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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十八話 戴冠
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8

 薄闇を払うべくあいつがやって来たのは、日課のようになった暴力の最中だった。

 薬を拒んで殴られる。抗う力も無く横たわる身を、容赦なく蹴り上げ、踏まれる。

 早く死ねと吐き捨てられ終わる。

 そしてまたそれを繰り返す。

 もう痛覚も鈍く、そもそももっと酷い仕打ちを幼少の頃から受けてきたので特に何とも思えなかった。蔑まれ憎まれて然るべき自分なのだと再確認するだけだ。

 兄の声に従う事は難しかった。ただし、薬だけは辞めようと誓った。

「何してんだ!やめろ!」

 勇敢な声が一時的に暴力を止めた。

 が、男達はせせら笑ってそいつの登場を受け止めた。

「はぁ?何言ってんだ、このガキ」

「何か勘違いしてやがる」

 腕で物を教えようと矛先を変えたらしい。

 が、少年を連れて来た上役らしい男が一喝して止めた。

「勘違いしてるのはお前らだ。客に手を出すな、馬鹿者」

 すごすごと肩を窄めて馬鹿者達は出て行った。

 二人きりとなった部屋で、少年は倒れる龍晶を覗き込んだ。

「大丈夫か?」

 少年の手が伸び放題の黒髪を掻き分ける。視界が開け、初めて龍晶は相手の顔を見た。

 眩い銀髪を期待してしまっていた。

 そこにあるのは凡庸な、日に焼けて茶けた髪の少年の顔だった。

「…済まん。助かった」

 とりあえず礼は言っておこうと思った。別段、助けを求めてはいなかったのだが。

「なんだ、男か」

 思わぬ返しに眉を顰めてしまう。

「女が殴られてると思ったから、そんなもん許されねぇと思って止めたんだけどさ。なーんだ、お前男だったのかぁ。ま、良いけどね」

 何とも言えぬ気分で仰向けに寝返りをうった。

 長い髪に肉の落ちた体では勘違いされても仕方が無いとは思う。そもそも、男たらしめる器官が無いのだから。

 だがそんな事情は置いておいて、彼の勇気ある行動の動機は分かった。その気持ちは好もしい。

「女みてぇなつるんとした顔してるから分かんねーわ。やっぱ都の人間は違うなぁ」

 全く悪気なく一人で笑う少年に、龍晶は興味を向けた。

「地方から出てきたのか」

「ああ。南部の田舎から、一旗上げてやろうと思って。なーんて、大きい事言うけど本当は飯が腹一杯食えたら良いなと思って。都に着いたは良いが伝手も無いし腹減らして困ってたら、さっきのおっさんが、飯は食わせてやるし仕事も都合してくれるって言うからここに来た。お前も似たようなもんか?」

「いや…ちょっと違うかな」

「そうなのか?確かに俺は殴られるとは聞いてない。何かお前まずい事やらかしたんか?」

 龍晶は少し考え、人を疑う事を知らない少年に教えた。

「ここに来た事が間違いだ」

 え、と少年は顔を強張らせた。

「俺は薬より普通の飯が欲しいんだが、それが奴らには気に入らないらしい。それで殴られる」

「なんだお前、腹減ってんのか」

 食欲などとうの昔に無くしたが、食わねば生きられないのはどうしようも無い事実で。

 早くこの体に死んで欲しい連中は、薬ばかり与えて生きる為の飯はろくに与えない。

 少年は懐から饅頭を取り出し、半分に割った。断面から肉と菜を混ぜ合わせた餡が覗く。

「はい。さっき行き道におっさんに買って貰ったやつだけど」

 龍晶は受け取らず、きょとんと少年を見上げてしまった。

「…いいのか?」

「一人で食える訳無いだろ。腹減らした奴はさ、みんなで分け合うんだ、喧嘩せずに」

 おずおずと受け取って、それを更に半分に割って、片手に持つ方を返した。

「そんだけで良いのか?」

 今度は相手がきょとんと見返した。

「急に沢山食うと毒だから」

 答えて、四分の一になった饅頭を両手に包んで口に運び、ほんの少しだけ前歯で齧った。

 久しぶりに味覚を感じた。美味いとかどうとかも忘れてしまっている。

「お前、寝転がったまま食うなよ。行儀悪いぞ」

「見逃してくれ。起き上がる力も無いんだ」

「ふーん。ま、お袋じゃないから見逃してやる」

 口の中にあった僅かな量をやっと飲み込んで、次を口に運ばず少年の横顔を見上げた。

「お袋さんは…田舎で待っているのか?」

 彼は大口に饅頭を齧り、頬を膨らませながら事もなげに答えた。

「そうだよ。俺の仕送りを待ってる」

「ああ…」

 よく分からないが心から安堵した。

 捨てられたり、死に別れた訳でもないなら、良かったと思った。今までに余りに悲惨な家族を見聞きしてきたから。己を含めて。

「親父が戦で死んじまったから、俺が稼がなくちゃいけないんだ」

 続いた言葉に安堵は凍りついてしまった。

「戦、って」

「このたびの戦の事だよ。親父は自分達農民の為の戦だから、これだけはやらなきゃいけないって(くわ)持って出てった。鍬で人が殺せるかよ。殺す前に殺されるに決まってら」

