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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十四話 狂気
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8

 慌ただしく年は明けた。

 年末から雪が多く、何もかも真っ白に覆ってしまっている。

 運河は凍りつき、物流は止まった。食糧の値が上がり、救民街に飢えた人が流れた。

 龍晶は病床で城の倉にある蓄えを救民街に持って行くよう指示した。王位に付いた後から子供達に育てさせていた高黍が役に立った。

 都の中にも炊き出しをする場所が設置され、人々は飢えと寒さを何とか凌いでいた。

「恨み言を言う割には、ちゃっかり人々を救ってやるんですな」

「ちゃっかりってなんだよ」

 枕元にやって来た桧釐の軽口に顔を顰める。

 年末から年明けにかけて、口も利けぬほど寝込んでいたが、少しずつ快復しつつある。

「これをやらないと元々救民街に居た住民達に皺寄せが行くだろ。結局、人間は弱い者から搾取していくからな」

「なるほど。炊き出しもそういう訳で?」

「それは知らん。誰かが要らん気を回して始まったんだろ。別に良いが、春に地方へ配る種籾は残しておけ」

「そこまで食い尽くす前に雪が溶ければ良いですが」

「食料の値を下げさせれば良いだろ。上限を決め、それに反する者は厳しく罰して良い」

「畏まりました」

「こういう事はもうお前が決めてくれ」

 溜息混じりに愚痴っぽく言う。

 桧釐は眉を上げて問う。

「お疲れですか」

「隙あらば眠り薬を飲んでいる人間に訊く台詞か?」

 何を言わんやという事だ。

「せっかく都に居られるんですし、こういう事はお嫌いではないと思ったんですがねえ」

「好き嫌いで政が出来るかよ。そういう事じゃなくて…この先を考えればお前が実権を握った方が良いって言ってんだ。勝手にやれよ、出来るんだから」

 それで良いなら療養先から呼び戻したりしなかったのだが。

 苦笑いしつつ桧釐はもう一つ問うた。

「それは、春音様が王位に着く為の布石と考えて良いのですね?」

「は?」

「え?」

 何か決定的に食い違った。

 が、王はそれ以上の言及を避けた。

「限界だ。薬を飲む」

 祥朗がすぐさま器を持って来た。

 こうして正気で話せるのは一日のうちごく短時間で、その時間を超えると幻聴が酷くなる。

 それに加えて傷跡が痛む。寒さのせいだろう。そのせいで眠れないから薬を飲まねばならない。

 器の中身を干す横で、桧釐は慌てて言った。

「ああ、待って下さい。大事な報告がありました」

 龍晶は目で問う。桧釐は続けた。

「藩庸が捕まりました。宗温が拷問にかけるか否かを問うております」

「何故それを先に言わない…」

 もう瞼が重い。声を出すのも辛く、吐息だけで言う。

「何をしても良い。己の悪事と関係した者、何もかも吐き出させろ。…それが終わったら」

 駄目だ。悪夢を見る予感しかない。

「俺が始末する」

 ぐったりと落ちた頭を祥朗が支え、寝かせた。

 呼吸は苦しげだ。熱は高いままなのだろう。

 桧釐は王の言葉を考える。まさか自ら処罰するという意味ではないだろう。

 処罰の方法を自分で決めるという事か。この期に及んで殺すなというのか。この人なら有り得るが。

 眠った顔から目を逸らし顔を上げると、祥朗に見られている事に気が付いた。

「何かあったか?」

 何事か言わねばならぬ事があるのだろうと気を回す。

 彼は部屋の隅にある自分の使っている卓へ戻り、紙に何か書き始めた。

 桧釐も近寄って彼の肩越しにその字を見る。

『兄上は灌の王子に王位を譲る事を望んでおられます』

「…また自棄(やけ)で言ってるだけだろ、それは」

 祥朗は首を横に振った。

『もう限界なんです。これ以上、王位に就いている事は兄上を苦しめるだけだと思います』

 だからそれが自棄だと言うんだと、桧釐は言葉にせず唸った。

 祥朗はまだ筆を進める。

『兄上自身もそれに気付いています。自分に絶望している、消えたいと僕に言いました。あんなに優しかった兄上が変わっていくのが辛くてなりません。近頃は義姉上にも厳しい言葉を言うようになったし、本来の兄上ではないんです』

