分を責めた。今日は自分を責めてばかりいる気がする。けれどもそれはちさとと比較したときにあまりにも自分が情けないと思ったからだ。
「そっか…頑張ったんだな」
俺は精一杯励まそうと思ってこの一言を振り絞った。こんな惨めな俺が励ましていいのかと考えたが、努力しているちさとを心の底から素直に褒めたかった。
前を歩いていたちさとはこちらを振り返り、
「そうだよ。頑張ったんだよ。でもまだまだ頑張るの。だって私お姉ちゃんだもん。だから結人も一緒に頑張ろうよ」
俺の手を握りしめたちさとの手は震えていて、目にはまた大粒の涙が溜まっていた。
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