未来からの旅行者・貮
読んでくださりありがとうございます
*
俺が七才の時だ。
同じクラスの皆と公園で遊んで、そのうちの一人が違う公園へ行こうと提案をした。
場所は自宅から離れた隣の市。歩いて十分以上はかかる道だった。
断りたかった。でも、断って、明日から仲間外れにされるのが怖かった。だから一緒に公園に行った。
帰り道。途中まで一緒だった皆は同じ道。俺だけが違う道。
学区の都合で俺は皆とは離れた場所に家があった。
ぶっちゃけいうと迷子になった。うちの親は防犯ブザーとか、GPS搭載子供用スマホなんぞ持たせてくれるような家ではなかった。
知らない道を独り彷徨った。似た景色を見つけては走って、家に帰ろうと必死になった。
十六時過ぎに解散したはずなのに家に帰れたのは、十九時を回っていた。
「こんな時間までどこほっつき歩いてた!近所に育児放棄だとか噂されたらお前が弁解しろよ!」
義父が、俺の頬を思い切りはたいた。
俺は泣きながらごめんなさいと謝った。繰り返した。
「うっせぇ!泣くな!海斗まで泣き出したらどうすんだ、この馬鹿!」
「海斗は良い子だから泣かないわよ。さっきミルク飲んでお腹いっぱいだしね」
海斗が産まれてから、母は完全に俺に興味を無くしていた。義父の味方だった。俺が義父に殴られても気にしない。母も手を上げることもあった。今思えば言葉の暴力も浴びせられた。
俺が泣くと、母は嬉しそうに義父に連絡をする。
『楓がお漏らししたww七才なのに情けなw』
仲間外れが怖かった。
家族に味方がいなくて。友達からも省かれたら俺の居場所はどこなんだろう。どこにあるんだろう。
「おじいちゃんとおばあちゃんと住みたい」
そう大泣きすると、母のヒステリックは最高潮に達した。
風呂に沈められ、体中に痣が出来た。
痣が引くまで、学校を休んだこともあった。
独りぼっちになりたくない。
だから周りに合わせた。友達が望む行動をした。ノリにも乗った。家では空気になった。外ではいい子に見られるよう、親の教育が行き届いているような振る舞いをした。
全部全部、自分のため。
自分を守るため。
嘘の自分で殻にこもった。
*
海の中から浮かび上がるように、光と意識が透き通っていく。
風が冷たくて思わず身震いする。
「さぶっ!あれ、ここどこ…アズサちゃん?あと、お姉さん…?どこ?」
そう。大道芸を見せてくれると誘われて、着いていったのだ。道すがら、急に眠気に襲われて記憶がない。
「あ、起きた。どう?良い眺めでしょう。凌雲閣十二階屋上。浅草で一番高い塔」
「あの、なんでこんなところに?しかも、俺縛られてるんですけど…」
両手を後ろに拘束され、足も縄で縛られていた。
お姉さんはしゃがみ、倒れこんでいる俺の顔を覗き込む。
「神様からのお告げがあったの。それを教祖様にお伝えしたら、君は世界を災厄に陥れるパンドラの箱だって。だから私達が君を救済しないといけないの」
「あの、言っている意味が…意味不明と言いますか、その…」
知らないけれど、解らないけれど、これはカルト宗教だ。絶対そう!
この女、俺がその世界を陥れる災厄だかなんかだと信じてる。
「んなわけねぇだろ!俺は普通の!普通の、人間だし…」
普通じゃない。この世界だと俺は、未来人で、この時代の人間じゃない。
普通ってなんだ?
普通って何?
俺は、本当にこの世界の異端なのか?異物なのか?
よくある物語だと、その時代にそぐわない人間、本来死ぬべき人間が生き残った場合、どこかで帳尻合わせが来る。
じゃあ、その帳尻合わせが今ってこと?