「…知っている。だけど、それとこれとは別問題だ」

 祥朗は激しく頭を振った。そして桧釐の手を縋るように握った。

 口は、お願いします、と動いた。

 そして頭を下げる。桧釐は見ていられなくて目を逸らした。

「政は出来るだけこちらで何とかする。目覚めたら陛下にそう伝えてくれ」

 それだけ告げて、部屋を出た。

 後宮を後にする前に、まだ会うべき人が居る。

 女官に案内され、回廊を渡り、扉を潜る。

 赤子の発する声と女達の笑い声が聞こえてきた。

「皇后陛下、ご機嫌麗しいようで何より」

 挨拶しながらその輪に加わる。

 華耶は春音を抱きながら明るい顔を向けた。

「あ、桧釐さん。於兎さんは大丈夫ですか?」

 自分も少し照れ笑いをして告げるべき事を告げた。

「やっぱりあれは悪阻でした。医師にも見立てて貰って、腹に赤子が居るので間違いないと」

「そうですか!おめでとうございます!」

 女官達も声を揃えて祝辞を述べる。いやいやと桧釐は掌を振った。

「皆さんには申し訳ないが暫し宮仕えは休ませて貰います。ああでも、本人は気分さえ良ければこちらに顔を出すと言っていますので、その際はよろしくお願いします」

「勿論です!皆でお祝いさせて下さい。安産のお祈りもしなきゃ」

「それは心配無いでしょうよ。何せ春音様の時はケロッとしてたから」

「でも、念のため。何かあってはいけないから」

 ありがとうございますと頭を下げて、ちらりと本音を覗かせた。

「しかし、後宮であまり派手にしないで頂きたい。陛下の勘に触るでしょうから」

 華耶の笑顔が掻き消えた。

「はい。それは、気をつけます」

 女官達も笑みを閉ざしよそよそしくなる。暖かかった輪に急に冷たい風が吹くようだ。

 王の事を口に出しただけで。今やそういう存在なのだ。

「重ね重ね申し訳ない。華耶様に苦労を押し付けてしまっている」

 苦労には、そのまま龍晶の名が当て嵌まるようだ。

「いえ。陛下のご心痛を思えば、私など」

 華耶は女官達を見回し、告げた。

「桧釐さんとお話があります。外して下さい」

 女官達が引き潮のように退がってゆく。

 思えば、この人は随分と皇后らしくなったと桧釐は感心した。

 最初は純朴な娘だったのに。だが龍晶は彼女のそういう所を愛していたのかも知れない。

 朔夜と同じだろう。何も飾らず、素のままで接して貰える相手を欲していたのだ。

 華耶は胸に居る春音の顔をじっと見ながら、女官の動いた空気が静まるのを待っているようだった。

 そうしてたっぷりと間を取って、一言、彼女は言った。

「陛下は私たちが家族で居る事を望んでいないようです」

 言われた事の衝撃と、何処かで既にそれを知っていたような感覚と。

 単純に、そんな事は無いと否定しようとしたが、やめた。

「陛下は今、正気ではない…一時の気の迷いでしょう。お気に召されますな」

 華耶は頷いた。上げた顔はどこか遠くを見ていて、初めて彼女の負っている疲れを見て取った。

 こんな時にこそ於兎が居れば良いのに、と悔やんでも仕方ない事を悔やんでしまう。

「私はこの子の為にここに居るんです。陛下に捨てられても、私はこの子の親ですから」

「それは、勿論です」

「でも、鵬岷王子がいらしたら、身を引くつもりで居ます。何処に行くべきか分からないけど、少なくとも後宮には残れないと思っています。その時この子をどうすべきか…それが分からなくて、心配で」

