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月の蘇る-4-  作者: 蜻蛉
第二十三話 離別
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6

 出立を遅らせる事を告げると、華耶は「お弁当作ったのに」と言いながらも嬉しそうに笑っていた。

 燕雷は拍子抜けした様子で「なんだ」と苦笑いして荷解きを始めた。

 誰よりも喜ぶだろうと思った朔夜は、最初きょとんとしていた。そして意外に言葉少なく、ただ安堵した様子ではあった。

 一夜明けて、今日もまた素振りの音が聞こえる。

 帳簿を繰るのに疲れて、龍晶はその様子を眺めている。

 燕雷がまだ居るから本気で仕事をしている訳ではない。ただ、昨晩はあちこちに文を書いて遅くなった分、思考に疲れが出ている。

 一定の感覚で刀が空気を震わす音が心地よい。瞼が重くなる。

 朔夜はそんな友を横目に見、敢えて何も声を掛けず素振りを続けた。

 なんて穏やかな日なのだろう。

 だがそれを真正面から享受するには気が引ける。

 自分の罪を考えればそれは出来ない。何も償いが出来ないし、罰も無い。国外追放とは言うが、逃げる為の方便だ。

 それに反乱軍も気になった。ここからほど近い場所で、まだ戦闘は続いている。

 そこで命を奪われた少年達の死に顔も、脳裡に焼け付いて離れない。

 昨夜は焼ける郷里の夢を見た。久しぶりに魘された。

 お前は何も許されていないのだと、そう告げられた気がした。

 無意識に動かしていた手が止まっていた。

 変だろうか。今こんな気分になる事は。

 もう少しここに居るんだね、と華耶は喜んでくれた。龍晶もお前が一番嬉しい癖にと揶揄いながらも笑みが隠し切れていなかった。

 今が穏やかであればある程、周囲が優しくしてくれればくれる程、底知れない不安が襲って来る。

 お前にそんな権利は無い。ここに居て良い存在じゃない。お前は悪魔なのだから。

 戦場に行け。居場所はそこしかない。こんな場所に居たら、また。

 また。

「朔夜」

 華耶の声に全身がびくりと戦慄(わなな)いた。

 そんな幼馴染の様子には気付かず、彼女の目は夫へと向いていた。

「あらら。こんな所で寝ちゃって」

 柱に背中を預けて、膝を抱えた腕の中にある目はしっかり閉じられている。こうして声を掛けられても起きない所を見ると、うたた寝では無さそうだ。

「日があったかいからさ。そのままにしてやってよ」

 友の寝顔のお陰で気持ちが柔らいだ。

 華耶も微笑んで頷いた。

「そうだね。日向ぼっこには丁度良いもんね」

 彼女は夫の隣に座り、朔夜を手招きして濡れ縁に座らせる。

 持っていた器を三人の真ん中に置いた。

「朔夜の好きな芋餅。どうぞ、召し上がれ」

 梁巴でよく食べていたおやつ。華耶は二人で遊ぶ時、母親と一緒にこれを作って持って来てくれていた。

 素朴な思い出がたくさん詰まった味。

 全然そんなつもりは無かったのに、食べていると不意に、目に涙が溜まった。

 自分で驚いて目を擦る。

「どしたの?大丈夫?」

 見られてなければ良いなと思ったが、対面に座っている以上それは無理だった。

 だから笑顔を作るが、自分への情けなさを笑う顔になった。

「ごめん。ちょっと美味すぎて」

 華耶もその冗談に笑ってくれたが、ややあってぽつりと言った。

「おじさん、急に行ってしまったもんね」

 昨日、急に別れを告げた燈陰に心を痛めているのだと思うと、あんな奴関係無いとは言えなかった。

「華耶は梁巴に帰ってみたい?」

 父親の事を考えたくなくて、微妙に話を逸らす。

 うーん、と華耶は上を向いて想像している。

「今、行っても…。おじさんが父のお墓を作ってくれるなら、いつかは行かなきゃいけないと思うけど」

 今、王妃が梁巴を訪れれば苴が黙っていない。華耶もそれは分かっている。

「でも、本当にいつかで良い。今はこの人の傍に居るだけで幸せ。子供の頃みたいに」

 言いながら龍晶に向ける視線は、愛しさで溢れている。

 それが朔夜と無邪気に遊んでいた頃と同列に述べられるのだから、餅を焼く事も無い。

「そっか。それなら良かった」

 心底そう思う。願う事はそれだけなのだから。

「朔夜は誰か好きな人居ないの?」

 何気ない問いが奇襲も良い所で喉に芋がつかえた。

 盛大に咽せて、華耶も慌てて茶を飲ませてと騒いでいると、流石に龍晶が目覚めた。

「…どうした?」

 半分閉じた瞼と言い掠れた声と言い、まだ眠そうだ。

 やっと芋を飲み込んで朔夜が首を横に振る。

「なんでもない」

「朔夜は好きな人居ないの?って聞いたら咽せちゃった。きっと誰か居るんだよ」

 無邪気に華耶が状況説明すると、龍晶も一気に目が覚めて吹き出している。

「華耶ぁ」

 情けなく声を出すが、彼女はわざとなのか本当に分かってないのか小首を傾げる。そして龍晶は爆笑している。

「ねえ仲春、いろいろ落ち着いて朔夜が帰ってきたら、仲人してあげよ?私達のに負けないくらい素敵な式を私、考えてあげたいな」

 龍晶は笑いながら頷き、悪戯っぽい目を朔夜に向けてわざと問うた。

「で?好きなのは誰なんだよ?」

「言えるかっ!」

 言ったところで意味は無い。

 華耶は好奇心を駆り立てられた顔で口早に問う。

「えっ、ねえねえ、戔の人?私も知ってる?あっ、私にだけ教えてよ」

 それが一番難しい。

「なんで急にそんな事を」

 頭を抱えながら問うと、当然のように華耶は答えた。

「だって、朔夜にこれだけの幸せを貰ったから、お返しもしたくなるじゃない?」

 思わず真顔になる。二人の顔を見れず、庭に視線を投げた。

 華耶は構わず続けた。

「朔夜にも幸せになって欲しいんだ。ずっと私の為にって頑張ってくれてたの、知ってるから。仲春の所に連れて来てくれたのも、それが私の為だって考えてくれたのも朔夜でしょ?だから私、今度は朔夜の為に頑張りたい」