「ねぇ。新田楓君」
「え…」
名前、教えたっけ
「君は、君は今悪い魔女に捕まっているわけだけど。殺されそうになっているわけだけど。王子様が助けに来ると思う?」
「…その質問、個人的に物凄く精神抉るわ」
助けてほしい時、助けてと言えなかった。だから誰も助けてくれなかった。
助けてくれる人はいない。もう居ない。じいちゃんも、ばあちゃんも、父さんも…。
女とは思えない腕力で、俺を手摺に乗せる。
風が吹き、髪が乱れる。もう、地上が高いのか、近いかすら理解できなくなってきた。このまま落ちても、大怪我で助かるかもしれない。
「ねぇ、最後にさ」
女が清々しい程の笑顔で俺に話しかけてきた。
「いっそ、絶望を全部放っちゃって、希望だけ残しちゃえば?きっとその方が、楽しいよ」
「それって、どういう意味、っ!」
突き落とされた。訳判らんことを言われたまま突き落とされた。
いつ叩きつけられる。いつ衝突する。いつ死ぬ。
死にたくない、死にたくない!
「水無瀬さん!」
最期に頼って叫んだ名前は、水無瀬さんだった。
「間に合った」
あと数メートルで叩きつけられる。一秒を争うような中、アズサちゃんが俺を抱き上げていた。
耳裏からワイヤー出ており屋上に張られている。遠心力とワイヤーを引く力に従い俺達はまた凌雲閣に戻る。
バン!と火薬が爆破した音が鼓膜を破きそうになる。
あの女が、地上に向けマスケット銃を向けていた。
「ごめんなさい、新田さん。囮に使っちゃった」
ウィンクをし、謝罪した声は女性ではなく男性の声だった。
「なに、どういうこと?」
腰を抜かし、アズサちゃんに支えられながら情けない声しか出ない。
「おい!どういうことだ!今回の件、俺は訊いていないぞ!」
現れたのは水無瀬さんだった。息を切らし、ガチギレしている。
「おい、雪乃進!久世に黙っていろと言われたら、誰にも伝えないつもりか?!花園も混乱していたぞ!」
水無瀬さんは雪乃進と呼ばれた男性…?の胸倉を掴み怒鳴り散らした。
「ほら、その。潜入捜査っていうか、怒るなら久世さんに怒ってください~。オレは本当に忠実に指示に従っただけなのでぇ」
水無瀬さんは雪乃進を突き放すと、下を覗く。銃で撃たれた男の周りには警察官が多数集まっていた。救護、と言うよりは逮捕に近いようだった。
「銃弾は右腕掠り。うん、我ながらいい仕事したな」
雪乃進はどこか満足気に微笑んだ。
「副総監殿の悩みの種だったカルト宗教か。後でお前等、きっちり〆るからな。おい…大丈夫か?怪我は?」
腰が抜けて、立ち上がれない俺の前に水無瀬さんがしゃがみ、様子を伺ってきた。
本当に、心配しているらしい。威圧的で、上から野郎の彼が、しょげた大型犬みたいで可愛く思えた。
「だ、いじょうぶです…。あ、アズサちゃんもありがとう、助けてくれて」
「いいえ。ワタシは雪乃進とグルなので。〆られる側です」
あぁ、あれは着いて行って大丈夫という合図ではなく、誘導するために頷いたのか。
記憶がフラッシュバックする。
「フヒヒ。標的逮捕確認!これから久世さんが待つ警察署に行きますけど、水無瀬さん達はどうします?」
雪乃進が呑気に訊く。
「ッチ。行くに決まっているだろう!久世を吐かせてから、お前等を折檻してやる」
眼光から邪気が噴き出しそうなほどの睨みを利かせると、雪乃進は身震いをし、とアズサちゃんの手を取りさっさとエレベーターで降りていく。
「先に行ってますねぇ♡水無瀬さんって怖いねぇ」
「コワいねぇ」
手を振り、扉が閉まり二人は完全に降りていった。
風邪の音がビュービュー聞こえる。
「…迂闊だった。まさか、仲間がお前を利用しようとしていたとは思わなかった。その…悪かった」
