頂き女子作家
「どうだい? 僕の小説、面白いかい?」
クッソつまんねえ!!
……と叫ぶこともできず、編集者の藤木は渡された原稿に目を落としたまま、ギコチナイ笑顔を浮かべた。参った。つまらない。何処をどう探しても、褒める部分が見当たらない。作者に率直な感想を伝えるのが不憫になる程だった。
目の前では髭ズラの中年男性が、ソワソワと首を伸ばしてこちらを見ている。藤木は迷った。一体どう傷付けずに伝えたものか。何を隠そう、この冴えない男こそが売れない三流ミステリー作家・手越光なのであった。
「今回は新たにイケメン怪盗と美少女探偵を追加してみたんだがね」
藤木の感想を待ちきれず、手越が鼻を啜りながら解説を始めた。3日は風呂に入っていないだろう凝縮された体臭が、少し離れて座っている藤木の方にも漂ってくる。藤木は涙を堪えながら、必死に笑顔をキープした。
「前回の話はあまり読者にウケなかったから」
「そうですねぇ……良いんですけど。良いんですけど」
藤木は原稿を捲るフリをしながらうんうんと頷いた。
「ちょっとキャラを無理に捻じ込んでるというか……もう解決編で、物語も終わり頃なのに新キャラクターを出す必要があるかと言うと……」
「しかし、賑やかで良いじゃないか」
「そうですそうです。全く持って先生のおっしゃる通りです」
藤木は光の速さで頷いた。手越の気難しさは業界でも有名だった。少しでもヘソを曲げると、展開をぶった斬って唐突に世界を滅亡させたり、死んだはずの人間を次のページで蘇らせたりする。本人は、気難しさが作家らしさだと思っているらしい。それで年々仕事を減らしているとも知らずに……。
「このキャラたちのスピンオフ作品も考えてあるんだよ」
「え?」
またですか? という言葉を藤木は済んでのところで飲み込んだ。また、だ。この作者の悪癖が出た。本筋をいつまでもダラダラと引き伸ばした挙句、横道に外れて、脇役の話ばかり深掘りしている。それで読者に見限られ始めているとも知らずに……。
「何なら本編よりもスピンオフの方が人気が出てしまうかもしれんぞ! ダァーハッハッハァ!」
「…………」
「それで、どうする? 初版はどれくらい刷ろうか? 百万部かい?」
「無茶ですよ!」
藤木は思わず叫んだ。いくら引きこもり気味だからって、世間知らずにも程がある。
「いくら先生でも……この本の売れない時代に……!」
「何をしみったれたことを。要は売り方じゃないか」
「売り方?」
手越が得意げに鼻を擦った。藤木は嫌な予感がした。この男が得意げに語り出した事で、本当に得意だったことは一つもない。
「そうさ。どうやって本を売るか……要はマーケティングだね。自慢じゃないが、僕はそっち方面にも詳しいんだ。毎日YouTubeで勉強してる」
「はぁ」
「まず、おぢ……読者のターゲット層を絞り込み」
「今おぢって言いました?」
「誰とも分かち合えない孤独を抱えた中年男性が良い。出来るだけ金持ってるような奴」
「まぁ確かに、孤独と読書は相性が良いって聞きますけど」
「彼らにアピールしていくわけだよ。SNSなんかで。この作者可哀想アピール。”この本が売れないと作家廃業しちゃいます〜!”みたいな」
「そんな、泣き落としみたいな」
「結局話題になったもの勝ちだからな。”この本買ってくれたら、色々サービスしちゃいます〜!”みたいな」
「……どうでも良いですけど、さっきからその喋り方何なんですか?」
「僕、ネットでは女子として活動してるから」
「え……」
いわゆるネカマと言う奴か。
「だってそっちの方がウケが良いじゃないか!」
別に責めているわけでもないのに、手越は顔を真っ赤にして言い訳を始めた。
「冴えないオッサンが書いた文章なんかより! 若い女子が書いたって言った方がみんな手に取ってくれるだろう!?」
