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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十四話 狂気
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9

 軍部に戻りかけた足を止めて、宗温は従卒として後を付いて来る賛比に命じた。

「藩庸ら反乱軍への拷問は陛下からお許しを頂いたと伝えて来い」

「あ…はい」

 少年はてっきり共に軍部に帰ると思っていたのだろう、怪訝な顔をしてから走り去って行った。

 先刻までは確かにそのつもりだった。だが、確かめるものを確かめてからでも遅くは無いと考えた。

 踵を返し、後宮へと向かう。

 側近や護衛兵らを皆帰し、一人で秘された場所の扉を開く。この地位になれば止める者は居ない。

 それが問題だ。

 自分もだが、桧釐も、そして皇后である華耶も権力を持ち過ぎた。そうなるべき生まれでは無かった者達が。

 成り行き上でここまで来てしまい、与えられた物の大きさに気付けないまま、その力を使おうとしている。止める者は誰も居ない。

 否、唯一それが出来るのが国王だ。だから王の意思をこの耳で確かめねばならない。

 女官に案内されてこの国の意思への扉を開ける。

 途端に、あっと小さな悲鳴が聞こえた。

 見れば、若い男女が向かい合っていた。女は顔を赤らめ、男は青ざめた顔をしている。

 宗温は流石に訝しんだ。

「祥朗殿、これはどういう事ですか」

 声の出せぬ彼は震えるように頭を横に振った。女の方が気丈に口を開いた。

「治療に必要なものをお渡ししていたのです。怪しまれるような事は何もありません」

 確かに祥朗の手には箱と、液体を入れる竹筒が握られている。

「成程、そういう事にしておきましょう。陛下のご容態を伺っても良いですか」

 含みのある言い方で答え、有無を言わせず中に入った。

「陛下は今お休みになって…」

「私は祥朗殿に伺うつもりですので、貴女はどうぞお引き取り下さい」

 最後まで言わせず、その上案内した女官に厳しく名を呼ばれて、彼女は渋々退室した。

「後宮の不貞を取り締まるのは女官達ですが、罰するのは我々の仕事です。頼みますよ」

 釘を刺すと、青年は項垂(うなだ)れた。

 その横を素通りして寝台に近寄り、幔幕を持ち上げる。

 矢張り王は眠っている。小さく魘されながら。

 予測していた事ではあるが、溜息を吐いて幕を下ろした。

「近頃はどのようなご様子ですか」

 振り返って付きっきりで看病している青年に問う。彼は腰の帳面を取り、筆を走らせた。

『もう限界です。助けて下さい』

 穏やかではない言葉に紙面から顔を上げて青年の顔をまともに見る。

 顔色は青ざめたままだ。

「陛下をお助けする為ならば勿論協力します。何をすれば?」

『兄上は退位を望んでおられます。桧釐様にはあしらわれましたが、すぐにでも灌の王子へ位を譲らねば』

 走っていた筆が止まった。手が震えていた。

 その手を宗温の両手が握った。

「陛下はご養子を迎える事を望んでおられる。そうですね?」

 青年は頷く。縋るように。

 かと思うと、崩れるように床へ座り込んだ。

 その床の上で彼は書いた。

『桧釐様には伝えられませんでしたが、近頃兄上は、あの芥子の薬を持って来るよう仰せられます。それを拒むと、ならば毒薬を、と』

 宗温も床に膝を付き、文字列を読んで事の重大さを目の眩む思いで共有し、祥朗の肩を支え摩った。

「よく教えてくれました。事態は相当に危うく、時間は無いという事ですね。私が何とかします。まずは陛下と直接話がしたい。お目覚めになったら教えて下さい」

 祥朗は頷いた。顔に少し血色が戻った。

 そして、帳面を捲ってこう書いた。

『彼女の事は陛下からお勧めを頂いたのです。どうかお目溢し下さい』

 思わず宗温は笑った。若者の必死さもまた可笑しかった。

 そして小奈の事を思い出して、切なく微笑んだ。

 彼女はきっと、この二人の兄弟を救う為に助けてくれるだろう。

「分かりました。では、後ほど」

 部屋を出ると彼には無意識の事だが、桧釐と同じように皇后の元へと向かった。