「まぁ、生きているんで、許してやりますよ!」
あ。
「そうか。思ったより元気そうでよかった。立てるか?」
ダメ。
違う。
俺は
見上げると、星空が輝いていた。キャンプ場でも見られる星。時代が違っても、世界が違っても、星や月は繋がっていると信じたい。俺が生きていた時代に。
「生きたい、死にたくない…。生きて、帰りたい…」
「…お、おい…」
言葉に出したら最後だった。涙がぽろぽろ溢れ、止まらない。大洪水だ。
「帰りたい!せめて、弟ともっと話しておけばよかった!兄らしいことしたかった!せめて、海斗に、さよならって、言いたかった……ッ!こんなことになるなら、こんなことになるならぁ!」
嗚咽を零し、泣きわめく。
「おい、泣くな!泣かれるのが一番嫌なんだ!頼む、どうしたら泣き止んでくれるんだ…!」
そう言われても止められない。止めたくても止まらない。
「ごめ、なさ!とまんあくえぇ!」
「解った、解ったから!……俺のガキの頃の笑える話を教えるから、泣き止んでくれ」
困り果てた水無瀬さんの顔色はげっそりとしていた。まだ止まらない涙を親指でグイグイ拭われ、そのまま上を向かされた。
「俺は星空が好きで。海も好きなんだ。だから、海星という漢字を知った時、どんな美しいモノなのか心が弾んだんだ」
「星に海って…ヒトデのこと?」
「そうだ。妙ちくりんな生き物で眩暈がしたよ。でも、五芒星に似ていたからな。死骸を持って帰って、今も部屋に飾ってある。両親との思い出が詰まってる」
「意外な幼少期の話ですね。もっと、水無瀬さんなら女の子を振りまくったとか、金で大人を扱き使ったとか、そういう話が飛び出るのかと思いましたよ」
気づいたら、涙は止まり、疲弊しながらも笑みが零れた。
「やっと笑った」
「可愛い子供時代のお話を聞いたら、笑顔になります」
水無瀬さんも、微笑し、俺を安堵の眼差しで見ていた。
立ち上がると、水無瀬さんが手を差し伸べてきた。
「これから警察署に行く。もう立てるだろう?」
俺は、少し考えた結果、彼の手を取らず立ち上がった。
少しムッとする水無瀬さん。
「はい。行きましょう。俺もなんで囮にされたのか知りたいですし」
エレベーターが到着する。乗り込み、降下する。
「落ち着いたか?」
「はい。泣いたらすっきりしました。結構、気づかないうちに無理を溜め込んでいたのかも」
水無瀬さんや正一くん。八千代丸を困らせたくなくて。明るく、楽しんでいるフリをしていた。いや、楽しかったのは本当。でも、凄く怖かった。夢だと信じたかった。
「…ちゃんと、お前が住んでいる時代に帰す。約束する」
「……ありがとうございます」
「帰れるまで、俺が責任をもってお前を預かる。それでいいか、楓」
楓――
それは俺の名前だった。
大学の皆は新田と呼ぶ。弟の海斗は兄ちゃん。両親はもう、名前すら呼んでくれなくなった。
「よ、よろしくお願いします。えっと…」
「藤志朗。水無瀬藤志朗だ。暫くの間、よろしくな」
「その時が来るまで、お世話になります。藤志朗」
警察に到着すると、藤志朗は久世という男と大喧嘩を始めた。
いかにもエリートといった風貌の高身長のイケメンだった。令和にいてもかなりモテる男だ、絶対。
彼が久世雅比古。華族出身。叔父は警視庁副総監。そして藤志朗の幼馴染。許嫁がいて、将来久世家の跡取り息子。自身も今、英語を学び和訳の仕事をしているらしい。
(すげースペックの男が幼馴染かよ…)
時系列を整理すると。
久世の叔父からカルト宗教に手を焼いていると相談された。
久世はまず、烏丸雪乃進を女装させて潜入させた。