「ちょっと待って下さい。何故そうなるのです。もし仮に王子が来たとしても、その母となるのは皇后陛下です。後宮を出る必要は無いし、寧ろここに居て貰わなきゃ困ります」

「私は王子の母にはなれないと思います。名目上はそうであっても、本当の意味では無理です。愛する事が出来ません。この子だけが私の子ですので」

 言いながら春音に視線を落とす。何も知らない赤子は、あー、うー、と声を上げる。

 桧釐は頭を掻いた。溜息は何とか押し殺したが、眉間の皺は禁じ得ない。

「まあ、そうですね。そもそも、俺も王子が来る事は望んでませんし。決まった話でもない。皇后にそのお覚悟が有れば、何としても俺が春音様を王としましょう。幸い、今しがた陛下にもお前が実権を握れと言われた事ですし。不可能ではない」

 華耶は目を見開いて顔を上げた。

「良いのですか?」

 桧釐は頷いて見せる。そして少し意地悪に笑った。

「陛下は何て言うか知りませんけど、何か言いたいなら先に病を治せって事です。これだけ尽くして下さる奥方を怒鳴りつけるなんて、あってはならない。天罰ものですよ」

 華耶の目に涙が溢れた。それだけ夫の当たり方が辛いのだろう。そして同時に笑ってもいた。それを冗談で包まれた事への安堵だ。

「ごめんなさい。でもありがとうございます。祥朗に陛下の本意を教えて貰ってからずっと、また対立してしまう事を恐れていたんです。そうしたら私は本当にここに居られなくなるんじゃないかって。この子の母親である権利も無くなるんじゃないかって…それが恐ろしくて」

「分かります。でも全ては陛下の自暴自棄のせいです。本当は王位を春音様に継がせたいんです。だから、今の言葉は全て無視して良いと思っています。いつかあの人もそれで良かったと言うでしょう。皇后陛下に感謝する日が必ず来ますから」