 彼女の意向は聞いておきたい。そして必要とあらば、説得もせねばならない。

 華耶は赤子を寝かしつけていた。

 訪問には笑みを向けて答え、また無言のうちに赤子の腹を優しく規則的に叩く。

 その姿に母を感じた。当然過ぎて失礼ですらあるが、その赤子に血の繋がりは無いという前提があるからだ。

 春音が寝付いたと見え、後を女官に託し、彼女は立ち上がった。

「お待たせを致しました。少し外を歩いても?」

 近付きながら小声で問う。

「勿論。お供致します」

 二人で連れ立って後宮の庭へと出た。

 冬の日は既に暮れようとしていた。回廊ですら薄っすらと雪が積もっており、その雪を先行する女官が掃き払ってゆく。

「何故あなたがここに来られたのか、分かる気がします。当ててみて良いですか」

 悪戯っぽく微笑みながら皇后は言った。

「どうぞ」

「春音を王にしてはならないのでしょう?」

 宗温は流石に苦笑いした。

「してはならない、とまで言いませんが…」

「そうではない方が良いのでしょう?桧釐さんが決めてしまいそうだから、慌てて説得に来られたようですね」

「皇后陛下のご意志であると聞きましたが、本当のようですね」

「私は我が子と出来るだけ長く共に暮らしたいだけです。そして出来る事なら愛する人の地位を継いで貰いたい。そう考えるのはいけない事でしょうか」

「龍晶陛下が、その事によって崩れそうになっていてもですか?」

 大きな目が、ひたと向けられた。

「陛下は今、そんなに深刻な状態なのですか」

 宗温は重々しく頷く。そうしながら、もう何日も夫婦が顔を合わせていない実態を知った。

「祥朗によれば、毒薬をご所望になる、と」

 皇后の足が止まってしまった。

 宗温も足を止めて振り返る。

 色白の彼女の顔は、月明かりを受けた雪面と同じ青白さだった。

「一刻も早く、重荷を解いて差し上げるべきだと思います」

 強く宗温は告げた。

「私はどうすれば?」

 消え入りそうな声で華耶は問うた。

「まずは桧釐殿へ意を翻すよう伝えて下さい。そして、灌王に文を。あなた様は灌王の御養女であられますから、現状をありのままお伝えするには一番相応しいでしょう」

「分かりました…。でも、そんなに立派な字が書けません…。そもそも何をどう書いて良いのかも、さっぱり…」

「書の上手な女官に代筆を頼みましょう。大丈夫、よくある事です」

「でも…でも、本当に何も書けないし、文章も作れないし、私、頭が悪いから…」

 泣き出してしまった。女官らが取り囲んでその体を支える。

 顔を覆う指の間から涙がぽろぽろと溢れる。

「ごめんなさい…陛下に夜毎字を教えて貰っていた時が思い出されて…。あの頃に戻れたら、と…」

 泣きながらの言葉に宗温は頷いた。

「お気持ちは分かります。私は伴侶となる者を失った身ですから。どれだけあの時に戻れたらと考えたか知れません。しかしあなた様はまだ大事な方を失った訳ではありません。元に戻る事は可能な筈です」

 顔を覆っていた手を離し、涙で濡れた目で見上げられる。

「宗温さん…ごめんなさい。あなたの事、何も知らずにこんな振る舞いをしてしまいました」

「お気になさらず。蛇足ですが、私の身の上話を聞いて下さいますか?陛下にも関わる事ですので」

「是非、お聞かせ下さい」

 ふっと笑って頷き、宗温は遠い目を雪の積もる庭へと向けた。

「私の許嫁はかつてこの後宮におりました。名を小奈と申し、花嫁修行の為にと幼い龍晶陛下にお仕えしていたのです。それがある日、前王の不興を買ってしまい暴力を受けてそのまま…死にました」

「ひどい…」

「本当に酷いのは、この事件が龍晶陛下に与えた影響です。最初に殴られていたのは幼い龍晶様で、小奈に助けを求められたのだそうです。そして間に入った彼女は目の前で代わりに殴られてしまった。だから龍晶様はそれ以降、誰かに助けを求める事が出来なくなり、何事もその身に受けて我慢せざるを得なくなってしまいました。それは今も続いています」

 はっと息を吸って、華耶は口元を手で押さえた。

「皇后陛下、私は龍晶様をお助けする為にこの地位に着きました。そしてもう二度と、前王のような者が権力を握る事の無いように。この二つより他に私心はございません。お誓い申し上げます」

