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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第十八話 戴冠
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6

 冷気を含んだ風が頬を撫ぜる。

 冬に向かう季節とは裏腹に、町は活気付いていた。

 戴冠式が十日の後に行われると告知された。

 新たな世の到来に人々は希望を見、期待を寄せる。

 その象徴たる当人は、だぶついた野良着に着られた格好で、己の噂話を素通りしている。

 厩に残されていた佐亥の衣服なのだが、彼の埋葬後に偶然見つけた物を大事に持っていた。まさかこんな使われ方をするとも思わず。

 背丈の高かった佐亥の服を、様々な事情で成長が伸びきらず止まってしまった体の龍晶が着るとどうにも不自然だ。

 しかしその横に居るのがこれまた子供同然のような朔夜で、そして二人が目立たぬ程に都は人が溢れている。

 この機に貧しい地方から出てきて都で生業をしようとする人々がその活気を作っている。

 同じような身なりをした人々が街道を行き交うお陰で、誰もそこに居るのが十日後に王になる人物だとは気付かない。

 それに加え龍晶自身も、その自覚は薄かった。

 道の端に座り込んで、人の流れをぼんやりと見上げている。

 朔夜が近くの店から杯に入れた水を貰ってきて急ぎ足で戻る。

「ほら、水。大丈夫か?」

 およそひと月の幽閉生活からいきなり刺激の多い外界に出て、体も頭も付いて行かず倒れ込んでしまった。

 朔夜は慌てたが、みすぼらしい子供など誰も見向きもしなかった。お陰で変に騒ぎにならずに済みはした。

 差し出された杯を受け取って、龍晶は口を付けず人の往来を見続けている。

 朔夜は横に座ってそれに倣った。

 見ているとそれぞれに見当は付くが、皆何らかの目的を持ってここを歩いているのだろう。

 物を買いに来た者、逆に商売をする者、大荷物を持って住居を探す者、中には不届きを働こうと目を光らせる者。

 それぞれの生き方が交わる、この往来。

 龍晶はこの喧騒をどう捉えているのだろうと横に目をやる。

 案外にしっかりとした目でこの光景を見ている。

 やっと思い出したように一口水を喉に流して、言った。

「王などもう必要無いんじゃないか」

 誰かに統治されなくても、彼らは生活している。

 朔夜は肩を竦めた。

「お前への期待値だと思うけどね、皆が元気なのは」

 龍晶は黙り込んでしまった。朔夜は慌てて付け加える。

「別にお前が王をしなきゃいけないって意味じゃないからな?」

「ああ…誰でも良いのは分かってるよ。要はお飾りが必要なんだ」

「そうじゃなくてさ…」

 お前は民に必要とされ、いつか必ず讃えられる王となる。

 そう確信しているが、言葉は濁したままにした。

 今は何を言っても重荷にしかならない。

「もう大丈夫だ、行こう」

「あ、じゃあこれ返してくる。ちょっと待ってて」

 龍晶の持つ杯を再び手に取って、貸してくれた店へと向かった。

 留まっていた辻から二軒先の茶屋に礼を言って、ついでに於兎への土産にしようと団子を買った。

 そう長い時間とは思わなかった。だが、帰ってきた時、待ち人の姿はそこに無かった。

「龍…」

 名を呼ぼうとして思い留まる。人に聞かれてはまずい。

 きょろきょろと辺りを見回す事しか出来ない。人の多い辻で一つ一つ顔を確認するのは困難だった。

 だが、ここに居ないという事がどういう事なのかが分からない。小用だとしてもそう遠くに行く筈は無いので、待てば戻って来るだろうかと暫しその場に留まる。

 流れる時間と共に、焦りと危機感が芽生えただけだった。

 おかしい。どう考えてもおかしい。そしてまずい。この上無くまずい事態だ。

 藁をも縋る思いで、目の前の店で番をしていた女に尋ねた。