ちなみにこの雪乃進。芸事も達者であり、大道芸もやってのける芸に愛されし男。それに顔つきも柔和なためか女装しても違和感は無い(身長がネックだが)
しかし、カルト宗教の件を藤志朗に相談しようとしたやさき「別件」を調べてほしいと頼まれてしまった。
だからカルト宗教については久世、雪乃進、そしてアズサちゃんが片付けることとなった。
話を聞いていると、なんだかスパイみたいだ。
「あの、藤志朗。藤志朗達って、喫茶海星の他にお店でも経営してるの?」
尋ねると、難しい顔をして数秒後に答えが来る。
「気が向いたら教えてやる」
それって、教えてくれる日が来るんですかね…。
すると、久世雅比古が俺の所に訪れた。
「今回の件は摘発のためとは言え、下手したら命を落とす囮にしたこと、大変申し訳ない。私も先ほど叔父の逆鱗に触れた。…反省はしている。すまなかった」
「もし今度囮になる件があったら、藤志朗を囮にしてください」
「検討しよう」
「おい」
自分でも不思議だった。藤志朗が不満そうにツッコんだ姿に思わず吹き出してしまう。
泣いたら本当にすっきりした。本音を、ちゃんと言えた。
飾らないで。偽らないで。
「お疲れ様です~」
男性の洋服に着替え終わった雪乃進が、げっそりとした表情で戻って来る。
「雪乃進。水無瀬と新田に囮にしてしまった詳細を教えてやれ。私はこれから現場に向かう」
「へい」
そう言うと、久世は警察署から出ていき、車で送られていく。
(久世さん。翻訳家って聞いたけどなんで現場に行くんだろ…)
さて。それはいずれ判るだろう。解らなくてもいい。
今は事の詳細。
俺と藤志朗の視線が雪乃進に向かう。
「さっさと説明しろ」
藤志朗が睨む。
「急かさないでってば。あの宗教ってさ、強引な勧誘が酷くてさ。逆らう信者には暴力振るってたんよ。それに、権威を見せつけるために無関係の人を悪魔憑きとか呪われている、救済するには我々が天国へ導かせるって言うのね。以上が判明したことからどう対処するかって練っているところに!水無瀬さんが連れていた新田さんの髪色なら皆食いつくかと思ったらまんまと引っかかってさぁ!悪魔に選ばれた!対象者を殺すときは信者が何人か見に来るから、ソイツを狙撃して久世さんが捕まえるって戦略だったんだけどぉ。なんか警官がいっぱいきたね」
笑顔で説明してくれる雪乃進は、先ほどまでアズサちゃんと一緒に藤志朗から雷を落とされ反省していた。気持ちの切り替えが早いのか、それともフリだったのか。
「俺を囮にしたこと一生恨んでやる…。あれ。でも警官が来たのは策のうちじゃなかったんですか?」
「そうなんだよぉ。大きな誤算なんよ、あれ…」
「誤算?」
そう。彼等にとっての大きな誤算。
小西寧々だ。
午後休になったことで、小西も浅草繁華街を見て回っていた。
そこに不審な女が俺とアズサちゃんを連れていくのを見て、急いで駐在所に駆け込んだらしいが、女が男子供に危害を与えるとは思えないと人蹴りされ、追い出された。
そして困った小西は、花園に相談した。
藤志朗と久世さんが俺達の所へ向かったあと、小西が言ったのだ。
「もしあの女が怪盗陽炎だったらどうするんですか!義賊だって言われていますけど、陽炎目撃後に行方不明になっている人だって多いんですよ!」
そして再び一人が駄目なら二人がかりで駐在所に押し掛けた。
それでも相手にしない警官に痺れを切らした小西が何気なく、本当に他意も無ければ家系も知らずに声を荒げた。
「店長!こうなったら私達もオーナーや久世さんに協力しましょう!あの女を探して、オーナーのお友達を助けるんです!!」
これが、ことの結末。久世の名にビビった警官が出動した理由だった。