「別に読書中に、作者の性別なんて気にしたことないですよ」
「甘いな。君はまだ甘い。小説を読み慣れてる読者は確かにそうかも知れん。だが世間一般の、その他大勢の客はそうではない。この作者は男だ女だとか。絵師は誰だとか。このキャラの配役は誰だとか、声は誰だとか。何でか知らんが作品部分より人間の部分をやけに気にしている。そして読書家にそっぽを向かれた以上、本が売れない以上、普段本を読んでいない一般層に僕の本を売って行かなくてはならないのだ!」
何だか良く分からないが、手越が熱弁した。読書家にそっぽを向かれている自覚はあるようだった。
「重版ごとに違う特典グッズを付けるとかね」
「もはや本を売っているのか、グッズを売っているのか良く分かりませんね」
「究極、内容なんて無くて良いんだよ。イケメンと美少女が歌って踊ってりゃそれで良いんだ。そう……僕自身が中年男性だから良く分かる。読者は……孤独なおぢ達は、優しくされたいのだ。褒められたい、励まされたい、癒されたい……その心理を突いてやるのさ。そういうキャラを出してやれば良い。孤独は金になるんだよ。ククク……!」
「何だか詐欺っぽいなぁ……」
とは口に出しては言わず、藤木はそそくさと手越の書斎を後にした。原稿用紙は、『印税目当て殺人事件』は、どさくさに紛れて突っ返した。こんな原稿を持ち帰ってしまったら、編集者の恥、いや文学界の汚点となってしまうだろう。
夜道は閑散としていた。ビルの隙間風に身を縮めながら、藤木は冷え切った手をポケットに突っ込んだ。
何だか釈然としない夜だった。藤木自身、そこまで熱心にとは言えないものの、それなりに若い頃から読書に親しんできた。先天性の病気で入院生活の多かった藤木は、同級生らが元気良く外で遊んでいる時に、1人読んでいた本と、人並みの孤独を分かち合ってきたのだった。それでこの業界に入ったのに……今では、他人の孤独につけ込むような三文小説家のヨイショばかり……自然とため息が出た。
「手越さん」
「ラリィちゃん」
予約していたレストランに駆け込むと、恋人のラリィはすでに席で待っていた。
「ごめん、打ち合わせが長引いちゃって」
「良いよ。手越先生のところでしょ?」
薄化粧とネイル控えめのラリィが、上目遣いに、目を潤ませて藤木を見つめた。藤木は冷え切った心が暖まって行くのを感じた。ラリィはいつも優しくて、彼を励ましてくれて褒めてくれて、癒してくれるのだった。
「どう? もう解決編できた!?」
「えぇっと……」
藤木は目を逸らした。そうだった。ラリィは手越の大ファンなのだった。蓼食う虫も好き好きというか、多様性も行き着くところまで行ってしまったというか、まぁそれは、個人の趣味嗜好なので止めるつもりもない。
一度、ラリィに手越の小説の何処がそんなに面白いのか、と聞いてみると、
「面白くはないよ? 全然面白くないけど、でもあの作家、私が買い支えてやらないと路頭に迷うから……!」
とのことだった。騙されている。どうやら手越のSNS戦略に、まんまと騙されているようだった。
とはいえ、読書を楽しんでいる人は今日日珍しい。本は売れないし、本屋の数も年々減っている。これだけネットが発展し、ゲームやら漫画やら娯楽が溢れる中で、読書家はもはや絶滅危惧種に近かった。
それなのに、あの作者の本性を明らかにして、曲がりなりにも楽しんでいる読者の夢を壊して良いものか……編集者として、恋人として、藤木はいつも心で天秤を揺らしているのだった。というか、何で好きな人と逢っている時にこんなくだらない事で悩まなければならないのか。全く作家という人種は碌な奴ではない。
「誰が犯人か分かった?」
「ううん。でも、早く買わないと、この業界が心配……!」
「…………」
