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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十四話 狂気
66/71

5

 結局、その日のうちに水路が完成する事は無かった。

 だがお陰でまた街に来る理由が出来たし、本来の目的が思わぬ形で達成されたのだ。

 薬を飲んで熱が一時的に下がった帰り際、先生がやって来てこう告げた。

「今しがた、陛下に伝言を預かりました」

 怪訝な顔を見せて誰からかと言外に問う。体力も奪われ疲れ果てて、出来るだけ口を開きたくない。

「治水技術を習得するよう陛下に遣わされた者達です。御前に参る事は憚られると言うので」

 北部視察の帰り道、襲撃事件を起こした農民達の事だ。

 彼らの窮地を思えば処刑はしたくなく、治水技術をここで習って故郷を潤すよう命令した。

 その働き具合を見るのが、ここに来た真の目的だった。

 彼らが本当に自分の言う事を聞いてくれるのか、それを見極める為に。

 そうでなくては、北部の飢餓が救えない。

 龍晶は頷いて医師に先を促した。

「彼らは――死罪となるべき身を救って頂いたどころか、我々の事情まで考慮して頂き、本当に有難く勿体無い事です。必ず故郷に水路を通し、田畑を豊かにする事をお約束します――と。皆、改心した様子でしたよ。良かったですな」

 その言葉を裏付けるように、帰途の馬車を見送る列の中に、深々と頭を下げる一団があった。

 恐らく彼らは己に課した約束を破る事はあるまい。

「一つ荷を下ろせた」

 城の中。執務室で従兄と向き合っている。

 事の顛末を教えてそう締め括ると、桧釐は特に感慨も無く口先だけで祝った。

「それは良うございました。これでますます陛下の寛大さが民に伝わるでしょう」

「そういう言い方をするな」

 うんざりと返して睨む。そもそも相手は罪人は処罰すべきと考えているのだからこの件は対立する。

 不快も露わな顔から器用に皮肉さを足して、龍晶は言った。

「もう一つ、全く別件だが街に出た成果があった」

「ほう。何でしょう」

「お前、俺に毒を盛ってるらしいな?」

 空白があった。

 桧釐は何を言われているのか心底理解出来ない無表情から、徐々に目が開き、最後には口が開いてぱくぱくと無意味に動く。

「へ、へ、陛下、なんて事を」

「嘘だと分かってるから言うんだ。ただの噂だよ」

 やっと口から意味のある言葉が出た所で、投げるように教えてやる。

「だが、ただの噂と言うにはタチが悪過ぎるだろう。都中に蔓延しているらしい。お前、知っていたな?」

「まあ…そりゃ、自分の事ですから」

「当事者の耳に入る程、広まってるって考え方もあるぞ。それはともかく、養子問題にお前が積極的に意見しないのはそのせいか?」

「まさか。俺がそんな噂に流されるとお思いですか。養子については陛下と皇后様で決めるべき事と申し上げた筈です」

「どっちに決めても民は騒ぐだろうな」

「陛下こそ民の戯言を気にしておられるのですか」

「知らんのか」

 呆れたような顔を向ける。

 その中に、底知れぬ闇を桧釐は見て取った。

「大衆の言葉は俺達を殺すんだ」

「前王の事ですか」

「いや?俺自身だ」

 桧釐はあからさまに顔を顰めた。現に今こうして生きているではないか。

「俺は罪人の子と言われた」

 その言葉は、今回の件と無関係ではない。

「それが無ければ、もう少しまともな精神を保っていただろう。お前の苦労ももう少し減っていただろうな」

 言葉は精神的、社会的に人を殺し得る。

 それを身を持って体験しているから、忠告してやる事は出来る。

「民の戯言は怖いぞ。あまり放っておくのは得策じゃない」

「緘口令でも出せと?そう言えば前王やあなたの父上も似たような事をされておりましたな」

「そうなのか?どんな事だ?」

 桧釐は肩をすくめ、嫌なものを思い出すように言った。

「王や政の悪口を手の者に聞かれたらその場で斬り捨てられるんですよ。だから都ではうかうか政の話なんか出来ないってね、北州でも皆言っていた。知らないんですか」

「生憎、自分が生き残る事に必死だったからな。だが父の時代は違うだろう」

「それはあなたが子供だったから知らないだけですよ」

「そういうものか?」

 それが本当だとすれば、二代に続いて抑圧された民が反動で好き勝手に喋りたい事を喋っているのかも知れない。

「俺もそうしようかな」

 呟くと、ぶはっと大袈裟に桧釐は吹き出した。

「またまた、ご冗談を」

「案外本気かも知れんぞ?」

「そんなまさか、自分を襲った相手を救うような方が」

「そんな俺でも許せぬ事はあるんでな」

 桧釐は笑い顔を凍らせた。

 王の顔には全く温度が無い。

「何があったんです」

 恐々訊ねる。

「お前の噂の詳細はこうだ。実子を次王にしようと目論む桧釐という男は、過去に国家転覆を謀った朱花の血族の者であり、同じ北州の出であるから、何をしてもおかしくない、と」