 夫と顔を見合わせ、笑いながら。

「朔夜は好きな人の話するだけで顔が真っ赤になるんだもの。代わりに私がお話してあげた方が上手くいくと思うんだよね。なんて言っても今は私、皇后様だし?」

 きっと華耶は今の生活が永遠だと信じている。勿論、朔夜もそれは信じたい所なのだが。

 龍晶はどう思っているのだろうと、顔色を窺う。

 静かに微笑みながら、彼は助け舟を出してくれた。

「多分こいつはさ、生きる時間が長いだけ大人になるのも遅いんじゃないか?だから人並みな恋愛感情が無いんだと思う。お子様にそういう話はまだ早いだろ」

「そう?」

 本人は些か不満な所もあるが納得せざるを得ない。その通りと言えばその通りなのだから。

 生きていてそれどころではないだけだと、自分では思っている。決してお子様なのではなく。

 それでも反論は飲み込んで、龍晶がどう話を纏めるのか聞きたかった。

「だから、その時が来たら協力してやって欲しい。こいつの望みを叶えられるのは、華耶だけだから」

「そっか。分かった」

 龍晶が本当に意図する所は恐らく分かっていないだろうけど。

 それで良かった。


 夜。

 龍晶が仕事をする横で朔夜は暇を持て余している、少し前にはよくあった光景。

 どちらがどう言った訳でもないが、何となく傍に居る。時間を惜しむように。

 華耶は夜泣きする春音と歩きに出掛けた。勿論、於兎や十和ら大勢の女官を伴って。

 お陰で屋敷の中はいつもより静まり返っている。うっすらと寂しい感じまでする。

「なあ、朔夜」

 仕事がひと段落したのか、龍晶の方から呼び掛けてきた。

「何」

 返しても、そこから続く言葉が無い。

 長椅子に寝そべっていた体を起こして、龍晶を視界に入れた。

 一点を見詰め、心がどこか遠くに飛んでいる。

「どうしたんだよ」

 二度目の返しで漸く戻って来た。

「いや、何て言うか…華耶とお前の事を考えてたら、どうしてやるのが一番良いのか…分からなくなってな」

「何だそれ」

「誤算だった。夫婦ってもっと…表面上だけのものだと思ってたから」

「だから訳分かんねーよ…」

 言いつつも、友が言葉にしあぐねているものは何となく分かる。

「大丈夫だよ。俺、もうすぐ居なくなるし。お前らの邪魔するつもりは無いから」

「そういう事じゃねぇよ。どうしたらお前が幸せになるかを華耶は考えてるんだ。…俺も」

 ずっと決めていた事なのに、今は言葉が引っかかる。

「俺も、どうやってお前に華耶を返せば良いのか…考えてる」

「そんな事言うな」

 即座に怒りを込めて返す。龍晶はそれも予測済みとばかりに続けた。

「でもいつか必ずそうなるだろ?俺は不死にはなれないから」

「何十年後の話だろ。今考えなくてもいいってだけだ」

「…まあ、そうだよな。何十年と一緒に居れば冷めるもんだよな。俺だけ老けていく訳だし」

「華耶がそんな事でお前を嫌うかよ」

「さてなぁ…それは分からねぇぞ?」

「絶対、無い」

「意地張ってるけど、それで良いのかよお前は」

「良いよ。当たり前だろ。華耶が幸せなのが一番大事なんだ」

「そうだな」

 それきり黙ってしまって、また遠くへ視線を投げたまま。

 朔夜はそんな友が言いたかった事を訝しんで考えるしかない。

 龍晶が今頭に思い描いているのは、考えても仕方ない未来だと思うのだが。

「いっそのこと、華耶の言うようにお前が他の誰かを好きになってくれたら楽なのに」

 また変な事を言い出した。

「有り得ないし、なんでそうなる」

「お子様には分かんねえよ」

「じゃあ分かるように説明しろよ!」

 出来ねえよ、と呟いて。

 誤算だったのだ。自分が死んだら華耶の愛は自然に朔夜に向くだろうと思っていた。

 だが昼間の発言は、そうはならないと言っているのと同じで。勿論、それが何十年後の事なら分からないけれど。

 お互いに、思っていた以上に、愛し過ぎてしまっている。

 華耶はきっと傷付かずに朔夜へは戻れない。

 そして自分だって、死んだ後でさえ、華耶が自分だけの存在なら良いと思ってしまう。

 強欲だ。だけどこれは自然な流れだろう。

 それに逆らっては、誰も幸せにならない。

「華耶も俺も、お前が心から幸せになる所が見たいんだと思う。…俺が生きてるうちに」

