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さらば トゥルシエ  アディオス セル爺。

作者: jima

 皆さんはよく知らないスポーツの審判をやったことがありますか?私はあります。


 まずは私がとある街に異動したときの前任先輩との会話から再現しましょう。


 とある街のとある居酒屋にて

「よう、jimaちゃん。お前が後任とは俺も嬉しいよ」

「来週からこっちに来ます。先輩、ちゃんと社宅も片付けておいてくださいね」

「お前は疑り深いなあ。…あ、ひとつ引き継ぎを忘れてた」


「…?」

「サッカー好きだったよな。jimaちゃん」

「そんなことを言ったことも思ったこともありません」

「お前、前に少年野球のコーチやってたよな」

「10年以上も前のことです。先輩、何を言ってるんですか、さっきから」


「頼む!サッカーチームのコーチを引き受けてくれ!」

「…はあ?」

「チーム登録に必要なんだ。引き受け手がなくて困ってるんだ」

「嫌ですよ、そんな知らない子供達と休日を過ごすのなんて」


「いや、休日だけじゃなくて夜間練習とかもあるよ」

「冗談はやめてください」


「でもお前サッカー好きだったじゃん」

「どなたかとお間違えです」

「だっけ?」

「…です」


 『というわけで』というより、『どういうことだよ』って流れです。


 気の弱い私は結局『次のコーチを早急に探すので、チーム登録に名前だけでも貸してくれ。見つかったらすぐに変更届を出すから』という強引な説得と雀の涙のような額のクオカードで中学生サッカーチームのコーチを引き受けてしまったのです。


 この『見つかったらすぐに変更』という約束は遂に果たされることがなく、私は2年間コーチをつとめることになりました。ひどい話です。




 新任地で働き始めて、最初の休日、私は早くも練習試合の主審で笛を吹くことになってしまいました。

 先週から必死で「初めてのサッカー入門」を読み始めたところです。

 私の若干あやふやなジャッジに観戦している保護者も徐々にザワついてきます。ちなみにこの時のチームはとあるJ1プロチームのユースです。

『針の(むしろ)』という言葉を辞書で引いたときの使用例にぜひ使って欲しい、と無表情で知られる私も脇下に大量の発汗をしておりました。


 主審くらいは断って誰かにやってもらうという選択肢もあったのですが、選手の手前ついつい「あ、やりますよ。もちろん」などと引き受けちゃいました。私は「ええカッコしい」でした。

 つまり私はいろいろ間違ったのです。





 (さかのぼ)ること3日前、新チームでの顔合わせ後、サッカー好きの中学生が初心者以前の私に話しかけてきます。

「コーチ、どんなチームづくりを?」

「君だったら何に着眼する」

「ええっ?例えば攻撃的なチームとか、守備重視とか…」

「バランスだ、バランス。出過ぎても引きすぎても駄目だ」

「…はあ」

「わかったか!」

「はい!」


「コーチ、Jリーグではどこのファンですか?」

「君はどこだ」

「はい、ベルディです」

「それもよし!俺もチームカラーのはっきりしたところが好きだ」

「な、なるほど」

「わかったのか?」

「はい」

「声が小さい!」

「はいっ!」


 ほぼ何も言ってないと同様ですが、私には少年野球のコーチ経験から中学生について知っていることがありました。

 

 ひとつめ「奴らはオドオドしていると、とことん()めてくる」

 もうひとつ「奴らは真面目な顔をしていると、どこかに隙を見つけようとする」


 さきほどの審判の場面に戻ります。私は大量の発汗をしながらも、笑みを絶やさないように心がけました。余裕をみせることが大切なのです。

 しかしジャッジへの不満顔は露骨なほどに無視しました。一切取り合わない、どんどん進行する、ということですね。多少のブーイングはありましたが、例によって微笑みを浮かべつつやり過ごしました。


 この審判ぶりはチームの選手には意外に好評で「何だかよくわからないけれど、あの落ち着きと微笑みは計り知れない」という大変間違った高評価につながっていったのでした。

 コーチ就任の最初、保護者も見守る中で『技術や勝ち負けよりも、あいさつと用具の整頓をちゃんとすること。サッカーやらせてくれる親に感謝しろ』と話したことも良かったようです。

