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創作百合短編集

カウントダウン-お風呂で首ったけ!

作者: 今田椋朗


10




 うう、少し肌寒い。

 ずっと日曜日に、しがみついてるからかな?


 そろそろ、カーディガンを引っ張り出さなきゃ。


 昨日は肌がベタついてイヤになるくらい、空気がムシムシ、ジメジメ、ジトジトしていたのに。


 この商店街を抜けるときついつい買ってしまう中華饅頭の包んであるラップを剥がすとき、いっつもいつの間にか手がベタベタになってしまう。


 昨日は、まあ、そんな感じ。



 うって変わって今日の風はサワサワ、そよそよ、サラサラ。


 ずっと、お風呂上がりみたいに、一日中さっぱり。

 ただ、省エネ運転で日常生活していると、肌寒いかもしれない。

 だから、そこの何の悩みもなさそうにプカプカ浮かんでる入道雲をかき混ぜに行くくらい駆け出したい。


 きっとこの肌を慈愛のポカポカと日本晴れのサワサワで保湿できて、やっぱりカーディガンもコートも出さずに春を迎えられるかもしれない。なんてね。


 そんなの現実的じゃないって言いたげな、この膝小僧の機嫌を取るように、ステップ、スキップ、タンタタタン。


 それはたぶん、この足がどうしても地球から離れられないって、宿命の音。

 かたい足音が鳴るのに、ふわふわの感触が酔いそう。



 まあ、秋は大好き。


 ほんとうに。


 ただ、季節の変わり目の、夏なのか秋なのか、サイコロで決めるような変わり身には、ちょっとついて行けない。


 秋のファッションが大好き。


 だって、自由なんだもん。


 極端に暑くも寒くもないって、何でも着られるってことだから。


 長袖も、半袖も、ノースリーブも、へそ出し、肩出し。何でも。


 足下だって、サンダル、スニーカー、ブーツ。


 去年末に買った、真鍮色の留め具がかっこかわいい黒のローファーの出番だし。


 そうだ、リボンがかわいすぎるかなって思う厚底パンプスが収納で眠ってるのを、思い出した。合わせる甘めのトップス、持ってないんだよね。


 野田っちに、譲ろうかな。いっそのこと。


 足のサイズ、同じだし。23センチ。


 野田っちなら普段使い出来るし、なにより似合うから。


 選択肢が多くて、それはそれで大変だけど、着ていく服を選ぶのが好きだからね、苦にならないの。


 そうだ、次の日曜日のチケット、ピアノコンサートに行くときの、コーデを考えよう。


 家に帰ってから。


 空は日が落ちはじめて、朽ち葉色と同じに見える。


 それって、その辺に散らばってる街路樹のアカと同じだからかなあ。


 垢?赤?紅?わからない。


 おおざっぱに、秋色ということで。夕焼け。


 あと十五分くらい歩いたら、着く。


 実家の、分譲マンション。13階建て。


 クリーム色に、ダークブラウンのアクセント。


 新築の時はオシャレな洋菓子みたいにオシャレだと思ったのに(子どもの頃ね)、今は病人の顔色みたいな土気色、あるいは、なめくじの素肌。


 外装のリノベーション、はやくしてほしい。


 13って、不吉な数字だよね、確か。

 どうして、もう一つフロアを作らなかったのかなあ?

 それか、一つフロアを減らすか。


 わざわざ、不吉な階数にするのって無神経。


 いっつも、思う。



 かつーん、かつーん。


 爪先で、路上に落ちてるペットボトルの蓋をつつきながら、大通りまで連れてきてしまった。


 今日の靴は、白黒スニーカー。七千円。


 信号待ち。


 手持ち無沙汰に、手をぶらぶら、目をキョロキョロ。


 この交差点の、中央分離帯の柵に、一週間前からオロナミンCが乗っかってるの。


 スゴくない?


 だって、瓶の幅と柵の幅は同じくらいだから、ちょっと強い風が吹いたら、バランスを崩して真っ逆さま、だと思うのに。


 もしかすると、もう何回も落っこちていて、その都度何回も拾われて置きなおされてるのかも。


 そんなはずないか、拾ったならゴミ箱に持って行くよね、フツー。






「「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」」




 ビックリした!