 押し出され溢れた饅頭の餡が掌に落ちる。

 指先は震え、力を解きたくとも上手くいかない。

 何かを呪う声で、この目が見た事実を口にした。

「鍬で人が死んだ。殴り殺された」

「えっ、そうなのか!?」

 喜色を混じえて振り向いた顔は、絶望の色に触れて真顔に直った。

「その…殺されたのは、お前の知り合いか」

 婉曲に問う事を少年は知らなかった。

 龍晶もまた、隠さず答えた。

「俺の兄の事だ。鍬や(すき)で殺された。…そう仕向けたのは、俺だけど」

 更に問いたい相手を遮って、無理に龍晶は笑みを作った。

「お前の親父さんは正しかったよ。誰も殺さずに居られるなら、それに越した事は無い。お前は苦労する羽目になったんだろうけど」

 少年は黙って口を動かしだした。

 龍晶もまた、進み難い食を何とか口に入れた。

 鋤鍬で殺された兄の悔恨と、自分の悔恨は、実は同じなのだろう。

 誰も殺さずに居られたら。

 大切な人を殺す前に、自分が死にたかった。

 最後の一口を飲み込んで、少年はぽつりと言った。

「新しい王様は、農民でも腹いっぱい食えるようにしてくれるんだ。親父が言ってた」

 純粋な瞳を龍晶に向けて、彼は問うた。

「まだなのかな?新しい王様」


 男に案内されてきたのは、一見それとは分からない普通の商家だった。

 揉み手で迎える主人を横目に、店先から奥へと入り、床板の一部を上げると階段が現れた。

 その階段を下ると、湿った土の匂いと、人の匂い、そして水の流れる音。

「何なんだよ、仕事って。こんな所連れて来て」

 朔夜は不満顔を作って問うた。

 階段を下ると、上に居た店の者が何食わぬ顔で戸を閉じた。一瞬、辺りが闇に包まれる。

 但し常人ならざる朔夜の目は闇の中に蠢く物を鮮明に捉えていた。

 人。怯える子どもの目。そして屍のように横たわる大人。

 矢張りここは正常な商売の場ではない。

 人影の中に龍晶の姿を探す。

「ここで暫く待って貰う」

 放置され蝋の解けきった燭台に火を灯しながら男は言った。

「待つって、何を」

「舟だ。仕事場へお前達を運ぶ舟が来る。早ければ明日の夜」

「何処へ行くんだ?」

「南部」

「わざわざ都まで出て来たのに、結局田舎に戻されるのかよ。一体何の仕事だ」

「それはまた教えてやる」

 それだけ言い残して男は階段を登った。

 下から小突くと、上で待機していたらしい下男が扉を開けた。

「せめて、もっとマシな場所を用意してくれよ。こんなの黴が生えそうだ」

 朔夜の声を無視して男は階上に消え、扉は閉ざされた。

 やれやれ、と見上げていた視線を滑らせ周囲を見回す。

 奴らの言う仕事の内容は気になるが、まずは友を探す事だ。

 そう広い敷地では無さそうだが、空間が幾つかに仕切られている。その中の手前の部屋に子ども達が身を寄せ、奥に行くにつれ大人の姿が増えてゆく。

 一人一人の顔を確かめる。子どもらの中に紛れていても気付かぬ容姿ではあるし、大人らの中に伏せているかも知れない。

 声を聞けば自ら出て来てくれても良さそうなものだが、それが無いのは具合が悪いせいかも知れない。

「そっちは駄目だよ」

 小さな声が朔夜を止めた。

 大人達が伏せる部屋へ入ろうとした時だった。

「そこに入ったら死んじゃうよ」

 身を寄せ合う子ども達が皆一様に朔夜をひたと見詰めている。声はその中の一人、まだ幼い少年のものだった。

「死ぬのか?何故?」

 問うたそばから答えが判った。

 鼻を掠めた匂い。

 芥子の薬。

 龍晶の使うものよりも匂いがきつい。つまり成分が濃いという事だろう。

 そうなれば、毒にもなり得る。

 朔夜は口元を袖で覆って中を睨んだ。

 死んだ目の男達が煙管を咥えている。その力も無い者はぐったりと横たわっていた。

 その中に知る顔は無い。落胆と安堵が一度に起こって消えた。

 ここに龍晶は居ない。

 だが何か手掛かりはあるかも知れない。朔夜は子ども達の元へ戻って問うた。

「人を探している。長い黒髪の痩せた男。歳は十八なんだが、子どものように見える。知らないか?」

 誰もが口を噤んだまま横目に他人を伺う。

 朔夜は更に言い添えた。

「痩せて窶れてはいるが女みたいな綺麗な顔してるんだ。そのくせ態度がでかくて我儘な…でも本当は優しい奴…」