 桧釐に対して言っているのだと、華耶は理解し頷いた。

「分かりました…。養子の件は考え直します。どうか陛下を助けて差し上げて下さい。お願いします」

 折よく、祥朗が顔を覗かせた。

「陛下のご意向を伺って参ります。では」

「あの…!」

 背を向けようとした所に華耶は呼びかけた。

「華耶がまた、字を習いたいと申していると、陛下にお伝え下さい」

 宗温は力強く頷いた。

「承りました」

 祥朗と共に王の寝所へと戻る。

 確かにその人は目覚めていた。寝台の上に身を起こしている。だが正気の程は知れない。

 宗温が近寄っても視線をくれる事は無かった。

「陛下、お加減は如何ですか」

「藩庸は何か喋ったか?」

 問いかけには全く無視して、鋭い声音で問われた。

「いいえ、まだ重要な事は何も。お許しを頂いたので今ごろ厳しく尋問していると思います」

 表情の乏しかった顔に、喜色が浮かぶ。

「例えばどんな方法で?」

 宗温はその問いと表情に戸惑いながら拷問の方法を挙げた。

「まずは水責めでしょうか。それに鞭打ち、逆さ吊りなど…。ご不快なものがあれば止めにしますが」

「なんだ、そんなに生温いのか。明日もやるか?是非とも見舞ってやりたいんだが」

「それは止めておきましょう。見て気持ちの良いものではありませんよ。お身体に触ります」

「はあ?これ以上面白いものなんて無いだろ」

 まるで遊びを止められた子供のような言い方だ。宗温は慄然としながらも、理解に努めた。

「それほどお恨みが深いと言う事ですね。あの男のしてきた事を思えば当然かと思いますが…」

「奴が俺にしてきた事の倍は苦しんで貰わないと、殺す気になれんからな。ああ、何処でも良い、体の一部を切り取ってみてやれよ。そうだ、それを明日この手でやってみよう。うん、良い考えだ」