 バカのバイクがこれ見よがしに、制限速度を守って、目の前を走り抜けた。しかも、二人ぶん。


 ツーリングか、いいなぁ。楽しそう。


 恋人同士かなあ。なんとなく。


 でも、あんなバカにはなりたくないな。


 いくら楽しくても、外しちゃいけないモノってあるよね。


 制限速度とか。(ちなみに、ここは40キロね)


 周りが見えなくなるくらいの恋を、抑えつけるタガとか。


 でも、うるさくするなら、もっと飛ばして、猛スピードで去ってほしかった。少しの時間なら耐えられるから。




 これ見よがしにゆっくり走りやがって。


 背中二つを睨み付けた。


 すぐに霞んで、都会の街並の色々な色に溶け合って見えなくなった。


 赤、黒、茶、黄、白、青、灰、黒、白、灰、黒、黒、白、灰、黒。




 歩行者側が、青信号になった。


 あと、七分くらいかな。家まで。


 さすがに、衆目の中、ペットボトルの蓋をドリブルしながら、四車線の幅の横断歩道を渡るなんて、ハタチ目前の乙女には、出来っこない。




 サッカー小僧じゃないんだから。




 サッカー乙女でも、やらないけど。







 ラヴェルの夜のガスパールの、第二曲を脳内再生しながら、左足、右足、左足、右足、進む。




 シのフラット。




 絞首台って名前の曲なの。


 だから、思い浮かべるのは、すうっと吊られた輪っかのロープとの遠近感。



 シのフラット。


 重たげな足取り。

 これって焦燥感?

 それとも諦念?

 わからない。




 平凡な想像だよね。


 テンジョウから垂らされる蜘蛛の糸。

 カンダタの心。


 天井?

 天上?

 わからない。


 13階段って小説も、思い出すの。知ってる?




 ずっとシのフラットが鐘の音みたいに訥々と鳴り続けるんだけど、変な曲なの。


 自分は、第一曲の、オンディーヌ(水の精)のほうが、好き。


 でも、こうやって徒歩で帰るとき、いっつも脳内再生するのは、絞首台。


 そのシのフラットのリズムに足を合わせることもないのに。


 なぜかわからないけど、心地良いし、気持ち悪いのもある。わからない。




 首というか喉のイメージだし、錠剤を飲み込むときの、食道の壁にヒタヒタ、ズルズル、ウジウジ、なかなか落ちてくれない不快感に、似てるかも。




 シのフラット。


 シのフラット。


 ヒタヒタ。




 シのフラット。


 ズルズル。




 シのフラット。


 じくじく。 




 錠剤が大きくても小さくても、喉の内側を撫でられる感覚は、同じ。


 いくら水を飲んでも、液体は引っかかっているほうを避けて通れるから、意味はないの。


 シのフラット、シのフラット。







 魚の小骨よりは、マシだけど。



 あと三分かな、家まで。



 秋はサンマを食べなきゃいけないって、誰が決めたの?やめてほしい。


 焼き魚ってほんとうにメンドクサイ食べ物なのに、みんなよく食べるよね、ほら、そこの一軒家からも、においが来るじゃん。


 あれは絶対サンマだから、賭けてもいい。




 野田っちは、意外と好きならしい、焼き魚。


 というか、和食。


 ついつい、洋風のカフェとかレストランを選んじゃうから、いっつも心の中で、ごめんって言ってる。


 

 でも、野田っちに訊いてみたら、


『洋食か和食かぁ……どっちかって言うか、おいしいか、おいしくないかのほうが、重要じゃん?』


 一理あるよね。


 犬派、猫派と同じくらい、どっちでもいいって、頷き合ったもん。


 かわいいか、かわいくないかが重要じゃん?