藤木はメニュー表に顔を隠しながら唇を噛み締めた。いつから読者は作者の経済状況を気にしながら本を読むようになったのか。業界の心配をしながら読む物語は、彼女は本当に読書を楽しんでいると言えるのだろうか。
答えは出ないまま、藤木はレストランを後にした。大好きだったはずのパスタは、何の味もしなかった。
数年後。ラリィとも結局、自然消滅という形で別れてしまった。藤木は忸怩たる思いの中、トボトボと手越の書斎を訪れた。
「やぁ。どうしたんだい? シケたツラして」
「…………」
「『スパチャよろしく殺人事件』は、しかし、思ったより売れなかったな。スパチャの額もあまりよろしく無かったし。だけど安心したまえ。ちょうど次の作品の構想を練っていたところだ」
「…………」
「『二百万人殺人事件』というタイトルでね。これは凄いぞ。二百万回連続で殺人事件が起こるんだ」
「先生……」
「何よりこのミステリーの凄いところは、百巻越えも夢ではない、下手したら半永久的に物語を引き伸ばせるという……」
「手越先生! しっかりしてください!」
藤木が手越を肩を掴んで叫んだ。
「そうやって部屋に閉じこもってないで! 少しは外に出てくださいよ! 今西暦何年だと思ってるんですか!?」
「何? 君は何を言っているんだ?」
藤木が乱暴に手越の書斎のカーテンを開いた。窓の外では、ちょうど空飛ぶ車が横切っているところだった。
「今、2124年ですよ!?」
「そ、それくらい僕だって知ってるさ……」
「もう本屋なんて、とっくの昔に潰れましたよ!」
「何だって?」
手越がぽかんと口を開いた。藤木は憐れむような目で三流作家を見下ろした。
「本屋は日本から消滅しました。もう誰も、小説なんて読んでません……先生、売れない作家に次なんてないんですよ……」
「そ……そんな……」
手越は口をパクパクさせたまま、よろよろと書斎を出て行った。
外は閑散としていた。空は高層ビルが埋め尽くし、その間を飛行車が、ドローンが高速で飛び交っている。人々は銀色のスーツに身を包み、ARグラスで現実ではない何処か遠くを眺めている。
この数年で業界も様変わりした。パン屋、餃子屋、唐揚げ屋、おにぎり屋……何でもある時代だが、なるほど確かに本屋だけは何処にもなかった。数少ない本屋も、結局全部潰れてしまったのだった。
手越は寝巻きのまま、浦島太郎にでもなったのように目を白黒させた。ネットで何でも注文できる時代だ。今の今まで、碌に部屋の外に出ていなかったのだろう。
「バカな……だったら僕は何のために……?」
「僕が聞きたいですよ……先生は何のために作家になったんですか?」
「あっ、あっ、君!」
手越は突然奇声を上げ、道行く通行人に縋りついた。藤木は驚いた。ラリィだった。銀色のスーツを来た女は、確かにあのラリィだった。
「君、ここに本屋があったの知らないかい!?」
「本屋……?」
ラリィは死語を聞くような顔で手越をマジマジと見つめた。
「あなた、誰?」
「ぼっ、僕は小説家で……ここに本屋があって、確かに僕の本がここで売られていたんだよ」
「そうなの? 私、昔小説読んでたよ」
「何だ……ちゃんといるじゃないか! 読者!」
手越がホッとしたように顔を緩ませた。
「良かった……僕はてっきり……そうだ! せっかくの機会だ。君に僕の本を上げよう。なぁに、今回は基本無料で良い。構わん。ちょっとだけ待っててくれ。『追加課金殺人事件』というのが本棚にあったから、早速持ってこよう……」
「何言ってるの?」
ラリィはきょとんとした目で手越を見つめ、やがてケラケラと笑い始めた。
「おぢさん。イマドキ誰も小説なんて買わないのよ。何処にも売ってないし。小説を読んで欲しかったら、作者がお金を払うの。そんなに読んで欲しいんだったらぁ、お小遣い、ちょうだい♡」