そして現在、逮捕されたカルト信者の白状により教会へ突入したが…
【カルト宗教 教祖含ム信者六十二人ガ自決。誘拐サレタト思ハレル被害者救出】
と新聞の見出しに大々的に載っていた。
翌日。俺達は喫茶海星に集まり、お茶をしていた。
後々聞いた話。宗教拠点に乗り込んだ時には、もう信者は服毒自殺で亡くなっていた。しかし…教祖だけは頭部を拳銃で撃たれていた。
――『憶測だが、教祖が死ぬのを拒んだのだろう。それにカッとなった信者であり愛人が殺害したんだろう。神として信仰していた人物の化けの皮がはがれて失望したか。はたまた教祖でありながら自殺を命令しといて自分だけ生きて逃げる選択をした愛しい人に腹立ったか…もう真相は闇の中だがな』
久世さんはそう推測していた。
詳しいことは知らないけど、やっぱり裏切られるって辛いんだ。愛した人だから、相当堪えたのかも。
「死亡した信者の中には誘拐された人物もいたそうだ。無理矢理殺されたんだろうな」
「藤志朗って、無神経っていうか、ドライだよね」
「どういう意味だ。あと、ずっと気になっていたが呼び捨てにするな」
藤志朗は俺から新聞紙を奪うと、その記事を黙読し始めた。
「それにしても、寧々のお陰で警察が動いてくれたんだから凄いじゃない!お手柄ね」
珠子さんが誇らしげに笑う。
「いえ。オーナーのお友達…楓さんを助けたい一心で、もう訳わかんなくなっちゃって」
小西が照れ臭そうに微笑んだ。
「寧々が立派なのに対して、アイツは…」
珠子の呆れる声色。明らかにがっかりとしている。
「どうしたんです?」
こっそり藤志朗に耳打ちをする。
藤志朗も不満気に唇を尖らせたあと、静かに返す。
「仕事仲間が被害者の中にいたんだ。一応無事だったけどな」
「え?!でも、無事ならよかったですけど、一体なんで…。まさか、パワハラして、追い込んだんじゃ…?それで神様に縋りたくなって…」
「パワハラ?なんだその言葉は。未来の言葉を必要以上に使うな。アイツは…陵介は怒ったところでひょろりとかわすし、ヒラリと逃げる。そんで、女に弱い」
「陵介さん…。へぇ。ダメ男が好きそうな女性に好かれそうな人ですね」
「しっかりした女性が伴侶になってくれたらめでたい話だがな。だが奴には、致命的に無いものがある」
俺は眉を顰め、首を傾げた。
「致命的…?超鈍感で女性の好意に気付かないとか?」
「違う。奴には、絶望的に女運が無い。それなのに女の尻を追いかけては痛い目に合っている。懲りずに、毎度毎度、毎度…」
どんどん怨念が募ってきそうだったので、この話は止めにしよう。
俺は紅茶を飲みながら、大正咲にきて、初めて一息ついたのだった。
「美味しい」
―パンドラの箱・乙女の秘密破り―
それは春の事でした。
桜は美しく咲き誇り、花弁を散らし、花吹雪を魅せるのです。陽ざしも暖かく、朗らかな日でございました。
安吾院陵介は上野にいた。
桜を眺め、酒を嗜む。
晴天であり、ふわりと吹く風も優しい。
「こんな日にゃ空から天女様が舞い降りてきそうだぜ」
キザな台詞を呟き、一口飲む。
(今度雪乃進と寧々のこと動物園にでも連れて行ってやるか)
雪乃進は出身地不明の家出少年であり、寧々は遠出自体あまりしない子だ。観光がてら連れてきてやったら喜ぶだろうか。そんな年齢でもないか。
二十八にもなれば十歳以上離れていると子供っぽく思えて可愛がりたくなる。
藤志朗と雅比古も誘うかと過るが、あの二人は即答で「断る」と言うだろう。
アズサは…わからん。皆が来れば着いてく、と思う。
俺達の繋がり…『秘密結社海星堂』だ。
そこで俺は主任として皆を纏めている。
そう…形上では。
そもそも、秘密結社海星堂を創設したのは藤志朗の暇つぶしのためだ。