 そういうこと。



 でも、きのこの山か、たけのこの里か、これは例外。


 だって、きのこの山は、おいしくない。


 たけのこの里は、おいしい。


 明確だから。それって。



 野田っちも自分も、たけのこ派なの。



 また、野田っちの顔が脳裏に浮かんだ。


 色んなところで、意見が合うし、相性抜群だから、友だちで一番長い付き合いなの。


 だから、野田っちは、ひとりで歩いているときの自分の脳内に、よく登場する。


 ひとりでご飯を食べるときにも。


 ひとりでお風呂に入るときも。


 メイクをするときも、落とすときも。


 洗濯物を干すときも、畳むときも。


 部屋の掃除をするときも。




 玄関前に到着した。







 帰宅したら、玄関に野田っちの靴が並んであったらいいのにって、ふと思った。






 現実は、上がり框に背を向けて、行儀良く並んでいるのは、両親と自分の、靴。


 革靴、スニーカー、スニーカー。



 お父さんとお母さん、好き。

 玄関が家族の靴で散らかっていると嬉しいから。

 片付いていなくていい。



 お母さんは料理が下手なこと以外は、何でも出来る逞しいひと。


 自分はメイクが上手って、友だちによくほめられるけど、全部お母さんが教えてくれたところだった。


 曰わく、絵心が大事、らしい。


 小学生のとき、夏休みに描いた絵がコンクールで佳作になったこともあるし、自信はなくはないけど。


 自信、自尊心?



 自尊心って、ゆっくり大切に育てるモノだと思う。


 園芸やるときみたいに、気長に、愛情込めて。

 時間をかけて。



 過剰な自信、方向がヘンな自信。


 そういうのは後々根腐れすることになるって、分かってる。


 水をやり過ぎないってこと、気を付けてる。



 咲き終わった花も、摘み取らなくちゃ、病気の原因になるし。虫とか。


 人間も盆栽だ。


 園芸の話だっけ、まあ、ぶっちゃけ一緒みたいなモノでしょ。


 


 お父さんは料理が上手いから、色んなモノを食べさせてくれたけど、味が苦手な食べ物なんて、自分は出会わなかった。


 だから、苦手なのは、食べるのがメンドクサイもの、ということになるの。


 魚とか、蟹、骨付き鶏肉、もう思い付かないや。


 

 お父さんは、そんな娘のために、骨という骨を外すために、専用のピンセットを持っている。


 

 それを、知っている。ちゃんと、知ってる。




 今日も、おいしい夕飯だったな。


 三人分の食器を下げる。


 お父さんもお母さんも、自分も、くだらない話の連鎖でいっぱい笑った。


 ほんとうに笑った。


 


 夫婦漫才を地でいくふたり。


 ほんとうに、幸せ。







 だから、これ以上求めるなんて、欲深くない?




 自分の、心の容器の、底。


 浴槽みたいな形かもしれない。


 ゴムの栓が、チェーンに繋がれている。




 どうして、お父さんとお母さんの二人だけじゃ、ぽたぽた、ぽたぽたって漏れ出すの?




 蛇口が緩んでぽたぽたしているのを、見過ごしていたら、水道料金が予想以上に大変なことになるように、雫ひとつひとつは小さくても、時間の力は大きいって、知ってる。



 時間の力。



 あたたかいご飯、あたたかいお風呂。


 湯に浸かっていたら、これ以上の幸せなんてないんじゃないかって、思う。


 ほんとうに。



 髪を湯につけないように、まとめてから、湯船に入っている。


 化粧落としが残りわずかなことを、脳内メモしておく。

 野田っちにオススメされて買った、化粧落とし。




 湯気で曇った鏡に映る人の顔が、輪郭が曖昧で、自分じゃないようにも、見える。




 ふと、野田っちの顔に、なった。




 野田っちの顔に、なった。




 紙芝居を見ていて、集中力が切れたときの、まばたきの間に、差し替えられていて、それが何回なのか分からなくて、何枚見逃したのか、見逃していないのか、それすらも曖昧な、意識の隙間、みたいな。


 


 『湯気で曇った鏡に映る人の顔が、輪郭が曖昧で、自分じゃないようにも、見える。』




 その瞬間を狙われて、野田っちの顔に、差し替えられていて、驚いた。


 自分しかいない浴室内の鏡には、自分しか映らないことくらい、分かってるのに、どうして、奥歯を噛み締めて、戸惑ったの?