 その笑みを見ながら、この人は壊れてしまっている、と。

 宗温は目前が暗くなる思いだった。縋るように隣の祥朗へ視線を送る。

 彼は俯いて手にしている薬湯を見詰めていた。自分以上に辛いのだと、宗温は己の甘さを反省した。

「あ、そう言えばあの餓鬼は?奴を捕らえるのに使った、あれ」

 この人の物言いではない。これは狂気が彼にそう口にさせるのだ。

 そう自らに言い聞かせて顔色を変えないよう答えねばならなかった。

「珠音ですか。共に捕らえています」

「さぞや俺を恨んでいるだろうな」

 それすら楽しい事のように、目を細める。

 宗温は言葉を詰まらせながらも、肯定せざるを得ない。

「それは、もう…。彼を騙した形になりますから…。藩庸とは顔を合わせぬよう、別の牢に入れてあります」

「会わせてやれよ。あいつが拷問される姿をたっぷり見せてやれば良い」

「それは…」

 どう解釈して良いのか分からない。慈悲なのか、真実を知らしめる為なのか。

「明日は同じ場所へ連れて来いよ。俺が奴を切り刻む所を見せてやるんだ。その後は解き放ってやれ。褒美を付けてな」

「いけません陛下。そのような者を解き放てば、後にどのような障りになるか…」

「あいつの目的は俺を殺す事だろ。それ以上の悪さをする度胸は無いさ」

「それより悪い事態などありませんよ。お考え直し下さい。私の手では彼の釈放は出来ません」

「仕方ないな。別の手を考えるか」

 何についての方法なのか。問う言葉を選んでいるうちに龍晶は(おもむろ)に祥朗の持つ薬湯へ手を伸ばした。

 一息に飲み干して、手の甲で口元を拭きながら彼は言った。

「悪いが薬を飲んだらもうあまり時間が無いぞ。わざわざここに来た本題は別にあるだろう。話せよ」

 全くそうなのだが、これほど重い気分で本題に触れる事になろうとは。

 その観察眼の鋭さ、頭の働きはまだ健在なのに、一体何がどう壊れてしまったのだろうと疑問に思った。

「鵬岷様の件について、陛下のご意向を伺いたく思います」

 あからさまに大きな溜息。

「面倒くせぇな。どいつもこいつも、そればっかり…」

「申し訳ありません。しかし、国の大事にございますれば」

「国の?お前らの、だろ?桧釐はてめぇの子供を王にしたいと浮かれてるだけだし、お前はお前で皓照への面子を立てたいだけだ」

「そのような事はありません!」

 思わず叫んでしまう。あまりに身も蓋も無い言い方をされてしまった。

 が、それが真実でもあるのだ。

 何の欲得も無い目でこの騒ぎを見れば、それが浮かび上がるのだろう。

「俺はどうでもいいよ。どうだっていい。好きにしろ」

 今度は戸惑いの目を祥朗に向ける。

 王の意向を聞いての養子を迎える動きでは無かったのか。あれは嘘だったのか。

 彼は淡々と薬湯の椀を始めとした、夕食の跡の片付けをしていた。

 菜の乗った皿は、殆ど手が付けられていない。

「しかし…陛下に決めて頂かねば」

「お前らの綱引きに勝敗がつけられないって?それこそどうでも良いが…華耶はなんて言ってる」

「養子を迎える方向で考えていらっしゃいます。灌のお義父上に文を出すそうです。それで、陛下にまた以前のように字を教えて欲しいと仰せでした」

 一息に宗温は説明した。

 嘘と言えばそれは嘘だ。己の都合の良いように改竄(かいざん)した、つい今しがたの出来事だ。

 だが要は伝え方だろう。意思の無い人に諾と言わせる為に。

「本当にそれで良いと思っているのか?」

 ぎくりと、王を見返す。

 後ろめたさが鼓動を早くした。

「華耶にはこう答えておいてくれ。思い出は美しいままの方が良い、と」

 それは字を教える話だと気付いて、宗温は気の抜けた返事を返した。

 それを誤魔化す為に問うた。

「皇后陛下とお会いなさらないのですか」

「なあ宗温、お前は朔夜が帰ってきても捕らえたりしないよな。それだけは信じているんだが、大丈夫だよな」

 繋がらない話に僅かに首を傾げながら頷く。

「その為に南部で工作をしてきました。大丈夫です」

 あの村での事件は今、藩庸ら反体制派の仕業になっているだろう。宗温が指示して流した噂によって。

 王は安堵したように、うんと頷いた。

「それなら良い。朔夜が帰ってきたら、華耶と一緒にさせてやってくれ。どんな手を使っても良い。力を貸してやって欲しい」

「それは…お二人が望む事とは思えませんが」

 龍晶は首を横に振った。

「華耶は無理して俺に嫁いできたんだ。俺もそんな感情なんか無いのにそういう振りをした。ならこれ以上お互い傷付く必要なんか無いだろ?あるべき所に納まるんだ。彼女は朔夜を愛しているから」

 自嘲気味に笑って言い足した。

「俺も、朔夜を愛していた華耶が好きだった。絶対に手に入らないから、好きでいられた」

 宗温が何も言えないで居ると、青年はゆっくりと身を横たえた。

 そして眠そうな声で言った。

「養子の件はお前と桧釐が納得する形を考えて実現させれば良い。二人が割れても良い事は無いだろ?お互い面つき合わせて妥協点を探ってくれ。それが国の為だ。…ただし」

 口の端が僅かに吊り上がる。だがそれは狂気ではない笑みだ。

「俺は王位というものをぶち壊してから死ぬつもりだ。そのつもりで考えた方が答えは出易いだろう。血迷ってもお家騒動なんか起こすなよ」

 やはりこの人は正気なのだろうか。

 分からない。狂っていればこんな冷静な考えは出ないと思う。それとも彼本来の素質だけがこの言葉を言わせるのだろうか。

 敵わないと思った。

 が、続く言葉の異様さに宗温の思考は止まった。

「兄上がお望みの通り、王冠は永遠にあなたの物になりますから…」

 虚空に向けて、龍晶は微笑んでいた。

 そして痩せ衰えた腕を上に伸ばして。

「どうかそちらへお連れ下さい…」

 ぱたりと、腕は落ちた。

 もしやと思い慌てて息を確かめる。細い寝息が指に当たって、力の抜けた体が椅子を求めて崩れた。

 ぐったりと腰掛けたまま、目だけは敵を探すように部屋中を駆け巡る。祥朗を除いては何も居ない。分かっているのだが。

 部屋は十分に温められているのに、肌は粟立っている。

 どうしようもなく、裏切られた気分だった。

 小奈を殺した前王を、この人は。

 同じように恨んでいると思っていたのに。

 もしかしたら正気のうちの演技なのかも知れない。だが何の為に?皆目分からない。

 狂っているとしても、あの母親を見出した子のような微笑みは本物だった。それが許し難かった。

 まだ心臓は高鳴っている。荒れ狂うように。長年抑えてきた己の感情が暴走するように。


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