「ここに居た男がどこに行ったか見なかったか?だぶだぶの服を着た、若い男」

 恰幅の良い女は、丸顔の眉を寄せて考え、ああ、と思い出した。

「あんたと一緒に居た子かい?別のお連れさんが来て一緒に何処かへ行ってたと思うよ」

「別の連れって…どんな!?」

「さて、よく見ちゃいないから何とも言えないよ。あんたは変わった髪の子が居るなぁと思って見てたから覚えてたけど、そっちの子はねぇ…地味だったから」

 その変わった髪を掻き毟って、朔夜は立ち尽くした。

 龍晶と共に去った人物は一体何者なのか。知人であれば良いのだが。

「どっちに行ってた?」

「さあ、人に紛れて分かりゃしないよ。少し待てば戻って来るんじゃないかい?」

「もう半刻は待ってる」

「じゃあ、家に帰っちまったかね。それか…縁起でもない事言うけど、拐かされたかも知れないね」

「え…」

「よくある事さ。田舎から出てきた子供を騙して連れて行く連中が居るんだよ。お前さん達、そいつらに目を付けられたんじゃないかね」

 確かに姿格好はそれそのものだ。目立たぬようにわざと装った。

 それが仇となったか。否、まだ決まった訳ではない。

「ありがと。ちょっと帰ってみる」

 頭を駆け巡る可能性と不安でどういう道筋を通ったかも不覚なまま、気付けば城に着いていた。

 ひょっとしたら本当に龍晶は先に帰っているかも知れないと思ったが、門を守る衛兵に問うても首を横に振るばかりだった。

 もう日が暮れかけている。闇に飲まれる光と共に朔夜の希望も薄れていく。

 一通り城内の目ぼしい場所を見て回って、完全に日が暮れた頃、朔夜もまた途方に暮れて宗温の元を訪ねた。

 誰かに相談せねばならぬが、桧釐に言う勇気は無かった。

 今や国の軍事と警備の一切を司る身となった宗温は、それこそ休む暇も無く、自室に居る所を捕まえられたのは幸運だった。

 そっと部屋を覗くと、書類を相手に夕食の箸を持っていた。卓上の大半が書類で、片隅にようやく皿が乗っているという具合だ。

 多忙さは嫌でも伝わる。そこへこんな大事件を持ち込むのは気が重い事この上ない。

 扉に挟まれてぐずぐずしていると、当然だが見つかった。

「おや、朔夜君。珍しいですね、こんな所まで。どうしました?」

 城内とは言え、龍晶らの居る宮殿と、宗温が詰めるこの軍関係施設は距離がある。

 龍晶に付きっきりの朔夜が、滅多な事が無いとここまで足を向ける事は無いと宗温は分かっている。

「龍晶が…」

 朔夜は言いあぐねた。どう表現すべきか。

 結局どう言っても自分が責めを負う事も、彼らが大迷惑を被る事も変わらないので諦めた。

「街中で消えた。捜すの手伝ってくれないか?」

 宗温は暫し、怖い程の真顔で朔夜を見つめた。本人は考えているだけなのだが。

 限りない筈の寿命が縮む思いで長い数十秒を待つ。

「…街中でとは、またどうして」

 怒られてもないのに勢いよく朔夜は頭を下げた。

「ごめん!俺が誘った!ちょっと散歩のつもりで!ほんっとごめん!」

「あ、なるほど…。いえ、別にその、私に謝る事ではありませんから…。それで、桧釐殿にはもう話を?」

 肩を落とし項垂れて思い切りしょぼくれる。察して下さいとばかりに。

 返答を待たずに宗温は苦笑いしながら立ち上がった。

「一緒に行きましょうか。三人でどうすべきか考えましょう」

「ごめん宗温。忙しいのに」

 後ろを肩を落としたまま付いて歩きながら、今にも泣きべそをかきそうに言う。

「大丈夫ですよ、後でどうにでもなる仕事ばかりですから」

 宗温は励ますように笑っているが、桧釐はそうはいかないだろう。

 暗澹とする朔夜の気を逸らす為もあるが、宗温は長い道のりを行く間に、二人が知っていて自分だけが知らない情報の差を埋めようと思った。

「龍晶様のこと、私は近頃全くお伺いも出来ずに…お具合も思わしくないと聞いていましたが、本来なら我ら臣がお支えすべき所なのに君にばかり負担をかけてしまって、申し訳無かった」