久世の叔父殿から仕入れた未解決事件、ご近所さんの奇怪な噂話。それらを調査しては解決口を見つけている。探偵ごっこみたいなもんだ。
それでも。遊びだと言われても藤志朗の気が晴れるなら続けてもいいと考えている。
「あ、酒がなくなった…そろそろ帰るか。春っても夜は冷えるからな」
長椅子から立ち上がったとき、ふと斜め前、道の向こう側の椅子に座る幸薄そうな女性がいた。長い髪を横に垂らし結び、伏し目がちにし、憂鬱そうにしている。
失礼を承知で言うが、美人薄命。そんな雰囲気の女性だった。
思わず、声を掛けずにはいられなかった。
「どうかしましたか?」
「え?」
女性が顔を上げ、視線が合う。
「何かお困りだったように見えまして」
「あら、嫌だわ。私ったら…ご心配かけてすみません。たいしたことじゃないので」
「それならよかった」
「そろそろ帰ります」
ここで女性と別れ、俺は駅に向かい歩き始めた。
そこでふと、思わず笑ってしまった。
「俺たち」
「同じ駅に向かってたんですね」
切符売り場にてまた遭遇する。
「お住まいをお聞きになってもよろしくて?」
「俺は浅草です」
「あら!私もです。奇遇ですね」
彼女の名前は中村芳子さん。
女性でも歓迎の社員寮の陵墓として住み込み働きしているらしい。この企業、社会奉仕活動も盛んに行っているんだとか。
「私もお休みの日はお手伝いしているんです。私も困っている時に社長さんに相談に乗ってもらっていただいて…お陰で今の生活があるんです。私は幸せ者です」
幸せを噛みしめるように過去を話してくれる姿は凛とした女性だった。どこかひ弱な印象だったが俺の勘違いだったようだ。
「中村さんのご両親はさぞ鼻が高いでしょうね。娘がこんな立派な女性になられたら。俺なら近所に自慢します」
「またまた」
可笑しそうに笑う彼女が愛らしい。
「でも、どうでしょう。…私、二十半ばなのに未婚ですし、孫の顔も…」
「それは、耳が痛いお話です」
「え?」
「いや、三十路が近いのに、俺も未婚でして…もう親も弟達に期待して俺には何も言わなくなりました」
「まぁ…似た境遇ですね」
ちょっと、似た者同士、良い雰囲気じゃあないか?芳子さんの表情も、別に俺の事を嫌そうに見ていない。辛うじて普通の目線で見てくれている。
会話に花を咲かせているうちに、電車は浅草に到着した。
「まだ日は完全に落ちていませんが…途中まで送りましょうか?」
「いえ。この明るさなら大丈夫です。安吾院さんのほうこそ、男性だからって油断しないでくださいよ?最近、物騒ですから」
そして最後に、芳子さんは巾着から鉛筆と紙を取り出し何か書き出し、俺に手渡した。
「私を雇ってくださっている企業です。社会奉仕は毎週日曜にやっていますから、気軽に来てみてください」
「ありがとうございます」
芳子さんが見えなくなるまで見送ると、俺も歩き出す。
いただいたメモを見て、俺は眉間に皺を寄せる。
(えーっと、光望会社…。光望会社?おい、待ってくれ)
光望会社って、久世がなんか言っていたぞ。
――『光望会社となのり奉仕活動として貧困層や家庭、社会に不満や不安を抱いている人達の相談に乗り勧誘する手口を働いている悪徳宗教だ。噂じゃカルトって話だ。雪乃進、行けるか?』
――『行くしか選択肢ないでしょ~』
――『仲介にアズサを挟め』
俺は偶然、事務所に入る前に立ち聞きしてしまったのだ。
雅比古も、雪乃進も協力申請してこなかった。だから黙って様子をみていたが…
「もし、芳子さんが騙されているなら助けたい」
そしてあわよくば、結婚を申し込もう。
原作・ぱるこμ。原案・PaletteΔ