 言い終えて引き結んだ唇が震えている。

 この怒りは本物だと、桧釐は察した。

「未だに朱花様の事をそのように言う者が居るとは。矢張り、都で大々的にお母上の名誉回復を宣伝すべきです」

「陰で笑われるだけだ」

 そうやってまた母の存在を汚すような真似はしたくないのだろう。

「ならば、どうします。まさか本当に無辜の民を殺すような事はしないでしょうね?」

 念を押すと、暗い目で見られた。

「それを俺が命じれば、お前は止めるか」

「無論。あなたに前王のようになって欲しくはない」

 龍晶は口元を歪めた。笑ったような、恐怖に引き攣ったような。

「…そういう事だったんだ」

「え?」

 今の自分は、都に戻ってきた当初の兄と同じなのだ。

 都の人々は、王族が次々と不慮の死を遂げた事を前皇后麗螺の仕業と噂した筈だ。そして兄の事をこう呼んだのだろう。「罪人の子」と。

 だが母子の悪口を口にした者は殺されるようになった。そこで人々は『罪人の子』の矛先を変えたのだ。言い逃れの為に。

 それは高貴な身分から没落した自分達親子を槍玉に上げる人々の愉悦となった。

 抑圧の捌け口が、この身だ。あの時も、今も。

「兄上の家臣は優秀だったんだなと思って」

 己の考えの説明は口にしなかった。

「またそれは、どういう意味ですか」

「王のやりたい事を実現してくれる。誰も異を唱えなんかしない」

「俺が邪魔なら北州に帰りますよ。どうぞご勝手に」

「このくらいで臍を曲げるなよ。単なる皮肉だ。いちいち諌めてくれる優秀な家臣はお前の他に居ない」

「最早それは皮肉と言うより天邪鬼ですよ。陛下は人が悪い」

「悪人なら悪口の処罰も当然だろ。その場で斬り捨てろとは言わないが」

 まじまじと桧釐は従弟を見る。

「何だ」

「何か…おかしいですよ、陛下。俺の知るあなたとは今日は別人のようだ」

「頭がおかしいのは前からだって知ってるだろ。少しのきっかけで更に狂う事はあるさ」

「本当に狂っているならそんな事は言えないと思いますが」

「お前には分からんだろ、狂人の頭の中なんて。冷静な自分が狂っている自分を観察してこんな事を吐かしている…それだけの事だ」

「それにしたって…自分を殺しに来た者を許して救ったあなたを見てきた俺は、今のあなたが信じられません。どうしてただ噂話をした民をそこまで恨むのです」

 龍晶は腕を組み、冷静に返した。

「命を賭してきた者は、こちらも命を賭して応えてやる。そうすれば彼らを感化させ操る事が出来る」

 あれは計算尽くだったのか。桧釐は底知れぬ従弟に薄く恐怖心を抱いた。

「だが、何の責任も持たず他人のせいにして好き勝手を言う者達は、己の罪に一生気付かないだろう。その言葉に心を病ませ、一生を狂わせた者が居ると。お前は無辜の民と言ったが、俺にとっては彼らの方が罪人だ。恨んでいる…ああ、そうだ。俺は民を恨んでいる」