「宗温は…仕方ないよ。忙しいし、こんなに遠いし。それに人材不足なのは分かってるから、俺も部外者だけどあいつの世話くらい見なきゃって思ってたし」

「君をそう思わせてしまうくらい、龍晶様の周りには人が居なかったのですか」

「うん。最近は誰もあいつの顔も見に来なくなってた。ま、ずっと監禁状態で変化も無いし、会っても何にも喋らないし」

「それほど塞いでおられたのですか」

「薬のせいだって桧釐は言ってたけど」

「薬?」

「うん、芥子の薬」

 宗温はふと立ち止まった。

 朔夜は宗温が止まった事に驚く。

「えっ…どうした?」

「私が地下組織に居た頃、あれの恐ろしさは散々に見てきました。未だに、それも王城の内部にまで蔓延るとは…一国を揺るがす事態です」

「それ燕雷も同じ事言ってた」

「燕雷殿が知ると言う事は、この数十年の間ずっとあの薬は廃れる事なくこの国を蝕んでいたという事になります。…何とかしなくては」

「仕事が増えるね」

 朔夜なりの真剣な心配を笑って、宗温は歩みと話を戻した。

「龍晶様は自らその薬を?」

「うん。俺、何も知らなかったから、あいつに言われた通りに薬を持って行ってた」

 しょんぼりしながら言う。

「いえ、君は悪くはありませんよ。問題はそれを処方した者です。城内の医師の中には前王から仕えていた者も居ますからね…良からぬ事を考えねば良いのですが」

「そんな奴もまだ居るのか。この城に」

「旧臣はほぼ龍晶様に仇なしていた者ですからね、殆どは都から追放しましたが…どうしても引き続き仕えて貰わねばならぬ役職もありますし。早く龍晶様の名の下に新たな人材を集めねば、城内でも寝首を掻かれるかも知れない」

 半分冗談のように言っているが、洒落にならない。

「だから桧釐は龍晶を監禁みたいな事してたのか…」

「堂々と理由を言えない事だらけですからね」

 そうなってくると、ますます今の事態はまずいと自覚せざるを得ない。

「どこに行ったんだろ…」

 背後の細い声を聞きながら、宗温は扉を開けた。桧釐が北州から連れて来た仲間らと話をしていた。

「お、宗温。どうした?」

 もう話は終わっていたのか、周囲の者は気を利かせてその場を後にし、部屋には三人だけが残った。

「緊急事態です」

 冗談にも取れる言葉だが、宗温が真顔そのものなので桧釐も構えて続きを待った。

「龍晶様が行方不明となったようです」

「…は?」

 桧釐からすれば余りに突飛な発言だった。その意味も咀嚼できず目を見開いている。

「街中で忽然と姿を消したそうです。詳しくは、朔夜君から」

 話を振られて朔夜は何から言うべきか考えた、その一瞬を突いて桧釐は流れを止めた。

「おいちょっと待て、有り得ないだろ。城内の一室に閉じ込めていた人が、どうして街中に居る?」

 言いながら視線は朔夜へ。

 その目に疑念、そして怒りが混じる。

「またお前か」

「だっ…て…閉じ込めっぱなしの方がおかしくなるって…あいつもそう言ったから…」

 怒られる気で来たが、土壇場になると言い訳したくなる。それを桧釐は卓上を怒りを込めて殴る轟音で持って止めた。

「そんな事はどうでも良い。いつどこでどうやって消えた?」

 朔夜はいよいよ縮こまって答えた。

「夕刻、市の入口の辻で…ちょっと離れた隙に居なくなってた…。誰かに連れて行かれたって話は聞いたけど…」

「宗温、軍で動ける者は至急捜索に当たってくれるか?但し民に騒動を悟られないように、平服で街に出るよう伝えてくれ。軍人が大挙して街に繰り出せば勘繰る者も居るし、見つかるものも見つからん」

「分かりました。今すぐ」

 踵を返そうとした宗温へ、桧釐はもう一言付け加えた。

「水路とか、水辺を優先して見てくれ」

 宗温は頷き、出て行った。

「あいつはそんな真似しないよ」

 桧釐の言った意を汲んで朔夜は噛み付いた。

「よくそんな事言えるなお前。この数日…いや、この数年、何を見てたんだか」

「お前よりよっぽどしっかり見てたよ!特にこの数日は!」

 睨む桧釐を睨み返す。喧嘩している場合ではないかも知れないが、譲れない所もある。

「あいつは生きるって、そういう目をしていた。誰かさんに良いように操られようが、それも受け入れて生きるつもりなんだよ。それが国の為になるって、お前の事信じてるからだろ!?じゃあお前はあいつの事信じてやれるのか!?自分の都合で動かす駒以上の信頼があるのかよ?」