 それ以上は言えなくなって、口を閉じた。

 名を言えば誰か知っているだろうか。だがそれは危険過ぎる。

 説明し易い特徴が無いせいだ、と誰にだか分からぬ八つ当たりを心の内で呟いた。

「何故こんな所で人探しをする」

 奥から問われた。

 振り向くと、先刻覗いた部屋から、いくらか正気そうな男が煙管を置いてこちらを見ていた。

「消えたんだ。突然、街の辻から。だから、連れ去られたんじゃないかと思って…」

「いつ」

「昨日の昼間」

「じゃあここには来ていない。昨日は新参者は居なかった」

「そうか…」

 全く当てが外れているかも知れない落胆を隠せぬ朔夜に、男は追い討ちをかけるように言った。

「お前、早まったなぁ。こんな所から探す必要なんか無かっただろうに。ここは、入ったら最後、外に出られる場所じゃないぞ」

「みんな閉じ込められてるのか」

 そんな予感はしていたが、改めて問うと子供達の顔に悲壮感が漂った。

「おじさん達は?出られないのか?」

 男は自棄のように自嘲して答えた。

「ああ。だが元より出る気が無い。地上に出れば地獄を見るが、ここに居れば極楽の夢を見ながら死ぬ事が出来る」

「その薬で?死ぬまでここに居るのか?」

「ああ。この世はさっさと死んだ者勝ちだ」

 男は煙に縋るように口いっぱいに吸い込んだ。

 その相手を睨んで朔夜は言った。

「半分は賛成だけど、半分は同意し兼ねるね。長く生きてもろくな事は無いだろうけど、わざわざ命を縮めてまで死に急ぐ事は無い。況してや、こんな無駄な死に方は御免だ。他人事だとしても見てて腹が立つ」

 白い目が睨み返す。

「ほざけ、若造が。ここに入った時点で無駄死にはお前も一緒だ。残念だったな」

「死ぬ気なんか無いよ。何なら皆纏めて生かしてやろうか」

「はあ?お前、何言ってんだ」

 勿論最初からそのつもりだったが、どうせならこの男に煙管を取り落とさせて拾う気も失くさせてやろうと思った。

「その前に、この子達はどうなるのか知りたい。どういうつもりでこんなに人を集めているんだ、奴らは」

 男はまだ胡散臭い目を向けながら、事も無げに答えた。

「決まってんだろ。売られて行くのさ」

「どこに?」

「南部のどこか知らないが、こういう子らが一ヶ所に集められて軍隊にされる」

「何?それは、誰の、何の為の…」

「次の王を倒す為だよ」

 唖然と男を見返す。

 彼は特別な事を言ったという風も無く、煙を吸う。

 怒りに似た感情が胸を支配した。

「どうして次の王を倒す必要がある…!?皆が望んだ事じゃないのか!?」

 思わず必死になり、白い目を向けられる。

「何だよお前、反乱軍の関係者なのか?なら俺の敵だな。俺は国軍の兵だった。上の連中も前王の支持者だ。次の王を倒す必要だと?必要も糞もあるか。俺達は奪われた地位を奪い返すんだ。当然の権利だ」

「奪い返す…!?そんな事して何になる!?」

「俺はこんな所で死なずに済む」

 断言され、朔夜は昂りを抑え込まれた。

「知らんだろう。国軍で敗れた者は、もう光ある所では暮らせない。だからこうして薬でもやって無駄に生き無駄に死ぬより無いんだよ。地上で勝利に浮かれ騒ぐ連中を恨み呪いながら、いつかもう一度世の中をひっくり返してやる機会を待ってるんだ」

「…あいつはあんたらを許す筈だ。あんたの恨みは、勝手な幻想に過ぎない。そうやって堕落して、楽になりたいんだろ」

「知った口を利くな、小僧が」

 憎悪に満ちた言を強い目で受け止め、朔夜は言った。

「知ってんだよ。あいつも、あんたと同じに苦しんでるんだから。俺はずっとそれを見てきた。だから分かる。あいつが王になれば、お前達は許され、生かされる。だから死なせちゃならない、絶対に」

 龍晶の苦しみは、受け止め切れない悲しみと未来への不安だ。それを忘れたくて禁断の薬に堕ちた。

 気持ちは分かる。痛いほどに。

 だけど矢張り、その弱さを持って王にならねばならない。

 そうでなければ、こういう弱い人を救う事は出来ない。

 それが出来るのは、彼だけなのだ。

「あいつ、って誰だ」

 ごく当然の問いに、朔夜はにやりと悪戯っぽく笑った。

「じき分かるよ。あんたが生きていれば」

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