 華耶はふっと笑う。元々美しい人だったが、こうして笑う顔に名前のような華やかさが加わった。

 いかんいかんと自分の頭を叩く。惚れたら於兎に殺される。

「どうしました?大丈夫ですか?」

「大丈夫です。いえ、ちょっと虫がうるさくて…」

「虫?真冬なのに」

「俺の頭の中に住んでる美人好きな虫です。こいつがどうにも華耶様を前にするとうるさくて」

「あらら。やっぱり桧釐さんは面白い事を言うのがお上手ですね」

 また笑顔に蕩けそうになる。

 無論、高嶺の花だ。惚れたとしても眺めているだけ。

「桧釐さん、私に出来る事があれば言って下さい。何でも協力します」

 桧釐は微笑むと、頭を下げて皇后の元を辞した。

 俺が夫ならこんなに彼女を悲しませたりしないのに、と頭の中が漏れたら二度と入れなくなるであろう後宮を後にする。

 何やら楽しくなってきた。方向と支援者さえ決まれば後は走るだけだ。その方が自分に向いている。

 春音を、己の子を王にする。その為に喧嘩をする。相手にそうとは気付かれぬように、笑みを浮かべて拳を突き出すのだ。

 権力には興味は無いが、喧嘩の為の力だと思えばそれも必要だ。ましてや、守るべき人を守らねばならない戦いでもある。

 否、そんな御託はともかく、これで従弟の顔色をいちいち窺う必要が無くなったという事が何より心を軽くさせた。

 権力が自分のものになる。全てが思い通りに進む。誰に振り回される事もなく。

 そうしていたら、華耶だってきっと高嶺の花だけの存在では無くなるのではないか。

「なんて事を考えるんだ、俺は」

 我に返って頭を振る。こんな顔を誰かに見られて於兎に報告されようものなら当分飯を食わせて貰えなくなる。現実は甘くない。

 一瞬だけ夢を見て楽しんだという事にして、執務室へ戻った。

 中で宗温が待っていた。

「どうでしたか?陛下は何と?」

「俺に実権をくれてやるってよ」

「え?」

 宗温は藩庸の件について訊いたのだと気付いて、慌てて言い直した。

「何をしてでも吐かせろってよ。その後は、自分で始末がしたいんだそうだ」

「なるほど…分かりました。あの陛下がそこまで仰せとは、それだけ怒りが大きいという事ですね…」

「怒りと言うより恨みだろ。それにあの人は近頃誰彼構わず恨み言を垂れてるからな。八つ当たりしたいんじゃないか?」

「そうなのですか?矢張り病状が良くない事の表れでしょうか」

「医者じゃないからそんなもの答えられねえよ。ただまあ、本人はもう限界を感じているそうだ。王位が苦痛なんだと」

「だから実権を譲ると?」

「なんだ、聞いてたのか」

 流されたから聞こえてなかったのかと思った。

「桧釐殿が政をする事に異存はありませんが…しかしもう少し待てば鵬岷王子がいらっしゃるでしょう。それまで待てないものか…」

「何でだよ。自分が出来ないから俺にやれって言ってるだけだろ?王子は関係無いし、そもそもこの国に迎える気は無いからな」

「それは陛下のご意向ですか?」

「だから、陛下が実権は俺に譲ると言ったんだ。この件も俺が決める。それにこれは皇后陛下のご意向でもある」

「まさか」

 信じない宗温が桧釐としては信じられない。

「何だよ、お前は鵬岷王子が来ないと困る事情でもあるのか」

 皓照に何か言い含められているのかも知れないと思い鎌を掛ける。

「当然困るでしょう。私がと言うより、灌の協力無くしてこの国は立ち行かない。それは貴殿の方がよく知っている筈です」

 舌打ちを何とか抑える。皓照と同じ理屈だ。

「善意の養子を断ったら国交を断絶されるって?なんて脅しだ。灌はそんな国なのか」

「お言葉ですが、今の灌王からの善意は龍晶陛下あってのものです。もしも本当にこのまま陛下が実権を譲ると言うなら尚更、灌との関係を結び直す為に王子は必要だと考えます」

「俺達が上手くやれば良いだけの事だろ」

「簡単に仰せになりますね」

 出来もしない癖に、と聞こえた。

 苛立ちは直入な問いを口から滑らせた。

「お前は皓照に養子を入れさせるよう命じられたのか」

「命令ではありません。ただこの国を保つ為の術として、反対する者を説得した方が良いと言われました」

 素直に答えるのはそれが正しいと頭から信じているからだろう。

 確かに正論ではある。問題はそれを言う者だ。

「宗温、お前は大きな勘違いをしているな」

 顔を顰める相手の顔を見て、薄く笑いながら桧釐は続けた。

「皓照は他所者だ。更に言えば灌の側の人間だ。向こうの有利になるようお前を言い包める事なんか朝飯前だろう。それで戔の為になるかは甚だ怪しいぞ。それにもう一つ。陛下の正気が疑われる今、この国の意思は皇后陛下にある。そこに逆らう事は許されない。例えお前でもな」

「かつての戔の失敗はそこにあるのでは?誰も皇太后に逆らわなかったから…」

「不敬だろう!あんな奴と華耶様を一緒にするな!」

 宗温の視線がすっと冷めた。

「軍部に戻ります」

 扉の前で一礼し、身を翻すと、いつも通り丁寧な所作で出て行く。

 桧釐には不満ばかりが募った。

 あの冷たい目で一体何を見ていたのか。

 またおかしな噂を立てられて失脚を狙わないとも限らない。軍部を掌握する彼にはそれが可能だ。

「全く…」

 いきなり壁にぶち当たった。先が思いやられる。

 自分の国で権力を自在に操る為には、まだ手続きが足りないらしい。


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