 桧釐は身震いして、炉に薪を焚べるべく立った。

 そうでもして目を逸らさねば、深い穴の底へ引き摺り込まれそうだった。

 薪を飲み込んで炎が燃える。

 それはただの怒りではない。そしてただの狂気でもない。

 生きる為に抑えてきた仄暗い熾火が、長い年月の中で自分自身を灰に変えてしまった。

 憎悪と情愛を同じ器の中で燃やしていた。

 あとは何も残らない。

「なあ、桧釐。矢張り養子は貰うべきかも知れんな」

 急に飛んだ話に振り向く。

 暗い目は、伏せられていた。

「すぐにでも譲位して…あとは任せよう。灌王と皓照が良いようにするだろ。俺は姿を消して細々と生きるよ。そうしたいんだ」

 いつもなら即座に否定するか冗談とするかだが、最早そういう気になれなかった。

「良いのですか、それで」

「もうどうだって良い。自分が死んだ後の事まで責任持てる器じゃない。それに…」

 口の端が歪む。

「それで多くの民が苦しむ事になるなら、地獄の底から嗤ってやる。それが俺の復讐だ」

 桧釐は必要も無いのに火箸で炉の中をつついていた。

 直視出来なかった。

 諌める事が出来ないのだ。それはもう恐怖心からではなく、哀れだと思ったがゆえに。

 前王のようになって欲しくはないと言ったが、もう手遅れなのかも知れない。

 その先に待つのは、破滅だ。

「陛下が譲位するのなら、俺は北州へ帰ります。なんなら一緒に帰りますか?」

 さりげなく誘うと、意外に素直な返事が返ってきた。

「そうしようかな」

 それだけ都に倦んでいるとも取れる。

 だが、何事も無く表舞台から去りたいと願う気持ちが本当は強いのだろうと思い直した。

 兄王や父親とは違う。彼は、善良な王のままその身を退くべきなのだ。

「では、養子の話は進める方向で良いですね?」

 確認に、力無く頷いた。


 久しぶりに後宮へ戻り、夫婦で生活していた室に入る。

 華耶は不在だった。女官によれば、春音の所へ行っているのだと言う。

 安堵したような、気が抜けたような。

 南部から帰ってずっと、執務室とその近くにある仮眠室で寝起きしていた。仕事は溜まっている。それが理由なのか言い訳なのか自分でもよく分からなかったが。

 流石に養子の事を二人でよく話さないまま決めるのは如何なものかと思い直して後宮に帰った。だが華耶は居ない。

 まあ良いかと寝台に体を伸ばす。

 正直、何もかもどうでも良かった。

 全てを捨てざるを得なくなって、それでも守り通さねばならなかったこの国の民に、今度は侮蔑と嘲笑の的とされて。

 何の為に傷付き果て、何の為にそれでも生きてきたのか分からなくなった。否、馬鹿らしくなった。

 眠気が襲い、瞼を閉じる。

 早く死ねたら良いのに。

 誰も信じられないこの世界で、欠けた体で、生きるだけ無駄なのだから。


 お前は国を滅ぼす。戔はかつてその一部でしかなかった小国に売り渡されるのだ、お前のせいで。

 民は流浪の身となり、奴隷の如く使われるだろう。

 お前のせいだ。全て、お前が悪い。

「うるせえよ…」

 貴様らのせいでもあるだろ、と亡霊に悪態を吐く。

 こんな一族を作り出し、俺という王を生んだお前らが悪い。

 いつの間にか隣で眠っていた華耶が目を開き、怪訝な顔をした。

 彼女の顔を見てこれが現実だと気付く。

 夢と現の境が曖昧だ。

 今に始まった事ではないと思い直して、華耶に言った。

「祖先どもが煩いんだ。俺は売国奴だと」

 華耶は困ったような顔をする。

 久しぶりに話しかけてきたと思ったらこれだ。こんな顔をされて当然だろう。

「悪い夢を見てたんだね」

「夢なら良いが」

 言いながら虚空を見回す。

 亡者たちは消え、明け方の青い光がぼんやりと室内を浮かび上がらせていた。

 春先に見た、明け方の甘い夢は何だったのだろう。彼女に全て委ねて甘えていた、あの時間と同じ光。

 今はただ寒いだけ。結局、自分の本質はこんなものなのだと自嘲する。

 しんとした刺すような空気。いよいよ雪が降りだしたのだろう。

「気の狂った夫から逃げるなら今のうちだぞ」

 決して妻の顔を見ないようにしながら問う。

 隣に横たわる頭が振られたのは目の端で捉えた。

「そんなつもりはありません」

 きっぱりとした声。小さく諦めの溜息を吐いた。

「じゃあ聞いてくれ。俺は灌の王子を養子に迎えようと思う」

「はい」

 機械的な返事。まだ彼女の顔は見れない。

 天井ばかり見詰めながら。

「王子が来ればすぐにでも王位を譲りたい。俺の目的はそれだけだ。一刻でも早く、この立場を捨てたいんだ。それには春音は幼過ぎるから…それだけの理由だ。お前はどう思う」

「あなたがそうしたいのであれば、私は従うだけです」

 硬質な声音に今度ははっきりと溜息を吐く。

 白い息が昇ってゆく。

「お前の意見が聞きたい。養子という以上、母親になるのは華耶なんだから」

 勝手だなと自分でも思う。

 今の冷めた関係は、自分の意見に彼女が反対した所から始まっているのに。

 それで素直な意見など彼女が口に出来る筈が無い。

「…もういい」

 夜具を押し退けて起き上がる。今の時間に執務室へ行けば煩い桧釐も居ない。好都合だ。

 独りになりたい。

「何を言っても良いなら聞いて」

 後ろからの声に足を止める。

「私は春音は自分の子供だと思ってる。鵬岷様は良い子だと知ってるけど…自分の子だとは思えない。だから本当は乗り気じゃないの。鵬岷様が可哀想で。だって…灌でも義理の母親に疎まれて、ここに来ても私に子供として見られないなんて」

 そこまで言って、ごめんなさいと華耶は謝った。

「私が努力して愛してあげれば良い話なんだけど…。でもやっぱり私は春音が可愛い。あの子にあなたの跡を継いで欲しいと思ってる」

 龍晶は振り返って、初めてまともに華耶の顔を見た。

「だって、今まであなたが春音の為に頑張ってきた様を、見てるから」

 柔らかな春の日差しのような笑みは、まだ凍てついていない。

「…華耶は俺より俺の事を分かってくれてる」

 素直にそんな言葉が吐き出せたのは、彼女の言葉が全て何の引っ掛かりも無く自分に染み込んでいったからだ。

 春音の為の世を作りたい。それが本音だ。

 その本音に蓋をしようとするから、混乱していたのだ。

「表に行く前にあの子に会っていって」

 頷く。華耶に導かれて、我が子の元へ足を向ける。

 桧釐に今日はどう言い訳しようか考えながら。

 あいつは案外素直に賛成しそうな気がする。何せ実の子だ。

 難しいのはその先だろう。

 我が子に会いに行くこの道は、見えない荊の生い茂る道だ。


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