 何だか「新コーチ、ちょっと怪しいけどしばらく信用してみよう」という雰囲気が(偶然にも)出来上がりました。 


 ただ相変わらず戦術はチンプンのカンプンでした。知り合った他チームのコーチにメールで夜のうちに問い合わせたこと、めざましテレビでセルジオ越後さんが言ったこと、ナンバーという雑誌で当時の日本代表監督フィリップ・トゥルシエのインタビューを読みこんで覚えたこと…の3つをもとに中学生のコーチングをしていきます。


 ある時はハーフコートでのゲーム形式による攻守切り替え練習を行います。

「遅い!切り替え速く!」

「だめだ!こら!」


 練習を中断してミーティング、坊主頭のキャプテンに質問します。

「何が駄目で集合かけたかわかるか?」

「えっと、守備の数が足りてないのにボールにアタックしたことでしょうか」

「ふむ、そっちの我がチームのベッカム、お前はわかるか?」

「べ、ベッカム?うーん、こんな短い距離なのにシュートコースを切ってなかったことですかね」


「以上のことを踏まえて、もう一回チャレンジ!そこのキーパー君!オリバー・カーン!」

「俺ッスか?」

「そうだ、後で今の注意点がディフェンダーに徹底されてたか、君が指摘したまえ」

「わ、わかりました」


 おわかりでしょうか。私自身は何一つおわかりでないということが。


 まあ、上手くいったことばかりではないのですが、私はだんだんとのめり込んでいったのでした。つまり楽しくなってしまったのです。


 サッカー最高!フットボール万歳!目指せ、日本代表!俺ってバカだぜ!




 さて結論です。

 その一、たいがいのことは何とかなる。心配したほどひどいことは滅多に起こらない。

 その二、自信満々で発言すると人は結構信じる。

 その三、サッカーはメチャメチャ楽しい。






 さらに、その後のこと。


 図らずも2年目に突入したコーチ生活、ほんの少しだけ成長を見せる私でした。前述の相談役コーチには我がチームに移籍してもらい、チーム作りを手伝って貰っています。

 地区で底辺をさまよっていた私のチームはこのシーズン、『この辺では結構な強豪』というくらいの位置になっていました。


 しかし年度末の3月には辞令が出て、本社に戻ることが正式決定しました。

 リーグ戦は大詰めに入っており、この3月最後の試合で勝てば上位の大会に進出できるという場面でした。試合はスコアレスでPK戦に突入します。

 誰もがこの試合を最後に私がチームを去るということを知っていました。


 最後の円陣でいつものように、声を掛けます。

「集中しろ。勝ちたいという思いが強い方が勝つ」

「おう!」


 私たちは選手もコーチもみんなで手をつないでPKの行方を見守ります。寒くはないのですが小雨が降りそそぎ、ピッチの向こうに白いモヤが見えました。

 私はというと、何だか幸せで幸せで「この瞬間がいつまでも続いたらいいのに」などと思っていました。


 PK戦、勝ちたいという思いが強いのは相手チームだったのかもしれません。

 少なくとも指導者レベルでは。





 3月最後の練習で選手と関係者、保護者が並ぶ中、お別れをしました。

 あの坊主頭のキャプテンが顔をクシャクシャにして、号泣しながら花束を渡してくれました。


「悪いな。ホント言うと、俺サッカー完全な素人だったんだ」

 私の衝撃の告白?に彼は泣きながら答えます。

「知ってました、とっくに、最初から」

「…うーん」




 あれから随分年月が経ちました。上手くいかないことも多いのですが、この時の彼の不細工な泣き顔を思い出すたびに救われ、「何とかなるさ」と思います。




 中学生について知っていること、もうひとつ加わっています。

「奴らはちゃんと返してくれる。こちらが与えた思いの倍くらいの優しさを」







読んでいただき、ありがとうございました。時代がわかっちゃいますね。私の大人になってからの青春時代です。楽しかったなあ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めっちゃ良いお話です~°・(ノД`)・°・
[一言] ええ話や……(´;ω;`)
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