 もう一つの説明出来る理由があるとすれば、こうだ。

「…有り得ないって」

「これはただの俺の願い…いや、我儘なんだけどな」

「ごめん、龍晶。俺が考えてる事言っていい?」

「ああ」

 隠したまま行くつもりだったけれど。

 この齟齬を埋めねば二人を騙したまま去るようで。

 否、埋まらないかも知れない。だけど言うべきだった。

「俺に幸せなんか無いよ。なれないし、なっちゃいけない。お前は忘れさせようとしてくれてるのは分かってるけど、この手は沢山の罪を犯しているから。償いもしないで、そんな事できる訳ない。今だって本当は罪悪感で潰れそうなんだ。お前達と一緒に居るのは楽しいしそれだけで幸せなんだけど、本当はあってはならない事だ…」

 龍晶は何も言わず、俯いて卓の上の文字と数式の羅列を見詰めていた。

「悪魔のやった事だってお前は考えてるんだろうけど、誰もそうとは思ってないし、俺も自分のやった事だと思ってる。母さんだって俺が殺した。みんな俺がやった事だ。それに、これからだって…」

 淡々と口に出さねば、胸が潰れてしまいそうで。

「お前達をやってしまうかも知れない」

「お前じゃない」

 龍晶は鋭くそれだけ投げ掛けた。

 首を横に振って、言った。

「そういうものを背負って生きるしかないんだよ。そうやって苦しんで生きていくしか。首を刎ねてくれたら楽なんだけどさ…」

「馬鹿言うな」

 怒ったように言って、龍晶は卓から離れた。

 やっぱり理解して貰えないと小さく失望したのは束の間で。

 彼は朔夜の座る長椅子の肘掛けに頭を持たせかける恰好で、(ゆか)に座り込んだ。

 触れる程近くに居るけれど、顔はお互いに見えないように。

「俺だって同じだ。俺だって、多くの人を死に追いやった。自分が決めた事によって。肉親だってそうだし、この先も同じ事を繰り返すだろう」

「でも、お前は…それが正義だろ…」

「そんなものの為に俺は兄を殺さねばならなかったのか?やめてくれ。悪い冗談だ。お前はあの時の俺を見てるだろ。狂ってるとしか言いようのない俺を」

「…お前は苦しんでた」

「お前と同じだよ。死んだ方が楽だった」

 あの過酷な日々を越えて、今がある。

「今も頭の一部は壊れたままだし、治る事は無いだろう。それが代償なのかも知れない。俺の犯した罪に対する罰なのかも知れないけど。でも、生き残ってしまったからな。殆どお前のお陰で」

「…うん」

「お前のお陰で、幸せってものを知ってしまったからな…」

 朔夜は長椅子を降りて友の横に座った。

 同じように膝を抱えて、横顔を見る。

 龍晶は目を合わさず、じっと前を見ていた。

「お前に殺されるなら仕方ないって、今でも思っている」

 声も出ない、衝撃と。

 それだけの事をしてきたという後悔。

「ただ、それでお前が辛い思いをして欲しくはない。だから殺されないようにしてやってんだよ」

「はあ」

 それは全部本音なのだろう。

 外から賑やかな声が戻ってきた。

 女達の笑い声。華耶が帰ってきた。

「お前が俺にしてくれたように、どうやったらお前を救ってやれるのか…華耶と考えておく」

「龍晶」

「俺だってこんなになるつもりは無かったのに、お前が無理矢理掬い上げてここに押し上げたんだ。お前のせいだ」

 龍晶は立ち上がって華耶の声のする方へ向かった。

 自分も行って良いだろうかと思いつつも、立ち上がる事は出来ず。

 膝を抱えたまま。

 今の俺は、あの頃のあいつと同じなのか。

 どうにか救ってやりたくても、手を伸ばしても、それを掴んで貰えなかったあのもどかしさや虚しさを思い出す。

 同じ思いを今はあいつに味わわせているのだろうか。

 済まないとは思っている。ああ、これもあの時のあいつの言葉そのままだ。

 手を掴むべきなのだろう。

 今あいつが見せてくれているのは、希望そのものなのだろうから。

 お前もこうなれるって、そう言いたいのだろうから。

 だけど違うんだよ、龍晶。

 俺の手は血に塗れて、滑って、お前の手を掴めやしない。

 俺は人じゃないから。

 人並みな幸せなんて、はなから無いんだ。


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