 桧釐は立ち上がり、朔夜に無言で詰め寄った。

 拳を上げる。朔夜は殴られるつもりで相手を睨み据えていた。

 桧釐の拳は空を切った。

「…やめた。ただでさえ手が足りないのに、腕ごと切り落とされちゃ敵わん」

 朔夜は顔を顰めたが、反論は飲み込んだ。

 そんな事をするつもりは無い。無論そうだが、それが通じないのが悪魔の力だ。

 意思の有無など関係なく、誰かを傷付ける。

「これで三度目だ。お前の意思であろうが無かろうが、あの人はいつもお前に惑わされて安全地帯から出て行く。北州から勝手に王城まで行った時も余程頭に来たが見過ごしてやっていた。だがもうこうなったら見過ごしておけん。この国から出て行け」

「…え…?」

「灌へ戻れ。これ以上、王となる人の元に悪魔など置いておけんからな」

 所詮、どこへ行こうと人に仇成す悪魔である事は変わらないのか。

 怒りと抗議と、絶望の入り混じる目で相手を見上げていたが、朔夜は諦めた。

「分かったよ。もうここには来ない」

 桧釐は相手を打ち負かした満足の笑みを過らせた。

「今から出れば日中出立した燕雷に追い付くだろう。道中、気を付けてな」

 朔夜は踵を返し、扉の前で背中を向けたまま告げた。

「国を動かす人間、早く見つかると良いな。あいつの考えが解って補佐できる、お前よりも適任な人物が」

「…何が言いたい」

「お前には北州の蟒蛇殿が似合ってたよ。また打ち合いたかったけど」

 桧釐の舌打ちを背中で聞いて部屋を出た。

 自然と足が止まり、深く息を吐く。

 その力の存在が無くとも、周囲に不幸を齎し、矢張りお前は悪魔だと忌避される。

 もう逃れられぬ宿命だ。それで救えるものも救えないとは。

 ぽん、と。

 肩に手を置かれて驚き振り返る。

 宗温が肩から浮かした手を、人差し指を立て笑みを湛える唇に当てた。

 声を出すなと言う事だ。中の桧釐に聞かれぬように。

 二人はその場を離れ、外に出た所でやっと口を開いた。

「本当に帰る気ではないでしょうね?」

 意外な事を言い出した宗温に朔夜は目を丸くした。

「あいつに逆らう気?」

「逆らうも何も、あれは命令でも何でもありませんし、彼にそんな権限もありませんからね。我々は今、ただこの城に間借りしているだけの賊に過ぎませんから」

「龍晶が王にならない限り?」

「そう、そして王から役職を頂かない限りは」

「だから桧釐は焦るのか」

「そうですね。しかし、それはそれです」

 その意を問おうと、闇の中でも光を失わない目を見返す。

「ほとぼりが冷めるまで兵舎で匿いますから、灌に帰るかどうかはもう一度あなたのご友人に会ってから考えて下さい」

「…ありがと、宗温」

 朔夜とてこのまま帰るつもりは無かった。

 龍晶を探して見つける事はもう己の義務だと思っていた。だから拠点を提供してくれる事は非常に助かる。

 何より宗温はこれ以上無く心強い協力者だ。

「俺、明日には試してみたい事がある」

「何でしょう?」

「龍晶を最後に見た人が、拐かしじゃないかって言ってたんだ。地方から出た子供を狙うのが多いんだと。…俺、囮になってみる」

「成程…。しかし危険では…」

 言いかけて、宗温は笑って言い直した。

「ないですね。寧ろ犯罪組織が減りそうで我々は助かります」

「そ、外れてもお前のお役には立てそうだし」

「地下組織はそれぞれ繋がりも多いので、手掛かりも得られるかも知れませんね…本当に拐かしであれば」

「うん。まあ、やるだけやってみるよ。他にやるべき事なんて無いし」

 兵舎に着く。宗温は早速、兵らを集めて龍晶捜索の命令を出す。

 その後に朔夜を匿う部屋を教えた。

「では明朝までに吉報をお持ち出来るよう努めます。それでも駄目なら、朔夜殿、頼みます」

 朔夜は頷き、寝台だけの簡素な部屋に籠もった。

 龍晶は生きている。それは確信している。

 必ず自分が見つけ出せる、それもまた、信じている。

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