 マンガだったら、ぎくりって効果音が付いてたかもしれない、踵が滑って尻餅をつきそうになって、すんでのところで、浴槽の縁を左手で握って、全身を支えた。


 左の肘を強くぶつけて、じんじん、じくじく、する。




 それが、二の腕を駆け上がって、左肩で二つに別れて、一方は心臓に、もう一方は首を経由して、脳内に到着した。




 離れた位置の二つの音叉が、共鳴するみたいに、心臓と脳がバラバラに、震える。


 それから、次第にリズムが揃いはじめて、ゆっくり、次第に、重なっていく。




 『湯気で曇った鏡に映る人の顔が、輪郭が曖昧で、自分じゃないようにも、見える。』




 音叉なのかメトロノームなのか、もうわからない。

 時間の流れが遅くなってきた。



 『野田っちの、顔になった。』



 じんじん、じんじん。


 じくじく、じくじく。


 じんじん、じん。


 じくじく、じく。


 じくじく。


 じんじん。



 シのフラット。


 摘み取らなくちゃ。


 花は咲いたんだから、咲き終わったなら、ハサミで茎を切らなきゃ。


 茎って、人体の部位だと、首?


 シのフラット。


 もう何回も落っこちていて、その都度何回も拾われて置きなおされてるのかも。


 オロナミンCの瓶が一回転して、浴槽の形に裏返っていく。


 上体を起こした。


 野田っちの顔を浮かべる脳と、手のひらの中の金属製のタガの冷たい感触。




 シのフラット。


 浴室の鏡の、無数の水滴。


 無数の水面の向こう側から、オンディーヌが手招きしているみたいに。


 少しの時間なら耐えられるから。


 息を止めて、こっちにおいで。


 雫ひとつひとつは小さくても、時間の力は大きいって、知ってる。じんじん。


 シのフラット。


 湯から出た上体は、曇った鏡に吸い寄せられる。


 罪人が、面会室の真ん中を隔てるアクリル板に空いた、声を通すための穴に、唇を近寄せるように。


 吸い寄せられる。


 きっと、神妙な表情で。じくじく。


 シのフラット。


 ゴムの栓が、チェーンに繋がれている。



 左手で、浴槽のチェーンを撫でる。


 湯の中で、チェーンはゆらゆら、ゆらゆら。



 曇った鏡に、鼻をぶつけた。


 それで、我にかえった。



 顔って、鼻が一番出っ張ってるんだった、知らないはずはないのに。



 野田っちには、絶対にバレちゃダメ。


 自分が湯船に浮かべるのは野田っちでも、野田っちが湯船に浮かべるのは自分じゃないって、知ってる。


 知ってる、ちゃんと。


 意識の隙間にはいつも野田っちがいて、その隙間を野田っちで埋めることが出来たなら、ぽたぽた零れることはなくなるって、分かってる。


 きっと、あたたかい湯で満たされるって、思うけど、今浸かってるこの湯と、どう温度が違うっていうの?


 野田っちは、入浴剤。


 なくても、お風呂には入れる、から。


 水垢の重なる、心の浴槽に。





 野田っちには、パス出来ない、出来っこないから、自分は一人で、ドリブルしてる。

 弾ける寸前の白黒のボールの縫い目がほつれている。

 野田っちが引っ張るせいで。


 どこに向けてシュートすればいいの?



 わからないんだよ!


 野田っちには、絶対バレちゃダメ。

 それは、分かる。

 これから一人でドリブルし続けるんだ。



 感情はナマモノだから、プレゼントには向かない。



 保冷剤も付けずに一方的に贈りつけるなんて、すぐに冷蔵庫にしまってもらえると、ずうずうしく思えるから出来ること。


 出来るわけない、そんなこと。

 だいたい感情に付ける保冷剤って、なに?

 

 みかんみたいに黴びるのを待っている。

 黴びたら気兼ねなく捨てられるから。



 そんなことより、日曜日、ピアノコンサートに行くときの、コーデを考えないと。


 野田っちは、誘わなかった。ひとりで観に行く、コンサート。



 ラヴェルを、聴きに行く。

 サッカー乙女じゃ、ないから。



45 


 それにしても、体重減ったなあ。



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